軌跡

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自分語り

2020-09-25 19:37:00 | 日記
初めまして【lemonblues 】と申します!リアルでは自分語りは嫌われますが、此処では「私」という人間を知って貰いたくて大変長くなりますが、書かせて頂きます。では…

私が3歳の頃に両親が離婚して、4歳の時に母が再婚。義父は最初は優しかったのですが、私が6歳の時に義父と母の子供(弟)が生まれてから虐待が始まりました。
蹴る殴るなど肉体的にも傷付けられましたが、母が夜勤(看護師をしてた)の時に、一晩中敷居の上で正座をさせられたり寝かせてもらえず、精神がおかしくなり、突然奇声を上げたりする様になりました。
そのせいで小学校も中学校も行けず、公園や海辺で時間を潰してました。
見るに見かねた母が、私が中学を卒業する頃にようやく離婚を決意してくれました(遅い!)。「せめて高校だけは出て」という母の願いで、地元の定時制高校の受験を勧められました。5教科の入試問題はありましたが、学校に行ってない私には1問も解けず、作文もあったのですが、何を書いていいのか分からず白紙です。最後に校長と教頭と主任との面接があったのですが、予め母から事情を聞いてたでしょう、校長から「今まで辛かったと思うけど、頑張って勉強しようね!」と面接ではなく、もう受け入れる様ないい草でした。
案の定、合格してました(笑) 
定時制高校は、昼間は働かなければならないという規則があったので、私はビルの清掃会社に入社しました。仕事は、ほぼ一人で淡々と掃除をするだけなので問題は無かったのですが、学校生活は最悪でした…
私は間違いなく「ADHD」(注意欠陥 多動性障がい)で、じっと座っていられなく、授業中教室中をウロウロしたり、大声で喋りまくる、暴れるなどの超問題児でした。
当時は「ADHD」という病気はまだ世の中に浸透していなく、先生も含め周りからは「キ○ガイ」と呼ばれてました。
なので、単位が取れず定時制高校始まって以来の2回!も留年しました(−_−;)
3度目は、もう行きたくない!と母に言いましたが「お願いだから高校だけは卒業して」と泣きながら頼まれたので3回目の始業式を迎え、私も少しは大人しくなっていたので、夏まで順調に高校生活を送ってたのですが…

夏休み、3つ下の同級生が6〜7人が家に遊びに来たので花札を、お金をかけてやりました。私のボロ勝ちで、それが気に食わなかったのでしょう、全員が私に脅さらて無理やり掛け花札をやらされた!と、学校に抗議したのです。否定はしたのですが、過去の私の行動から信じてもらえず、退学になりました。
もうこんな地元から離れたいという想いが強くあり、工場の派遣会社に入社して全国各地を転々しました。
その派遣会社は、1日12時間労働二交代制で、休日は週に1回有ればラッキーというブラック会社でした^^; 
しかし、給料は手取りで35万以上貰ってたのでブラック企業ではいい方?だったのかも知れませんね。
遊ぶ暇も無かったので、かなりの貯金が出来たのは今の私にラッキーでした。
そして、21歳のときにバイクの通勤途中で交通事故を起こしてしまい、左足首が皮一枚で繋がっているという大怪我を負い、まともに歩けるまで6年の歳月がかかりました。
会社は労災扱いにしてくれて、障害保険なども出て、不自由なく暮らせました(本当にありがたい)。
実家で暮らすのは嫌だったので、祖父母の家で世話になっていたのですが、山村なので娯楽施設などなく、当時はインターネットも普及していなかったのでお酒を呑むようになりました…
最初は、ビールコップ1杯でほろ酔いだったんですけど、日に日に量が増えて日本酒から焼酎、ウイスキーなど強いお酒を飲むようになり、2年目の療養生活?では、立派なアルコール中毒者になっていました。
そんなこんなで、ある日全身の激しい痒みや、耐えがたい倦怠感等の症状が出始め、母に相談したら「絶対に肝臓がやられてるから今すぐ病院に行きなさい!」と怒鳴られ、渋々受診したところ、母の言う通り「アルコール性肝炎」で、即入院させられました…
母の務めていた病院ということもあり、ある程度の事は大目に見てくれましたが、5度目の飲酒がバレた時に強制退院させられ、主治医からは「アルコール依存者専用の更生施設に入った方がいい」と言われ、祖母や母にもそうしなさい。と説得させられたのですが、アルコール中毒者は自分が中毒者だと認めない人種なのですよねぇ(・_・;
断固拒否して、祖父母の家を出て行き、定時制高校のときに働いていた清掃会社の先輩の家で居候させてもらいました。
1年くらい居候して、保証人無しでも入居できるビルに住み、相変わらずの酒浸りの生活を送り、6年目を迎えたました。
正式な名称は忘れたのですが、なんたら障害給付金みたいなのを数百万円も貰っており、まだお金には余裕があったのですが、歩けるようになったので、取り敢えず働こうと思って地元の電子部品の検査をする工場に夜勤専属で入社しました。
部品の傷の有無を調べるだけの単調な作業で、小さな会社なので、私を合わせて夜勤専属社員は4人しかいませんでした。
休憩も一緒になる事はなく、部署も離れていたのでウイスキーの小瓶を持って行き、休み時間にタバコを吸いながら呑んでました(ホント最低)…
そんなこんなで、入社2年目の雨の日の通勤途中でまた交通事故に遭いました(^^;;
しかし今回は自損ではなく、私が横断歩道を渡っている時に車が突っ込んで来て5メートルくらい吹き飛ばされました。
幸いにも大怪我はしなかったのですが、鞭打ちになり首があまり動かせなくなり、偏頭痛がする様になったので、下を向いてひたすら検査をする会社での作業が出来なくなったので、休職せざるを得なくなりました。
今回も労災扱いにしてくれて(これは当たり前かな)、毎月、加害者側からの保険会社から「休職手当」「受診代」「病院への交通費」などが支給され、またまた幸運にも生活には苦労せず、初めて買ったパソコンで動画を観ながら酒浸りの毎日を送っていました。
事故での偏頭痛が酷く、酒量も前に比べて増えアルコール中毒が酷くなり、幻覚幻聴まで見たり聞こえたりし始めました。会社は、私の復帰を1年近く待ってくれていましたが、こんな状況では無理だと私自身が判断して退職願いを出し退職ました。
最後に専務が「君が働けなくなったのは、信号無視して突っ込んで来た相手が100%悪いから、損害賠償を請求しなさい」とアドバイスを受け、加害者側の保険会社の担当者にその旨を伝えてところ「では、まず○○書←(名前忘れました)を書いて下さい」と言われ《私が学歴も資格も無く、30代で拾ってくれた唯一の会社を、ムチウチと頭痛で働けなくなった。これからどうやって生活をすればいいのか?》みたいなことを書いて送りました。
すると、1週間もせずに保険会社から「○○さんが和解を求めてるから今から会って話したい。」と言われ、弁護士を含めて話しになりました。
加害者は、地元では有名(らしい)なアパレル会社の女社長で「100%此方が悪い。出来る限りの事はさせて頂くので、大事にはしないで欲しい」と頭を下げられ、弁護士から「これらの保証で手を打って欲しい」と、ゴチャゴチャした難しい書類に、目ん玉が飛び出るくらいの金額が書かれていました…
「お互い、裁判争っても大変ですし、お願いします」と言われ「確かに裁判は面倒だな…」と思い《これ以上の事は何があっても一切の請求等はしない》みたいな誓約書にサインして、和解しました。
あっという間に小金持ちになった私は、珍しいウイスキーなどを買い漁り、朝から意識が無くなるまで毎日呑み明かしてましたが、ちょうど今から4年前、本当に4年前の今日に「コーヒー色」をしたオシッコ(お食事中の方御免なさい!)が出たんです。
「酔っ払ってるから目の錯覚だろう」と思い、朝起きてトイレで用を足したら、間違い無くコーヒー色!いや、コーラ色の真っ黒いオシッコが出てるんです!
素人目でも「ただ事じゃない!」と思い、直ぐに病院に行き検査したところ「腎臓のIgaという値が以上に高い。あと、タンパクも出ており、肝機能がボロボロだから今すぐに入院しなさい」と言われ、二度目の入院をする事になりました…
入院中に腎生検をしたところ「Iga腎症及び、腎炎。それと、慢性アルコール性肝です。このままでは間違いなく人工透析をしなければなりません」と告げられました。
私の実父も腎臓が悪く、人工透析をしていました。それが原因で離婚したのです。
中学の頃、実父と再会しましたが「透析が辛い…」といつも嘆いていました。私が18歳の頃、苦しみに苦しんで亡くなりました…
そんな姿を見てるので「透析だけはイヤだぁ!!」と思い、断酒しました。
Iga腎症は一生治らないらしいので、悪化したら透析をしなければならないのですが、断酒したお陰で、現状維持を保っており、肝機能も完全に回復しました^_^
ついでにタバコもやめたので、どうやって断酒と禁煙が出来たのかは別の機会で書こうと思います。ホントキツかった…
前述しましたが、若い頃の貯金やら事故の手当や和解金やらで、贅沢をしなければ普通に生活が出来る程の蓄えがあるので、これは神様が人生をやり直す為のチャンスをくれたんだ!と思います。(もう少し体調が良くなれば何かバイトでもしたいけど、雇って貰えるだろうか…?)
40歳を超えて、今から何でも出来る訳ではありませんが、せめて皆んながやって来た勉強をして、一般教養を身に付けたいです。目標は、高卒認定取得!
そして、趣味も大事にして残りの人生を悔いなく送りたく、その軌跡を残すためにブログを始めようと思った次第でございます。
大変稚拙で、要約力もないのでダラダラと長文を書いて申し訳ありませんm(__)m
ですが、この稚拙な文章も2年3年後にどうなってるか?という成長過程も見届けて欲しいと思います。
ここまで根拠強く読んでくれた貴方にありがとう!













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