まばゆいほど
きらきら輝く
朝陽のなかで
この世界は
まるで
すべてが
あたらしく
あたらしく
生まれ変わったかのように
どこまでも
どこまでも
みずみずしい
光を放つ
昨日の雨模様から一転
今朝は、どこまでも光が届くかのような
気持ちのよいお天気ですね
朝の間は、
日中にくらべると、
風もなんだかさわやかで
気持ちよいですよね
もうすぐ夏至をむかえるので、
ある意味
いまというこの季節は
光があふれている季節とも言えますよね
夏至を迎えると、徐々に日が短くなっていくので、
この光の季節
たいせつに
たいせつにしたくて、
日焼けはすこし気になるものの
やっぱり
お陽さまの光をいっぱい感じたい
そんな季節です
じつは、夏至がもうすぐということは、
今年もあと半分程・・・なのです
確認したら
きょうで158日が終了して、
残りは、207日・・・
もう200日程度なのです
以前ご紹介した 田坂広志先生も、ご著書のなかで
死生観について、書かれていらっしゃるのですが、
人は、必ず死ぬ。
人生は、一度しかない。
人は、いつ死ぬか分からない。
・・・
あたり前のように感じられる方もいらっしゃるかもしれません・・・
以前、研究機関に勤務していた際に
京都大学の死生観研究者の方が講演をしてくださったのですが
その際にも、似た感じのお話をしてくださいました
核家族が増加したことで、
身近な人の死というリアルな経験が減っていること・・・
それでいて、
ニュースや、ドラマ、ゲーム等のバーチャルな世界のなかでは、
日々たくさんの死に直面していること・・・
バーチャルの世界での死は、年間平均何件程度と・・・
お話ししてくださったのですが、その件数までは、
残念ながら、失念してしまいましたが、
言葉を失ったことがあるので、
かなりの数だったように認識しています
その講演で、現代人の多くは、以前の死生観とは大きく変化した
ある種歪んだ死生観を持つようになっている・・・
とも話されていらっしゃったことが、とても印象的でした
ひとは、繰り返される日々のなかで
いつしか・・・
このあたりまえに思えてしまう死生観を・・・
たいせつな真実を、
ほんとうの意味で
深く感じることはなくなってしまうように感じます。
余命が30日と言われれば
今日という1日が
いまというこの瞬間が
愛おしいほど大切で、掛け替えがない日だと思うことでしょう
その残された日々を
可能な限り・・・
大切な人たちとの幸せな時間に使ったり
やり残したことを出来得る限りされる方もいらっしゃるかもしれません
きっと・・・
これまでの過ごし方とは異なった
密度の濃い日々を送ることを意識されるのではないでしょうか
逆に
余命は、30年といわれると、
なんだか日々はぼんやりとしたものになり、
気がつけば、同じように感じる毎日を
どこまでも
ゆるんで、弛緩して過ごしてしまうかもしれません
きょうという日は
たった1つ
いまという時も
たった1つ
1日を、1瞬を
どんな風に捉えて
どのような使い方をするかは
それぞれの自由意志と選択にゆだねられているように感じます
お勤めをされていらっしゃる方ならば、
自由意志で、選択など
とてもできないと感じられる方も
いらっしゃるかもしれませんし、
そのお立場によっては、
難しいご事情もあられるかなと思います
それでも
意識しなくても
意識しても
平等に与えらえている
この毎日を
この時間を
どんな風に考えて過ごすかで
やはりおひとりおひとりの
意識の仕方なのかもしれないですね
どう日々を生きるかで
人生の密度は
やはり
とても変わってくるように思います
今年残された200数日を
まだまだたくさんある
と思わるのも良いでしょうし、
もう、200日程なのって、気持ちを引き締めるのも良いでしょうし
いろいろな考え方があって、
その考え方のどれもが、それぞれですし
どれがいいとか、悪いとかでもなく、その全てが良いようにも思います
わたしの場合は
のんびり屋さんにみられるのですが
どちらかというと
後者かもしれません・・・
今年したいなぁと思っていたこと、
半分もできていない・・・
ふと、そんな風に思ったからかもしれません
できることなら、
後悔のない日々を過ごしたいです
先日
わたしがとても信頼を寄せている方が
人は、死の間際になると
してしまった後悔よりも
しなかった後悔のほうが
重くのしかかるというお話をしてくださいました
とても印象的でした
後悔には
確かに大きく分けると2つありますよね
あんなことしなければ良かったという後悔・・・
そして、どうしてあの時こうしなかったのかという後悔・・・
後悔という感情は
その時起きた出来事ばかりでなく
その際に、あじわった感情の度合いによって、
その先の人生に大きな影響を及ぼす可能性があるかと思います
大きな罪を犯すのは別として
どちらかというと、
わたしは前者を選ぶ方です
わからないまま・・・というのが
すこし苦手だからかもしれません
ただ、大人になるにつれて
わからないままということも
時には必要なのかも・・・
白と黒だけでなくて
ときには、あいまいなグレーなどの中間色が落ち着くことがあるように・・・
そんな風に思えるようにもなりつつありますが・・・
それでも、やはり前者タイプでしょうね
お話がすこしずれてしまいましたが、
後悔のない日々をすごすために
密度の濃い日々を過ごすために
ときには
ときには
ほんのすこしでも死生観を意識されてみてもいいのかもしれません
きょうという日が
2度と再び訪れない大切な日であることを
そして
もしも
きょうという1日が
まだまだずっと続くと信じていた
人生という物語の
じつは
最後の
最後の
1ページだったなら
残された数行だったとしたなら
あなたは
どんな日を過ごしたいですか
なにを見て
なにを食べ
そして
誰と過ごしたいですか
そして
その人に
なにを伝えておきたいですか
そして最後に
自分に
なにを伝えたいですか
ありがとう!
楽しかったね!
よかった! 精一杯生きれたね
それとも
もっとやりたいことがあったのに・・・
全然足りなかった・・・
いろいろな
言葉が浮かんでくると思います
ちょっと、重いテーマだったかもしれません
こうした気持ちで
毎日を過ごすことは難しいかもしれませんが
ほんとうは
それほどまでに
日々というものは
時間というものは
意識しなければ
どこまでも
はかなくて
ははかなくて
消えていってしまうものなかもしれません
だからこそ
だからこそ
たいせつに
たいせつに
時々は
このようなことを
ほんのすこし感じてみると
日々が
時間が
とても愛おしくて
日々のできごとが
きらきらと
あたらしい輝きを
もたらしてくれるかもしれません
そして、どこまでも
日々がうつくしく
感じられるものかもしれません
なんだか
お説教っぽくなりましたが、
わたし自身にも
この文章は
贈りたいと思って書いています
ここ数日・・・
ちょっと弛緩した日々だったので・・・!
それでは、きょうという日
どうか笑顔で
そしてそれぞれの
お立場で
自分らしさを大切にしながら
世界で
たった一人の大切なご自分に
世界でたった1つの大切な1日を
最高の1日として
プレゼントするようなお気持ちで・・・お過ごしください
今日という日の終わりに
よかった!
今日も良い日だった!
そんな風に
笑顔で思える
そんな素敵な
1日の終わりをお迎えくださいね!