現役時代にオランダ・エールディビジのアヤックスやイタリア・セリエAのユベントスにイングランド・プレミアリーグのマンUの守護神を務め、現在はキャリアをスタートさせたアヤックスのCEOを務める元オランダ代表GKのファン・デル・サールが自身のキャリアについて、1999年から2001年までプレーしたユーベへの移籍は選択ミスだったと振り返りました。
プレミアリーグのリバプールへの移籍も選択肢にある中でアヤックスからユーベへ移籍したファン・デル・サールは「いくつかの選択肢があり、リバプールはエールディビジと似ていると感じたので違った経験をしたかった。ユーベは偉大なクラブだったし、当時のリバプールはトップクラブとは言えなかった。事前の交渉での話はポジティブで、最終ラインからビルドアップするサッカーをしたいと。しかし、これは実現しなかった。僕がそのようにプレーしていると、『ここではそういうプレーをしない。長いボールを蹴れ。』とね。僕は何をすればいいのか分からなかった。」と、入団前にユーベから聞かされていた内容と現実に大きな乖離があったと明かしました。
元イタリア代表GKブッフォンのユーベ入りを機にプレミアリーグのフルアムへと移籍し、その後2005年から2011年までマンUでプレーして引退したファン・デル・サールですが、これは当時ユーベを率いていたアンチェロッティ監督によるものだと思います。
後にセリエAのミランで黄金期を築いてプレミアリーグのチェルシーやフランス・リーグアンのパリSGでもタイトルを獲得し、スペイン・リーガ・エスパニョーラのレアル・マドリーでは自身でも3度目となるレアル悲願の10回目のビッグイヤーに導いた元イタリア代表MFのアンチェロッティ監督ですが、ミランで元イタリア代表MFピルロをレジスタに据えるまでは現役時代にミランで指導を受けたサッキ監督のネガな部分のみを継承した印象が残っていて。
ユーベの前に率いていたセリエAのパルマでは、ファンタジスタの元イタリア代表FWゾラをサッキ監督が率いた1994年W杯のイタリア代表と同じく本職のセカンドトップからサイドハーフにコンバートさせ、機能しないと見るやチェルシーへ放出してますし。
ユーベでも後にプレミアリーグのアーセナルで世界屈指のゴールゲッターの仲間入りを果たした元フランス代表FWアンリをサイドハーフで起用し、これも半年でアーセナルに放出していますし。
後にパルマ時代にサッキ監督との因縁のある元イタリア代表FWバッジョのパルマ入団が浮上するもサッキ監督同様当時トップ下を置かない4-4-2信者だったアンチェロッティ監督は、トップ下を希望するであろうバッジョはいらないと、バッジョ獲得を拒否したことを明らかにしていましたし。
一方で、アンチェロッティ監督はユーベで元フランス代表MFジダンを指導したことを機に、ゾラやアンリの放出は過ちだと認め、かつミランでのピルロをレジスタ起用のヒントになったと明かしており、アンチェロッティ監督はユーベで時代が後のキャリアの礎になったと思います。