コチラも2023年度の仕入れ品となりますがオーナーの療養、手術等が1年に及んだ為通信販売ルートに載せていなかったCIJ時期のFender Japan ST62-USです。
当店オーナーが密かにMIJ時期より良い個体がある…としているCIJ時期。組み込みがダイナ楽器と言うだけで、当たり個体はアトランシア製やTOKAI製木部に集中しています。
詳細画像、商品説明は追記致します。
2014 YAMAHA LL6 A.R.E / Black
2024/9/12最新入荷!
2024年メーカー希望小売価格 69,300円
( 元は税抜定価60,000円 法改正により税込み表記価格がメーカー希望小売り価格となります。)
「L6シリーズ」では、ヤマハの様々な独自技術を搭載しました。イングルマンスプルース単板によるトップ材はA.R.E (Acoustic Resonance Enhancement)処理が施されています。
さらに、改良されたブレイシングデザインによって、優れた音量バランスを保ちながら、より力強く、より大きな音を響かせます。
また、現代のギタリストのニーズにマッチしたパッシブタイプのピックアップを搭載。このピックアップにより、ライブやレコーディングにおいても、アコースティックギターとしての外観はそのままに、ギターの鳴りを損なうことなく高い表現力を発揮します。
- オリジナルジャンボボディ仕様
- 表板はイングルマンスプルース単板を採用
- 裏側板はローズウッドを採用
- 高い演奏性を実現する新ネック形状
- 5層構造ネック搭載
- パッシブタイプピックアップ搭載
⚫️コンディション
Sランク(新古品に近い)
パーフェクトフルオリジナル。
YAMAHAオリジナルセミハードケース
他新品時に付属するレンチ、マニュアルその他完備
入荷時に僅かな順反りをストレートに調整。トラスロッド幅は余裕あり。
エンドピンジャックによる標準エレアコ仕様となるのでシールド付属
⚫️詳細画像&商品コンディション説明
◎ヘッドストック
ペグはゴールドパーツを採用。ヘッドストック、ネックバックはサテンフィニッシュを採用しておりますので、握った際にも汗等で滑らないフィニッシュをあえてネックには採用しています。ボディは光沢のあるグロスフィニッシュです。リペア歴等はもちろんございません。
◎サウンドホール
サウンドホール周辺のパーフリングはアバロンデザインを採用。高級感を演出しています。サウンドホール内のラベルで型番、A.R.E表記をご確認頂けます。
◎フレット
YAMAHAならではの丁寧な処理の理由は、最初に海外OEM生産を開始した台湾時代から一貫して日本人技術者を現地に派遣。厳しい指導とチェック体制を常に維持しておりますので、製造工場が何処の国であれ、一貫したYAMAHAクォリティを実現しています。ノーブランド品の諸外国製とは異なります。フレット残は99%と言えるほど、傷凹みなく擦り合わせ等もしておりません。新品展示品と変わらない状態を維持しています。もちろんフレットサイドのバリもございません。
◎ナット
工場出荷状態を維持しています。安定したチューニングにはナットの切り込みや精度は不可欠です。
下倉楽器さんのYAMAHA工場レポートも下記よりご覧頂けます。併せてご覧ください。
https://blog.goo.ne.jp/shimokura-omiya/e/f81bb5127dff2e885918bd91dd8206d3
https://blog.goo.ne.jp/shimokura-omiya/e/f81bb5127dff2e885918bd91dd8206d3
◎ブリッジ
浮きや割れ、サドルを削った等もございません。新品出荷時と変わらないコンディションを維持しています。
ブリッジ周辺のボディトップが膨らんでしまう等の症状もございません。単板トップのメリットを維持しています。
◎エレクトロニクス
エンドピンがシールドを接続出来るジャックを兼ねています。YAMAHA独自のコンタクトピックアップは電池不要なパッシブタイプとなります。ブリッジ付近の2箇所から疲労コンタクトピックアップは、この価格帯としては実にナチュラルなアウトプットサウンドを実現しています。
◎セッティング
エリクサーゲージによる工場出荷時の弦高にセットしてあります。6弦側2.5mm 1弦側2mm程度ですが、エレアコの場合にはこれ以上下げるにはブリッジ下を削る作業が必要でオススメはしません。下記をご参照ください。
◎付属品
⚫︎YAMAHA純正セミハードケース。ダブルショルダーの背負えるタイプです。
⚫︎トラスロッド調整レンチ(自信がない方はショップに依頼しましょう)
⚫︎カポ
⚫︎グレコクリップチューナー
⚫︎取り扱い説明書
サービスでシールドもお付けします。
シリアルナンバーは本体のネックエンドにもございます。
○東京本店在庫環境
非喫煙環境の楽器倉庫にて非展示。セミハードケース保管となります。展示による不特定多数の方の試奏はございませんので画像通りの現品1本限りとなります。タバコ臭等のご心配は無用です。試奏は予約制となり、基本的にご購入を前提とさせて頂きます。各媒体にて通販にてご購入の場合には媒体の規定に準じます。
返品は商品到着後2日以内を基本とさせて頂きます。画像にない新たな傷や改造、パーツ交換やライブ使用目的のレンタル代わりの際には返品対応は致し兼ねます。
基本的にパーツ交換を伴わないネック調整その他は無料です。遠方の方は往復送料をご負担ください。
◎当店販売価格
45,000円税込み ( 直販価格、送料別 )
各媒体に出品する際には媒体の手数料がプラスされます。送料換算も上乗せになります。フリマ等の場合には送料込みの場合もある為、予めご了承ください。
直販は銀行振り込みもしくは現金決済のみとなります。かなりお買い得かとは思いますが、カードその他をご希望の方は各媒体に出品しますので、販売価格は異なります。予めご了承くださいませ。
⚫️当店からの個体セールスポイント
極上コンディションの新品同様Sランクユーズド!東京本店在庫( 試奏は予約制 )
イングルマンスプルース、単板トップ&エンドピンジャックによる標準エレアコ仕様!
YAMAHA独自のコンタクトピックアップによるナチュラルなエレアコサウンドも魅力!
鳴りも良く、生音で弾く分にもFSシリーズ等よりワンランク上を感じて頂けるでしょう!
初年度モデルと言う事で、検品体制も念入りに行われたでしょうし、何より2024年現在は世界的に良材が枯渇しており、10年前は当たり前に採用されていた材が代替え材になるなど…
ある意味では2014年製の方がスペックには現れない魅力があるのではないでしょうか?
パーフェクトクリーニング、完全調整済み!
初心者の方はもちろん、中級者クラスの方にも最適なYAMAHA LL6 A.R.Eです!
新品を検討されている方も是非お問い合わせ下さい。展示されている新品以上の鳴りを引き出す為のセットアップ、クリーニングを施しました。
自信を持ってオススメ出来る1本です!
下記のAmebaオーナーズブログも併せてご覧くださいませ。
ニアミント!新品チョイ傷程度のコンディション抜群の75th Anniversary Fender Player Telecaster Tide Poolです!
詳細画像、商品説明等は追記致します。
コチラは2023年度の仕入れ品となりますがオーナーの療養、手術等が約半年に及んだ為通信販売ルートに載せていなかった新古品、付属品完備となる75th Anniversary Fender Player Telecaster。
新品チョイ傷な理由はメックスは専用サイズなのを知らずに、無知な店員がインチのロッドで調整しようとした為、ロッド調整口のわずかな傷がございます。
もちろんメックス専用規格なトラスロッドレンチにて完全調整済み。トラスロッド自体は問題ありません。新品チョイ傷の展示品同様なコンディション!
タグ、付属品完備、オリジナルギグバック付属!
1998〜2002 Greco Phoenix Bass PXB-L400 / MGS 空前のバンドブームが起きた80年代後半にプリンセスプリンセスが使用してブレイクしたガールズバンドに愛されたベース
1998 GRECO PXB-L400 / Metallic Green Sunburst ( Made in Japan )
MADE IN JAPAN by Dynna Gakki Factory
SOLD OUT
〜2002 Years Discontinued
MADE IN JAPAN by Dynna Gakki Factory
A=朝日木工 B=不明 C=ダイナ楽器
シリアルナンバーは年度を示さない通し番号。B02シリアルは97年製にも存在。03は2003ではない。2003年にはモデルチェンジする。
GRECO Phoenix Bassの歴史〜1988年頃にSPECTORベースの流行を受けて神田商会がグレコオリジナルベースとして発案。折からのバンドブームを受けて1989年に発売。先行して発売されたプリンセスプリンセスのギタリスト、中山加奈子モデルのSGタイプと合わせるようにベーシスト渡辺敦子モデルも追って発売。型番にP2が記載されるのが、プリンセスプリンセスモデル。
さて…正直な話しをするなら、2023年という昨年までの数年…
少なくともこのGRECO Phoenix Bassに正しい商品説明が成されて販売された例は殆ど皆無…と言っていいだろう。
インターネットが普及し、当たり前になった現代。かつ本来なら専門店で買うべき楽器は今やリサイクルショップでも販売されている。
コレが何を意味するか?と言うと…専門知識がないリサイクル系買取業者は、なんでもかんでも検索して判断する。ヤフオクの落札額から逆算する愚かな業者も数知れない。何故ならヤフオクが成立しているのはガラパゴス日本だけであり、ヤフオクで安値で楽器を落札しているのは、海外に拠点を持つ落札代行業者だから…である。
無責任とノークレームノーリターンがまかり通る世界では、一般的な購入者、いわゆる需要がある利用者すら萎縮させてきた。
ノークレームかぁ…リスク大だな。相場よりかなり安くない限り買えないな…
こう考えた一般ユーザーの代わりに現れたのは、いわゆるヤフオクで仕入れようとする業者だ。国内外問わず…マーケットとしては健全とは言えない状況から、知識ない者が値段を設定して、検索した情報のウラもとらずにコピペして販売する。
そんな事がまかり通ってしまった国は、日本だけである。いわゆるグレコフェニックスベースが勘違いされた原因もここにある!と断言してもいいだろう…
ちなみに空前のバンドブームが到来した80年代から90年代にかけて…
音源を発売するレコード会社はもちろん、特定のジャンルに限らずに…音楽業界的には潤っていた。人々が一億総中流社会と呼ばれた時代ならでは…の購買意欲や経済を回す形だとしても、人々は豊かになりかけていた。
敗戦国がここまで早く復旧して、先進国の仲間入りを果たせる所まで来た…
そう考えた人も少なくないだろう。
そんな時代背景だからこそ、日本初のメンバー全員が女性…というガールズバンドブームが到来する。
そして大ブレイクのキッカケになったアルバム「Let's Get Crazy」
アイドル路線から方向転換しただけに、このアルバム内ではスタジオミュージシャンの演奏によるテイクやパートも少なくない。ただし重要なのは…それを再現、完全コピーにメンバーが取り組んで来たからこそ、得られた成功であり、ビジネスである以上は正解だった事になる。
プリンセスプリンセスの名誉の為に記しておくなら、そう言った事情は「当たり前」にあった時代になっていた。男闘呼組もそうだし、日本のマーケットでは「時間を重視」した。成長を待つより音源はパーフェクトに…と。
そう言う意味から解釈するなら、バンドブームに一般層を取り込む必要性があり、「ロックやバンドは不良がやる事」と言うガラパゴス日本的な概念を覆す必要性があった。
あの六本木心中が大ヒットしたアンルイスのバックバンドは、かなり実力派のミュージシャンを揃えたPINXだった…にも関わらず、あの名曲でギターソロをレコーディングしたのは北島健二氏だ。
そして重要なのは、上記でナビゲーターを
している元ハウンドドッグの西山毅さんも国産ギターをメインにしている。
以前勤めていた某楽器店でプロモーションビデオ撮影中に、とても興味深い話を西山毅さんから伺った事がある。
「大友さん、店内に一度も来ませんけど…」と気を遣って西山さんに声をかけると、「 楽器に興味ないんじゃないですかね?」
後のハウンドドッグ分裂騒動を予見していたかのような西山さんの発言に、自分は考えこんでしまった記憶がある。
それでも…楽器屋サイドとしては、やはりバックを務める「バンドあってこその成功論」を支持したい。
歌謡曲や演歌の世界が中心だった邦楽では、歌い手だけが脚光を浴びるケースが多かった…
そこが、そもそも「世界との差」が未だに縮まらない理由かもしれないし…バンドブームの時代には、むしろ「アイドルなんてダサい論」が支持される時代だった…
現代日本は、あらゆる意味で「後退」しているからガラパゴス日本などと呼ばれる事を理解出来ている人がどれだけいるだろうか?
プリンセスプリンセスのブレイクにより、最もマニアックで、ファッションもダサいと呼ばれた「ヘヴィーメタル」がお茶の間に受け入れられたのも…SHOW-YAが「重い扉」を開けたからであり、聖飢魔IIや以降のX-JAPANの成功も、決して彼女達と無関係ではない。
事実、80年代初頭に起きたジャパメタブームはごく一部のバンドマンや、そういったジャンルのロックが好きなキッズの間では盛り上がったものの…お茶の間的な市民権は得られなかった…
あるギター雑誌のキャッチコピーだった…と記憶しているが…
みんなグレコで大きくなった…
は名キャッチだと、筆者は今でも思っている。
現代では許されない本家のコピーにある程度寛容だった時代に…日本製ギターはギブソン、フェンダー、マーチンと言うアメリカのトップブランドのギターを研究し、それこそ寝る間を惜しんで開発にあたった日本人がたくさんいた…
本家に追いつけ、追い越せ!は楽器だけに限った話しではない。車やバイク、電化製品の世界でも全く同じだった。
高嶺の花のような価格帯ではない、良質なギター、楽器、車、家電…
それこそがモノづくりニッポンとすら呼ばれた昭和を生きた人達のパワーと惜しみない努力がもたらした結果ではないだろうか?
再度グレコフェニックスベースを観て頂きたい。随所に記載されるMade in Japan
ポジションマーク一つ取っても、丁寧で美しい仕上がり。フレットのバリなど26年経過しているにも関わらず皆無な良質な指板。今では伐採に規制すらあるローズウッド指板だけを見ても…
復刻版をメーカーが作ると、こういう価格になる現実を知って欲しいのである。↓
そのジャパンヴィンテージと呼ばれた楽器の発売時定価など無意味であるべきだし…
正しいのは海外相場の方だ。
20万払っても指板はパーフェロー。この良質なローズ指板では手に入らない。
それでも…「ジャパンヴィンテージなんて高いよ?楽器屋が仕掛けた単なる企画さ。」と思う方には何を説明しても「猫に小判」である。
僕等は少なくとも楽器のプロとして、間違えてもこうはなりたくない。↓
そして海外にどんどん流れてしまう日本製の良質な楽器は、世界基準の価格となる。
筆者は日本製の楽器を安く売る時点で、そんなところからは何一つ買いたくない。
寝る間を惜しんで努力をしてくれて、メイドインジャパン自体がブランドと呼ばれるようにしてくれた先人の為にも。
(グレコギターがフェンダージャパンになる事によって日本の楽器は飛躍的に成長した。そして一般人が買える価格帯をラインナップした努力によって楽器人口が増えた事を忘れてはいけない)
当店通販サイトにて販売中です。
情報は随時インスタにも掲載致します。
パート2では、ハリスンがプリンストラストコンサートで使用したスクワイアのストラトの型番特定に至る上で重要な事を中心に話しを進めたい。
熱心なギターフリークスにとっては型番特定が、最も興味がある事柄だとは思いますが、あくまでも商品ページとして記載している訳ではないので…「日本製ギターが世界的に認められる過程で重要だった歴史的な背景」から記述していきます。
予定ではPart4が完結予定なので、型番特定の核心部については、以降の更新をお待ち頂きたいと思う…
ジョージハリスン…ビートルズのリードギタリストとして知られているけれど、いわゆる稀代のメロディーメイカーとされるポールマッカートニーやジョンレノンの影に隠れた存在でもあったのは事実だ。
ポールマッカートニーを最重要メンバーと考えるのは自然な事だし、いわゆるロックというジャンルを超えたポップス要素とも言えるキラーメロディを生み出す才能が、ビートルズを「単なるロックバンドという解釈」以上の存在にまで高めていた…
では?僕等のように…人生のどこかのタイミングでロックに心を奪われ、サラリーマンなんて生き方はしたくない!と考えた自分のようなギターフリークス、ミュージシャンやギタリストにとって…
いや、もっと砕けた言い方をするならギターを愛する人達にとっては、おそらくジョンレノンより遥かに魅力的なのがジョージハリスンではないだろうか?
ビートルズのメンバー内では最年少ながら、最も積極的に外部の実力派ミュージシャンとの交流を深め、既にビッグネームになった後でも…ギター演奏技術の向上を含めた「永遠のギター少年要素」を唯一持っていたビートルズメンバー…だと筆者は考えている。
だからこそ、ジョンレノンが使用したリッケンバッカーの325のようなギターでは、演奏技術が向上すればするほど…ジョージハリスンには求めるべきギターが変わっていくのは当然な事だ。
親交を深めたエリッククラプトンから譲り受けたギブソンレスポールや、ブレイク以前のセミプロ時代には関税がかなりかかり、高価で買えなかったフェンダーストラトキャスターをビートルズのブレイク後にジョンレノンの分と2本をオーダーしたのもジョージだ。
そしてビートルズ史上、最も重要と呼ばれる通称ホワイトアルバムは2枚組のLPとして発売される。
ところがプロモーションビデオ等はあくまでもイメージ的なものが製作されてしまう為、いわゆるアイドル的な見方をするロックファンからは、良い子ビートルズ、悪い子ストーンズと称され…ロッカー気取りをしたいキッズは、やはりローリングストーンズ派を自称するようになる。
かく言う筆者も中学生時代は、完全なるストーンズ派であったし、青臭かった当時にはビートルズの演奏力や偉大さに気づいてはいなかった…
ただ、自分の耳は間違えてなかった…と後年痛感したのは、自分自身が中学生時代にバンドを結成しようと動き、かつ仲間内の同級生達で語るロック談義の中で、自分はこう回答していた。
「ビートルズの中で一番好きな曲はWhile My Guitar Gently Weepsかな。ギターソロが素晴らしいし…」と。
その時点での浅い知識では、まさかビートルズの曲でエリッククラプトンがソロを弾いてるとは思いもせずに…
そして、やや本題とは逸れるが…中学2年生の段階で筆者が所有していたのは、新井薬師商店街にあったレコード屋の軒先で買った、当時1万円のヤマハのアコースティックギター。いわゆる通称フォークギターしか買えなかった。
かなり無理があったとは思うが、ヤマハのアコギでコードを覚えるのと同時に、ヤマハのアコギでディープパープルのスモークオンザウォーターなどをコピーしていた。
「あれ?この先は弾けないじゃないか?アコギじゃさ…」
14歳になっていた自分は、なんとしてもエレキギターを手にしようと誓った。
一般階級から育って…後に世界的な名声を得たギタリストは少なくないけど?
エリッククラプトン、リッチーブラックモアがそうだったように…
元からかなり恵まれた貴族階級に近いような富裕層出身のクイーンより、僕等が夢見るべき存在だったギタリストには一貫性があった…
そして15歳の冬…ようやく念願のエレキギターを購入する。
新宿にあったKeyで、白いグレコのストラトキャスタータイプ、SE-600とローランドのBOLT-30と言うギターアンプを新品で購入した。
(1980年グレコカタログ。筆者が購入したのは左端のSE-600の白。当時定価6万円は、15歳の少年が「東海汽船の船に氷を積む仕事」で得たアルバイト代2年分(アンプ含めた予算10万)だ。たまたま母とは既に別居状態だった実の父がやっていた仕事を夏休みに手伝った。もちろん実質母子家庭ではあったものの、自分だけは親父とこの仕事を通じて報酬を得る…と言う繋がりがあった。)
二年がかりで夏休みにバイトして貯めた10万円はこのギターとアンプでほぼ消えた。
4万で若干のお釣りしかなかったローランドのギターアンプBOLT-30
初心者が買うギターアンプが真空管アンプと言う時代。あんまり歪まないなぁ…と嘆いていた当時の自分は、必死にギター雑誌を読み漁った。
ヤングギター誌に掲載されていた山本恭司さんのアンプセッティングを参考にしたり…
そうか?この音量でドライブサウンドを得るにはエフェクターが必要なんだな。と気づくことになるのだが…今では高騰しているエフェクターでさえ、5000円程度で買えたのだから…僕等は耳も鍛えられたのだろう。
良い音の基準には個人差があります…
こんな記載がヤフオク等で散見される度に違うんじゃない?とすら思う。
僕等の時代に生きた数々のトップギタリストが選んだ機材と、アマチュアのギターマニアが垂れる能書きと…
自分はどちらを信じるかと言われたら、答えは明確だ。
自分は現代の若い人に媚びるつもりは一切ないし、歴史に逆らうつもりもない。
そして…まさかの日本製グレコが後にフェンダージャパンになるとは…17歳のその時点では全く想像していなかった。
1987年製スクワイアバイフェンダーストラトキャスターと…現代の新品20万くらいのギター…間違いなく自分が選ぶのはこの1987年製スクワイアバイフェンダーである。
1982年…フェンダージャパン発売。
まさかのグレコはフェンダー名義となる。
高校2年生になっていたし、バンド活動は軌道に乗っていたのに…当時はとても悔しかった。フェンダージャパンにも6万円くらいのギターがラインナップされていたからだ。
ヘッドに記載されたグレコロゴを見るたびに悲しくなっていた。
そう…17歳の少年はまだ、グレコギターがフェンダージャパンになった事など知らなかったしフジゲン楽器どうこうなんて情報すら知らなかった。
無理もない話しだ…
でもまさか…ジョージハリスンが手にした日本製スクワイアバイフェンダーのストラトキャスターと、自分が所有していた1980年製グレコSE-600は、限りなく近いギターだった事に気づくのは…ギタリストとしてプロになる事を諦め、楽器業界に転職をしよう!と決意した32歳を過ぎてから…のことだ。
日本製ギターが爆発的な売り上げを実現した1980年代に重要だった社会的背景とは…
富裕層や良いとこのお坊ちゃんでもない限りは買えなかったギブソン、フェンダー、マーチンと言うアメリカ製のブランドが、OEM生産として日本の楽器製造工場を選び、「頑張れば買える!」価格帯で売り出したにも関わらず、現代のような「安かろう悪かろう」なギターではなかった事が最重要事項だと思う。
あのジョージハリスンが「音の良さに驚き、息子ダーニに買い与えたギターを取り上げてプリンストラストコンサートで使用した事実」が、ジャパンヴィンテージと呼ばれている時代の日本製ギターのクォリティを象徴している。( この部分はパート1のリンク動画等をご覧下さい。)
ジャパンヴィンテージとは、決して楽器屋が仕掛けただけの企画だけで、ここまで世界的に認められた訳ではない。
2024年現在、当時定価は意味をなさないのは当然だと筆者は考えている。
そして僕等の中学〜高校時代…後に世に出る楽曲を、野方駅近くの花屋の息子がバンド活動のドラマーでもあり、ソングライティング的な中心が彼だった。
彼と自分はバンド活動の為に、中野区の公立中学から千代田区の私立高校に進学する。たった二人しかいない中野公立中学出身の親友と呼ぶべきバンドメイト…ナオトと「あーでもない、こーでもない!」とか言いながらリハしていた楽曲をパート2の最後に紹介しよう。
もちろんナオトも自分も、自分らが立ち上げたバンドが、後にメジャーデビューを果たした…遥か以前の初心者時代に、試行錯誤しながら楽曲を作ったり、演奏技術向上の為に時間を惜しみなく注いでいた…
それが原点だ。
後にこの楽曲が世に出て、未だに一定数のロックファンに愛されている事が嬉しい…
パート3に続く