中学2年の冬休みの時は、 吹奏楽の アンサンブルコンクールの出場が決まっていて 、その為の練習が毎日朝から夕方までありました。
因みに、こちらの冬休みは25日間位あります 。
私はよく偉いね~ 頑張ってるね~と 朝声をかけて送っていました 。
コンクールは練習のかいあって、金賞でした。先生の話では、息子の、ああしてみよう、こうしてみてはと言うひっぱりが 大きかったと言って下さり、部活の様子を何も知らない私は、ヘエェーって思ったりしました。
私と主人も嬉しかったし、 学校の先生方もとても喜んで下さいました。
そのすぐ後でした。
3学期始業式 、その2日後がスキー授業でした。 土日を挟み月曜日になり、「今日は学校行かない」と言って休みました 。
私は、子供達 朝起こさないんですよ。ギリギリまで たまに遅刻になって「起こせや~」って怒られました(._.)
その週は行っては休み、行っては休みで、次の週は 、試験の日だけ頑張って行き ました。
息子のスキーの板は、特に重い板で 、その板と重いスキー靴を1.5キロもある道のりを担いで持って帰ってきたので 、びっくりしたのですが 、孝mは喘息持ちで体力もあまりないです。
その疲れが 出たのではないかと 、そして吹奏楽の 燃え尽き症候群 もあるのかなと思い 、丈夫な体ではないので休ませていました。
学校に いく気配が ない 。。。
すぐにネットで調べると 、親の対応を今までと変えなければ、不登校は悪化するとありました。
信じやすい私と夫は、 子供の不登校にはあまり抵抗することなく、 親の対応を ガラリと変えました。
指示、命令 注意をしない。本人の決断を尊重する 認める 何も言わない 居心地の良い環境にしてあげるとありました。
対応は変えたものの、親の心境は 穏やかではありません。 辛い日々は数ヶ月続きました。
それから、半年がたったこの頃 、私は、その頃のオロオロした状態からすると、 かなり落ち着いてはきました。
ただ息子が部活に行こうとして、行けないという状況が起き、息子の気持ちが苛立っていたり、食事が1日1食も食べれない時など、辛そうにしている息子が可哀想で、元気になれない時はあるんですけどね。勿論気づかれない様にします。
息子はというと、相変わらず部屋に閉じこもっています。
私がリビングにいると わかると、 開いたドアが、またバタンと閉まること1日何回もです。
男の子の反抗期は 結構大変です。 上の兄達の反抗期しっかりありました。
ドア 、ガラス 壊れました 、
「1日何回言うか数えてみるか」 と言った程、私の顔を見る度に、「うざい .きもい 」言ってました ね~。
一番上も真ん中の息子も、成長が奥手で 、まだ中学2年ぐらいは かわいかったなぁ 。一番ピークは中学3年から高校にかけてだったような。。
だから2人とも高校で、身長10センチ位伸びたんです。
反抗期は、親の一番の我慢のしどころですね 。
孝mの変化といえば、不登校始まりから出た チックが、なくなったこと、
見るも無残な程の散らかり様だった 部屋が、片付いたことです。
そして 壁の 穴があくペースが、遅くなった
。
相変わらず軟禁状態のような 状態ですが 、少しずつ気持ちの変化が あるんだと思います。
ここのところ、放ったらかし過ぎてる様な……
たまには、何か生活の変化が必要だそうです。
私と夫でまた外泊してみるとか・・孝m兄のところへ 一人旅とか・・
考え中です、、、
GOさん 世間ではいろいろと物議を醸し出してますね、日本人って何かと問題視しちゃうんですね~。
GOさん 一人ではやりにくいですよね。仲の悪い兄弟が一緒に出掛けたり、親子で楽しんだりと、いいですね。
また話がそれました。😅
親の操作主義をやめれば 不登校解決に繋がるそうなので そうしましょう。
因みに、こちらの冬休みは25日間位あります 。
私はよく偉いね~ 頑張ってるね~と 朝声をかけて送っていました 。
コンクールは練習のかいあって、金賞でした。先生の話では、息子の、ああしてみよう、こうしてみてはと言うひっぱりが 大きかったと言って下さり、部活の様子を何も知らない私は、ヘエェーって思ったりしました。
私と主人も嬉しかったし、 学校の先生方もとても喜んで下さいました。
そのすぐ後でした。
3学期始業式 、その2日後がスキー授業でした。 土日を挟み月曜日になり、「今日は学校行かない」と言って休みました 。
私は、子供達 朝起こさないんですよ。ギリギリまで たまに遅刻になって「起こせや~」って怒られました(._.)
その週は行っては休み、行っては休みで、次の週は 、試験の日だけ頑張って行き ました。
息子のスキーの板は、特に重い板で 、その板と重いスキー靴を1.5キロもある道のりを担いで持って帰ってきたので 、びっくりしたのですが 、孝mは喘息持ちで体力もあまりないです。
その疲れが 出たのではないかと 、そして吹奏楽の 燃え尽き症候群 もあるのかなと思い 、丈夫な体ではないので休ませていました。
学校に いく気配が ない 。。。
すぐにネットで調べると 、親の対応を今までと変えなければ、不登校は悪化するとありました。
信じやすい私と夫は、 子供の不登校にはあまり抵抗することなく、 親の対応を ガラリと変えました。
指示、命令 注意をしない。本人の決断を尊重する 認める 何も言わない 居心地の良い環境にしてあげるとありました。
対応は変えたものの、親の心境は 穏やかではありません。 辛い日々は数ヶ月続きました。
それから、半年がたったこの頃 、私は、その頃のオロオロした状態からすると、 かなり落ち着いてはきました。
ただ息子が部活に行こうとして、行けないという状況が起き、息子の気持ちが苛立っていたり、食事が1日1食も食べれない時など、辛そうにしている息子が可哀想で、元気になれない時はあるんですけどね。勿論気づかれない様にします。
息子はというと、相変わらず部屋に閉じこもっています。
私がリビングにいると わかると、 開いたドアが、またバタンと閉まること1日何回もです。
男の子の反抗期は 結構大変です。 上の兄達の反抗期しっかりありました。
ドア 、ガラス 壊れました 、
「1日何回言うか数えてみるか」 と言った程、私の顔を見る度に、「うざい .きもい 」言ってました ね~。
一番上も真ん中の息子も、成長が奥手で 、まだ中学2年ぐらいは かわいかったなぁ 。一番ピークは中学3年から高校にかけてだったような。。
だから2人とも高校で、身長10センチ位伸びたんです。
反抗期は、親の一番の我慢のしどころですね 。
孝mの変化といえば、不登校始まりから出た チックが、なくなったこと、
見るも無残な程の散らかり様だった 部屋が、片付いたことです。
そして 壁の 穴があくペースが、遅くなった
。
相変わらず軟禁状態のような 状態ですが 、少しずつ気持ちの変化が あるんだと思います。
ここのところ、放ったらかし過ぎてる様な……
たまには、何か生活の変化が必要だそうです。
私と夫でまた外泊してみるとか・・孝m兄のところへ 一人旅とか・・
考え中です、、、
GOさん 世間ではいろいろと物議を醸し出してますね、日本人って何かと問題視しちゃうんですね~。
GOさん 一人ではやりにくいですよね。仲の悪い兄弟が一緒に出掛けたり、親子で楽しんだりと、いいですね。
また話がそれました。😅
親の操作主義をやめれば 不登校解決に繋がるそうなので そうしましょう。