
この日お世話係にとって

生前のじぃじに会えた最後の日。。
そして、最後の15分となりました。

じぃじは、島根医科大学附属病院の
緩和ケア病棟にいました。。
しまねにも、コロナ感染者がいて
本当は面会もダメと言われていたのに

PA P Aが電話でお願いしてくれて
母と姉とお世話係だけ面会を許されました。
15分と時間も制限されました。
姉の息子(次男)も病院まで一緒に
行きましたが、あうことは叶わず。。
まあ。。彼は会えなくてもそれでも
行きたいと思ってくれたみたいで。。

きっとじぃじは喜んだでしょうね。

きっとじぃじは喜んだでしょうね。
P A P Aもじぃじに会いたがっていたけれど
会うことは叶わなかった。

この日のじぃじはとても苦しそうで

この日のじぃじはとても苦しそうで
見ている方も辛かった。

15分って意外とすぐ。。

15分って意外とすぐ。。
じぃじを見つめているだけで
あっという間に面会終了となりました。

姉と、きっともうお別れ近いよねと

姉と、きっともうお別れ近いよねと
話しました。。

あとはじぃじの気力次第。。

あとはじぃじの気力次第。。
ご飯も食べれなくなってましたし。。


4月12日この日は P A P Aの誕生日
でもありました。
偶然のようだけど、きっとじぃじは
P A P Aにも会いたかったでしょうね。

この写真は5月1日じぃじが逝ってしまう
数時間前の写真です。
むくみがすごいです。腫れ上がっているよう
にみえました。。姉が写真を送ってくれました。。

5月1日の夕方じぃじは天国へ

5月1日の夕方じぃじは天国へ
旅立っていったのですが、不思議と
会えなかったという後悔はありませんでした。


逝ってしまう前。4月29日電話でも
話せた。。その時とても元気そうな声で
コロナはどうか❓お前は大丈夫か❓
P A P Aも大丈夫か❓ P A P Aの会社も
大丈夫か❓と明るい声で話してくれた。
じぃじ本人の方が辛いのに。。
月に2度のペースで P A P Aが帰省させて
くれていたので、もっと会っておけば的な
後悔はなかった。。
少し後悔が残るとすれば、葬儀に出席
できなかったこと。。
最後の最後で少し後悔が残った。
けれど、コロナとかでまったく会えずに
ということではなかった。。
逝ってしまう数日前に声もきけた。
病院の方も面会を許してくれた。。
4月12日は自分にとって、 P A P Aの
誕生日という日以外にじぃじとの
最後の面会日と言うことでこれからも
忘れられない日になるでしょう。。
今度。。コロナが心配なくなったころ。。
じぃじにお別れをしに行きます。
ありがとう。。じぃじとその時
笑顔で言えるといいけれど。。