「京都・北山丸太」 北山杉の里だより

京都北山丸太生産協同組合のスタッフブログです

鹿・鹿・鹿・・・

2015年10月16日 | 日記

 ススキが風にそよぎ、朝晩は寒い位になってきた今日この頃。

全国的に被害が深刻になってきている鹿の食害。最近は夕刻から近くで鹿が見られるようになってきました。

民家は少ないけれど、それでも曲がりなりにも人里ですのに・・・

いつ会っても「むしゃむしゃ」食事中です。

 

畑の野菜はもちろんのこと、庭の花や垣根の新芽。あじさい大好き、大切に育てていてもうじき咲くかなと楽しみにしていた菊やバラの花、垣根にしているアカカナメの新芽まで食べ尽くしてしまいます。

一方好き嫌いはあるらしく、九輪草や秋明菊、ゆり、金木犀などは食べてないのです。でも、少し離れれば食べられていたりするんです。

(↓秋明菊。花も古典的でかわいらしいのですが、固くて小さなつぼみがまた、愛らしいのです。)

 

そこで、人間の方が自衛しなくてはなりません。畑には囲いの上から更に緑のビニールで囲っておられます。

 

民家もナイロンの網を買ってきて、敷地中囲っておられる所も。(網代もばかになりません)川側は大丈夫かと思いきや、川ののり面から庭に入ってくるとかで、防護されています。

えさがあれば人里には降りてこないのでしょうが。

植林への被害も大変深刻で、鹿除けネットを張らないと、すべて食べつくされてしまう状況です。

最近は夜出かけるときは、まず飛び出した鹿に当たらないように、ゆっくり走行するようになりました。どこの山間地も同様かと思いますが、本当にサファリパーク状態なんです。

本当に何とかならないでしょうか?


秋晴れの朝

2015年09月16日 | 日記

日本中で予期せぬ災害が起きています。
このあたりも土砂や水害の警戒地域ですので、明日は我が身です。しかし、わかっていても安全な地域に引っ越すだけの余裕がないのが庶民ではないのでしょうか?しかも、日本の中で災害から安全な地域ってどれだけあるのでしょうか? 

先日の長雨で山が一部崩れています。(組合すぐ近く)

 

何ヶ月か前の大雨で山の斜面の木が滑り落ちてしまったところ。近くに住まわれている方によると室内にいても随分大きな音がしたそうです。最近は(ブルーシートと土嚢で)応急処置のまま長く補修されないで、放置された場所が、随所に見られます。

(しかし、数ヶ月たつのですっかり目が慣れてしまいました。)

自然豊かな場所は自然の恐ろしさをまざまざと見せ付けられます。

 

そして昨日は打って変わって、杉阪口近くの台杉畑。あんまり美しいので一枚、二枚と。

 

「うめもどき」も真っ赤な実も愛らしく。

 

 こんな穏やかな日が長く続くことを願わずにはいられません。


昔ながらの暮らし

2015年08月25日 | 日記

 先日、組合員さんのお宅に書類をお届けすることがありました。

 

夕刻、室内に灯りはありましたが、声をかけても、返答が無いのでポストに書類を入れて帰ろうとしたところ・・・「ふんふん、いいにおい今日の夕食は魚かな?」と思っていると、足元に七輪がありました。七輪の上にはおいしそうな魚。

 

(※写真はイメージです)
 

そうなんです、こちらのお宅は薪を燃料にお風呂を沸かしておられるので、おそらくその「からけし」を利用して魚を焼いておられるのでした。
関西では「 からけし」とは木を燃やして炭になったもののことを、このように呼びます。
 

 

 

 今となっては、何というECOで贅沢な暮らしか、とちょっと感動してしまいました。

 雑誌などでは、食べ物やダイエットといった女性に関心のあるテーマに続いて、エコや自然、ていねいな暮らしといったテーマも人気ですが、そんなおしゃれな雑誌にでてきそうな田舎暮らしの外人さんや有名人の生活ではなく、市井(しせい)の人が当たり前にされている生活に心が洗われた一日の終わりでした。 

 便利さに慣れ、時間に追われる毎日を送っている私には簡単にまねできることではありませんが、出来ることからコツコツと、当たり前に環境に負荷をかけない暮らしができればいいなぁと心新たに思いました。

 

 


豪雨に備えて

2015年07月08日 | 日記

「川へ行く」・・・近頃このあたりでよく聞く言葉です。

なんのことか分かりますか?正解は・・・「鮎を採りに行く」です。

組合員さんも最近は山へ行かず川へ行っているとか・・・

  

 午後から強い雨が降る、とか天気予報で言っていましたが。

北山杉の里はまだもちこたえております。

でも、油断禁物。本日は忙しい合間をぬって、屋根や樋の点検とお掃除です。

毎年、梅雨や台風による豪雨に備えて行う作業です。

 

 しかし屋根の上は、はっきり言って怖いです

毎年のこととはいえ、お疲れ様です

年に1~2回行う、この作業。おかげ様で、雨の備えは万全です


紫陽花

2015年06月23日 | 日記

お客様をお出迎えするため、育てているお花を飾りたいのですが、最近は鹿に食べられてしまい、思うようにお花を生けることが出来ず困っております。

ただ、最近、組合敷地内に、紫陽花(あじさい)が見事に咲きました。なぜ鹿の大好物のあじさいなのに、食べないのでしょう?

→理由は「鹿も嫌がる川の土手の急斜面に生えているから」でした。

 本日はお客様がお見えになるので無理を言って、鹿も嫌がる急斜面のあじさいを取ってもらいました

 

そしてまず、床の間に・・・

床の間って、やっぱりいいですよ、もったいない空間のようですが、見せ場です。空間が引き締まります。

 

次は清滝川に面したデッキにて

休憩にでも来て下さいね。デッキでも座っていただけます。

 

あっ こんなところにかたつむり・・・
紫陽花の葉っぱにくっついていました(^^) 

絵になりますね~

本日、北山杉の里は湿度は高いですが、良いお天気です。

 


本日の様子です。

2015年05月21日 | 日記

あっという間に、5月半ばが過ぎ、沖縄はすでに梅雨入りだとか・・・

春は短いですね、「命短し、恋せよ乙女」ですね。(なんのことだか

しかし本日の北山杉の里は風は強いながらも、束の間の気持ちの良い気候です。

写真から、気持ちの良さを感じてもらえたらよいな~と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、今期最後の競り市が終わりました。盛況の中、遠くからお越し頂いた問屋様、お買上有難うございました。

競り市は今期終了しましたが、付売りコーナーは6月23日より開設しますので、またのお越しをお待ちしています。


シーズン最終を飾る市売り開催しました

2014年05月22日 | 日記

今シーズン最終の北山丸太市売り、北山若葉祭を昨日開催させていただきました。

北山丸太の生産期は、秋に伐採し加工するため、10月にシーズン初めの市売りを行い、以後毎月市売りを開催し、今月5月で最終となります。
そして夏の間は、生産者の皆さんにとっては来シーズンや将来に伐採する北山杉の手入れや準備に精を出す期間となります。 

この日は朝のうち、昨夜からの雨が少し残り、ここ北山杉の里は、やや肌寒さも感じるような気候でした。

しかし午後から振り子さんの威勢のいい掛け声とともに売立てが始まると、場内は熱気に包まれ、1,700本あまり出品された丸太が問屋業者の皆さんにより次々と競り落とされていきました。

 

用途により直径2寸(約6センチ)の小丸太から直径7寸(約21センチ)位まで様々な太さの丸太が並んでおり、買い方さんは予め下見をして見込んでいた単価より安く買えたり、高値まで競り上がり買いを諦める場面もあり、悲喜こもごも。
そしてそれは出品している生産者にとっても同じです。

ご参加いただきました買い方様、どうもありがとうございました。そしてお手伝いいただいたスタッフのみなさん。お疲れ様でした。
今秋からのシーズンもどうぞよろしくお願いいたします。 


屋根の上からの景色

2014年05月15日 | 日記

5月も半ばになり、山々の北山杉の緑がだんだんと色濃くなってきました。

本日は、本格的な梅雨の時期を迎える前に、屋根の点検と樋の掃除を行いました。

梯子を使って屋根の上に登りますが、最初はやはり足がすくみます。

 

 

秋から冬にかけて、山の上から屋根に舞い落ちた木の葉が 樋を詰まらせるので、年に1回は点検と掃除を行います。

倉庫と事務所棟の両方合わせると、屋根面積はかなり広く、また樋も長くて、掃除も容易くはありません。 

 

 

下を見ると足がすくむので、出来るだけ遠くを見て作業を進めます(^^;

すると、普段は見れない屋根の上からの景色は、ひと味違う、爽快な眺めでした。

 

 掃除を終え、梅雨に備える準備も無事完了です。

 けれど、昨年9月のような100年に1度といった豪雨にはならないよう、祈りたいものです・・・!


雪景色

2014年01月23日 | 日記

2014年が明けて今年最初のブログです。

大寒の頃にふさわしい風景が、ここ北山杉の里に連日訪れています。

北山杉の山々は真っ白に装い

吐く息白く身も引き締まる思いですが、

凛とした木立が朝日に映えるこの光景に寒さも忘れてシャッターを切っています。

朝の陽射しが照らし出す部分と陽射しを待つ部分のコントラストが心を惹きつけます。

風に揺られて木立から舞い散る粉雪

その行方を追いかけては地上に落ちる前に消えてしまう

そんな情景に心を奪われます。

ただ北山杉の里への道は凍結注意!

朝の冷え込みで路面は凍結、R162の夫婦橋や毘沙門橋で事故が多発

「注意一秒、怪我一生」…緊張感を持った運転になります。

そして北山丸太生産者の方々にとっては雪は天敵。

林道への道も閉ざされて、伐採や搬出作業も不可能となってしまいます。
また湿った雪が多く積もった場合には北山杉の雪害も心配になります。 

寒さも雪もこれからが本番。

雪景色に心を惹かれつつも北山杉の雪害と事故がない事を祈る日々が続きます。


里山問題に想う

2013年08月01日 | 日記

皆さんは「ナラ枯れ」というものをご存知でしょうか?

里山の美しい紅葉! ?でも、周りの木はまだ緑のまま???

近くで見るとこんな感じ。そう、ナラ・シイ・カシ等のいわゆる「ドングリの木」だけが枯れているのです。

これが「ナラ枯れ」と呼ばれる現象で、私の家の近くにも沢山見られます。

犯人はこの虫、「カシノナガキクイムシ」が運んでくる病原菌で、1980年代以降大量発生しています。

これら「ドングリの木」は元々薪・炭の原料で、その需要激減により、抵抗力の弱った老木が増えた事がその主な原因です。

また、1970年代以降に大量発生している「マツ枯れ」により、競争相手が減ったことも一因です。

 

 公園のようにきれいに下草を刈って整備しても、逆に「カシノナガキクイムシ」の格好の餌食になるというからやっかいです。

 「ナラ枯れ」の根本対策は、単純明快、“成長した木を伐って使う”ことです。

 

  

皆さんおなじみのタケノコ、とても美味しそうです。

 しかし、輸入タケノコとの価格競争に敗れ、管理されない竹林は荒れ放題。これではタケノコは出来ません。

更に、生命力の強い竹は野放図に拡大しています(鳥取:赤線内が30年前、黄線内が現在)。

竹林は、人が管理して竹やタケノコをどんどん使わなければ暴走するばかりなんです。

 

 

シカ!可愛いですよね!

鹿氏!いや、しかし、保護の行き過ぎと狩猟の衰退により、山に甚大な被害をもたらしています。

樹皮がこんなに食べられています                

正常な杉苗はこうですが、

シカに芽を食べられて上に伸びなくなっています

シカの食害に遭った苗を植替えたのですが、多くが枯れてしまいました

 

桧のシカ食害防止ネット。膨大な手間と費用が掛かりますが、それでも完全に防げません。

今やシカは日本の農業・林業最大の“害獣”です。

生産者の防御にも限界があり、山の生態系維持の観点からも、シカは“適正な捕獲”が必要です。

 

時代の流れにより、日本人の生活様式も変わり、山との関わり方も問題点も大きく変貌しています。

これらの「里山問題」はそれらを我々に明確に告げているのではないでしょうか?

 

日本の里山の木々は、マツもドングリの木も竹林も、“手付かずの自然林”ではなく、元々人が管理していたものです。

スギ・ヒノキ等の建築に使われる針葉樹林は言うに及ばず、殆どが人工林です。

 

今必要な「管理」とは、ある意味明快で、“伐って(獲って)使う”ことです。

困難は山ほど(山だけに(^^;)あると思いますが、資源はそこにあり、使われるのを待っているのです。

 

 

世界の木材の3分の2は実は先進国で生産されていて、オーストリアの貿易黒字の5割は木材産業が稼ぎ出し、世界有数の自動車生産大国であるドイツの木材産業の雇用人口は自動車産業のそれをしのいでいます。

そのドイツは日本の人工林とほぼ同じ面積から、日本の4倍以上の木材を生産しているのですが、逆に考えると、日本はドイツ並みの木材生産が可能なだけの資源を持っているということになります。

もちろん、林業のインフラから行政から何から何まで違うので、日本とドイツを同列に考えることはできないのですが、我々は“宝の山”を確かに持っており、それが今まさに危機に瀕しているのです。

 

日本の林業がこのまま衰退を続けるのか、新たな日本経済の成長エンジンになるのか、その選択をするのは我々自身です。


我が意を得たり!

2013年06月20日 | 日記

昨日6月18日、NPO法人京都くらし方研究会の方々が北山杉の里研修センターで研修会を催されました。

 

フムフム・・・

ここはどうなってるんやろ?

入場されるなり、センターの造りや展示品、商品の写真撮り、質問、ディスカッション!!

さすが建築関連の実業の方々、専門性と熱い想いが伝わってきます。

15種類の国産材(樹種名入り)の積木、売れちゃいました!!!

お買い上げ!ありがとうございました!!!m(_ _)m

 

時間前から各々すでにスタートしてます!

話を聞く姿勢も迫力が違います!

北山丸太をどう使っていけば良いのか?質問、見解は様々です。

休憩時間も熱いディスカッションと名刺交換が!

北山丸太の話を聞いてから、改めて丸太の展示品を見てディスカッション!これぞ研修!!!

第二部は講師による講演ですが、我々スタッフも聞かせてもらえることに!(^^)!

講師がNASAに行かれた時の写真です。

ディスカバリーの「噴射口から燃料の匂いがした」そうで、そういう実感がとても大切なのだと・・・

「現場100回!」と何度も言われていましたが、私の人生訓もそう、「全ては現場にある」です!

京都に住んでいても、北山杉を何となく知っていても、実際に足を運ばないと北山は理解できません。

 

「日本文化の世界に通用する力」についてもとても共感できました。

 

   

ルイヴィトンの柄は日本の家紋をモチーフしたもので、

 

 

アロハシャツは日系移民が持ち込んだ絣(かすり)の着物(作業着?)が原型とか・・・

 

 

当時のこんな姿?からアロハシャツに変遷していくとは・・・

 

以前のブログで紹介しました、「日本の茶室が北欧建築家に多大な影響を与えた」こともそうですが、

日本文化は世界のあらゆるところで形を変えて息づいているのです。

それは日本文化が力強い生命力を、クォリティーを、魅力を持っているからにほかなりません。

 

しかし、

「家紋がルイヴィトンのデザインに」「絣がアロハシャツに」「茶室が北欧建築に」という発想は日本人では考えつかないものです。

 

 

日本伝統の和傘は素晴らしいですが、今は数が売れる商品ではありません。

 

そこでこの方は『和傘照明』なるものを開発され、意気揚々と欧米マーケットに乗込まれたそうです。

 

そこでぶつかった壁は「小さすぎる!」というもの。

彼らの部屋のサイズからすれば日本の照明は小さすぎて使い物にならないという事実でした。

「現場に行かないと分からない」「日本人の感覚だけではダメ」ということなんですね・・・

 

 

 寿司も海外で「カリフォルニアロール」等にアレンジされ、今や完全に市民権を得ていますし、

更には「カリフォルニアロールバーガー」という日本人には考えつかない商品が売れているそうです。

 

北山杉の伝統もずっと同じだった訳ではなく、これまでも時代に合わせて変化して来ています。

例えば『人造絞』は初めから有ったのではなく、『天然絞』の代用品を造ろうとした「新開発商品」だったはずです。

新商品も世に受け入れられ、長く定着すれば“伝統”になります。

北山はこれから先、今までの伝統を守るだけでなく、新たな“伝統”を造り出す取り組みが必要なんだと思います。

そのターゲットには海外を視野に入れ、そのプロデュースは日本人である必要はないのではないでしょうか?

 

少し強引だったかもしれませんが、私にとっては大いに「我が意を得た」一日でした\(^o^)/


日本建築と外国人

2013年05月29日 | 日記

北山丸太は日本伝統の茶室、数寄屋建築用建材として発展してきました。

なので、外国の方達にはなじみのないものか?と言えばさにあらず、それどころか外国の建築文化にも多大な影響を与えているのです。

これは「瑞暉亭」といって、日本からスウェーデンに寄贈された茶室で、北欧の建築家達が頻繁に訪れてその様式を取り入れ、多大な影響を受けたといわれています。

 

更に、近年では日本在住の外国人建築家による日本建築と外国建築の融合も盛んです。

これは静岡県にある北欧家具のショールームですが、日本建築と外国建築の見事な融合があります。

 

 

 

ショールームではありますが、こういうコラボ・融合が広まれば、我が北山丸太ももっと売れる!!(^^♪ のでは?(^_^;)

 

また、ある日本人建築家が、近所の優れた日本建築住宅が取り壊されることを知り、それを惜しんで保存のために売却先を探した結果、「日本人に売却すると間違いなく取り壊される」という結論に達したということです。

         

そこで最終的に選んだのが「日本人よりも日本建築や造園設計に詳しく、高く評価してくれる」外国人だった、というではありませんか。 

 

         

日本人でさえ若い世代はあまり行かない能・狂言に外国人を招待すると80%以上の人達が「非常に満足」するそうです。

 

茶道も外国人先生は珍しくなく、相撲も柔道もチャンピオンは外国人多数!!!

今や日本伝統文化の担い手、理解者は外国の人達???

 

少し逸脱しましたが、日本伝統文化の一つでもある日本建築は、もっともっと世界へ打って出る時では?と思うのです。

それが日本建築、ひいては北山林業が、更に輝きを増すことになる!と私は信じます。 

 

 

 


全国からやって来た銘木にふれて。

2012年12月14日 | 日記

すでに先月末のことになりますが、摂津の大阪銘木市場で開催された全国銘木展示大会の最終日に行ってきました。

銘木中の銘木には各賞が授けられ、前日に引き続き即売も行われるので、出展中の北山丸太も一体どれくらいで競り落されるのか興味津々です。

 

午前9時すぎに北山杉の里を出発、道中には「~木材」「~銘木店」とボディに書かれた車と出会い行き先が同じなんだと何故か心躍ります。

大阪銘木市場の大きな看板が見えてきました。到着! 

 

この銘木市場通りの標識がたくさんあがっています。え?この通りも?ここも?

そう、何筋もに渡って奥まで立ち並ぶ木材関係のお店。さすが大阪、規模の大きさが違いますね。 

 

受付の準備も整って、買い方さん用の黄色い帽子が並んでいます。

 

昨年は木の国・岐阜で開催された全銘展。全国から集められた優良銘木が、今年は大阪で見られるとあって入る前からドキドキワクワク❤ 

 

北山丸太の競りが始まるまで時間があったのでぐるりを一周してみました。外にも椪立てしてあります。 

 

この分厚い一枚板! 長尺のものは横に倒してあります。数多く並べられるという利点があります。 

 

一方、縦置きは場所をとりますが、じっくりと木目や状態を見ることが出来ます。 

 

こちらは屋久杉の変木? もの凄く大きくて年代ものなんだろうなと思います。一体、何に使われるのでしょう? 

 

 

 あちらこちらで人が集まり始めました。品定めでしょうか。

 

「浜」という文字をよく目にしました。これは、コーナーと言いいましょうか。「針立浜」は針葉樹の立ててあるコーナー、という感じです。 

 

 

 よく解らないけれど杉の杢板?

 室内に展示してあるものはきっとイイものに違いない、と素人判断です(笑)

 

前もって審査会が行われていましたので、私たちが行った最終日には授賞した銘木に賞名が貼ってありました。

 

各賞は内閣総理大臣賞、農林水産大臣賞、林野庁長官賞などなど。

初めて知ったのですが、各賞は1出展者につき一つと決められているそうです。なので賞を受けた木が受賞していないものより良いかは言い切れません。

例えばある出展者が3つ出展されたとしてその内一つが受賞すると、残りの二つはいくら良いものでも受賞できないからです。 

 

徳島産の唐木。こちらも床柱として使用されるようです。見慣れた京都のものとはまた違った雰囲気です。 

 

さていよいよ、特選展示品と書かれたコーナーで我が北山丸太の競りが始まろうとしています。隣は吉野産の杉です。 

 

振り子さんの田中さん、まだお若いようです。「さぁ~~次はぁ~京都から~北山丸太~~みなさんどうぞ~よろしくお願いしま~す」と声高らかに。 

 

あ! ひと際背が高いと思ったら足下は花魁さんのこっぽり? これで移動するのもなかなかしんどいんじゃないでしょうか。

聞きますと、北山杉の競りでも以前は履いていたそうです。 

 

賑やかな競りの風景です。北山丸太の倉庫でもこんな風にたくさん買い方さんが来て下さったらいいいな!

 

木肌の美しい人造絞。

 

優良丸太にだけ貼られる、ブランドラベル。 やはり全国レベルで見ても、北山丸太は特別でその緻密さや美麗さは垂涎の的だと言うことは集まって来られる人の数を見ればわかります。「特選展示品」のコーナーですから。

 

ビニロンで包んであるので見にくいですが… 

 

林野庁長官賞を受賞した縮緬絞。見事、高値で落札! 

 

静かに競り落とされる独特のやりとりは北山と変わりません。それでも活気が感じられたくさんの黄色い帽子が嬉しく感じたのでした。^^ 

 

 

 会場には細工を施した木工品も即売されていました。

 

 

 「あれを見ておいで!」と言われて近づくと、まぁ何と立派な欅の盤でしょう! 大きさは2丁と言うそうですが。

写真にうまく出来なかったのですが、その右側の小さい方は「玉杢(たまもく)」という珍しい木目が出ています。

どちらも素晴らしい展示品です。

 

こちらは農林水産大臣賞を受賞しています。このままか半分にスライスしてテーブルなどになるそう。一体いくらの値段がついたのでしょう。 

 

木工工芸や家具に使われるトチ。その他、青森のヒバやマツ、ケヤキ、ヒノキの逸品が勢揃いしていました。 

 

天井板の競りが始まっています。こちらも盛況の様子。 

 

和室が少なくなった近年、天井板を見ることもあまりなくなりましたが、この木目の美しさや木から発せられる優しい雰囲気は無くして欲しくないと思います。 

 

最・高・級と金色バックに書かれていると本当に最高級に見えますね~「うづくり仕上げ」と言うのは「浮造り」と書いて、木のやわらかい夏目の部分を削ってより木目を浮きたたせた加工のことだそうです。 

 

・・・という訳で、ここに掲げたのはほんの一部ですけど、まだまだ紹介しきれないほどの多くの銘木が全国から集まって来ていました。

初めての大きな展示大会。初めての大阪銘木市場の雰囲気は京都で言うと中央卸売市場のような佇まいでしたが、それでもシャッターを閉ざした銘木店や会社がちらほらとあり状勢の厳しさを物語っていました。

そんな現状の中でやっと、地球温暖化防止や地産地消が囁かれ始め、森林を大切にしようという動きが活性化してきました。

苦しい時期を乗り越えて、木造建築の良さが改めて見直され森林で働く人も、地元の木材で出来た家に棲む人も、施設を利用する人も笑顔になるいつの日か…全銘展でも「待ってました北山丸太!」と声が上がることを願います。

 

おっとその前に、北山丸太生産協同組合でもいよいよ来週12月17日(月)~19日(水)、第38回京都特産 北山丸太展示大会が開催されます。

現在、展示大会に向けて生産者の方々が自慢の北山丸太を搬入され、椪番貼りの作業中です。

月曜日には優良丸太の審査会が行われ、京都府知事賞・京都市長賞・近畿中国森林管理局長賞・全国銘木連合会会長賞・京都市森林組合組合長賞・京都北山丸太生産協同組合理事長賞の6点が表彰されます。

12月19日(水)午後1時~展示即売

一般公開は12月17日(月)より、19日(水)の午前中まで。

さまざまな美しい北山丸太がおよそ3000点、展示場を埋め尽くします。ご興味のお持ちの方は、是非お越し下さいませ。

 

京都北山丸太生産協同組合

〒601-0125 京都市北区中川川登74

TEL 075-406-2955

URL http://www.kyotokitayamamaruta.com  

 

 

 

 


春日神社・鳥居の棟上げ

2012年10月12日 | 日記

だんだんと朝夕の寒暖差も大きくなり、今年は美しい紅葉が期待できそうです。

シーズンになると名所と言われる観光スポットは大変混雑しますが、身近なところにも四季の移ろいを感じられる景色があるはずです。

普段ここを通られる方は・・・もうすぐ、きっと「おおお!」と思われるに違いないでしょう。

 

前回、お伝えしました京北・上黒田の春日神社。45年ぶりに鳥居が新築され、先週の木曜日に組み立てられました。 

 

午後から見学させて頂いたのですが、この日は朝から作業をされていて各部はすっぽりとおくるみに包まれてデビュー間近!という感じです。 

 

裏には、前の鳥居さんが分解されてお行儀よく並んでいました。

 

 

やはり、かなり朽ちていますね。45年間、ご苦労さまでした。 

 

 【資料画像】

ここで鳥居の各部の名称をご紹介しましょう。

鳥居にはいくつかの決まったスタイルがありますが、春日神社は一番上の木、「笠木(かさぎ)」の両端が反っている「明神鳥居」です。

二本の柱に閂のように「貫(ぬき)」を通し、楔(くさび)で止めます。その上に島木(しまぎ)。

貫と島木の間の中央に~天満宮とか書いてある「額束(がくづか)」が中央に入ります。そして天辺に乗るのが笠木。

 

現場に到着した時は、まさに笠木を乗せるべく高い高いところまで足場を組んでおられる最中でした。

 

土台の部分です。この大きな杉の柱は8mでしたが、地上6m、地中には2mも沈められています。

セメントなどは使用せずに土のみ。中に砂利を敷き詰めて、水はけを良くしているそうです。伐採されてから5年以上寝かせてありましたから、十分に乾燥しているでしょうけれど、台風や集中豪雨など予測できない風水害に少しでも耐えることが出来るよう、自然の摂理にかなった工法なのだなぁと思いました。

 

「よしよし、頑張っとるな。」狛犬ちゃんも組み立てをじっと見つめているようです。

 

さて笠木ですが、一本の木ではなく半分ずつ二本を真ん中でジョイントします。

それは一本では両端の「反り増し」の加工を入れると、ものすごく大きな原木が必要になることと、ジョイントすることで強度を増すためです。

こちらは凹の方。

 

そしてもう片方の凸。

 

「それぞれの上に開けてある穴は何?」職人さんに聞いてみました。

「それは栓をするんや。」

「せん?」

 

そう、鳥居の伝統工法は釘などを一切使いません。このようにして、上から島木へと打ち込むのです。

 

 

その「栓」が「ダボ」とか「タボ」と言われるもの。杉ではなく、硬いヒノキです。

「ダボダボにならへんように?」「あはは、そうかも知れんなぁ。」などなど。(笑)

 

職人さんの手になじんだ道具、鑿(のみ)。

 

きっちり栓が出来るように、入れてみた感じで、いったんダボを取り出して穴を削ります。もうこれは勘のみ。

大切な鳥居の組み立て、最後をしめる笠木をきっちりと収める熟練の技です。

 

全部のダボが入ったところでいよいよ、クレーンで吊り上げます。

 

あいにくの空模様、時おり強く降る雨の中、笠木ハーフが空高く舞い上がります。

 

「オーライ、オーライ、もうちょいこっち!」 クレーンの運転手さんもスゴ技です。

 

この時、真っ白い布にくるまれていた島木がその美しい木肌を現しました。

 

位置が決まったところで、大きな木槌でダボを打ち込んでいます。先ほどの職人さんが隙間なくキッチリ調整されたので、とても力がいるみたいです。

それでも少しずつ、ダボは埋まって行きました。

 

続いて凸の笠木ハーフが吊り上げられます。「オーライ、オーライ。」

鳥居は道路に面しています。安全を考慮して学童が通行する時間帯を避けましたので、クレーンもずっと待機していました。

やっとの出番に本領発揮!

 

皆さん、この時を待っておられました。真ん中に見えるのが宮司さま。

記念すべきこの年に新しくなる鳥居が組み立てられて行く様子を食い入るように見つめておられます。

ここに来るまでは簡単な道のりではありませんでした。けれども御神木を提供した方、伐り出した方など地元の方を含め製材所や大工さん、みんなが協力し合ってついにこの日を迎えたのです。

 

笠木の凸ハーフが凹ハーフにはめ込まれて行きます。

 

ジョイント成功! これからまた、ダボをえんやこらと打ち込んで行くのです。根気と体力が必要な、そして1ミリの誤差も許さない丁寧な仕事。

継ぎ目はよおく見ないと判らないくらいです。

 

笠木がつけられて春日神社の鳥居の棟上げがつつがなく終わろうとする頃、雨もあがりました。

「柱を見たらビックリするで。」「??」

「赤身なんや。どれだけ削ったかがわかるやろ。」

樹齢200年を超える杉の大木。中心の赤身だけを鳥居の柱として使っているのだそうです。

朱塗りではなく、天然の赤。この山で育った木だからこそ、親しみやすくそして厳かに、これから40年、50年上黒田を守り、人々に言い伝えられて行くのだと思います。

 

神々の棲むところと町を結ぶ門、鳥居。

古代、二本の木を縄で結ぶだけだった結界は徐々に姿を変え、悠久の時を経て今、一つのカタチとして存在しています。

そこに共にあるのは、語り継がれてきた道具であり、職人さんの技。

親方の声に耳をすませ、真剣に見つめる若い職人さん達の瞳には、確かに「得よう」という気持ちが込められていました。

鳥居の寿命もまた、知識と経験を育む機会、それが輪廻ならば。

だからこそ、わたし達は時には日本の歴史をふり返り、先人に頼りすぎず、職人さんの技任せにしないで、一人ひとりが暮らしの中で繋いでいく気持ちを持たなければなりません。こんなに素晴らしい伝統なのですから。

新しい鳥居はまもなく、お披露目の時を迎えます。

右京区京北宮町の春日神社創建1000年大祭は10月14日、日曜日。宮司さんの祝詞をあげる声が、山々にこだますることでしょう。(了)

 

 

 

 

 

 


花背から黒田の春日神社へ

2012年10月08日 | 日記

連休はどのようにお過しでしょうか?

お天気に恵まれ、行楽に出掛ける車で道路も渋滞しているようですね。 

昨年の今頃は北山杉の里で、あけびや栗など秋の風物詩を求めてカメラ片手に歩いていたのを思い出します。

 

一年を通して見ていると、自然の営みは変わらないなぁと感心する一方で、建造物などはどんなに手入れをしていても年月とともに、あちらこちらが傷んでくるのは致し方ないと思い知らされます。

 

先日、京都市域産材供給協会の部材確認に同行して訪ねた花背の製材所。

今日は作業場で見つけた、大きな太い柱のお話の続きです。

 

前回のヒントは参考になったでしょうか? 実はこれ、もう一本あります。

正解は・・・神社の鳥居の柱なのです。長さは8メートル。長いです。太いです。でも、この八角形からまだまだ製材されて最後は丸くなります。 

「どこの神社ですか?」

「黒田の春日神社や。」

「???」

  

花背へ行く途中、通って来たところでした。常照皇寺から東に477号線を行くと、下黒田→宮→上黒田→花背という道のりです。

この右京区京北宮町に春日神社があります。バス停は「宮(みや)」。お宮さんがあるからです。

このあたりは古代から藤原家の領地であり、その所以で春日神社を御詣したとされ、地域の氏神さまとして親しまれています。

道路に面した鳥居の傍には古木が大きく枝を広げていました。

桜で有名な常照皇寺ですが、ここは知る人ぞ知る、桜の名所。それが「黒田の百年桜」なのです。 

 

一本の木から一重と八重が咲く、とても珍しいヤマザクラの変種なのだそうです。

かつて、春日神社の境内には樹齢350年以上とも言われる桜の大木が植えられていました。ところが、明治6年の台風で倒木してしまい、これを惜しんだ村人が一本の八重桜を跡地に植えたところ、このような突然変異がおこったと言われています。

突然変異種は種子が取れないため、桜守で有名な植木職人の佐野藤右衛門親子が30年以上に及び苗作りに尽力しました。

苗作りは1977年に成功し、樹齢100年と明治100年に因んで「黒田百年」と命名されました。1983年には大阪造幣局の桜の通り抜け100年記念に子ども(若木)が植樹され、親木であるこの木も「黒田百年桜」と呼ばれるようになったそうです。

常照皇寺にも同じように変種の桜がありますが、これは「御車返し(みくるまがえし)」と呼ばれています。

都からお花見に来た帰り道・・・「今年の桜もきれいやったなぁ。」

「ホンマやなぁ。八重咲きが見事やったなぁ。」「・・・ん?一重やろ?」

「え?八重やで。」「わらわが見たのは一重やった、ほな、もう一回見に行こ。」「行こ行こ。」

・・・と、こんな会話があったかどうかは知りませんけど、見る者を惑わすほど不思議でとって返してもう一度見たくなるほど美しい桜なことに違いありません。 春が待ちどおしいですね。

 

鳥居の向かって左側に見えるのが百年桜で濃い目のピンク、右側は「松月」という淡いピンクの八重桜です。

そして今回のトピックはこの「鳥居」。

 

昭和42年に建てられたこの鳥居は45年もの間、黒田の町を見守ってきました。 

 

木造の鳥居の寿命は40年~50年と言われ、こちらの鳥居もかなり老朽化しています。

道路に面していることもあり、安全を考慮して春日神社創建999年、数え年で1000年の記念すべき年に新しく建てかえることになったのです。 

 

鳥居とは神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入り口を示すものとあります。

鳥居を建てる風習は、神社の建物がつくられる前から存在しており、その起源は木と木を縄で結んだものですが、お伊勢さんの夫婦岩も鳥居の一種なのだそうです。

その後、縄は横木となり、最上部のものを「鳥居桁」とも呼んでいました。

天照大御神(アマテラスオオミカミ)を天岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)」にちなみ、神前に鳥の止まり木を置いていたことが鳥居の「鳥」の語源と言われています。 

古くからの建築構造である「鴨居(かもい)」も横木ですから、何となく鳥と関連しているような気がしませんか?

 

境内に入ってみました。久しぶりの狛犬ちゃんです。「阿吽のあ」。

「あ、もうすぐこの鳥居も変わるんやなぁ。」

 

「うん。お疲れさんやったなぁ。新しくなった鳥居をくぐってお参りする人たちを迎えるのが楽しみやなぁ。僕らはちょっと剥げてきてるけど。。」

とか何とか。(笑) 

 

初秋の春日神社、本殿。百日紅のピンク色に夏の名残りを感じます。

いつの時も地域の人びとを温かく迎え入れ、心の拠りどころとなった素朴な佇まい。氏神さまも新しい鳥居を心待ちにしているのではないでしょうか。 

 

語り継がれる長い歴史の中で、この鳥居もまた、1000年の節目を刻む証となります。

樹齢およそ200年の杉の木は、伐採されて5年間、いや伐採される前から鳥居となるべく御神木として大切に守られてきました。

花背の製材所で丁寧に製材され、大工さんの手が入り、その時を待ちます。

京都で生まれ育った杉が、神々しく鳥居として宮の地に根を下ろす。こんなに素晴らしいことはないとNさんは言います。

守りたい京都の木、そして後世に残したい技。

途絶えさせてはならない日本の建造物の歴史は、大工さんの伝統的な技があってこそ紡がれて行きます。

書物でははかりしれない、コンピューターでははじき出せない、熟練の仕事がそこにはありました。

この続きは次回です。どうぞお楽しみに!