今まで16年間応援し続けてきた原知宏さんが、表舞台から退かれることになりました。
今後は自らが舞台に立つのではなく、舞台の裏に回ってつくる側の立場に立ち、いつか自分がプロデュースした作品を世に出す為、まず舞台製作の会社で勉強をすることから始められるとのことです。
突然の引退宣言の様にも思われますが、実はこうなることは以前から薄々感じていたというか・・・だから、イヤだ!どうして!?辞めないで!!ってパニックになるようなことはありませんでした。
以前に参加したイベントで、本人がつくる側の仕事に魅力を感じているという話をちらりとしてくれたこともありましたし、実際腰など悪くされていたので、現状を続けて行く事は正直難しいだろうと思っていましたから、今後はダンスなど激しい動きのないストレートプレイを中心に舞台を続けられるか、裏方に回るかは五分五分なのかな~って思っていました。
だから、遅かれ早かれこんな日が来る事も覚悟はしていたのです。
でもまぁ、今までずっとTVや舞台で表に出られていたのを追ってきた人間としては、その1/2の確率で、出来れば選んで欲しくなかった方の道を選ばれてしまったことは、やはりそれなりにショックで、引退と聞いて全く動揺しなかったと言えば嘘になりますが。。。苦笑
引退報告は本人のオフィシャルブログの昨日の投稿記事でされたのですが、その中で語られている「これが今、自分がやりたい事だから。」「今はこれからの人生に期待し、やる気に満ちています。」という言葉に希望を感じられましたし、何より「今まで本当にやりがいのある仕事ができ、楽しかったです」という言葉に救われました。
救われたと言えば、今後のことが分かっているというのは何よりの救いかもしれませんね。一時は行方不明だったこともありましたし・・(^^;(私が知らなかっただけかもしれないけど(爆))だけど、当時はそんな時でも何故かこの世界は辞めてないって信じて待ってました。まぁなんの根拠もなかったですけど;;(でも本当に帰ってきたし(笑))
何はともあれ、表と裏の違いはあれど、今後もエンターテイメントの世界にその身を置くという道を選んでくれたことはとても嬉しいです。
初めて彼を見たのは「金田一少年の事件簿」だったのですけど、そこでまさかの一目惚れだったんですよね(^^;
その時はまだジャ○ーズの人(<○r.)とも知らなくて、だけど分かってからは大変でした。なんて言うんですかその、とにかくどこに出るのかわからないのが(笑)コンサートだって始まってみるまで誰のツアーについているのかもわからないから大変。
歌番組もあれこれ見てSMAPやKinki、V6などのバックで踊る姿をチェックする毎日でした。
その内、もうTV画面に一瞬映っただけでもわかるようになって、立ち姿やシルエットだけで見つけられるという特技も取得するという。。。(<アホですねぇ(^^;でもそれが今のサッカー見て好きな選手探すのにも役立ってたりするのかもと思うとなんとも・・(笑))
確かに大変だったけど、でももうそれが本っっっ当に楽しくて苦にも思わなかったですし、本当に幸せでした。ビデオも何度も何度も見たけど、何度見ても飽きることはなかったですし、今も大事に残してあります。たぶん今でも飽きずに見られるでしょうね(笑)
最後の晴れ舞台は結局「CLUB SEVEN」ということになっちゃったんですね。
行く気満々だった東京公演は、個人的事情により遠征を諦めなければならなかったのですが、こうなってみると無理をしてでも大阪公演を観に行っておいて本当に良かったなぁと今改めて思います。何か虫の知らせ的なものでも感じたのかしら・・あの時の私・・・(苦笑)
その最後の観劇となった公演は関西の友人と観に行きました。私が原君に一目惚れたあの時から既に仲の良かった長い付き合いの友人たちです。何年か振りに一緒に観に行った舞台が原君の最後の公演だったって知ったらきっと驚くだろうなぁ。。(<実はまだ今回のことは知らせてないのです)
私の原熱狂振りを知っている友人たちだから、驚くよりも先に大丈夫か?落ち込んでないか?って心配させてしまうかもね・・(^^;
その友人だけでなく、原君のおかけで知り合った人が沢山います。大切な友達も出来ました。みんな原君のおかげです。たくさんの幸せな日々と思い出をありがとう。本当にありがとう。
思い出を話し始めるときりがないので、簡単だけどこの辺で。。
いつか原君がつくった舞台を見られる日が来る事を期待し、今は楽しみに待つことにします。
報告待ってるからね・・!
※ HPの原くん頁と、このブログの原くんカテは、今のところ削除予定はありません。
今後は自らが舞台に立つのではなく、舞台の裏に回ってつくる側の立場に立ち、いつか自分がプロデュースした作品を世に出す為、まず舞台製作の会社で勉強をすることから始められるとのことです。
突然の引退宣言の様にも思われますが、実はこうなることは以前から薄々感じていたというか・・・だから、イヤだ!どうして!?辞めないで!!ってパニックになるようなことはありませんでした。
以前に参加したイベントで、本人がつくる側の仕事に魅力を感じているという話をちらりとしてくれたこともありましたし、実際腰など悪くされていたので、現状を続けて行く事は正直難しいだろうと思っていましたから、今後はダンスなど激しい動きのないストレートプレイを中心に舞台を続けられるか、裏方に回るかは五分五分なのかな~って思っていました。
だから、遅かれ早かれこんな日が来る事も覚悟はしていたのです。
でもまぁ、今までずっとTVや舞台で表に出られていたのを追ってきた人間としては、その1/2の確率で、出来れば選んで欲しくなかった方の道を選ばれてしまったことは、やはりそれなりにショックで、引退と聞いて全く動揺しなかったと言えば嘘になりますが。。。苦笑
引退報告は本人のオフィシャルブログの昨日の投稿記事でされたのですが、その中で語られている「これが今、自分がやりたい事だから。」「今はこれからの人生に期待し、やる気に満ちています。」という言葉に希望を感じられましたし、何より「今まで本当にやりがいのある仕事ができ、楽しかったです」という言葉に救われました。
救われたと言えば、今後のことが分かっているというのは何よりの救いかもしれませんね。一時は行方不明だったこともありましたし・・(^^;(私が知らなかっただけかもしれないけど(爆))だけど、当時はそんな時でも何故かこの世界は辞めてないって信じて待ってました。まぁなんの根拠もなかったですけど;;(でも本当に帰ってきたし(笑))
何はともあれ、表と裏の違いはあれど、今後もエンターテイメントの世界にその身を置くという道を選んでくれたことはとても嬉しいです。
初めて彼を見たのは「金田一少年の事件簿」だったのですけど、そこでまさかの一目惚れだったんですよね(^^;
その時はまだジャ○ーズの人(<○r.)とも知らなくて、だけど分かってからは大変でした。なんて言うんですかその、とにかくどこに出るのかわからないのが(笑)コンサートだって始まってみるまで誰のツアーについているのかもわからないから大変。
歌番組もあれこれ見てSMAPやKinki、V6などのバックで踊る姿をチェックする毎日でした。
その内、もうTV画面に一瞬映っただけでもわかるようになって、立ち姿やシルエットだけで見つけられるという特技も取得するという。。。(<アホですねぇ(^^;でもそれが今のサッカー見て好きな選手探すのにも役立ってたりするのかもと思うとなんとも・・(笑))
確かに大変だったけど、でももうそれが本っっっ当に楽しくて苦にも思わなかったですし、本当に幸せでした。ビデオも何度も何度も見たけど、何度見ても飽きることはなかったですし、今も大事に残してあります。たぶん今でも飽きずに見られるでしょうね(笑)
最後の晴れ舞台は結局「CLUB SEVEN」ということになっちゃったんですね。
行く気満々だった東京公演は、個人的事情により遠征を諦めなければならなかったのですが、こうなってみると無理をしてでも大阪公演を観に行っておいて本当に良かったなぁと今改めて思います。何か虫の知らせ的なものでも感じたのかしら・・あの時の私・・・(苦笑)
その最後の観劇となった公演は関西の友人と観に行きました。私が原君に一目惚れたあの時から既に仲の良かった長い付き合いの友人たちです。何年か振りに一緒に観に行った舞台が原君の最後の公演だったって知ったらきっと驚くだろうなぁ。。(<実はまだ今回のことは知らせてないのです)
私の原熱狂振りを知っている友人たちだから、驚くよりも先に大丈夫か?落ち込んでないか?って心配させてしまうかもね・・(^^;
その友人だけでなく、原君のおかけで知り合った人が沢山います。大切な友達も出来ました。みんな原君のおかげです。たくさんの幸せな日々と思い出をありがとう。本当にありがとう。
思い出を話し始めるときりがないので、簡単だけどこの辺で。。
いつか原君がつくった舞台を見られる日が来る事を期待し、今は楽しみに待つことにします。
報告待ってるからね・・!
※ HPの原くん頁と、このブログの原くんカテは、今のところ削除予定はありません。