今日は「こどもの日」、そして二十四節気の立夏。昨日に続いて夏日になりそうな長野、気持ちの良い晴天です。
昨日(4日)は、善光寺の混雑を味わい(?)に出かけ、一昨日は「森将軍塚古墳」まで山を登りました。
先ず森将軍塚古墳の様子からです。婆さんは留守番です。
森将軍塚古墳は、千曲市にある長野県最大の規模の古墳。古墳時代の「科野(しなの)のクニ」を治めていた王の墓と考えられていて、国の史跡に指定されています。
車で30分程で到着。長野県立歴史館等がある「科野の里歴史公園」の駐車場に車を入れます。公園は鯉のぼりが泳ぎ、子供達の歓声が聞こえて来ました。
公園には竪穴式住居が復元され、山の上には目的の古墳が見えます。
古墳までは、約1Km、20分程の山道を登って行きます。
傾斜はそれほどでもないのですが、そこは山道、老体には応えます。途中で近道の標識を発見、ちょっとチャレンジしてみました。
確かに近道になりますが、「急な階段」と表示されているように息も切れますし、休み休みでなければ登り切ることは出来ませんでした。年寄りにとっては「天国への近道」になる恐れがあります!
再び広い道に戻った時には、正直「助かった!」と思いました。
ようやく古墳が見えて来ました。
古墳の上からの景色は期待できそうです。
なかなか良い眺めで、長野市街方面の景色も広がります。
飯縄山、北アルプスの眺めも。
山道は、少々、頑張る必要ありますが、この景色が見られるならば「頑張る甲斐もある」と言うものです。今度は、婆さんも連れて来て「近道」を歩かせようと思いました。決して「天国へ行かせよう」と考えているのではありません!
公園に戻り竪穴式住居を覗いてきました。私には、この中での生活はちょっと無理なようです。
家に帰って調べましたら、千曲市にはここを含めて4基も古墳があるのだそうです。古代の中心は千曲市だったのか?
同じく千曲市にある「武水別神社」に寄ることにしました。信濃三大神社の一つと言うことです。名物「うずらもち」にも興味がありましたので。
古墳からは、千曲川を渡って15分程で到着です。
祭神の武水別神[たけみずわけのおおかみ]は水を司る神で、善光寺平の五穀豊饒と千曲川の治水を祈念して祀られたと言われています。神社の創建は不明ですが、紀元前とも伝わっているようです。
大鳥居です。反対側には姨捨の棚田が見えます。
境内には、江戸時代後期に建造された茅葺屋根の「神輿休所」や室町後期の建築 「摂社高良社」等が並んでいます。高良社の隣に名物「うずらもちの」売店がありました。
「うずらもち」は、江戸時代から続く神社の名物となっているお菓子。この近くに「ウズラ」が多く生息していたり、神社にもウズラの彫刻がある等から考案されたとのことです。
本殿に向かいます。
拝殿、本殿とも1,800年代に建てられたとのことで、重厚な建物は格式の高さを感じます。
本殿の裏側には、祠が並んでいます。本殿の左横には「額殿 」があり、奉納された扁額が掲げられていました。
君が代に謳われている「さざれ石」も。小さな石が集まって一つの岩になったものです。
私は「信仰心が有る」とは言えませんが、お寺や神社の雰囲気が好きなので、地域の神社等は出来るだけ訪れるようにしています。良い神社でした。
帰りには「うずらもち」を購入、一路、我が家を目指しました。
「うずらもち」は、滑らかなお餅と上品な甘さの餡で、期待して待っていた婆さんも満足そうでした。
今日(3日)の歩数は、5,986歩。山登りが応えました。