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ジョージハリスンが愛したストラト〜1984〜1987 Squier by Fender Stratocaster / Japan Vintage

2024-01-06 17:13:00 | 日記
1987年〜元ビートルズ、ジョージハリスンが本国にて行われたプリンストラストコンサート1987内で、エリッククラプトンとのジョイントライブを開催。後に大英帝国のSirの称号を得たジョージハリスンは…一本の日本製ギターを持ってステージに登場した。
(注釈 チャールズ皇太子(Prince Charles)によって,1976年に設立された若年失業者支援の慈善団体:プリンス・トラスト。そのチャリティーを目的として,1982年以降 幾度となく開催されている ベネフィット・コンサート )

なんだアレは?聴衆の目は見慣れないブランド名がヘッドに記載された50年代風のストラトキャスターに注がれた。

Squier by Fenderが世界的に認知された最初の瞬間である…













































ジョージハリスンはビートルズのレコーディング時に悩んでいた。自信作とも言えるジョージハリスンが書いたWhile My Guitar Gently Weeps…

最高の曲なのに、どうしても思ったような「泣きのギター」いわゆるブルージーなギターソロが上手く弾けない事に…

1960年代に現れたスーパーグループ、ビートルズは世界中を熱狂の渦に落とし入れる事に成功。

時代はマッシュルームカットのロングヘア、後にリバプールサウンドと呼ばれるトレンドを作り出していた、正にその頃にジョージは悩んでいた…

そんな時だ…イギリス国内で、僕が思うような理想的なギターを弾けるギタリストは誰だろう?

意を決したジョージは、エリッククラプトンに連絡を取る事にした。

彼なら…最高のギターソロをレコーディングしてくれるに違いない…と。


ジョージハリスンからの電話に、エリッククラプトンは当初、「 ビートルズのアルバムでギターを弾くなんて…恐れ多くて困る」とビビっていた。

あの名手、クラプトンですらプレッシャーを感じるほど…ビートルズという名前は既に大英帝国を飛び越えるほどのビッグネームだったからだ…

断るつもり満々だったクラプトンに…ジョージがかけた一言で、この名曲には素晴らしいギターソロがレコーディングされる事になった。ジョージはクラプトンにこういう説得をしたそうだ…

「エリック?確かにこの曲はビートルズのアルバムに収録されるだろう…でもこの曲は僕が書いた僕の曲だ。ジョージハリスンの曲なんだ。

でも残念ながら僕には、どうしてもキミのようなブルージーで感情表現豊かなソロが弾けない。だからエリック、キミはプレッシャーなんて感じる必要はないんだ。

僕の曲で、僕が出来ない事をやってほしいだけなんだ…」

ジョージハリスンとエリッククラプトンの友情関係は、ここから始まる事になる…

そう、ジョージハリスンの妻、ボイドに横恋慕してしまったクラプトンは…どうにもならない感情を曲にした。

ロック史上に永遠に残る名曲、「いとしのレイラ」誕生は、この出会いをキッカケにしたジョージハリスンとの関係なしでは生まれなかった…とも言える。



そして…1956年製フェンダーストラトキャスター、通称ブラウニーに代わってクラプトンがメインギターに選んだのが、3本の50年代のストラトから選んだネックを組み込んだ、通称ブラッキー。よく現代ではフェンダーのフルオリジナルにこだわる方もいるが、ある意味(投資目的、もしくは後世に残す為に弾かないギターとして保存する場合を除く)では間違いである。






フェンダーは元から、ネックに何かあった際に「 交換できるように!」ボルトオン構造を採用している。ギブソンやマーチンのセットネック構造より、実用的に簡単にアフターケアが出来る…

それがフェンダーである。

そして選りすぐりの50年代フェンダー3本から組み込まれたコンポーネントストラト、通称ブラッキーにメインギターの座を明け渡す事になった。

ジョージハリスンがフェンダーに要請したのは、正にブラッキーと呼ばれる50年代のメイプルワンピースネックに、当時はカスタムカラーであったブラックカラーのボディのストラト。

ジョージハリスンがリクエストしたストラトキャスターを再度製作する為に、フェンダージャパン、富士弦楽器のクラフトマンにその要望が伝えられる事になる…




ただし、それが実現したのは1991年の事。ジョージハリスンがイメージしたストラトとは姿、形、スペック共に変わってしまっていた。きっとジョージが求めたブラッキーとは、このスペック、この材、この仕様だった…筆者はそう信じて疑わない。






本機を1987年製と筆者は判断しているが…
(フラートン工場を有したCBSフェンダー撤退後、コロナ工場が完成する迄の間に設立された第一期フェンダージャパン。当初は単にグレコのギターがフェンダーロゴになっただけ…であり、最初期JVシリアル期よりもEシリアル時期になってから、ようやくジャパンフェンダーと言うスタイルが確立されている。非常に珍しい例として、フェンダージャパン最初期にあったスクワイアシリーズから派生して、セカンドブランドとして独立したのがSQUIER by FENDERブランドである。)





( 筆者は個人的にはJV時期の個体にはフェンダーを感じない。確かにピックアップ等にフェンダーUSA製がマウントされるなどの恩恵はありはしたが、本国フェンダーUSAが絶対に提供しない…としたのが木部である。当初から本家USAから「これ以上はやるな。その領域はフェンダーUSAがやる」と言う明確な規制があった。フェンダーのロゴが入る以上、USAクォリティは許さない…と言う本家のプライドは間違いなくあった。アメリカ人の発想とは、敗戦国だった日本を植民地下しなかったように、フジゲン楽器製造とギブソン社の訴訟を横目にみながら、敵にするよりは支配下においた方が得策と考える思考回路だ。スクワイアブランドがラッキーだったのはスチューデントクラスのセカンドブランド。本家の規制の目の届かない範囲にあったから…と言えるだろう。ハードロックメイプル、柾目のネックを薄いシーラー塗装で仕上げた点は注目されるべきだ。下地からオールニトロセルロースラッカーではない事の利点は、保存状況さえ間違えなければ新品時に近いコンディションを維持出来る利点すらあった…夏場には使えないよ?ラッカー塗装のギターは…現場ではそんな声が聞かれ始めた1980年代初頭の頃に、フェンダージャパンは誕生している…)




( ハードロックメイプルにうっすらフレイムが入っているネック )




製造から36年が経過しているとは思えないタイムスリップコンディションを維持した一本である。

もちろんニアミント、パーフェクトフルオリジナル。


パート2に続く。



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