「世界は僕を救わない」 -穏やかな世界の祈りと願いー

人生は一度きりやり直せる人はいない。
PN真城灯火
闘病記&創作物関係置き場です。

香山りか さんの記事ですが…

2012年04月14日 17時15分20秒 | 身体と心
調べたい項目が抽象的過ぎて、どう探していいのかわからなかったけれど、
どうやら基本中の基本。心理学にあったようです。

ここで出てくる「解離」が近そう…。

それで、読んでいて「うんうん」と頷けたから貼っておきます。

昨年の11月の記事との事です。


「原発事故を見たくない」が招く、「解離」心理(長いので抜粋)

 原発事故にあまり反応しない、あるいは関心を示さない人たちには、いくつかのタイプがあるはずだ。

 まず、「たとえいくらかのリスクはあっても、日本経済のために原発は不可欠」という信念を持って、原発を容認あるいは推進しているタイプ。

 次に、原発について容認派か否定派かは置いておいて、理性的、ないし科学的に判断して、原発事故の報道に必要以上に過剰に反応しないタイプ。

 最後に、「考えたくない」「考えても仕方ない」という消極タイプだ。

 元々は思いやりもあり優しいほう、という先の女性の夫は、消極タイプなのかもしれない。

 消極タイプがさらに進むと、この災害や事故自体を「なかったことにしたい」とか「現実のできごとと思わないことにしたい」とか、自分の心と今の状況との間にシールドを設けてしまう人が出てくる。

 これが、「解離」と呼ばれる心の防衛メカニズムだ。

「解離」は、児童虐待を受けた子どもでしばしば認められることがある。

 子どもが、虐待を受けたことをまるごと覚えていなかったり、「あれは夢なの」「映画で見たことだ」と言ったりすることがある。事実をそのまま認めてしまうと心が潰れてしまうので、それを恐れ、心が「解離」を起こしている結果なのだ。

 虐待児童と同じ心理状況に、震災以来の日本人が陥ってしまっているのではないか。

 特に、今後とも収束まで長期間にわたり神経質な対応が必要な原発事故は、日本人の心に大きな影を落としている。「ナイーブな人たち」がその影響を受けてしまうのは、十分あり得る話だ。

 原発事故の報道は、実際、嫌でも毎日目に入ってきてしまう。それにもかかわらず、「なかったこと」「自分にはまったくかかわりがないこと」のように距離を置き、仕事とかギャンブルなど他の問題に没頭して過ごす、というのも、まさにこの「解離」のメカニズムが起きた結果と思われる。





この中に出てきた女性の夫とタイプが違うけど、家のダンナも昨年はTVがつまらないと
言って、お笑い番組の再開を心待ちにしていて、今の日本には笑いが必要だったのは分かるけど
即、そっちに移行してゆき一言も震災の事を話さなかった。
女性は子供を産んで育てなくてはなりません。男性は外で働けばそれで満足。
女性の方が先を見るスタンスが長いから不安材料があればそれを取り除こうとしますが、
男性はそれを見ないようにしているのかも。

調べたかったのと、ちょっとずれた見解になってるけど、、まぁ、
これはこれでそう思ったので書いておきます。

心理学に手を出したらヤバイかもしれない;とも思うけど
答えが欲しいのでまた調べてきます。
しかし、こんなに答えの出ないテーマだったとは…。
また外して書こうかなぁ……。





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