三種の神器
●八咫鏡は神書なり、
古人既に日ふ八咫鏡は神書矣神代の事懇にして鏡に向つて物を見る如くに明なれば鏡と謂ふなり、
又八咫と云は八方の事明かに知るが故に八咫と云ふ已上秘説なりと
これ徒然草諸抄大成御鈴の章の頭書に記せる所なり。
この神書は帝皇日継及び先代旧辞を記し玉ふ皇典古事記の真義、畏くも神聖なる皇祖の御遺訓是なり矣。
吁々《ああ》尊む可し信し奉る可し
この神書は畏多くも皇祖天照大御神が御皇孫に言依腸ふ御宝鏡なり、
皇宗天武天皇が詔給ふ斯乃邦家之経緯王化之鴻基焉、皇典古事記を日本国に言依賜ふ言霊の幸ひ助けに依りて闡明而、献上し奉れる神書八咫鏡は畏くも明治天皇戊申詔書に示し賜へる『国運発展の本近く斯に在り』と醒よ大日本神皇国民
●八咫勾瓊は御玉体なり、
神聖なる皇祖の御遺訓皇典古事記に示し給ふ、
日く速須佐之男命乞度天照大御神所纏左御美豆良八咫勾瓊五百津之美須麻琉珠而、奴那登母母由良爾振滌天之真名井而(一説近江批把湖)佐賀美爾迦美而、於吹棄気吹之狭霧成神名 止哉吾勝速日天之忍穂耳命これ畏多くも天佑を保有し玉ふ万世一系天津日嗣天皇の御皇宗の御基なり矣。
謹み僅み伏而惟れは我天皇の御皇統は皇祖天之御中主神を初め奉り、別天神五柱国之常立神を初め奉り、神世七代伊邪那岐伊邪那美神の国土経営の御功業成就して、天下を治むる大権を天照大御神に授げ玉ひ夫より皇宗に言依賜ひて天降し玉ふ即ち畏くも現代今上陛下に至る迄御天職を司り給ふ為に末いよいよ益々栄えさ玉ふ御事誠に尊とく誠に惶こき極みなりかし。
●草那芸剣は大日本国の本能及び形式なり。大
日本神国の位置と地勢は草薙神剣の形式也、皇国天賦の気温、風土、周囲の潮流、水産動植、陸産動植、天地文物皆悉く草薙神剣の本能を発揮すべき神威発揚の機関なり。
皇国の各国各嶋は天賦の名称的本能を保有す各国天賦の地に生ずる人各経綸機関の天職を有す、古今の学者神剣の活用と日本の天職を知らず鳴呼。
草薙神剣の活用法畏多くも天津日嗣天皇が神聖なる皇祖御遺訓に准拠し玉ひ神聖なる天津日嗣の御経綸を照し玉ふに依り神剣国威の発揚発る、黍《かしこ》くも和光同塵皇道の光を収め世界済世の為、世界の文物を引招収得し玉ふ事茲《ここ》に二千有余年履冠転倒は戸位虚礼と化し古今の弊政は虚栄、貧慾、嫉妬、盗心、を生ず根本革命是れ草薙神剣の活用なり矣。
●日本天皇の天職は済世安民なり矣。
日本人の天職的に覚醒すべき焼点、夫れ古今東西の聖哲は人生世に処すべき道を唱導とす雖《いへど》も彼等は未だ人生の本義と人生経綸の根本義を説かず、否な彼等は之を極め闡明せんと欲して幾多の理想的道説経義を唱説せるのみ、之に困り古今治乱興廃人生不安を極むるは是即ち天理人道の不明に源委するが故なり矣。挙世生活の為、パンの為、虚栄の為、学を修め業を習ひ、以て財を求むるを以て人生最大の目的と為し、租税の収入を以て国家経綸の唯一なる根本基礎と為す、是れ人生の本義と国家経綸の根本天則に違反せるものなり。斯《こ》の二大欠陥が人心の腐敗と国家革命の二大原因と成るものなり。
●皇国の天賦を発揚する要道は唯一也矣、現代の皇国経綸制度、教育の制度は実に御国体の根本主義に矛盾せるものなり。根本変革の時機に到着ぜる也これ畏多くも神聖なる教育勅語の聖旨に背反する世態を醸し御国体の体面を穢す現象を呈する淵源也矣。
畏くも明治天皇詔り給はく
朕ハ方今ノ世局二処シ我ガ忠良ナル臣民ノ協翼二倚籍《いせき》シテ維新ノ皇猷ヲ恢弘《かいこう》シ宗祖ノ威徳ヲ対揚セムコトヲ庶幾フ爾臣民其レ克ク朕ケ旨ヲ体セヨ。
畏くも戊中の詔書は神聖なる祖宗の御遺訓を奉体し以て邦家之経緯、王化之鴻基を厳立すべき事を教覚し玉ふ。是れ即ち唯一なる皇憲を記させ給ふ皇典古事記を研鑚し以て恪守《かくしゅ》|砕礪《さひれい》の誠を輸す事国運発矣の本実と明に示し給ふ。
(「敷島新報」大正五年五月一日号)
皇道は宗教に非ず治教なり
日本が神国であることは、我国の歴史を溯り研究すれば判る。天之御中主大神を初め天照皇大神が日本の国を豊葦原の瑞穂の中津国と神定めに定め給ひて、極を立て統を垂れ給ひ、皇孫瓊々杵尊をしてこの国土に君臨せしめ給ふた故である。外国には斯ふいふ尊い大君も国土も一ケ国たりともない。それで日本は天立君主国と申すのである。即ち天より君臨された大君が我々の大君でお坐すのである。
此神国日本の大道、即ち皇道は所謂宗教では無く、【すめらぎ】の道であつて、天皇陛下の御道である。天が下を安国と平らけく安らけく知召すべき御大道である。儒教の五倫五常といふやうなものは極く枝葉のものであつて、皇道とは総てのものに関係のある総ての根本である道といふ意味である。
我国には現人神があらせらる
それで『天壌と与に窮りなかるべし』といふ天祖の御神勅によつて我国の大君は万世一系である。外国のやうに禅譲あり、放伐あり、勢威あれば君となり勢威を失へば奴隷となり、家来となり、或は殺されるといふ風な見識のない政体とは違ふのである。
即ち我国の大君は現人神にてあらせられ、吾々が朝夕に敬ひ奉る活きたる神様である。外国には斯ふいふ尊い活きた神様がないので、キリスト教の必要が起つたり、釈迦の宗教の必要が起るのである。頼る処がないからさういふ死神死仏を引張り出して慰安の道具にして居るだけで其実は泡抹に等しいものである。
次に「肇国の精神を遵奉し」の意は、肇国の精神とは国を肇め給ふ処の精神である。此肇国の精神といふことは、御肇国天皇、即ち神武天皇が初めて御神代からの神様の系統を継承いて人皇の祖と成らせられた時からの神言である。外国には建国があつても肇国の神定はないのである。
日本には天皇あつて皇帝なし
日本国と世界とは丁度相向ひ合ふて蜻蛉が臀哨せるような地形になつて居る。
此神武天皇のお言葉にある、『蜻蛉【となめ】せる国』とは日本のみならず五大洲全体のことであるから、勿論皇祖の御意志を継いで此五大洲を安国と平らけく治め給ふ御意志が其御言葉にはつきりと現はれて居るのである。
吾々は其御聖慮を奉体して日本の神国臣民たる使命を果すべく茲に昭和神聖会を起し、皇国民天賦の使命を国民に自覚せしめ、日本皇国の真相を日本人に再認識せしめたい為に敢然立上つたのである。
綱領
一、皇道の本義に基き祭政一致の確立を期す
日本国には帝道といふものはない。皇道はあつても帝道はないのである。また天皇はあつても皇帝はない。大日本史を初め六国史、其他の日本歴史を隅から隅まで調べて見ても皇帝と記された処は何処にもないのである。
我国は天立君主立憲制の国
詩書などには一、二ケ所「神武帝」「醍醐帝」などといふ言葉が出て居るけれども之は正史ではなく歴史でもなく作詩上の都合で只其中に織込んだ言葉なのである。故に我国には天立君主たる天皇即ち【すめらぎのみこと】がおはしまして、外国の皇帝や王や、その他の主権者とは根底から尊卑の区別が違ふのである。支那の太古には三皇五帝といふものが出来、秦の始皇帝が初めて皇帝と名乗つたのである。然乍ら支那の国は禅譲あり放伐あり、時々姓を変へるが、日本の陛下には苗字といふものはない。天を父とし地を母とせられて居られるからである。宇宙其ものゝ表現が即ち我国の天津日嗣天皇でおはすのである。それ故に皇帝ではない。皇帝といふものは憲法を以つて権力を定めたものである。立憲君主とは憲法に依つて認めた処の君主である。日本は天立君主立憲制であつて君主が吾々に憲法を賜はつたのであるから、他国の憲法とは天地霄壌の差があることは之に依つても明かである。
帝国にあらず皇国なり
それ故に吾々は、帝国議会といふことを、非常に耳障りに思ふのである。之は皇国議会でなければならない。又帝国憲法は皇国憲法でなければならないと思ふのである。然乍ら明治維新の際は兵馬倥偬の際でもあり、あまり皇道に熟達した学者がなかつた為に外国流に日本帝国と謂ひ、或は帝国軍人と謂ひ帝国議会と謂ひ帝国憲法と謂ふやうになつたのである。
けれども今日は既う之を改むべき時が来て居ることを私は信ずるのである。東郷元帥は皇国と言つて居られる。彼の日本海大海戦の際『皇国の興廃此一戦に在り』と云はれ、決して帝国とは言つて居られないのである。東郷さんは其点に於いては非常に日本の惟神の道に通じた方だと、私は其時に感じて居つたのである。其時代に皇国といふた学者は尠かつた。只東郷元帥の其言葉に現はれただけである。
外国魂がわが日本に浸潤す
皇道の本義は祭政一致にあるのである。祭政といふことは、私が十年事件の際、裁判所に呼び出された時に司法官は『大本は祭政一致といふが怪しからぬ』と斯ふ言つたので『何故』かと問ふと『祭といふのは宗教家の仕事で政治は天皇陛下の御仕事ではないか、祭の字を上にやつて天皇陛下の政治を下に置くといふ不埓があるか』と斯んな解釈をしてゐるのである。然乍ら明治三年正月三日明治天皇のお下しになつた宣布大教の詔に
『祭政一致、億兆同心、治教上ニ明カニ、風俗下ニ美ハシ。而シテ中世以降、時二汚隆アリ、道ニ顕晦有リ……云々』
と示され、又
『因テ新ニ宣教使ヲ命シ天下ニ布教ス……』
とある。人民の罪を裁くべき役人が之を知らないとは、実に外国魂が日本に浸潤して、日本皇国の教といふものが殆んど【すたれ】切つて居る処の、此状況を見て私はあまりにも当局の無智蒙昧なるに呆れたのである。要するに【祭政一致】と【政教一致】を混同した意見である。
役所にも学校にも大神様を
宮中には八神殿が斎つてあり、陛下が政治をなさるには必ず八神殿のお祭祀をして、それから総理大臣其他にすべてのことを仰せられるのが祭政一致なのである。別に宗教のような吝嗇臭いものではないのである。
それで、祭政一致の制によつて到る処の諸官衙にも神殿を作り、天照皇大神を敬斎し、そうして大神様の御心の儘に文武百般の政治に奉仕せなければならない。之が即ち祭政一致の政治なのである。学校にも役所にも神様を斎つて、すべてのことを神様の御心の儘に行ふ。之を祭政一致の政治といふのである。宣布大教の詔はこう云ふ御聖旨であると私は拝察するのである。之を忘れては国民として済まないのである。愈々この祭政一致の御詔勅を実現すべき時機が来たことを深く感ずる次第である。
世界を導く日本の大使命
一、天祖の神勅並に聖詔を奉戴し、神国日本の大使命遂行を期す
天祖の御神勅とは『豊葦原の千五百秋の瑞穂国は、これ吾が子孫の王とますべき地なり、爾皇孫就て治らせ、さきくませ、宝祚の隆えまさんこと、天壌と与に窮りなかるべし』と仰せられた、あの御神勅である。延喜式の祝詞にも『狭き国は広く峻しき国は平けく遠き国は八十綱懸けて引寄する事の如く皇孫尊の御前に仕へ奉れ』云々とある。此天祖の御神勅、並びに延喜式の祝詞に言はれて居る其御心を心として、勇壮なる日本国民は今日迄進んで来たものである。それ故に一回も外国の侮辱を受けたこともなく、辺境を侵されたこともない処の万邦無比の尊い神国である。
故に、日本皇国の使命も又大きいのであつて、此豊葦原の瑞穂国即ち地球全体に、日本が率先して総ての軌範を示し、御神慮たる人類愛善の大道によつて之を護り、導かなければならないのである。
この非常時打開の鍵は何か
然るに現代は天祖の御神勅、皇国の大道を忘れたが為に、政治も経済も産業も何も彼も行き詰り、悲惨事が到る処に突発するやうになつたのである。畏くも天祖の御神勅を遒奉して、日本国の大使命が解つたならば、日本は安全無事に明日からでも行ける処の尊い国なのである。それ故に、わが神聖会は神国日本の大使命遂行を期して起つたのである。
一、万邦無比の国体を闡明し、皇道経済、皇道外交の確立を期す
日本の国は前にも申した通り、万邦に其比を見ざる処の結構な尊い国である。故に又国体に於ても無比であり、且つ真に国体と言ひ得る国体を持つてゐるのは日本だけである。『天万乗の大君様が厳然と現はれまして、一つに治められる国である。
皇国民は皇国の手足・胴体
天皇陛下は人間の身体にたとへたならば頭部であり、我々は手足、胴体となつて働くべきもので、之が所謂国の身体即ち御国体である。外国には国体といふものがない。全部政体といふものを作つて居るのである。
立憲政体、共和政体、みな持寄合ひ、拵ヘ合ふのであつて、主義の凝塊であり、別に一つの体をなして居らぬのである。此日本の尊い国体を闡明し、国民一般に解らしめ且つ海外諸国の民衆にも之を悟らしめて其上に皇道経済の実行、皇道外交の確立をなさねばならないのである。
茲にこの「皇道経済」といふことに就いて少しく申上るが、日本に通貨が出来たのは元明天皇の和銅元年で、その時銀と銅とで和同開珍と云ふ通貨を鋳つたので、米一石の価銀銭一文なるに至る云々と、我が歴史に出てゐる。故に旅する時は一石の米を用意して行くよりも銀銭一文を持つて行つたならば到る処で一石の米と換へることが出来る。即ち軽いものを以つて重いものと交換出来るから通貨の価値があつたのである。
国土は神様から御引継ぎ
処が今日は、少し贅沢な果物、メロンとか、少し変つた西洋から来たものは目方をかけて売るが、それが銅貨の十倍位の価である。つまり一貫目の果物を買ふには十貫目の銅貨が要る。銀貨にしてもまだ銀貨のほうが重たい位である。斯ふいふことでは何処に通貨の値打があるか判らなくなる。それから此「皇道経済」といふものは、総て此世界ー普天の下、率土の浜に到るまで皇土ならざるなし──で天皇陛下の御国土である。即ち神様からお引継になつた処の国土である。
明治維新までは諸大名が、土地を自由に私有して乱暴なことをやつてゐた。その結果が明治維新となつて土地を陛下に奉還して了つた。そうすれば残らず天津日嗣天皇の御物である。故に人民の所有権といふものは外国にはあつても日本にはなかつたのである。
土地拝借権と思へばよい
然し外国流に、又土地の所有権といふものが明治七、八年頃から出来たのである。然乍ら之は元来皆神様の土地であり陛下の土地である。
それで今陛下からお借りして居ると思つたらいゝのである。所有権ではなしに拝借権と思つて居つたら宜いのである。自分の地面だと思つたら【あて】が違ふ。
今日の経済は金銀為本の経済で、総てが金銀を以つて代用する経済であるが、之を土地為本の経済にすれば、日本全体は、拝借権は別として、全部天皇陛下の御物である。そこで天皇陛下の御心の儘に必要に応じて御稜威紙幣をお出しになれば、日本の人民は喜んでこれを迎へるものと私は考へて居るのである。
現在日本の正貨は四億に足るか足らぬかであるが、公債其他の発行高を合すれば実に莫大なものである。
土地為本及び御稜威為本
若し之が外国であつたならば、公債を二十億も発行して正貨が四億しかないといふことになれば、忽ちその価値が正貨に準じて下つて来るのである。即ち二十億が四億の価値しかなくなるのであるが、日本の国は一天万乗の大君の御稜威が輝いてゐる為に、今の紙幣が本当の不換紙幣と同じやうなものであつても価値に変動がない。今の兌換紙幣を日本銀行に持つて行つて金貨に取換ようとしても、換えて呉れない。それでも天皇陛下がましますが故に国民全体が安心してゐるのである。
それでもう一歩を進めて、金銀為本を廃めて、土地為本の制度にするが最も平易にして簡単で効力の多い御稜威為本としたならば、必要な金は何程でも出すことで出来る。勿論無茶苦茶に出してはいけないが、先づ日本を徹底的に建直すに於ては、一千億円の金が要ると思ふのである。
総て免税し汽車も無料に
此一千億円の紙幣を陛下の御稜威によつて御発行になつたならば、農民も、商工業者も、その他総ての苦しんでゐる人達を救ふことが出来るのである。つまり、その紙幣によつて日本国がすつくりと建直るまでは五年でも六年でも総ての免税をする。汽車も無料で乗らしてやる、煙草も勝手に作つて喫め、酒も税金を取らぬといふことにする。そうしたならば日本の国は数年ならずして本当の元の天国浄土に立返ることが出来得るのである。之は経済機構の都合で何でもない仕事である。
今更云ふ迄もなく天津日嗣天皇は我が日本国の同胞のみならず世界万民を安らけく平らけく治め給ふ御天職を惟神に具有し給ふのである。それ故に先づ日本からそれをお始めになるように吾々国民は力を合はして請願したいといふ考を持つて居るのである。
主要物価の公定と外国貿易
外国貿易は如何するのかといろ/\尋ねる人々があるが、今でも外国とは物々交換をやつて居るやうなものである。要するに物と物とを交換すればよいのである。そうして米を主として物価を公定すれば百姓はよくなり、従つて商工業者も潤ひ、蘇つて来るのである。また皇道経済になれば一日として休みなく国家の為に働いて居る処の軍人は、一兵卒に至るまで相当な月給を渡すことが出来るのである。そうして一人たりとも苦しむものはなく、富士山の頂上も太平洋の底も、みな同じ慈雨に潤ふことが出来るのである。三井や鴻池を叩き潰して、下層階級の苦しみを救ひ一様に引きならすといふやうな、そんな無理なことをしなくとも、富士山は富士山のまゝ太平洋は太平洋のまゝにしておいて、兎に角一切に恵みの雨を降らし、国民が其恩沢に浴したならば、初めて本当の地上天国になるのである。之はやり方一つ、政治機構一つで出来るのである。
物資はありあまつてゐる
日本の国は今や全く行詰つてゐるのは事実だ。或処では学校の教員の給金も払へなかつたり、小学校の生徒は弁当を持たずに学校に来る。二、三日食はない生徒もある。着物も着られないといふやうな有様であるが、東京あたりに行つて見ると、空家が何程でもある。着物も会社の倉庫には沢山積んである。米もない処にはないがある処には日本国民が全部食うても余るだけの米がかびてゐる。斯様に衣食住は有余つて居るのである。之は政治機構が悪いから斯ういふことになつて居るのであつて、実際から言へば日本に物資が少くて国民が生活に悩んでゐるのではなくて、政治の【やり方】、運用が悪いからである。如何しても、之は根本的に変へなければならないと思ふのである。
何処までも自主的外交たれ
皇道経済に就いてはあまり突飛な話で合点の行かない人があるかも知れぬが、然し陛下の御稜威によつたならば、どんなことでも出来るといふことは私を確信して居るのである。
外交も従来の様に弱腰では全然駄目である。日本は世界の親国であり、神様の御子孫がお降りになつて居る処の皇国であるから、五、五、三といふような区別を立てられて日本が二等国の扱ひをされて我慢をして居るやうなそんな腰抜けの国ではないのである。外交といふものは日本から通告を出して、あゝせい、斯ふせいと各国に示すのが日本本来の使命である。それにワシントン会議でも五、五、三などといふ──丁度、英米は国が大きく日本は小さい、日本は子供だ、俺は大人だから五本の指が要るが日本は子供だから三本指で宜いではないか、といふのと同様で斯ふいう道理が何処にあるか、大人でも子供でも矢張り五本の指が必要である。
言葉から見ても日本人が第一
しかるにそういう処へ行つて、はい/\と言つて調印して来た偉いお方が日本には沢山ある。我々は斯くの如き国辱的な扱ひを払ひ退けて、何処迄も自主的外交を以て行かなければならない。何時までも追随外交で外国の言ふた通りに、何を言はれても随いて行くやうなことでは断じてならないのだ。
言葉から言つても日本人は七十五音を正確に発するが、英語とか、其他の外国語は大抵二十四音である。それも拗音とか促音とかの捻ったり曲つたり行詰つたりした音許りである。能く考ヘて見るのに高等動物程言葉数が多いのである。牛や馬は『モー』『メー』『ヒン/\』だけで猫は『ニヤン/\』雀は『チユー/\』烏は『カー/\』といふように下等動物程言葉数が少くなつて来る。西洋人は之から見たならば日本人の七十五声に対して二十四声だから三分の一の力しかない。丁度日本人と獣の中間位にしか見られないのである。
日本人か外国人か判らない
斯ういふ国のいふことを喜んで聴いて居る腰抜けは、も早や日本人ではなくして外国の家来なのである、奴隷である。
東京あたりに行つて見ても女が百人通る中で日本の風をして通る者はない。偶々通つたなと思つて見ると下層労働者の妻君位なものであつて、大抵の女は、男か女か判らぬような風をして居る。之が皇国日本の都かと思へば実に憤慨に堪えなくなつて来る。そうして其風俗が変つて居るだけ矢張り精神も変つて居る。昔は大和民族は民と雖も皆刀を一本差して居つた。武士は二本差して居つたのである。其時には道義心も固く、廉恥心も強かつた。それが外国に嗾かされて丸腰になつてからは文官を初め大抵の者は自分だけよければ宜いといふような外国魂になつて了つたのである。
死神死仏は何にもならぬ
其証拠には、皇国軍人と警察官とは劔を有つて居る故に、日本国民が堕落した中にも其割に堕落してゐない。それで私は帯劔は必要であると思つて居る。
一、皇道を国教と信奉し、国民教育、指導精神の確立を期す
皇道は即ち国の教である。天津日嗣天皇が世界を安国と治め給ふ治教である。既成宗教のやうな【けち】なものとは違ふ。宗教といふものは数千年前に人心を収攬すべき必要があつて起つた便宜上の教なのである。釈迦もキリストも二千年、三千年後にこれだけ立派な寺や教会が沢山出来、坊主や宣教師が沢山に出来るとは思はなかつたであらう。然乍ら死んだ虎よりも生きた鼠のほうが余程宜い、小さな鼠でも死んだ虎なら其皮を引張つて行く。釈迦でもキリストでも過去の、死んだ虎である、死神死仏である。
天皇陛下は現人神にまします
吾等の天皇陛下は天照皇大神様直々の生きた本当の神様である。又何千年前の国民に適した宗教は、所謂厳寒時代に着る綿入れを暑い夏に『着よ』といふのと同じことである。又或る宗教はアダムとイヴが神様の禁断の果実を食つたが為に神の規則に背いて何千万年の末に至る迄其子孫たる人民が地獄の火の中に突込まれる。それが可哀さうだから之を助ける為に神が独り子を十字架にかけて、其キリストを通じて天に願ふ者は助けてやるといふ事になつたのだといふ。自分の可愛いい子を殺して置いてそれに願つたら助けてやらうなどゝそんな馬鹿なことが何処にあらうか。
皇国民覚醒の秋は来れり
何千万年前の先祖が何んなことをしたか知らないが、今日の人間の作つた不完全な法律でさえも親が泥棒したからと言つて子供迄罰するといふことはしないのである。まして、至仁至愛公平無私な神様がそんな不公平な訳の解らないことをなさる筈がない。そんな神様があつたら此宇宙間より籍を除いて了ふても差支えがない。外教其他の宗教で地獄極楽説に脅迫され立派な髯を生やした紳士が涙声になつて感謝したり謝罪まつて居るのは、我等の先祖が借りもしないのに、金を貸したからと攻められて、又改めて証文を書きそれに利子を附けて取られるのと同じことである。
斯ふいふ矛盾はもう皇国日本からは取去らなければならない時機に到達したことを諸君は御覚悟になつて然るべきだと思ふ。
国防の充実と農工商の隆昌
一、国防の充実と農工商の隆昌を図り、国本の基礎確立を期す
国防は元々国をとる為や人民を殺戮する為の国防ではないのだ。我国は我国としての資格を保ち、且つ天定の大使命により世界に号令する処の威容を保持する為に必要なものである。如何しても国防は充実して置かねば今日の処まだ世界を導く訳には行かないのである。御即位式には三種の神器即ち璽鏡劔の三つがなければならない。璽や鏡ばかりでは完全でない。如何しても劔といふものが最後になければならない。此国防といふものは所謂この神劔である。
又農工商は今日の状態の儘で置いたならばもう破滅する外に道はないのである。此農工商の隆昌を図るといふことは、先づ第一に皇道経済の実行を先にし、それからぼつ/\教育なり或は総てのものを変へて行かねばならないのであるが、今日のやうに窮乏して了つては、一日も早く皇道経済の実行に依つて農工商の復活を図るより外に、断じて道はないのである。
万民救済至仁至愛の御心
一、神聖皇道を宣布発揚し、人類愛善の実践を期す
神聖なる日本の皇道を普く中外に宣布し発揚すべき秋は今である。そうして天津日嗣天皇の御政治は、征伐に非ず、侵略にあらず、また併呑に非ず、万民悉くを赤子として愛し給ふ処の御精神の発露であり、御経綸である。之が所謂人類愛善の実践である。
(昭和神聖会南桑支部発会式に於ける出口統管の講演中より =文責在記者)
(「神聖」昭和九年十一月号)
皇国の道(一)
天神地祇を崇敬するは、皇国建始以来の国風にして、上は天津日嗣天皇より下庶民に至るまで、之を苟且に附したる事なく.国家安穏にして淳厚の俗を為し、天下は実に平安であつた。故に上下の国民の行動たるや、凡てを神祇に依托し、亳も私心を交ヘず、百般のこと皆神意を奉じて処理し決行したものであつた。
神武天皇の長髄彦以下の諸賊を征服し給ひし時にも、先づ天神地祇を礼祭し、その神意に従つて行動し給うた。又崇神天皇の天業を経綸遊ばし、景行天皇の筑紫の土蜘蛛を征討し、神功皇后の三韓を言向け給ひしも、ことごとく神意を奉じて行ひ給うた。
天孫降臨以後、崇神天皇の御代までは、神と皇との際遠からす、常に同殿同床にまし/\けるが、天皇は天下の形勢を洞察し給ひし結果、和光同塵の神策を採り給ひ、天照大神及び草薙の劒を大和の笠縫邑に遷して斎き祀らしめ、外国の文物を輸入して大いに国家の経綸を行ひ給ひ、垂仁天皇の御代更に伊勢の国宇治の五十鈴の川上に宮柱太敷立てゝ大神を斎き祀らしめ給うた。
次いで応神天皇の御代に至り、孔孟の教儒教なるもの初めて渡来したるによりて、淳朴の良風は次第に移りて、浮華の俗に浸潤し、国民思想上に稍変化を来たすことになつた。けれども、大和魂の本元は微動だもなく、忠孝仁義の大道は昭々乎として日月と共に光りを放ちつゝあつた。それより欽明天皇の御宇に至り、仏教始めて渡来し、その説くところ前の儒教に比して大いに趣を異にし、因果応報の説をもつて我が国民の精神に驚異を与へたのである。
開闢のはじめの神祇を崇敬し神意のままに動きたる国
何事も神のまにまに働きて国開きたる大和神国
惟神神の教をよそにして我が日の本は治まらざるなり
御代御代の天皇は大神をいつきまつりて世を治めましき
応神天皇の御代より儒教渡り来て国民思想動き初めたり
孔孟の教をうまく咀嚼して政治のたすけと為せし我が国
欽明天皇の御代に到りて仏の教渡来せしより風俗変はれり
淳朴の美風はことごと地をはらひ浮華軽佻の俗に変ぜり
天地の神の恵みに地の上の国のことごと生れしを知らす
釈迦孔子ヤソの教の渡り来て誠の道を失ひにけり剛
切萬事行き詰りたる世を生かす道は神祇を祀るにありけり
仏教の渡来に就いては、国人の未だ曾て耳にせざりしところなるを以て、その奇異にして仏像の華美なるに眩惑され、これを信奉するもの多く、物部の守屋と蘇我氏の正面衝突となり、途には崇仏派勝を制し、殊に当時上下の尊敬最も厚かりし厩戸皇太子の如きも、ひたすらに仏教を政策上より尊信採用されたるにより、仏を尊奉するものます/\多くなつたのである。
然しながら舒明天皇の御代に至りて、唐の使節に御酒を賜ひて神の威徳を示したまひ、次いで孝徳天皇の御代には、先づ神紙を鎮祭して後に政事を議し、もつて内外国人をして神祇の当に崇敬すべきを知らしめ給ひしごときは、何れも敬神を以て主とせられたる証拠である。次ぎに文武天皇の御代には、律令を撰定し給ふや、大いに唐制を模倣されたりといへども、獪神祇官をもつて百官の上に置かせ給うた次第である。
斯くして歳月を経るにしたがひ、仏教を信奉するもの多くなりしが、神紙を崇敬することは建国以来の風習にして牢として抜くべくもあらず、彼等仏教者の布教は意の如くならざるを憂ひ、茲に神仏の調和を計画するものさへ出で来り、元正天皇の御代には、既に気比の大神のために神宮寺を造りしものさへあつた。それより空海、最澄の僧輩出でゝ本地垂迹の説世に普伝さるるに至り、神社の祈祷にも僧侶をして読経せしめたり、神職の外に別に又社僧なるものを置いて奉仕せしめ、遂には仏神の文字を国史上に見るに至り、冠履顛倒を来たすことになってしまったのは、我が皇道の上から見て遺憾至極である。
仏教の渡来は我が国上下の人の心を迷はせにけり
仏教の奇異なゐ説や金ピカの仏に国民酔はされにけり
やうやくに仏を信する人ふえて物部蘇我氏の衝突となれり
物部の守屋は神の道奉じ蘇我氏は仏に盲従なしたり
神仏の正面衝突勃発し物部蘇我はにらみ合ひけり
仏教派の勝利となりて惟神神のをしへはおとろへにけり
さりながら大和魂なほうせず仏をこばむ者も多かり
仏教の宣伝容易ならざるをさとりて神仏調和をこころむ
僧の空海最澄等により神仏の混淆まつり始まりにけり
仏教は日本の祖先崇拝の教をのこらす我がものとせり
空海は本地垂迹説を唱ヘ神を仏の権現といふ
神社には神職の外に社僧ありて祈祷に経読み珠数をつまぐる
仏教の渡来せしより益良夫の睾丸のこらす割去されたり
勇壮なる大和男子も仏のため骨なし蛸となり終りたり
因果応報等の愚説を唱へつゝ淳朴の民の心乱せり
三千年の昔の風俗にねじ直す道は神紙を敬ふにあり
動きやすき国民なれどしんそこの大和心はうつらざりけり
日の本を仏教国に化せんとし世世僧侶の計画とげずも
(昭和八、九号神の国)
皇国の道(二)
玉鉾の道は多しと雖も、萬古に亘り干載を経て変易磨滅すべからざるものは実に斯道なり。畏くも我が 皇祖天神は斯道を以て国を肇め徳を樹つるの基礎となし給ひ、之を天孫列聖に授け賜ヘり。されば、彼の延喜格の序にも『我朝家道出二混沌一』と記せるが如く、其の源泉は遠く萬世一系の天津日継と共に、同じく高天原より此葦原の中津国に傅はり、久遠の間未だ嘗て一日も地に墜ちたることなく、天日と共に弥益々に其光輝を角しつゝあるなり。
此の如く斯道は天授の真理にして、至粋至美至真至善至正の極たり。故に鬼神も之に依りて立ち、人民も亦之に依りて活き、萬物も亦よりて安息するを得るなり。畏くも、 明治天皇の下し給ひし教育勅語に『斯ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ、朕爾臣民ト共ニ、眷々服膺シテ、咸其徳ヲ一ニセム事ヲ庶幾フ』と詔らせ給ひしも、実に斯道が字宙の真理、天地の大道なるを表白せさせ給ひしものと仰ぎ奉らるゝなり。
此を以て、彼の儒仏道若くは天主囘々耶蘇等の如き、大疵小醇真偽相半するが如き薄弱なる教理とは、実に霄壌の差と云はざるを得ず。見よ、至聖と称せらるゝキリストの本国獪太の滅亡して露の苛政の下に呻吟せるを、大聖と仰がるゝ釈迦の本国印度の仏教の感化によりて滅亡し、独立の体面を失ひて英の配下に涙を呑みつゝあるを、先聖と称せらるゝ孔子の生国支那の未開半亡国同様にして、国勢の振はざるを。そもこれらは皆何に因由する乎。則ち其の教理に欠点ありて、天理人道に適合せず、説く所根元なく、薄弱信を措くに足らず、以て治国平天下の道に稗益する所なき而巳か、却つて害毒を流布したる結果にあらずして何ぞ、然らば斯る教理を以て、治国の本、修身の要と思ひ、心酔せる外教崇拝者こそ、実に国家のために獅子心中の虫と日はざるを得ざるなれ。此に於てか、此の虫を退治し、以て国家のために臣民たる義務の萬分の一を尽さむの真情より、益々斯道研究の要務なるを感じ、茲に学生の身なるをも顧みず敢へて一言を贅して余白をけがしゝにこそ。
(明治四〇、七、二七、 このみち第三五号)
天神地祇を崇敬するは、皇国建始以来の国風にして、上は天津日嗣天皇より下庶民に至るまで、之を苟且に附したる事なく.国家安穏にして淳厚の俗を為し、天下は実に平安であつた。故に上下の国民の行動たるや、凡てを神祇に依托し、亳も私心を交ヘず、百般のこと皆神意を奉じて処理し決行したものであつた。
神武天皇の長髄彦以下の諸賊を征服し給ひし時にも、先づ天神地祇を礼祭し、その神意に従つて行動し給うた。又崇神天皇の天業を経綸遊ばし、景行天皇の筑紫の土蜘蛛を征討し、神功皇后の三韓を言向け給ひしも、ことごとく神意を奉じて行ひ給うた。
天孫降臨以後、崇神天皇の御代までは、神と皇との際遠からす、常に同殿同床にまし/\けるが、天皇は天下の形勢を洞察し給ひし結果、和光同塵の神策を採り給ひ、天照大神及び草薙の劒を大和の笠縫邑に遷して斎き祀らしめ、外国の文物を輸入して大いに国家の経綸を行ひ給ひ、垂仁天皇の御代更に伊勢の国宇治の五十鈴の川上に宮柱太敷立てゝ大神を斎き祀らしめ給うた。
次いで応神天皇の御代に至り、孔孟の教儒教なるもの初めて渡来したるによりて、淳朴の良風は次第に移りて、浮華の俗に浸潤し、国民思想上に稍変化を来たすことになつた。けれども、大和魂の本元は微動だもなく、忠孝仁義の大道は昭々乎として日月と共に光りを放ちつゝあつた。それより欽明天皇の御宇に至り、仏教始めて渡来し、その説くところ前の儒教に比して大いに趣を異にし、因果応報の説をもつて我が国民の精神に驚異を与へたのである。
開闢のはじめの神祇を崇敬し神意のままに動きたる国
何事も神のまにまに働きて国開きたる大和神国
惟神神の教をよそにして我が日の本は治まらざるなり
御代御代の天皇は大神をいつきまつりて世を治めましき
応神天皇の御代より儒教渡り来て国民思想動き初めたり
孔孟の教をうまく咀嚼して政治のたすけと為せし我が国
欽明天皇の御代に到りて仏の教渡来せしより風俗変はれり
淳朴の美風はことごと地をはらひ浮華軽佻の俗に変ぜり
天地の神の恵みに地の上の国のことごと生れしを知らす
釈迦孔子ヤソの教の渡り来て誠の道を失ひにけり剛
切萬事行き詰りたる世を生かす道は神祇を祀るにありけり
仏教の渡来に就いては、国人の未だ曾て耳にせざりしところなるを以て、その奇異にして仏像の華美なるに眩惑され、これを信奉するもの多く、物部の守屋と蘇我氏の正面衝突となり、途には崇仏派勝を制し、殊に当時上下の尊敬最も厚かりし厩戸皇太子の如きも、ひたすらに仏教を政策上より尊信採用されたるにより、仏を尊奉するものます/\多くなつたのである。
然しながら舒明天皇の御代に至りて、唐の使節に御酒を賜ひて神の威徳を示したまひ、次いで孝徳天皇の御代には、先づ神紙を鎮祭して後に政事を議し、もつて内外国人をして神祇の当に崇敬すべきを知らしめ給ひしごときは、何れも敬神を以て主とせられたる証拠である。次ぎに文武天皇の御代には、律令を撰定し給ふや、大いに唐制を模倣されたりといへども、獪神祇官をもつて百官の上に置かせ給うた次第である。
斯くして歳月を経るにしたがひ、仏教を信奉するもの多くなりしが、神紙を崇敬することは建国以来の風習にして牢として抜くべくもあらず、彼等仏教者の布教は意の如くならざるを憂ひ、茲に神仏の調和を計画するものさへ出で来り、元正天皇の御代には、既に気比の大神のために神宮寺を造りしものさへあつた。それより空海、最澄の僧輩出でゝ本地垂迹の説世に普伝さるるに至り、神社の祈祷にも僧侶をして読経せしめたり、神職の外に別に又社僧なるものを置いて奉仕せしめ、遂には仏神の文字を国史上に見るに至り、冠履顛倒を来たすことになってしまったのは、我が皇道の上から見て遺憾至極である。
仏教の渡来は我が国上下の人の心を迷はせにけり
仏教の奇異なゐ説や金ピカの仏に国民酔はされにけり
やうやくに仏を信する人ふえて物部蘇我氏の衝突となれり
物部の守屋は神の道奉じ蘇我氏は仏に盲従なしたり
神仏の正面衝突勃発し物部蘇我はにらみ合ひけり
仏教派の勝利となりて惟神神のをしへはおとろへにけり
さりながら大和魂なほうせず仏をこばむ者も多かり
仏教の宣伝容易ならざるをさとりて神仏調和をこころむ
僧の空海最澄等により神仏の混淆まつり始まりにけり
仏教は日本の祖先崇拝の教をのこらす我がものとせり
空海は本地垂迹説を唱ヘ神を仏の権現といふ
神社には神職の外に社僧ありて祈祷に経読み珠数をつまぐる
仏教の渡来せしより益良夫の睾丸のこらす割去されたり
勇壮なる大和男子も仏のため骨なし蛸となり終りたり
因果応報等の愚説を唱へつゝ淳朴の民の心乱せり
三千年の昔の風俗にねじ直す道は神紙を敬ふにあり
動きやすき国民なれどしんそこの大和心はうつらざりけり
日の本を仏教国に化せんとし世世僧侶の計画とげずも
(昭和八、九号神の国)
皇国の道(二)
玉鉾の道は多しと雖も、萬古に亘り干載を経て変易磨滅すべからざるものは実に斯道なり。畏くも我が 皇祖天神は斯道を以て国を肇め徳を樹つるの基礎となし給ひ、之を天孫列聖に授け賜ヘり。されば、彼の延喜格の序にも『我朝家道出二混沌一』と記せるが如く、其の源泉は遠く萬世一系の天津日継と共に、同じく高天原より此葦原の中津国に傅はり、久遠の間未だ嘗て一日も地に墜ちたることなく、天日と共に弥益々に其光輝を角しつゝあるなり。
此の如く斯道は天授の真理にして、至粋至美至真至善至正の極たり。故に鬼神も之に依りて立ち、人民も亦之に依りて活き、萬物も亦よりて安息するを得るなり。畏くも、 明治天皇の下し給ひし教育勅語に『斯ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶ニ遵守スベキ所、之ヲ古今ニ通ジテ謬ラズ、之ヲ中外ニ施シテ悖ラズ、朕爾臣民ト共ニ、眷々服膺シテ、咸其徳ヲ一ニセム事ヲ庶幾フ』と詔らせ給ひしも、実に斯道が字宙の真理、天地の大道なるを表白せさせ給ひしものと仰ぎ奉らるゝなり。
此を以て、彼の儒仏道若くは天主囘々耶蘇等の如き、大疵小醇真偽相半するが如き薄弱なる教理とは、実に霄壌の差と云はざるを得ず。見よ、至聖と称せらるゝキリストの本国獪太の滅亡して露の苛政の下に呻吟せるを、大聖と仰がるゝ釈迦の本国印度の仏教の感化によりて滅亡し、独立の体面を失ひて英の配下に涙を呑みつゝあるを、先聖と称せらるゝ孔子の生国支那の未開半亡国同様にして、国勢の振はざるを。そもこれらは皆何に因由する乎。則ち其の教理に欠点ありて、天理人道に適合せず、説く所根元なく、薄弱信を措くに足らず、以て治国平天下の道に稗益する所なき而巳か、却つて害毒を流布したる結果にあらずして何ぞ、然らば斯る教理を以て、治国の本、修身の要と思ひ、心酔せる外教崇拝者こそ、実に国家のために獅子心中の虫と日はざるを得ざるなれ。此に於てか、此の虫を退治し、以て国家のために臣民たる義務の萬分の一を尽さむの真情より、益々斯道研究の要務なるを感じ、茲に学生の身なるをも顧みず敢へて一言を贅して余白をけがしゝにこそ。
(明治四〇、七、二七、 このみち第三五号)
緒論
スの意義
皇はスベルともスメとも訓む。故に、主、師、親の三徳を具備し、地球上を知食す大君を皇御門と申し、御孫を皇御孫命と申し、日本神国は世界を統治すべき、天賦の使命を有する国なるが故に、皇御国と称ヘまつるのである。皇御国に生を享け、皇御国の大君に仕へ、皇御国の粟を食みつゝ、結構に生活さして戴いて居る皇大君の赤子たる臣民が、皇御国の道を説き拡め、皇大神と皇大君との御仁徳を、天下に宣伝するのが何が悪いのでありませうか。子が親の大慈を崇め、兄弟に親の有難きこと、尊きことを説き聞かすのに、何処に差支ヘる所があるであらうか。吾々は何処迄も皇御国の人民にして、皇大神と皇大君とを主、師、親として仰ぎ奉らねば日本臣民の義務を全うする事が出来ないと思ふのである。猶進んで皇の言霊に就いて大略を叙して見よう。古事記の初に、独神成坐而隠身也とあるは、無色透明にして、至粋、至純、至聖、至美、至真、至善に坐しまし、無声無形の主神なる事を、表示されたものであります。言霊学の上から、霊返しの法に由つて調べて見ると、知るの返はスである。又知らす、知食す、澄む、澄ます、住む、好く、進む、縄る、助ける、覚る、醒す、栄ゆる、支ふ、誘ふ、直ぐ等の霊返しは皆スと成るのである。次にスは言霊学上より鳥の霊である。主、寿、統一は皆スの活用であります。
又言霊学上より、スの活用を示せば、中に集まる言霊也、真中真心也、八極を統べ居る也、数の限り住む也、本末を一徹に貫く也、玉也、結び産む也、八腿に伸極むる也、限り無く無為也、出入息也、呼吸共に顕はるゝ声也、結柱也、安々の色也、自由自在也、素の儘也、至大天球の内外悉くを涌し保ちて極乎たり、無所不至也、無所不為也、霊魂球を滴す也、有の極也、声の精也、外を総ぶる義也等の言霊活用を有するのである。
猶諸種のス声の活用を略解すれば、
『知らす、知食す、知る』等の言霊は、万世一系の天津日嗣天皇が、天の下四方の国を安国と平けく統治遊ばすと云ふ事である。
『澄む、澄ます』の活用は、神と大君の洪大無辺なる一大威力によつて、混濁せる天地一切を清浄ならしめ、至真至美至善の国土を造り玉ひし言霊である。
『住む』の活用は万民悉く神君の大慈の下に養はれ、至誠至直にして神を敬ひ皇室を尊び国家の恩に報い奉り、私心私欲の念なし、霊体共に水晶の如く透明潔白に社会に生存し、人生の本務を各自が全うするの意である。現代人の如く私利私欲の外敬神尊皇愛国の念慮薄くして修羅の巷にさまよふ如きは「住むに非ずして濁り居るのである」、要するに霊主体従の生活者は所謂住むと云ふ資格を有すれども、体主霊従の生活を為すものは濁り居ると称すべきものであります。
『好く』と云ふ言霊は、万国の民争うて日本皇国に生出せむ事を好む事である。東方の君子国、日出る国、豊葦原瑞穂中津国、磯輪垣の秀妻国、姫子国、世界の公園、天国浄土、大倭日高見国、心安国、豊秋津根別国、言霊の幸ふ国、言霊の生ける国、言霊の清き国、言霊の助くる国、言霊の天照る国、惟神言挙せぬ国、万世一系の君主国等種々讃嘆の声を放ちて、皇国の神境を随喜渇仰する、至尊至貴の宝国である。地球上の人類として、誰一人我神国を嫌ふものなき皇、主、好の国であるてふ言霊であります。
『進む』皇国の大道は進歩発展主義である。朝日の豊栄昇りに笑み栄ゆる神国である。楽天主義、清潔主義、統一主義と共に無限に発展し、宇宙一切を天国の神政に進める所の、天職を惟神に具備せる神皇の国土である故に、皇国に生れ出でたる人民は、夢にも悲観的の精神をもつてはならぬのである。
『縋る』世界万国の民、塗炭の苦を免れんとして、東方の君主国たる日本皇国に君臨し玉ふ天津日嗣天皇の大慈徳に、乳児の母乳に縋るが如く、慕ひ来るといふ言霊である。我皇国の天皇は、世界に於ける主師親の三大神徳を具有し玉ふが故に、日本国民たる者は、天皇の大御心を心とし、世界万民の師範となり、救ひ主となり、親切に導き、以て世界平和の一大保証に立たねばならぬ天賦の職責を有つて居るのであります。す。
『助ける』皇国の大道は万物一切を至善の教に導き助けて、各自其使命を全からしむるを以て主旨とするのである。弱きもの、貧しきもの、幼きもの、愚なるもの、凡て足らざるを補ひ助けて、神と大君の大御心を安じ奉る可き責任ある皇国の臣民である。茲に於て始めて、スベラ御国の臣民たる資格が備はるのであります。
『覚る』とは天地未剖陰陽未分の太古より、千億万年の後の事柄までも、鏡にかけたる如く能く正覚する神智神感力を云ふ。皇道大本が古事記を真解し、大本教祖の神諭を研究する事は古今を通じて謬らず、中外に施して悖らざる、一大真理を覚悟し、以て我皇国並に皇室の尊厳無比にして、天下を統御し玉ふ天津日嗣天皇の惟神の御天職の、如何なるものなるかを覚ることを得べし。故に皇道は天地の迷雲を払ひ、神如の日月を万民の心天に照す所の神鏡であります。
『醒す』体主霊従的人類天下に充満して、天理人道を弁へず、野獣毒蛇に等しき暗黒世界を神の大道と大君の大勅とに由つて、神人合一、霊肉一致、鎮魂帰神の権威に由り、眠れる霊界物質界の眼を醒ます可き真教、皇道大本を措いて他に何物もないのであります。
『栄ゆる』山青く水清き蓬莱島なる日本神国は、皇大神の殊更厚き御仁恵に依つて、国運日に月に栄え、竹の園生は万世に弥栄えまし、国民は天の益人と申して、人口益々稠密の度を日に月に加へ来る、実に目出度き神国であります。斯る結構な神国に生れ出たる臣民は、一日も片時も神と君との大恩を忘れ、不敬不忠の行動を夢にもすることは出来ませぬ。万々一誤つて斯る不心得の事を行つたならば、神罰立どころに到り、栄ゆベき吾人の名位寿富は忽ちにして消え失せ、身魂共に亡ぼさるゝに到るのである、ア丶厳正なる哉、皇道の権威。
『支ふる』政治、宗教、教育、実業、経済、哲学、思想界の行詰りを現出し、社会は将に転倒せむとする時に当りて、克く之を支持するものは、皇道大本の教である。不言実行の大本の教である。斯の如き闇黒社会は、皇道の大義普く天下に宣伝さるゝに至つて、始めて完全に支持し改良する事の可能なるは、古事記並に大本神諭の示す所であります。
『誘ふ』宇宙万有一切に真の生命を与へ、安心立命せしむる所の権威ある皇道は、独り占有すべきもので無く、之を普く天下に誘導すべきものである。如何に暗黒界に浮沈せし人民と雖も、皇道の一大光明を認むる時は、先を争うて集り来り、神徳皇恩に浴するは、即ち惟神皇道の実体であります。
『直ぐ』直ぐなるは万有統一の本義である。大工が墨縄を打つも、弓の矢の飛びて的に中るも、銃丸の的中するも、尺度を用ふるも、一切直ぐなるを要す。人の心も亦直ならざれば、何事も成功する事は出来ぬ。又一旦決心した事は少しも躊躇せず、直ぐに断行せざれば機を逸する虞がある。神諭に、神の教を聞いて、其場で直ぐ分りて直ぐに改心の出来る者は、素直な身魂の持主であると現はれて居ります。十日も二十日も二、三ケ月も、神諭を調べて解らぬ如うな人は、曲つた身魂であります。直霊の御魂の威力が弱い人であります。
『主寿統一』一天万乗の大君主が、天壌と共に無窮に神寿を保ち、万世一系に葦原瑞穂国(地球の別名)を統一して、安国と平けく安らけく、知食すが故に、皇道と云ふのである。皇道は天津誠の御教であつて、人民を愛撫し仁徳を施し、現人神と君臨し玉ふ、天津日嗣天皇の御天職であり、覇道は外国の帝王等の暴力を以て民に対し来つたもので、覇道には権道が伴ふのである。故に我皇国の皇道は、天地開闢の太初より、天津神の定め玉ひし、所謂天立君主であつて、天に代つて道義的に統治遊ばす、惟神の御天職がましますのであります。
神勅によりますれば、皇道の大意は、拙著善言美詞の祝詞及び感謝祈願の辞に明かなりとのことでありますから、之等を熟読されましたら、少しは判るであらうと思ひます。
日本言霊学により、更に皇声の略解を試みますれば、
『中に集まる言霊』とは、宇宙一切万事は凡て◎に集まると云ふことであります。地球の大中心なる(地質学上)日本国には、世界の文物自然に朝宗すると云ふ国徳が備はつて居ります。宗教にまれ、哲学にまれ、一切の思想問題にまれ、科学にまれ、自然的に集中するが故に、皇の国と謂ふのである。
『真中真心也、八極に統べ居る也』の活用は、日本国水土自然の皇国の天賦的天職を示すものである。
『数の限り住む也』とは、神皇の洪慈大徳普く行渡れる瑞穂中津国は、宇宙の所在生物、人獣鳥魚虫介一切其所を得て安住し、且つ天の益人の数は日に月に増加し、深山の奥の奥までも煙の立たぬ所なきまで、生民の安住して、神恩霊徳に浴する天国浄土である。故に之を皇国と申すのであります。す。
『本末を一徹に貫く也』君は万古不易の君たり、臣民は万古の臣民たり、君臣の大義名分明かにして、本末内外を過たず、君は民を視玉ふ事慈母の赤子に於けるが如く、民は君を敬ひ慕ふ事父母の如く、終始一貫万世一系真善美の国体を保てる我皇国は、天来の皇道炳乎として千秋に輝き玉ふ所以であります。
『玉也』五百津御統現の玉は、天津日嗣の玉体也、八面玲瓏一点の瑾なき八尺の真賀玉こそは、統治権の主体にして、皇道の大極であります。
『結び産む也』天地交感して万物発生し、夫婦相結びて子女を産む、是れ高皇産霊神、神皇産霊神の妙用にして、皇道の因つて来る所以であります。
『八咫に伸び極る也』八方十方に明かに、神と皇上との大徳自然に伸長し、至仁至治の極徳を宇内に光被し玉ふ、是を皇道と申すのであります。す。
『限り無く無為也』不言の教無為の化、これ皇道の真髄である。古書にも惟神言挙げせぬ国とある如く、不言実行を以て、天下を統御し玉ふ御国体であつて、下国民は天津神の御子孫なる歴代の天津日嗣天皇を奉戴し、克く忠に克く孝に、夫婦相和し朋友相信じ、兄弟に友に億兆一心、上下一致、以て皇祖皇宗の御遺訓に奉答すべきは、皇国臣民の義務にして皇道の大精神である。此大精神を無限に世界各国に対して、実行の範を示すのが、皇道の本義であります。
『出入息也、呼吸共に顕ゝる声也』酸素を吸入し炭酸を吐出する活用にして呼吸共にスースーと声を発す。此のスの声の活用こそ万物を生育し生命を与ふる神気にして、天地造化の一大機関である。天帝呼吸し太陽また呼吸し、太陰、大地、人類、万物一切呼吸せざるもの無く、斯の呼吸のスの声の活動によりて、神人立命するのである。是を皇道の大本と申すのであります。す。
『結柱也』ウクスツヌフムユルウを言霊学の上より結びの段と云ふ。其中にて最も統一する所の言霊はスの声である。即ち結び柱であり、七十五声の中に於て最も権威ある言霊である。現今七十五箇国を言向和す、絶対的権威はスの声の活用、皇道の発揮に依らねば成らぬのであります。
『安々の色也』小児の寝て居る姿を見ると、実に安らかにスースーと息をして何んとも言へぬ姿である。天下万民悉く皇道発揚して、天下統一し、地上に天立君主が君臨し玉ふ時は、小児の安々と眠りたる時の如く、世界万民枕を高うして安息する事が出来、天国浄土の成就する時が来るのである。是が即ち皇道の大精神である。皇国天皇の世界統御は」道義的御統一であつて、外国の如く侵略でも無く、併呑でも無く、植民政策でも無く、各自の国の天賦的使命を全うして、神恩君徳に悦服するやうになるのであります。
『自由自在也』天地は神の自由自在である。故に神の御子たる人類は、天地の大道に遵つて総ての経綸を為すも自由自在にして一片の障害も湧起せぬ筈である。然るに万事意の如く成らずと称して、天地神明を恨むものは、神に依りての精神統一言行一致が出来て居らぬからである。皇道の本義にさへ叶へば、天下何物と難も意の如く自由訂在ならざるは無しであります。
『素の儘也』天地自然の儘素地の儘にして、少しの粉飾も無く外皮も無く、惟神の大道に従つて赤裸々なるを素と云ふのである。例へば皇道にては神社を造営するにも白木の素地の儘を用ひ、祭具一切は木地の儘であるに引替へ、仏教の如きは、金銀其他の色を塗りて、仏堂、霊像、仏具を造るが如し。皇道は素の儘なるを尊ぶ、之を素の儘といふのである。何事も包み隠さず、有の儘赤裸々にして、純正純直なる言行を励む。是が皇道の本義であります。
其他皇道の大本スの活用たるや、至大天球の内外悉くを滴し保ち極乎として神聖不可犯の神権を具へ、無[#レ]所[#レ]不[#レ]至、無[#レ]所[#レ]不[#レ]為、一切の霊魂球を涵し、有の極也。声の精也。地球外面を統べ治め、宇宙万有を生成化育せしむるの言霊にして、皇道の大本元は◎より始まりて◎に納まる絶対無限の神力であります。
皇道はもと天地自然の大法であつて、大虚霊明なるが故に無名無為である。実にスミキリである。故に天津日嗣天皇の皇室を中心として、団結せる大和民族の当然遵守すべき公道であつて、天地惟神の大経なるが故に、彼の宗教々法の如く、人為的の教ではなく、皇祖天照大神の神勅に源を発し、歴代の聖皇之を継承し玉ひて、天武天皇の詔らせ玉ヘる如く、斯乃邦家之経緯、王化之鴻基焉である。之を一国に施せば一国安く、之を万国に施せば万国安く、一家之に依つて隆ヘ、一身之に依つて正を保つの大経である。
上御一人としては、万世一系天壌無窮の宝祚を継承し、皇祖皇宗を崇敬し、大日本国に君臨して、世界を統治し以て皇基を鞏め給ひ、下臣民の翼賛に依りて、国家の隆昌と其進運を扶持し玉ふ、而して祖宗の恵撫愛養し給ひし所の忠良なる臣民を親愛し、以て其福祉を増進し、其懿徳良能を発達せしめん事を期し玉ひ、臣民と倶に之を遵守し、拳々服膺して、其徳を一にせむことを庶幾はせ給ふ所の御道たることは明治天皇の大勅語に示させ玉ふ所であります。
下臣民としては、
皇祖天神地祇を崇敬し、皇室を尊び、祖先を鄭重に祭祀し、且つ祖先の遺風を顕彰し、克く忠に克く孝に義勇奉公の至誠を以て、天壌無窮の皇運を扶翼し奉り、国体の精華たる皇道を体して億兆其心を一にし、拳々服膺して、以て咸其徳を一にせむことを期し、必ず実践躬行すベき天地の大道であります。
大量は測る可からず、大度は尺すベからずとは、其容無く其窮まりなきを以て父ある。皇道は冲なり虚なり。玄々として、乾天の位の如く、淵乎として万物の宗たり。虚中に霊気ありて自然の妙用を具ふ。虚なるが故に能く他を容れ、能く他を化するのである。名はなけれど世と倶に進み、容無けれど時と倶に移りて万教を同化し万法を摂養す。虚中の虚、霊中の霊、神妙不可測の聖道である、亦皇道は、神州の精気であつて、日本民族の血液である。皇国上代の凡ては自ら純朴高雅にして、丞々たる皇民は、敬神尊皇報国の念深く、其の人為や天真爛漫にして、其行動自然の法規に適ひ、諸外国の未開野蛮極まる風習と、相距る事雲泥の相違である。是れ全く神代以降列聖の皇道を遵奉して、国民の教養に神慮を煩はせ玉ひし、御余光に外ならないのであります。
本田親徳、副島種臣両氏が道に就ての問答あり。今参考のため左に抄録す。
問者は副島伯にして、答者は本田翁なり。
問 天地人道を同うする乎。
答 道を同うして天道と日ひ、地道と日ひ、人道と日ふものは、各自形体の大小軽重あるのみ、故に命名同じからざるなり。
問 道は四魂を以て、之を制し得べき乎。
答 道なるものは、勇動かす能はず、智測る能はず、愛奪ふ能はず、親掠むる能はず。
問 何をか大道と謂ふ乎。
答 四魂合同し、而して之を統ぶるを大道と日ふ。
問 人間の交際、一魂を以て之に対する乎、四魂を以て之に対する乎。
答 君に対するに臣道を以てし、父に対するに子道を以てす。其の他準じて知るべし。四魂の如きは、時と地と位とにより、機に望み変に応じ、一談話を発するの間、一音一句の際、又互に没して究極すべからず。故に道と日ふなり。退いて反省し、宜しく此の一語は愛、彼の一語は親、此の一語は智、彼の一語は勇なるを察すべし。而して後、其の中道と不中道と、弁明し得べし。是を反省の道と謂ふなり。
問 何を以て道を証する乎。
答 凡そ道を証するは、過去、現在、未来互に相証するを要す。道を証するには、道を以て道を証するなり。
問 道とは何ぞ。
答 道なるものは、単一無雑なり。
○
又ヨハネ伝に曰く、
太初に道あり、道は神なり、神は道と共にありき。万物之に由つて造らる、造られたるもの之に由らざるはなし。云々
ミチとは洪大無辺の神徳、宇宙に充ち満つるを謂ふのである。宇宙に充満せる七十五声の言霊即ち道であります。
私は是より進んで、ミチの言霊に就て略述を試みようと思ひます。
ミの言霊活用は潤水也、眼也、回也、大也、広也、円也、多也、女也、男也(水火伝)
形体具足成就也、其性其儘也、体也、身也、肉也、心と等しく成り在る也、御也、満也、三也、真也、物整ひ極る也、道の筒也、玉に成る也、実也、太陰也、其位を顕はし定むる也、押し引き定まる也、産霊の形を顕す也、屈伸自在也、◎を明かに見る也、天の田也、若返る也、延び極まる也、道の宿也、心の形を示す義也等の言霊活用があるのである(大日本言霊学)
チの言霊活用は、胎内の火也、地中の火也、草也、劔也、風也、父の霊也、息の本也、五穀也、鳥の霊也、隔て限る也、年月日時の霊也(水火伝)
内に強く満足の言霊也、心の及ぶ限り也、真に勢有る也、天球中の物事無不与也、父の徳也、無不保也、溢れ究る也、正しく周旋循環也、大造化の血也、並び備はる也、塩也、八百重の八百会也、子孫は悉く我血也、親の位を保ち居る也、親其儘也、体中の事無不与也、能く造化に伴ふ也、数の腺を保つ也、満涸有る也、乳也、外に散り乱るゝ義也、老れば縮み究むる也、千々也。(大日本言霊学)
言霊の一節々々に就ては、活用的説明は、言霊学研究に譲り、今は、国民の教養に由りて皇道の大道を示さむと思ふのであります。
御製
君と臣の道明けき日の本の
国はうごかじよろづ代までも
君には君たるの大道あり、臣には臣たるの大道がある。君道も臣道も相侯つて寸毫も離れざるは皇道の皇道たる所以である。天壌無窮の皇道、国運万世不動不易なる所以は、皇道の権威であります。惶くも我歴代の聖皇は、此の大道を実践躬行遊ばされて、上は祖宗の神霊を敬祭し、下は人民を愛撫し給ふに由りて、国民は常に其の大慈徳に悦服し、大君に精忠を捧ぐる所以である。故に皇道大本の吾々が、朝な夕な斯道を宣明し自修他奨、以て同胞を覚醒せしむるは国民の本分にして聖旨に奉答する所以である。
御製
今の世に思ひくらべていそのかみ
ふりにし書をよむぞたのしき
進みたる世に生れたるうなひにも
むかしのことをまづ教へなむ
世には学ぶべき道、修むべき学、習ふぺきの教固より甚だ多く、国として行ふべき事、民として務むべき業固より尠くはない。然るに現代の世態としては、至貴至尊なる皇道を天下に宣明し、且つ奉行するより急務なるはない。皇道は実に万学の基礎万教の本源である。国家之に依つて益々隆盛に進み、国民之に依つて教養すベきものであります。政治にまれ、教育にまれ、宗教にまれ、哲学にまれ、経済にまれ、全然行詰つた今日の時代に於て、何を以て之を救済する事が出来るでありませう乎。政治家益々多くして天下混乱し、教育弥々隆にして不徳の臣民多く発生し、宗教弥々発達して迷信の暗雲天下を蔽ひ、法律の発布弥々多くして罪人倍々多く、哲学益々盛にして懐疑の雲いよ/\深く、経済学盛んに唱道せられて財界の不安日に月に加はり、医術衛生の学益々盛にして難病いよ/\多きは、現代各国の惨状ではありませんか。 畏くも明治天皇の御製に、
よろづ民すくはむ道も近きより
おして遠きに行くよしもがな
伝へ来て国の宝となりにけり
ひじりの御代のみことのりぶみ
一家には家人の守るべき道があると同時に、国家には国家の教があり、国民には国民の守るべき道がある。況や皇国には、天地開闢の太初より皇祖皇宗の御遺訓なる皇道が厳立せられてあります。歴代の聖皇之を遵守し玉ひ、吾人の祖先亦謹んで之を奉行して来たのである。故に明治天皇は教育の大勅語を宣布し給ひ、『爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、威其徳ヲ一ニセムコトヲ庶幾フ』と詔らせ給うたのであります。
教祖の御神諭に、『此大本は、世界の事の鏡の如くに写る大本であるから、遠国を見ないでも心を落着けて、大本の中の日々の出来事を調べて居りたら、世界の事が一目に見える、尊い地の高天原であるぞよ』と現はされてあります。今日大本が天下の新聞雑誌により、将又人の口によりて、無暗矢鱈に攻撃され妨害されるのも、皆神界よりの実地の御教示であつて、日本の移民が世界の到る所で排斥されたり、各国轡を並べて排日の声を高め、且其運動に熱中して居る実情が、鏡の大本ヘうつりつゝあるのであります。神は未来を達観し、聖人は将に来らんとする世の変動を前知し、凡人は現在の出来事を見ると申しますから、幽玄微妙なる神界の御経綸が、凡人に真解さるべき筈がありませんから、大本が天下の凡人から誤解されるのは、寧ろ当然の結果であります。丁度世界を至治泰平に救ひ助けて、天国浄土を招来せしむる天職を、天賦的に具有し実行せんとしつゝある日本国を、各国民が誤解して、盛んに排日などを行つて居るが、彼等は近き将来に於て日本国の至誠と神力と皇徳とに随喜の涙を流して、日本国を心の底より讃仰するやうになるのを知らないと同じことであります。
教祖の神諭にも『此大本は一旦世界から悪く言はれるなれど、何も心配は致して下さるなよ。皆神の仕組であるから先になりたら何とした結構な御道であつたぢやらう、何とした有難い神様であつたぢやらうと申して、上に立つて居る番頭から下の人民が、我も私もと申して、綾部に詰めかけて、助けて下されと申して、日本は申すに及ばず、世界中から出て参るぞよ』と御示しになつてあるのである。深遠なる大神の御経綸は、人心小智の到底窺知し得べからざるものであると云ふ事を、考へねばならぬのであります。
皇道大本の刊行書籍は浅薄極まるとか、愚劣野蛮の文章だとか、怪乱狂暴採るに足らざる教理だとか、葦原将軍と同一の精神状態を有する迷信家の団体だとか、淫祠邪教だとか、妖教だとか、怪教だとか、所在罵詈讒謗を逞しうして居る学者とか蚊学士とか云ふ御連中が、所々に散在して居ますが、皇道大本の深遠なる教義を、僅か二十分や三十分大本へ来て、実地研究をして来たとか言つて、堂々と攻撃の矢を放つ軽薄者流の多いのには呆れて仕舞ふ。古諺にも書は言を尽す能はず、言は意を尽す能はず、意亦神秘を覚る事難し。僅かに竜尾の片鱗を見て大本の研究を遂げたりと思ふ学者の御目出度さ、実に御気の毒の感じがするのである。
皇道大本は神勅の稜威に由りて、天下の大勢を感知し、天下の驚きに先だちて驚き、天下の憂ひに先だちて憂ひ、天下の修理固成に先だちて修理固成の神業を奉仕して居る神聖なる地の高天原である。上農は草を見ずして耕し、中農は草を見て耕し、下農は草を見ても耕さずと云ふ事がある。下農にも等しき怠惰愚昧の人間の、如何でか上農者たる大本の精神が判りませうか。実に凡俗の多い現代程困つたものはないのであります。
大正9年8月1日 皇道大意
スの意義
皇はスベルともスメとも訓む。故に、主、師、親の三徳を具備し、地球上を知食す大君を皇御門と申し、御孫を皇御孫命と申し、日本神国は世界を統治すべき、天賦の使命を有する国なるが故に、皇御国と称ヘまつるのである。皇御国に生を享け、皇御国の大君に仕へ、皇御国の粟を食みつゝ、結構に生活さして戴いて居る皇大君の赤子たる臣民が、皇御国の道を説き拡め、皇大神と皇大君との御仁徳を、天下に宣伝するのが何が悪いのでありませうか。子が親の大慈を崇め、兄弟に親の有難きこと、尊きことを説き聞かすのに、何処に差支ヘる所があるであらうか。吾々は何処迄も皇御国の人民にして、皇大神と皇大君とを主、師、親として仰ぎ奉らねば日本臣民の義務を全うする事が出来ないと思ふのである。猶進んで皇の言霊に就いて大略を叙して見よう。古事記の初に、独神成坐而隠身也とあるは、無色透明にして、至粋、至純、至聖、至美、至真、至善に坐しまし、無声無形の主神なる事を、表示されたものであります。言霊学の上から、霊返しの法に由つて調べて見ると、知るの返はスである。又知らす、知食す、澄む、澄ます、住む、好く、進む、縄る、助ける、覚る、醒す、栄ゆる、支ふ、誘ふ、直ぐ等の霊返しは皆スと成るのである。次にスは言霊学上より鳥の霊である。主、寿、統一は皆スの活用であります。
又言霊学上より、スの活用を示せば、中に集まる言霊也、真中真心也、八極を統べ居る也、数の限り住む也、本末を一徹に貫く也、玉也、結び産む也、八腿に伸極むる也、限り無く無為也、出入息也、呼吸共に顕はるゝ声也、結柱也、安々の色也、自由自在也、素の儘也、至大天球の内外悉くを涌し保ちて極乎たり、無所不至也、無所不為也、霊魂球を滴す也、有の極也、声の精也、外を総ぶる義也等の言霊活用を有するのである。
猶諸種のス声の活用を略解すれば、
『知らす、知食す、知る』等の言霊は、万世一系の天津日嗣天皇が、天の下四方の国を安国と平けく統治遊ばすと云ふ事である。
『澄む、澄ます』の活用は、神と大君の洪大無辺なる一大威力によつて、混濁せる天地一切を清浄ならしめ、至真至美至善の国土を造り玉ひし言霊である。
『住む』の活用は万民悉く神君の大慈の下に養はれ、至誠至直にして神を敬ひ皇室を尊び国家の恩に報い奉り、私心私欲の念なし、霊体共に水晶の如く透明潔白に社会に生存し、人生の本務を各自が全うするの意である。現代人の如く私利私欲の外敬神尊皇愛国の念慮薄くして修羅の巷にさまよふ如きは「住むに非ずして濁り居るのである」、要するに霊主体従の生活者は所謂住むと云ふ資格を有すれども、体主霊従の生活を為すものは濁り居ると称すべきものであります。
『好く』と云ふ言霊は、万国の民争うて日本皇国に生出せむ事を好む事である。東方の君子国、日出る国、豊葦原瑞穂中津国、磯輪垣の秀妻国、姫子国、世界の公園、天国浄土、大倭日高見国、心安国、豊秋津根別国、言霊の幸ふ国、言霊の生ける国、言霊の清き国、言霊の助くる国、言霊の天照る国、惟神言挙せぬ国、万世一系の君主国等種々讃嘆の声を放ちて、皇国の神境を随喜渇仰する、至尊至貴の宝国である。地球上の人類として、誰一人我神国を嫌ふものなき皇、主、好の国であるてふ言霊であります。
『進む』皇国の大道は進歩発展主義である。朝日の豊栄昇りに笑み栄ゆる神国である。楽天主義、清潔主義、統一主義と共に無限に発展し、宇宙一切を天国の神政に進める所の、天職を惟神に具備せる神皇の国土である故に、皇国に生れ出でたる人民は、夢にも悲観的の精神をもつてはならぬのである。
『縋る』世界万国の民、塗炭の苦を免れんとして、東方の君主国たる日本皇国に君臨し玉ふ天津日嗣天皇の大慈徳に、乳児の母乳に縋るが如く、慕ひ来るといふ言霊である。我皇国の天皇は、世界に於ける主師親の三大神徳を具有し玉ふが故に、日本国民たる者は、天皇の大御心を心とし、世界万民の師範となり、救ひ主となり、親切に導き、以て世界平和の一大保証に立たねばならぬ天賦の職責を有つて居るのであります。す。
『助ける』皇国の大道は万物一切を至善の教に導き助けて、各自其使命を全からしむるを以て主旨とするのである。弱きもの、貧しきもの、幼きもの、愚なるもの、凡て足らざるを補ひ助けて、神と大君の大御心を安じ奉る可き責任ある皇国の臣民である。茲に於て始めて、スベラ御国の臣民たる資格が備はるのであります。
『覚る』とは天地未剖陰陽未分の太古より、千億万年の後の事柄までも、鏡にかけたる如く能く正覚する神智神感力を云ふ。皇道大本が古事記を真解し、大本教祖の神諭を研究する事は古今を通じて謬らず、中外に施して悖らざる、一大真理を覚悟し、以て我皇国並に皇室の尊厳無比にして、天下を統御し玉ふ天津日嗣天皇の惟神の御天職の、如何なるものなるかを覚ることを得べし。故に皇道は天地の迷雲を払ひ、神如の日月を万民の心天に照す所の神鏡であります。
『醒す』体主霊従的人類天下に充満して、天理人道を弁へず、野獣毒蛇に等しき暗黒世界を神の大道と大君の大勅とに由つて、神人合一、霊肉一致、鎮魂帰神の権威に由り、眠れる霊界物質界の眼を醒ます可き真教、皇道大本を措いて他に何物もないのであります。
『栄ゆる』山青く水清き蓬莱島なる日本神国は、皇大神の殊更厚き御仁恵に依つて、国運日に月に栄え、竹の園生は万世に弥栄えまし、国民は天の益人と申して、人口益々稠密の度を日に月に加へ来る、実に目出度き神国であります。斯る結構な神国に生れ出たる臣民は、一日も片時も神と君との大恩を忘れ、不敬不忠の行動を夢にもすることは出来ませぬ。万々一誤つて斯る不心得の事を行つたならば、神罰立どころに到り、栄ゆベき吾人の名位寿富は忽ちにして消え失せ、身魂共に亡ぼさるゝに到るのである、ア丶厳正なる哉、皇道の権威。
『支ふる』政治、宗教、教育、実業、経済、哲学、思想界の行詰りを現出し、社会は将に転倒せむとする時に当りて、克く之を支持するものは、皇道大本の教である。不言実行の大本の教である。斯の如き闇黒社会は、皇道の大義普く天下に宣伝さるゝに至つて、始めて完全に支持し改良する事の可能なるは、古事記並に大本神諭の示す所であります。
『誘ふ』宇宙万有一切に真の生命を与へ、安心立命せしむる所の権威ある皇道は、独り占有すべきもので無く、之を普く天下に誘導すべきものである。如何に暗黒界に浮沈せし人民と雖も、皇道の一大光明を認むる時は、先を争うて集り来り、神徳皇恩に浴するは、即ち惟神皇道の実体であります。
『直ぐ』直ぐなるは万有統一の本義である。大工が墨縄を打つも、弓の矢の飛びて的に中るも、銃丸の的中するも、尺度を用ふるも、一切直ぐなるを要す。人の心も亦直ならざれば、何事も成功する事は出来ぬ。又一旦決心した事は少しも躊躇せず、直ぐに断行せざれば機を逸する虞がある。神諭に、神の教を聞いて、其場で直ぐ分りて直ぐに改心の出来る者は、素直な身魂の持主であると現はれて居ります。十日も二十日も二、三ケ月も、神諭を調べて解らぬ如うな人は、曲つた身魂であります。直霊の御魂の威力が弱い人であります。
『主寿統一』一天万乗の大君主が、天壌と共に無窮に神寿を保ち、万世一系に葦原瑞穂国(地球の別名)を統一して、安国と平けく安らけく、知食すが故に、皇道と云ふのである。皇道は天津誠の御教であつて、人民を愛撫し仁徳を施し、現人神と君臨し玉ふ、天津日嗣天皇の御天職であり、覇道は外国の帝王等の暴力を以て民に対し来つたもので、覇道には権道が伴ふのである。故に我皇国の皇道は、天地開闢の太初より、天津神の定め玉ひし、所謂天立君主であつて、天に代つて道義的に統治遊ばす、惟神の御天職がましますのであります。
神勅によりますれば、皇道の大意は、拙著善言美詞の祝詞及び感謝祈願の辞に明かなりとのことでありますから、之等を熟読されましたら、少しは判るであらうと思ひます。
日本言霊学により、更に皇声の略解を試みますれば、
『中に集まる言霊』とは、宇宙一切万事は凡て◎に集まると云ふことであります。地球の大中心なる(地質学上)日本国には、世界の文物自然に朝宗すると云ふ国徳が備はつて居ります。宗教にまれ、哲学にまれ、一切の思想問題にまれ、科学にまれ、自然的に集中するが故に、皇の国と謂ふのである。
『真中真心也、八極に統べ居る也』の活用は、日本国水土自然の皇国の天賦的天職を示すものである。
『数の限り住む也』とは、神皇の洪慈大徳普く行渡れる瑞穂中津国は、宇宙の所在生物、人獣鳥魚虫介一切其所を得て安住し、且つ天の益人の数は日に月に増加し、深山の奥の奥までも煙の立たぬ所なきまで、生民の安住して、神恩霊徳に浴する天国浄土である。故に之を皇国と申すのであります。す。
『本末を一徹に貫く也』君は万古不易の君たり、臣民は万古の臣民たり、君臣の大義名分明かにして、本末内外を過たず、君は民を視玉ふ事慈母の赤子に於けるが如く、民は君を敬ひ慕ふ事父母の如く、終始一貫万世一系真善美の国体を保てる我皇国は、天来の皇道炳乎として千秋に輝き玉ふ所以であります。
『玉也』五百津御統現の玉は、天津日嗣の玉体也、八面玲瓏一点の瑾なき八尺の真賀玉こそは、統治権の主体にして、皇道の大極であります。
『結び産む也』天地交感して万物発生し、夫婦相結びて子女を産む、是れ高皇産霊神、神皇産霊神の妙用にして、皇道の因つて来る所以であります。
『八咫に伸び極る也』八方十方に明かに、神と皇上との大徳自然に伸長し、至仁至治の極徳を宇内に光被し玉ふ、是を皇道と申すのであります。す。
『限り無く無為也』不言の教無為の化、これ皇道の真髄である。古書にも惟神言挙げせぬ国とある如く、不言実行を以て、天下を統御し玉ふ御国体であつて、下国民は天津神の御子孫なる歴代の天津日嗣天皇を奉戴し、克く忠に克く孝に、夫婦相和し朋友相信じ、兄弟に友に億兆一心、上下一致、以て皇祖皇宗の御遺訓に奉答すべきは、皇国臣民の義務にして皇道の大精神である。此大精神を無限に世界各国に対して、実行の範を示すのが、皇道の本義であります。
『出入息也、呼吸共に顕ゝる声也』酸素を吸入し炭酸を吐出する活用にして呼吸共にスースーと声を発す。此のスの声の活用こそ万物を生育し生命を与ふる神気にして、天地造化の一大機関である。天帝呼吸し太陽また呼吸し、太陰、大地、人類、万物一切呼吸せざるもの無く、斯の呼吸のスの声の活動によりて、神人立命するのである。是を皇道の大本と申すのであります。す。
『結柱也』ウクスツヌフムユルウを言霊学の上より結びの段と云ふ。其中にて最も統一する所の言霊はスの声である。即ち結び柱であり、七十五声の中に於て最も権威ある言霊である。現今七十五箇国を言向和す、絶対的権威はスの声の活用、皇道の発揮に依らねば成らぬのであります。
『安々の色也』小児の寝て居る姿を見ると、実に安らかにスースーと息をして何んとも言へぬ姿である。天下万民悉く皇道発揚して、天下統一し、地上に天立君主が君臨し玉ふ時は、小児の安々と眠りたる時の如く、世界万民枕を高うして安息する事が出来、天国浄土の成就する時が来るのである。是が即ち皇道の大精神である。皇国天皇の世界統御は」道義的御統一であつて、外国の如く侵略でも無く、併呑でも無く、植民政策でも無く、各自の国の天賦的使命を全うして、神恩君徳に悦服するやうになるのであります。
『自由自在也』天地は神の自由自在である。故に神の御子たる人類は、天地の大道に遵つて総ての経綸を為すも自由自在にして一片の障害も湧起せぬ筈である。然るに万事意の如く成らずと称して、天地神明を恨むものは、神に依りての精神統一言行一致が出来て居らぬからである。皇道の本義にさへ叶へば、天下何物と難も意の如く自由訂在ならざるは無しであります。
『素の儘也』天地自然の儘素地の儘にして、少しの粉飾も無く外皮も無く、惟神の大道に従つて赤裸々なるを素と云ふのである。例へば皇道にては神社を造営するにも白木の素地の儘を用ひ、祭具一切は木地の儘であるに引替へ、仏教の如きは、金銀其他の色を塗りて、仏堂、霊像、仏具を造るが如し。皇道は素の儘なるを尊ぶ、之を素の儘といふのである。何事も包み隠さず、有の儘赤裸々にして、純正純直なる言行を励む。是が皇道の本義であります。
其他皇道の大本スの活用たるや、至大天球の内外悉くを滴し保ち極乎として神聖不可犯の神権を具へ、無[#レ]所[#レ]不[#レ]至、無[#レ]所[#レ]不[#レ]為、一切の霊魂球を涵し、有の極也。声の精也。地球外面を統べ治め、宇宙万有を生成化育せしむるの言霊にして、皇道の大本元は◎より始まりて◎に納まる絶対無限の神力であります。
皇道はもと天地自然の大法であつて、大虚霊明なるが故に無名無為である。実にスミキリである。故に天津日嗣天皇の皇室を中心として、団結せる大和民族の当然遵守すべき公道であつて、天地惟神の大経なるが故に、彼の宗教々法の如く、人為的の教ではなく、皇祖天照大神の神勅に源を発し、歴代の聖皇之を継承し玉ひて、天武天皇の詔らせ玉ヘる如く、斯乃邦家之経緯、王化之鴻基焉である。之を一国に施せば一国安く、之を万国に施せば万国安く、一家之に依つて隆ヘ、一身之に依つて正を保つの大経である。
上御一人としては、万世一系天壌無窮の宝祚を継承し、皇祖皇宗を崇敬し、大日本国に君臨して、世界を統治し以て皇基を鞏め給ひ、下臣民の翼賛に依りて、国家の隆昌と其進運を扶持し玉ふ、而して祖宗の恵撫愛養し給ひし所の忠良なる臣民を親愛し、以て其福祉を増進し、其懿徳良能を発達せしめん事を期し玉ひ、臣民と倶に之を遵守し、拳々服膺して、其徳を一にせむことを庶幾はせ給ふ所の御道たることは明治天皇の大勅語に示させ玉ふ所であります。
下臣民としては、
皇祖天神地祇を崇敬し、皇室を尊び、祖先を鄭重に祭祀し、且つ祖先の遺風を顕彰し、克く忠に克く孝に義勇奉公の至誠を以て、天壌無窮の皇運を扶翼し奉り、国体の精華たる皇道を体して億兆其心を一にし、拳々服膺して、以て咸其徳を一にせむことを期し、必ず実践躬行すベき天地の大道であります。
大量は測る可からず、大度は尺すベからずとは、其容無く其窮まりなきを以て父ある。皇道は冲なり虚なり。玄々として、乾天の位の如く、淵乎として万物の宗たり。虚中に霊気ありて自然の妙用を具ふ。虚なるが故に能く他を容れ、能く他を化するのである。名はなけれど世と倶に進み、容無けれど時と倶に移りて万教を同化し万法を摂養す。虚中の虚、霊中の霊、神妙不可測の聖道である、亦皇道は、神州の精気であつて、日本民族の血液である。皇国上代の凡ては自ら純朴高雅にして、丞々たる皇民は、敬神尊皇報国の念深く、其の人為や天真爛漫にして、其行動自然の法規に適ひ、諸外国の未開野蛮極まる風習と、相距る事雲泥の相違である。是れ全く神代以降列聖の皇道を遵奉して、国民の教養に神慮を煩はせ玉ひし、御余光に外ならないのであります。
本田親徳、副島種臣両氏が道に就ての問答あり。今参考のため左に抄録す。
問者は副島伯にして、答者は本田翁なり。
問 天地人道を同うする乎。
答 道を同うして天道と日ひ、地道と日ひ、人道と日ふものは、各自形体の大小軽重あるのみ、故に命名同じからざるなり。
問 道は四魂を以て、之を制し得べき乎。
答 道なるものは、勇動かす能はず、智測る能はず、愛奪ふ能はず、親掠むる能はず。
問 何をか大道と謂ふ乎。
答 四魂合同し、而して之を統ぶるを大道と日ふ。
問 人間の交際、一魂を以て之に対する乎、四魂を以て之に対する乎。
答 君に対するに臣道を以てし、父に対するに子道を以てす。其の他準じて知るべし。四魂の如きは、時と地と位とにより、機に望み変に応じ、一談話を発するの間、一音一句の際、又互に没して究極すべからず。故に道と日ふなり。退いて反省し、宜しく此の一語は愛、彼の一語は親、此の一語は智、彼の一語は勇なるを察すべし。而して後、其の中道と不中道と、弁明し得べし。是を反省の道と謂ふなり。
問 何を以て道を証する乎。
答 凡そ道を証するは、過去、現在、未来互に相証するを要す。道を証するには、道を以て道を証するなり。
問 道とは何ぞ。
答 道なるものは、単一無雑なり。
○
又ヨハネ伝に曰く、
太初に道あり、道は神なり、神は道と共にありき。万物之に由つて造らる、造られたるもの之に由らざるはなし。云々
ミチとは洪大無辺の神徳、宇宙に充ち満つるを謂ふのである。宇宙に充満せる七十五声の言霊即ち道であります。
私は是より進んで、ミチの言霊に就て略述を試みようと思ひます。
ミの言霊活用は潤水也、眼也、回也、大也、広也、円也、多也、女也、男也(水火伝)
形体具足成就也、其性其儘也、体也、身也、肉也、心と等しく成り在る也、御也、満也、三也、真也、物整ひ極る也、道の筒也、玉に成る也、実也、太陰也、其位を顕はし定むる也、押し引き定まる也、産霊の形を顕す也、屈伸自在也、◎を明かに見る也、天の田也、若返る也、延び極まる也、道の宿也、心の形を示す義也等の言霊活用があるのである(大日本言霊学)
チの言霊活用は、胎内の火也、地中の火也、草也、劔也、風也、父の霊也、息の本也、五穀也、鳥の霊也、隔て限る也、年月日時の霊也(水火伝)
内に強く満足の言霊也、心の及ぶ限り也、真に勢有る也、天球中の物事無不与也、父の徳也、無不保也、溢れ究る也、正しく周旋循環也、大造化の血也、並び備はる也、塩也、八百重の八百会也、子孫は悉く我血也、親の位を保ち居る也、親其儘也、体中の事無不与也、能く造化に伴ふ也、数の腺を保つ也、満涸有る也、乳也、外に散り乱るゝ義也、老れば縮み究むる也、千々也。(大日本言霊学)
言霊の一節々々に就ては、活用的説明は、言霊学研究に譲り、今は、国民の教養に由りて皇道の大道を示さむと思ふのであります。
御製
君と臣の道明けき日の本の
国はうごかじよろづ代までも
君には君たるの大道あり、臣には臣たるの大道がある。君道も臣道も相侯つて寸毫も離れざるは皇道の皇道たる所以である。天壌無窮の皇道、国運万世不動不易なる所以は、皇道の権威であります。惶くも我歴代の聖皇は、此の大道を実践躬行遊ばされて、上は祖宗の神霊を敬祭し、下は人民を愛撫し給ふに由りて、国民は常に其の大慈徳に悦服し、大君に精忠を捧ぐる所以である。故に皇道大本の吾々が、朝な夕な斯道を宣明し自修他奨、以て同胞を覚醒せしむるは国民の本分にして聖旨に奉答する所以である。
御製
今の世に思ひくらべていそのかみ
ふりにし書をよむぞたのしき
進みたる世に生れたるうなひにも
むかしのことをまづ教へなむ
世には学ぶべき道、修むべき学、習ふぺきの教固より甚だ多く、国として行ふべき事、民として務むべき業固より尠くはない。然るに現代の世態としては、至貴至尊なる皇道を天下に宣明し、且つ奉行するより急務なるはない。皇道は実に万学の基礎万教の本源である。国家之に依つて益々隆盛に進み、国民之に依つて教養すベきものであります。政治にまれ、教育にまれ、宗教にまれ、哲学にまれ、経済にまれ、全然行詰つた今日の時代に於て、何を以て之を救済する事が出来るでありませう乎。政治家益々多くして天下混乱し、教育弥々隆にして不徳の臣民多く発生し、宗教弥々発達して迷信の暗雲天下を蔽ひ、法律の発布弥々多くして罪人倍々多く、哲学益々盛にして懐疑の雲いよ/\深く、経済学盛んに唱道せられて財界の不安日に月に加はり、医術衛生の学益々盛にして難病いよ/\多きは、現代各国の惨状ではありませんか。 畏くも明治天皇の御製に、
よろづ民すくはむ道も近きより
おして遠きに行くよしもがな
伝へ来て国の宝となりにけり
ひじりの御代のみことのりぶみ
一家には家人の守るべき道があると同時に、国家には国家の教があり、国民には国民の守るべき道がある。況や皇国には、天地開闢の太初より皇祖皇宗の御遺訓なる皇道が厳立せられてあります。歴代の聖皇之を遵守し玉ひ、吾人の祖先亦謹んで之を奉行して来たのである。故に明治天皇は教育の大勅語を宣布し給ひ、『爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、威其徳ヲ一ニセムコトヲ庶幾フ』と詔らせ給うたのであります。
教祖の御神諭に、『此大本は、世界の事の鏡の如くに写る大本であるから、遠国を見ないでも心を落着けて、大本の中の日々の出来事を調べて居りたら、世界の事が一目に見える、尊い地の高天原であるぞよ』と現はされてあります。今日大本が天下の新聞雑誌により、将又人の口によりて、無暗矢鱈に攻撃され妨害されるのも、皆神界よりの実地の御教示であつて、日本の移民が世界の到る所で排斥されたり、各国轡を並べて排日の声を高め、且其運動に熱中して居る実情が、鏡の大本ヘうつりつゝあるのであります。神は未来を達観し、聖人は将に来らんとする世の変動を前知し、凡人は現在の出来事を見ると申しますから、幽玄微妙なる神界の御経綸が、凡人に真解さるべき筈がありませんから、大本が天下の凡人から誤解されるのは、寧ろ当然の結果であります。丁度世界を至治泰平に救ひ助けて、天国浄土を招来せしむる天職を、天賦的に具有し実行せんとしつゝある日本国を、各国民が誤解して、盛んに排日などを行つて居るが、彼等は近き将来に於て日本国の至誠と神力と皇徳とに随喜の涙を流して、日本国を心の底より讃仰するやうになるのを知らないと同じことであります。
教祖の神諭にも『此大本は一旦世界から悪く言はれるなれど、何も心配は致して下さるなよ。皆神の仕組であるから先になりたら何とした結構な御道であつたぢやらう、何とした有難い神様であつたぢやらうと申して、上に立つて居る番頭から下の人民が、我も私もと申して、綾部に詰めかけて、助けて下されと申して、日本は申すに及ばず、世界中から出て参るぞよ』と御示しになつてあるのである。深遠なる大神の御経綸は、人心小智の到底窺知し得べからざるものであると云ふ事を、考へねばならぬのであります。
皇道大本の刊行書籍は浅薄極まるとか、愚劣野蛮の文章だとか、怪乱狂暴採るに足らざる教理だとか、葦原将軍と同一の精神状態を有する迷信家の団体だとか、淫祠邪教だとか、妖教だとか、怪教だとか、所在罵詈讒謗を逞しうして居る学者とか蚊学士とか云ふ御連中が、所々に散在して居ますが、皇道大本の深遠なる教義を、僅か二十分や三十分大本へ来て、実地研究をして来たとか言つて、堂々と攻撃の矢を放つ軽薄者流の多いのには呆れて仕舞ふ。古諺にも書は言を尽す能はず、言は意を尽す能はず、意亦神秘を覚る事難し。僅かに竜尾の片鱗を見て大本の研究を遂げたりと思ふ学者の御目出度さ、実に御気の毒の感じがするのである。
皇道大本は神勅の稜威に由りて、天下の大勢を感知し、天下の驚きに先だちて驚き、天下の憂ひに先だちて憂ひ、天下の修理固成に先だちて修理固成の神業を奉仕して居る神聖なる地の高天原である。上農は草を見ずして耕し、中農は草を見て耕し、下農は草を見ても耕さずと云ふ事がある。下農にも等しき怠惰愚昧の人間の、如何でか上農者たる大本の精神が判りませうか。実に凡俗の多い現代程困つたものはないのであります。
大正9年8月1日 皇道大意
皇道我観(三)
第五章 世界無比の神国
我日本国は古来神国と称し、細矛千足国、豊葦原瑞穂中国、磯輪垣の秀妻国、また豊秋津根別国、大八洲根別国、玉垣の内津御国、浦安国、言霊の天照国、大倭国、日本の国、国の本国等と称し、世界無比の神国なれば、異邦に勝れて尊きは言を待たず、寒暑共に其中を得て、地は南北に渉り、東西に跨りて、四方に清海を環らし、風土清けく地味膏沃、五穀其他の作物豊饒にして、山野に草木繁茂し、果実能く熟して其味ひ殊に美はしく、金、銀、銅、鉄、鉛、錫、石炭の類に至るまでも生産し、一切欠くる事無ぎ、天産自給の宝国なり。殊に世界に比類なき粳米を、全国に産出せざる土地なく、殊に刀剣の原料なる因雲産の鉄鉱ありて、自然に鋭利なる武器を作ることは、全世界に比類なく、近海には岩石多く点在して、敵艦を近くるに便ならず。加之人民の衆多なるは、面積比較上外国に数倍し、天賦の霊能日本魂有るを以て、勇気、智量、慈愛、親睦の良質を惟神に包蔵し、平素清潔を好み、神祗を崇敬し、皇室を敬ひ尊び、大義を重んずる事は、此神域に生を享けたる神国神民の自然より出づるものなり。併し淳朴質実にして、神勇神胆あるが故に、日本の太古は、天道地道人道などの名称も無く、忠義孝貞などの名目も無し。只々神随言挙せぬ国にして、不言の教、無為の化、自然に行はれ、其の行事の道に違反せしもの少く、大伴氏の遠祖、天押日命の誓言にも、海行かば水潜屍、山行かば草生屍となりて、取り治むる者なくとも毫も厭はずして、大君の辺にこそ死なめ、閑には死なじ、顧みはせじと言ひ、筑紫の防人とて、東より賦役にさゝれて行く土兵が、額に箭は立つるとも、背には箭は負はず、進む事ありとも、退く事は為さじと言ひし如く、君臣の大義父子の親愛も、自ら備はりけるが、人民漸次数多く生るに従つて、惟神の美風良俗次第に破れむとし、一の教法無くては、治まり難く成りしが故に、崇神天皇の御宇に至り、和光同塵的御政策の時代の必要に迫れるを思召され、漢土の聖人の教書を、我国に採用し玉はむとして、三韓より、阿直岐及び王仁をして、教書を伝ヘしめ給ひ、国民を教導き、治国平天下の輔翼と為し給ひしより、儒道は皇国に弘道し、其道は今に至つて尚ほ勢力を張りつゝあれども、皇国古有の大道、即ち皇道の枝葉とも称すべき教義なれば、日進月歩の今日の皇国の実際に適合せず。故に古には、少々治国の輔となりしものも、わが国聖代の人民を教ふるには、隔靴掻痒の感なき能はず。此を以て、礼儀廉恥の四維を張る可き志を奮起せしむるにも足らず、今や皇道実現の聖代に於ては、全然無用の長物視さるゝに至れりと雖も、若し此儒教をして、真面目に漢土に行はしむる時は、支那五億民衆の良教書と為すを得べし。元来皇道は、日本神国に具はれる大道にして、日本魂の根元なれば、異域の人の咀嚼し得べきものに非ず。皇道の教は『神は万物普遍の霊にして、人は天地経綸の司宰者なり』てふ神教に基き、天津日継天皇が、天の下四方の国を、安国と平けく治食す可き規範たるべきものなれば、世界の人類を治め助け、善美なる言行の範を示し、上御一人の御尾前に仕へ奉りて、世界を経綸するの天職を、惟神に具有するものにして、決して外来の宗教説の如く、未来の楽土を欲求し救助を求め、万事哀願的に出るとは、全然其選を異にす。故に凡ての外来宗教なるものは、我国に在りては、害ありて益少く、日本男子の去勢的道具にして、天祖の神慮に叶ひ奉らざるものなるを知らざる可らず。
皇国は畏多くも、皇祖の大御親神に坐す、天之御中主大神の御実体の顕現にして、世界一切を具有し給ふ神国なれば、世界一切の生民を同胞と為し、高天原に霊的活動し、且つ不滅に常住し、出ては地球上面の各国土を経綸し、入りては宇宙、即ち高天原に静養し、畏くも皇祖の御神勅に依りて、天下を治むる天職を帯ばせ給ふ、神聖不可犯の、天津日継天皇が、天壌無窮に鎮座あらせられ、神国の神民は、畏くも御皇室と共に、万世一系以て皇運を扶翼し奉る天職を、完全に先天的に具有し、皇祖大神の授け給へる、敏心の日本心は、天稟の良性にして、決して亡ぶる事無きが故に、今にもあれ、皇道の大本を講明し、以て之を激励する時は、必然日本魂の発現し来りて、天授の神魂に復帰す可きは論を待たず。譬へば三冬の厳寒に水は凍り、土涸れて、樹木の葉は悉く落ち散り、一見枯果てたるが如く、草の茎葉は朽果て、残るもの無きが如くなるも、其枝幹若くは根本に、花実となり茎葉となる可き原質は、尽く含有せるが如くなるは、野人匹夫の目に一丁字さへ無き輩、郷丁傭夫の徒にも、折々侠腸義気突破して、事に臨みては、敢て一死を顧みざる者有るを見ても知られたり。故に今、皇祖の御遺訓並に、国祖の神諭に依り、国人固有の日本魂を研き、其光輝だに現出せば、我一を以て異方の百千万人に当るに足る可く、国土の豊満なる事は、外国の及ぶベき所にあらざるなり。
第六章 皇国の言語と神胤
言語は、国土の疆界を弁別すベき自然のものにして、我皇国の如く、言語正しく清く円満にして、言霊に権威を伴ふもの無し、皇国以外の総ての国は、何事も一切用語を先にして、体語を後にす、印度、和蘭其他の外国、皆然らざるはなし。独り我皇国のみ、体語を先にして用語を後にす。「書物を読む」と謂ひ「酒を呑む」と謂ヘば「書物」及び「酒」は体語にして「読む」又は「呑む」は用語なり。「読書」又は「飲酒」と言へば「読」及び「飲」と云ふ用語を先にして「書」及び「酒」の体語は後にす。体語は本にして君主の如く、用語は末にして臣民の如し。我日本皇国にのみ如斯正しき言語を以て万事を.弁ずる事は、即ち我皇統の万世一系にして、天壌と共に窮まり無き宝祚に坐して、太古より君を君として立てたる、坤輿中に冠絶して、尊き御国体なる事を、此言語の妙用にて分ちたる自然のものなり。且つ我皇国は、昔より諸の事物を、万国に採りて用ひ来りし事は、和光同塵の御深慮とは云へ、一は以て、必然の理由存するが故なり。譬へば貴人高位の人の身は、自ら一切の事物を営作すること無く、唯々臣下又は庶人に命じて之を造らしめ、之を採りて用ゆるが如く、亦視聴言動等の機会を為す耳目口鼻等の、頭上に在りて、下胸腹四肢の根本と成るが如く、我国体の大に万国に冠絶せる所以も、亦是等の例を以て準知し得るにあらずや。然るを明の宋景廉の輩が、日東の曲に難聞分逆読と謂ひしは、己が国を中華中国など自称し、他国を卑しめる逆心より、是を逆なりと謂はむを、強ちに咎むべき事にも非ざれども、我皇国の臣民たる物茂卿太宰純などの似而非学者輩が、妄りに漢土に左袒して、是を目して回環顛倒の読みと言ひしは、大なる僻言にして、却て皇国の言語は正しくして、異邦の言語の顛倒せる所以を知らざる、狭き心より起りしものにして、論ずるに足らざる事共なり。
豊臣太閤曾て朝服を、闕下の施薬院に着けし時、屡々天顔を拝し奉るに感激し、人に謂て曰く、身微賤より起て人臣の位を極むること、天恩実に深し、蓋し吾母、むかし朝家式微にならせ給ひし時に当つて、後宮に仕へて一賤役を勤め奉りしが、一日不図、竜体に近づき奉りて孕み、その儘出て尾張の人に嫁ぎて吾を産みたるなりと。按ふに豊臣太閤は、我国古今無双の大英雄にして、其行事の凡人に卓絶せしことは、日月と光を争ふが如くなるに、瞹昧なる托言を作りて、自身の貴き胤なりと称ふが如き、卑劣魂性の寸毫も無かりし大人物なりき。世に豊太閤の母、嘗て日輪吾が懐中に入り給うと夢みて、吾を生みたりと宣まへる由を伝へしは、隠然其皇胤なることを云へど、豊太閤のそれと宣まはざりしは、朝廷を憚り給ひし忠良の御精神にて、国家への礼儀を思ひ給ひての事なりき。施薬院に於ける太閤の話は、偶々感激喜悦の余りに出でて、思はず其実を漏されたるなるべし。抑また太政所の日輪の夢は、托けて言へる言か、或は夢に其瑞兆ありしにや、何れにしても豊公の興起せしは、僅々数年間の短時日に、天下の大乱を鎮定して、皇上を輔翼拝戴し、諸侯を糺合し、以て法を将来に垂れ、武将万世の模範と成りし、大智大勇を兼備したる事の大に優れたるを観れば、其胤在りし事必然なり。我皇国は、外国の国状とは非常に相異ありて、天下は即ち一人の天下にして、皇上は実に、天上の現人神に在し坐し、王侯将相といへども、悉く皆、その胤あるなり。故に古今の豪雄の、将相の位に至つて天下の権を執りし人の、微賤の種なるは、明治の御代に至るまで、曾て在りしこと無し。平相国清盛の如きも、固より皇胤なり。鎌倉の右大将源頼朝及び北条氏、足利将軍、織田右府信長の如きも皆、桓武、清和の皇裔なり。故に豊公の系統も、亦貴き方の胤なる事前述の如し。世に豊公は凡種奴隷の出身なりとするは、大誤解たるを思ふべし。余輩は思ふ、豊太閤の、此事実を妄りに言はざりしは、天皇の太政所に堅く誠めおかれし為に、是を言ふ能はざりしものなるべし。また一説に、太閤は後奈良院の落胤にして、母は持萩中納言保廉卿の尾張国へ配流せられし頃同国御器所村の猟師の娘に逢ひて、産せたりし由縁を以て宮中に奉仕し、遂に竜体に近づき奉りて懐孕に成りしと云へり。吾大本開祖も一時は時運非にして、賤業に就事し給ひしかども、祖先を尋ぬれば、矢張り尊き人の後裔にして、山陰中納言より出で給ひしことは、桐村家の系図に由りて、明白なる事実なり。故に我国は、凡て王侯将相大賢至聖、皆その種ある事を知るべきなり。
第七章 皇国の使命
畏くも、天下統治の天権を天賦に享有し、万世一系の皇統を保全して、大日本国に君臨し玉ふ、天津日継天皇が、神聖なる天下統治の神権、大日本皇道を、未だ完全に発揮し給ふに到らざりし神代は草昧混沌として、天下は実に無道なるやの感ありしなり。古往今来天運未だ到らず、国体の精華を隠伏し、和光同塵の御神策を以て、御皇運発展の時運を、期待し給ふのを止むを得ざりしが故に、世界到る処、草昧なる権謀を発生し、以て治乱興廃の活劇を反復す。人生の不安、世路の困難なるは、是れ天下挙つて、体主霊従主義に心酔せる無道の微証ならずや。由来王道、覇道、憲政、共和政治と称し、或は聖賢大哲の唱導せる教理、道徳説は、天歩艱難の時代を忍耐すべく、凌駕すべき方便たりしなり。然り而して、是を以て時代の人智を啓発し、練習、研磨せしめ、以て皇運扶翼の資に供せしめ給へるなり。皇祖天照大御神の命以て、此の地球即ち豊葦原千秋長五百秋の水穂国は、吾御子正哉吾勝々速日天忍穂耳命の知所国と、言依し給ひて、天降し給ひし、豊葦原中津国なる、極東日本国に、天壌無窮の皇統を垂れ給ふが故に、天下の真正なる大道は、皇国に実在せり。天佑を保全し、万世一系の皇祚を践み玉ふ、皇宗崇神天皇は、畏くも神器を敬遠し、和光同塵の御神策を垂れさせ給ひし以来、茲に二千有余年、天歩艱難の凌辱を隠忍し給ひし御事は、実に吾等臣民たるもの、恐懼措く能はざる所なり。
鳴呼尊き哉、三千世界一度に開く梅の花、天運循環の神則に因り、天下の大道は皇運発展に伴ひ王政復古にその曙光を発し、明治維新の皇謨は、和光同塵の御神策をして、棹尾の大局を終結し玉へり。古語に曰く、彼を知り己を知るは百戦殆からずと。世界大経綸の用意は、畏くも、明治天皇御一代の偉業たりしなり。
畏くも明治天皇は、天運循環して、皇運御発展の時運に到着せる事実を洞察し給ひ、戊申の詔書を下させ給ひて『抑々我ガ神聖ナル祖宗ノ遺訓ト、我ガ光輝アル国史ノ成跡トハ、炳トシテ日星ノ如シ。寔ニ克ク恪守シ、淬励ノ誠ヲ輸サバ、国運発展ノ本近ク斯ニ在リ。朕ハ方今ノ世局ニ処シ、我忠良ナル臣民ノ協翼ニ倚藉シテ、維新ノ皇猷ヲ恢弘シ祖宗ノ威徳ヲ対揚セムコトヲ庶幾フ』と詔命し給ふ。然りと雖も、挙国上下の臣民は、斯深遠なる御聖慮を解し奉らず、道聴途説の如く軽視し奉り敢て聖旨を奉体せざるは、誠に恐懼に耐へざる次第ならずや。維新の皇謨の要素は、実に斯に在り。神聖なる祖宗の御遺訓皇道大本は、是実に天下統治の大道なり。是断、是遷、天威以て厳戒を加へ給ふこと、国本発展の基本なり。古今の弊政、累惑の学説、憲政の悪用は、是古今天下無道無明の産物なり。百度維新、これ開闢以来、未曾有の盛事なり。世界の平和は、斯に其基礎を厳立し、皇国の使命は、言向和す皇化の顕彰なり。済世、済民の皇道は、天理人道を明かにし、祭政一致の教政は、国体の精華を発揚し、国威は四海を風靡して、天下の無道を糺明し、世界の無明を光被す。天津日継天皇が、皇憲を世界に宣布し給ひ、以て其御天職を実践し給ふや、茲に国際的競争は、忽ち文明の競争と化し、生活の不安は、直ちに鼓腹和楽と化すべし。日本国教たる、皇道大本の奨励は、驕慢怠惰奢侈淫邪を殲滅し、社会を刷新して、世界永遠の真の平和始て茲に成就す。万世一系の天皇は、日本皇道大本を宣揚して、世界の平和を確保し給ひ、以て天下統治の御天職を完成し給ふ。鳴呼神聖なる神器は万古に存す。宇宙の大中心、世界の中心、日本国の中心にして、言霊学より見たる、アオウエイ五大父音の総轄たる、アの言霊の幸ひ、助け、天照り給ふアヤの霊域、是れ皇道大本奉釈者発祥の聖地なり。世界妖気の発する所、神軍一過忽ち平定す。偉なる哉、大正維新の皇謨、大なるかな、皇祖経綸の大謨。
人皇第一代神武天皇を、神日本磐余彦天皇と称す。彦波劔武鵜鵜草葺不合尊の第四の御子なり。御母を玉依姫とまをす。我国の太古は神も人も皆私心私情無ければ、必ず兄を以て、世を継ぐ事を為さず、唯その徳の優れるものを選ぶが故に、皇兄五瀬命、稲飯命、三毛野命を置て立て太子となりたまふ。天皇生れながらにして明達、意志確如まします。長となり給ひて、日向国吾田の邑吾平津姫を娶りて妃となす。手研耳命を生たまふ。御年四十五歳に成り玉ひし時、其兄五瀬命等と御子手研耳命と、高千穂の宮に在し坐して、相議たまふは、『此日向国は辺僻にして、王化を普く天下に及ぼすに便宜ならず。何れの地に遷りてか、大業を成就せむ。昔我天神高皇産尊と大日霊尊此豊葦原の瑞穂国を、我天孫彦火々瓊々杵尊に授け給へり。是に於て瓊々杵尊、天の磐座を離れ五百重の雲を排開き、御前を駈足して、此土に戻止たまひしが、運は鴻荒に属ひ、時は草昧に鐘りぬれば、唯その屯蒙たるまゝの淳素なる風俗に随ひ、唯専一に正直の道を養ひ玉ひて、此西の偏に在りて世を治め玉ひ、我皇祖皇宗いづれも神聖にましまして、慶を積み量を重ねて、多くの年所を歴たること、天祖の斯国に降跡たまひてより以来、今に逮りて二千四百七拾余歳なれども、遼遠なる地は猶いまだ王沢に霑はず、村に長あり邑に君あり、恣に彊界を分ちて相互に凌ぎ轢るもの多くして治まり難し』アゝ是れ二千六百年以前の世界の現象なり。即ち現代に於ける世界列強が、各国を侵略割拠し、各自彊界を分ち用ひ、相凌轢せるの状態と古今相等し。是れ天下無道、無明の証徴にして、皇国の天職、皇道大発揚の必要時機ならずや。畏れ多くも日本神国天皇が、万世一系の皇統を享有し玉ふ所以は、豊葦原瑞穂国なる世界を統治経綸し給ふ天職を帯び玉ふ故なる事、是れ国史に炳として日月の如く、記し賜ふ所なり。畏くも神聖にして、天壌無窮の皇運を保ち給ふところ、敢て古今の差別ある事なし。夫れ豊葦原の瑞穂国とは人類の生活し得て、以て国家社会を組織し得る、全世界の総称にして、大日本皇国は、是れ豊葦原の中津国、即ち世界の中心枢軸なり。醒めよ我同胞、自覚せよ其天職を。
第八章 和光同塵の世
畏くも皇孫瓊々杵命は、天地経綸の薀奥を極致し給ひ、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降り坐て、万世一系の皇統を垂れ給へり。是に因りて詔たまはく『此地者向韓国真木通笠沙之御前而朝日之直刺国。夕日之日照国也。故此地甚吉地詔而。於底津石根。宮柱布斗斯理。於高天原日木高斯理而坐也』是れ神聖なる、皇祖御遺訓に示し給ふ所。鳴呼降臨の霊域、筑紫の日向国は、これ朝日の直射す国と詔給へる。所謂威弦の発溂的弯威あり。彼の桜島の爆発、高千穂の爆煙は、是百度維新の神威ならずとせんや。天下の無道、暗黒無明の世界を照し玉ふ、神聖なる大日本皇道の顕彰すべき事を知らしめ給へる、朝日の直射す曙光を示し給へるものなる可し。
現代物質文明の淵源地は、西欧諸国にして、是れ即ち夕日の日照る国なり。鳴呼夕日の日照る国、この国より御稜威の発せるは、即ち西欧米等の大戦乱は、皇運発展の導火線たる事、国祖の神諭に由りて明瞭なり。
(一)敢て日本国と謂はず、世界を挙げて、累卵に陥りつつ在るは、目下の惨状なり。由来古今東西の聖哲が、世道人心を治安せむと欲して、唱導せる倫理、宗教、道徳、政治は、之を反復練習せる事幾千年、未だ以て真に社会を平和にし、人心を安息せしむる事能はざりき。然り而して幾種の宗教、幾種の道徳、幾種の倫理、幾種の政治は、各その学者の口に因りて主張せられ、各学派を樹立し、以て相凌轢する所、二千六百年以前の状態なりし、所謂神武天皇の詔ふところの『遂使[#下]邑有[#レ]君、村有[#上]長、各自分[#レ]彊用相凌轢』と幾許の差異かあらむ。
(二)上流社会と称して、美衣、美食、酒色に耽溺して、大厦高楼に起居し、尸位素餐、閑居不善を極むる者あり。中流社会と称し、営々として子女を教養し、租税の醸造的機関たる枢軸的階級あり。下流社会と称して、家族を挙げて、生活の物資を得るに、汲々乎として奔走し、以て生命糊口を凌ぎつつある者あり。
由来上中下流と称するも、人間として何の差別あるに非ず、人生の目的は、必ずしも生活するが為に生れたるに非ず。更に禽獣と相等しく、生活の物資を得るために、奔走すべきものなるの理由は断じて無かるべし。物資、財力、権威等の獲得を以て、現代人生経綸の本旨と為し、以て大は国際的の競争と、中は政権争奪に党を結び、小は個人として、各営利の為に相競争し、各自相凌轢しで、世に処するの状態は、是二千六百年以前に、神武天皇の詔給へる、所謂『遼遠之地猶未霑於王沢遂使邑有君、村有長、各自分彊用相凌轢』此世態と幾許の差異あらんや。
(三)畏れ多くも明治天皇は、教育の根本に関する、大勅語を国民に降下あらせ給ひ、
『斯道ハ実二我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶二遵守スベキ所、之ヲ古今二通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス、朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、威其徳ヲ一ニセムコトヲ庶幾フ』と詔らせ給へり。鳴呼日本国民にして、誰か此の大勅語の御本旨を奉体して、以て御国体の精華を発揮し奉り、天壌無窮の皇運を扶翼し奉り、以て祖先の遺風を顕彰したる。誰か、陛下の忠良なる臣民の資格を有する者あるか。六千万の同胞上下を問はず、滔々として世界の濁流に游泳して、私産を作り、虚栄を貪るに、敢て手段の善悪を問はず、偽善詐偽不倫行為が、根本的に天賦の徳器を破壊するも、更に毫も怪しまざるの現状なり。殊に日本の学者にして、神聖なる祖宗の御遺訓皇典古事記は、天武天皇の御勅語にして、斯乃邦家之経緯、王化之鴻基焉と記し給へる御神慮を知らず、恰も西洋印度等の神話と同一視し、布衍教導する洋学に心酔累感せる迂愚学者を輩出するに至れり。彼等は御国体の蝕虫、教育界の蠹魚たるなり。
鳴呼現代は、是れ弊政の窮極なり。無道の政治、無明の教育を以て、曷ぞ能く御国体の精華を発揮し奉る事を得むや。鳴呼、神聖なる皇祖の御遺訓、大日本皇道を奉体せざる輩、曷ぞ皇憲を運用し奉るの資格これ在らむや。
(四)神武天皇詔日
『是の時運鴻荒に属し、時は草眛に鍾る。故に蒙以て正を養ひ、此西の偏を治む』
鳴呼畏くも崇神天皇が和光同塵、以て世界統治の神策を建て給ひて以来、殆ど二千有余年、蒙倶以て正を養ひ給ひしが故に、御歴代の天皇が天歩艱難を凌ぎ忍び給ひけること、誠に惶き極みにこそ。皇運発展の時代は、畏くも陛下の御代に於て、万世一系の御天職を発揮し給ふに因りて、実現さる可き事は、炳乎たる事実なり。加之天運循環の神律は、日本国に幸ひ助け、天照り玉ふ言霊の復活と、国祖の神聖なる垂訓に因りて、皇道を顕彰し給ひ、以て現代の無道無明を照し給ふ可し、神聖なる天津日継天皇の御稜威を、八荒に照耀し給ひ、壮厳なる国祖国常立尊の神威は、暗黒界を照明して、天下に皇道を実現せられ、以て世の経綸を革正し、茲に神聖なる済世救民の御天職と、永遠の平和を保全し玉ふは明瞭なり。偉なる哉、日本皇国の天職や。
第九章 天祖の大予言
仏教家の人を誘ひ、以て其教に入らしめんとするや、実に巧みなりと謂ふべし。賢人智者を誘導するには、最も高遠にして難解の教理を以てし、愚俗者を誘導するには、禍福因果の談を以てし、其嚮ふ所に従ひ、方便を設けて之を導き、その哀傷憤怨の際に乗じて之を説得す。故に世人の多くは、其所説に酔ひ迷ひて、自ら之を悟らず。然るに仏者の言ふ所は、皆これ憑虚捏造風を捉へ影を捕ふるが如く、一の証顕有るに非ず。少しく識見を有する者は、固より以て其妄説たるを知るに足る可し。基督の徒に至つては、其術更に巧妙を極む、以為[#レ]事証顕無ければ、則ち人をして信従せしむるを得ず。是を以て証験二項を立て、以て其空理空論に非ざるを表明す。一は先知予言、後事応験を以て証拠と為し、一は非常神蹟、衆人共見を以て証拠と為す。是を以て、其教理洋の東西に蔓延し、識者と雖も亦或は固信して之に従ふに至れり。然りと雖も近世に至つて、人智日に開け月に進み、格物究理の学術益々進むに及びて、基督教の諸々の異能を現はすは、固より其徒の伝導の方便的偽造に出で、又彼の神の奇蹟なるものは、奇異驚く可きが如しと雖も、亦皆山海の形勢、大気の変動及び機械、薬品の致す所にして、決して神の為す所に非ざるを知るに至り、彼の徒の狼狽為す所を知らず、遂には種々の苦策を巡らし、救貧施療等の社会的事業に、慈善的仮面を被りて、僅に教理布衍の命脈を維持するの止むを得ざるに至れり。且つ又その予言なるものは、其所謂聖書に就て之を考ふるに、或は夢寐恍惚、殆んど捕捉すべからず。或は譬喩曖昧の記事を挙げ、或は擬似両端の事を録し、或は荒唐無稽解す可らざるの語を載せたり。後世彼徒の有力者は、種々苦心の結果、乃ち之を牽強し、之を附会し、曰く是れ某時の予言なり、之れ某人の予言なりと。夫の予言と称するもの、亦竟に確拠明徴有り、以て信従するに足るもの有るに非ず。
夫れ予言と日ひ、神の奇蹟と云ひ、一として信従するに足らざるは、業に已に斯の如し、故に洋人と雖も、知識階級の人士は、亦多く其妄虚たるを暁るに至れり。是を以て基督教の今日の勢力、亦古事の隆盛なるに若かず、殆ど将に廃滅せむとするの兆候あり。古の信徒は、唯単に神の予言と神の奇蹟を以て、其の信仰の眼目となせしが、人文開明の今日にては、却て其予言及び神蹟に因りて、同教の廃滅を兆すに到れり。則ち予言と神蹟の説示は、是将に同教を頽廃せしむるものなり。然るに我皇国の教は、其予言と神蹟を説かざりしか。曰く否、皇国の教は古昔に在りては、即ち予言と神蹟を説く事稀なりと雖も、国祖国常立尊の、地の高天原に顕現し給ひし聖代に在りては、即ち予言と神蹟を説き国民を指導するの急務なるを信ず。古の学者は天壌無窮の予言と、万世一系の神蹟を説きしもの尠く、故に皇道の教理、未だ万国に弘布せざりき、今や天運循環の神律に因り、天祖の予言と神蹟、並に国祖の神訓神蹟を、説く可き時機の到達せるを知る。皇道の大本、皇祖皇宗の御遺訓神蹟にして、明確に宣布されむか、世界万国の民亦必ず、相率ゐて皇道の教理に帰順すべし。如何となれば其予言と神蹟は、確拠明徴あり。以て大に信従するに足るものあるを以てなり。請ふ其説を言はむ。皇典に曰く『豊葦原千五百秋之瑞穂国は、是れ吾子孫の王たるべきの地なり。爾皇孫就きて治む可し。行け宝祚之隆当に天壌と窮まり無かる可し矣』此言や、是天祖の天孫に勅命し玉ふ所なり、天孫彦火々瓊々杵命、此の神勅を奉じて下土に降臨し給ひし以来、皇統連綿として万世一系に渡らせられ、宝祚の隆なる事、果して天祖の神勅の如し。是れ豈に偶然ならむや、是れ山豆に確拠明徴、以て信従するに足るものにあらずや。此の大神勅、即ち吾人の所謂予言は、然も基督教予言の比に非ざるなり。故に曰く、基督教は予言に因りて廃滅し、皇国の教則ち皇道は、必然予言を以て興隆すべしと。
第十章 皇国の神蹟
我が皇国は古来神国と称し、独一の真神なる、天之御中主之大神の主宰の下に、天津神八百万、国津神八百万在し坐して、国土を守り幸はひ給へば、古往今来、外国に優りて神異神蹟極めて多く、僕を更ふるも数ふべからず。余は今日唯に一、二の神蹟を挙げて、以て皇国固有の大道の信仰遵奉せざる可らざるを徴せむとす。中古称徳天皇は、元来深く宇佐八幡宮を信奉帰依し給ひて、大神の憑語と言へば虚実を問ふの暇無く、事々物々其神憑の語に従ひ給ふを奇貨と為し、時の妖僧弓削道鏡なるもの天皇の殊寵を得て、心行共に日と共に増悪の域に進み、出警入蹕僣に乗輿を擬し、自ら号して法王と謂ふに至れり。時に太宰府の神主にして、中臣の習宜阿曾麻呂なるもの、権勢並び無き自称法王妖僧弓削道鏡に媚附き、己が勢力を得んため、畏れ多くも矯めて、宇佐八幡大神の教言なりとて朝廷に奏す。即ち日く『天皇若し、道鏡をして天津日継の位に即かしめ給は父、天下は永遠無窮に太平なる可し』と、茲に天皇は、殊寵殊愛の道鏡と雖も、事余りに重大なるを以て、御神慮決し兼ねたまひ、密かに和気清麿を召し出し、往きて宇佐大神の神教を請はせ給ひぬ。発するに臨み、妖僧道鏡亦清麿を招き、目を瞋らし劔を按じ清麿に謂ひて曰く『八幡大神深く我が忠誠を嘉みし、我をして天津日継の位を践ましめむと欲し給ふ。故に今汝をして再び神教を乞はしむ。汝克く神教を奉じ、我をして欲する所を得せしめなば、即ち我は汝をして太政大臣の官を授く可し。若し我言に違ふあらば、即ち必ず重き刑罰に処す可し』と。茲に誠忠無比の清麿は固く意を決し、直ちに往きて宇佐八幡に詣で、厳粛なる祀典を修し、心神を清めて、恭しく神教を乞ひ奉る。大神即ち清麿に神懸して具に教へ覚し給へり。清麿更に祈りて曰く『今大御神の教へ給ふ所の語は、是国家の一大事なり、大神の憑語信じ難し。願はくは神異を示して其真否を決せしめよ』と。自己審神者の神術を修するや、是に大御神は忽然として神形を顕示し給へり。其身長三丈に余り、光輝満月の如し。
神勅に曰く。
『我国家開闢以来君臣の大義明分定まれり、未だ臣を以て君と為し、君を以て臣と為せし事あらず天津日継は必ず皇緒を立てよ。道鏡の悖逆素より天地容れざるの大罪なり。宜しく速に剪除せよ汝道鏡を怖る瓦勿れ、吾は必ず相済けむ云々』
清麿還りて具に神勅を奏す。道鏡事の成らざるを以て大に怒り、遂に清麿を大隅に流謫し、人を使て之を途中に追殺せしめむとす。俄然大雷雨来りて、天地晦冥咫尺を弁せず。使者未だ発せざるに、勅使来りて免る丶を得るに会ふ。次で光仁天皇位に即き給ふに及んで、道鏡の大逆を悪み、直ちに之を下野に竄し、和気清麿を召還し給ふ。清麿時に脚を病み起つこと能はず。強ひて病を輿して途に上る。忽ち宇佐を過ぎ大神を拝するや、脚即ち起ち、遂に馬に乗りて還る。観る者神威神蹟の顕著なるに、歎異せざるは無し。夫れ道鏡妖僧之神器を覬覦するや、凶焔人に逼り勢当にあたる可らず。事の成否は、即ち使臣和気氏の一言に決するなり。国家存廃の分水嶺上に立てる清麿の責任や、実に大なりと謂ふべし。皇道の本義を体得せる、誠忠無比の和気氏、乃ち毅然として撓まず屈せず、一身の安危を度外に措き、直ちに神教を朝廷に奏上す、其の志操や、国家を匡救し、気節、姦侫の心胆を震愕せしむ。是固より和気氏忠義の節、天地に貫徹せるに由る可しとは雖も、神明皇祚を護佑し玉ふに非ずんば、焉ぞ能く、此の如くなるを得むや。実に皇道の大本毅然として、万古に卓立する所以を知るべきなり。
胡元宋国を滅し、次で諸多の隣国を征服し、四百余州に君臨し覇を称ふるや、独我皇国のみ使聘を通ぜず。元主韓人を使て、書を皇国日本に致さしめて日く『我要求に服せざる時は、即ち尋問の師を出さむ』と。朝廷忽ち、令を鎌倉に下して議せしむ。時の執権北条時宗大に怒つて曰く『書辞以て甚だ礼を失す。報復するに及ばず』と。則ち使者を追ふ。其後元の使者、幾度来りしと雖も、悉皆拒否して納れず、且つ一々其使者を斬る。其後元主大に怒り、文永十一年冬元軍西境に仇す。鎮西の猛将勇士、拒み戦ひ且つ之を退く。建治元年夏、元の使節「杜世忠」等復た来る。時宗怒つて之を鎌倉竜ノロに斬る、乃ち北条実政を以て筑紫の探題と為し、鎮西の将士を監し、辺海を鎮戍し、大に戦備を為し急変に備ふ。未だ幾何も経ざるに、元の使節復た来る。時宗また之を斬る。元主「忽必烈」我国の再び元使を誅せるを聞き、大に憤怒し、大に舟師を興し「茫文虎」を以て之に将とし入侵す。弘安四年七月。博多に抵り舳艫相銜む。実政が部下の将士等、克く拒ぎ戦ひ殺傷相当る。時宗爰に宇都宮貞綱を遣はして之を援く、未[#レ]到。是時に当つて朝野心を一にし、全国の神社並びに仏宇に祈薦を修す。畏くも亀山上皇は、躬自ら徒洗して石清水八幡宮に詣で、精疇一夜、従臣をして神楽を奏せしむ。また権大納言藤原経任を伊勢に遣はし、幣帛及び宸筆宣命を皇大神宮に奉り、身を以て国難に代らむことを請ひ給ふ。閏月朔太陽蝕に当る。天陰見えず。黒雲一点石清水宮より起り、雲中隠々白羽の鳴矢あり、西の天に向つて飛び去る。皇大神宮の摂社たる風神の社殿内より、忽ち一道の神光を発し天地に照耀す。大風暴び起る、西海最も激烈なり。雷迅竜跳、怪異百出、海水篏蕩し、賊艦四千艘悉く皆覆没破壊し、虜兵全部滅亡し、十万人中脱れ帰る者、僅に三人なりと謂ふ。是より元再び、我皇国の辺境を窺はざりき。
夫れ胡元、強大の武力を以て我国に臨み、一挙にして忽ち我を併呑せんとする、其猛勢や恰も巌を投げて卵を打つ如し。然りと雖も、皇道の大本に、惟神的に合成し、奮然として撓まず、屈せず、数々其無礼極まる使節を斬り、以て彼の兇威を挫き、民志の団結を固め、死を決して之を待つや、天下の志気大に振ひ、戦はずして敵を呑み、仇に勝つの慨あり。是固より時宗が、国家の一大事に際して少しも騒がず、悠然として志を決し、防禦宜しきを得たるに由るとは雖も、神明の霊威皇国を護佑し給ふに非ずんば、焉ぞ能く斯の如き大勝を得、以て国威を万世に伝ふるを得んや。抑道鏡の徒が姦曲殆ど皇祚を移さんとし、胡元の仇、殆ど皇国を傾けんとせり。然るに皇国の神明、深く国家を保護佑助し、大に威霊を顕示し給ひて、妖鬼沮喪し黠虜殲滅し、今日に至る迄纂奪の禍害無く、対外戦に於ける敗なし。其神蹟の彰々たるや此の如し。
鳴呼皇国は、天神地祗の佑護に成れる、建国以来の歴史によりて、克く其の国粋を保ち、時に精華を開きたりと雖も、現代の風潮は、漸く妖蘖の兆を醸成し、国民思想の根底は、油水の浸潤するが如く、腐敗蝕すること、元寇の禍害に幾百倍し、外来思想の伝播は妖僧の如く、皇道を無視し且つ軽侮し、祖神が以て、天壌無窮なりとして依さし給へる神国の基礎、また以て不測の禍根なきを保ち難からむとす。見よ、上下生活難を絶叫するは何の為ぞ、安分の念なくして、虚栄浮華に奔るを以てなり。六親相怒り、郷呂相鬩ぐは何の為ぞ、誠敬の心無くして、自他相欺くを以てなり。父子の情殆ど絶え、君臣の大義将に滅せむとす。於是乎社会共産主義あり、自然主義あり、民主々義あり、共和主義あり、厭世主義あり。曰く吾人の意志は自由にして、人権は平等なり、故に共和政治は、最も人生に適すと。曰く、天は人を平等に生み平等に愛す、須らく共産主義を行ふ可し。曰く、人は自然に生れ、死するも亦自然なり、故に自然的情欲を恣にして、無政府たるべし。曰く、人生は猶ほ火宅の如く、身を焼いて止まず、甚だ厭ふべしと。或者は豺狼の如く、或者は羊豚の如くにして、民心常に薄氷を践むが如く、国家は日に月に、深淵に臨むが如し。噫思ひを此処に馳する時は、現代は是一大乱世に非ずや。古語に日く、家貧にして孝子出で、国乱れて忠臣現はれ、天下無道にして、聖人起るとは宜なる哉。我皇国は、神の建て給ひし国なり。神の開きし国なり、神の作りし国なり、神の守り坐す珍し国なりと日ふ。茲に国家の一大危機に頻し、畏くも国の大祖国常立尊、豊雲野尊の二神、下津岩根の高天原に、変性男子変性女子の二霊を降し、神如の慈教を宣伝して、此漂蕩へる民心を修理し、此漂蕩へる国家を固成し、以て世界をして、神祗聖代の徳沢に鼓腹せしめ、此の世界の各国土をして、五六七の神世に転化せしめ、此蒼生をして、高天原に安住せしめむが為に、去る明治二十五年正月、大本開祖出口直子刀自に、国祖の神の憑依し給ひ、前後通じて二十有七年の教莚を開き給ひ、国家国民針の指を発表し給ひて、顕幽両界に跨り、皇国を護佑し給ふも、全く皇道大本の、確固不変なる所以なり。鳴呼忝なき哉、国祖の殊恩。鳴呼尊きかな、天津日嗣天皇の、天壌無窮の皇運を保全し給ふ皇国。金甌無欠の我国体。
第五章 世界無比の神国
我日本国は古来神国と称し、細矛千足国、豊葦原瑞穂中国、磯輪垣の秀妻国、また豊秋津根別国、大八洲根別国、玉垣の内津御国、浦安国、言霊の天照国、大倭国、日本の国、国の本国等と称し、世界無比の神国なれば、異邦に勝れて尊きは言を待たず、寒暑共に其中を得て、地は南北に渉り、東西に跨りて、四方に清海を環らし、風土清けく地味膏沃、五穀其他の作物豊饒にして、山野に草木繁茂し、果実能く熟して其味ひ殊に美はしく、金、銀、銅、鉄、鉛、錫、石炭の類に至るまでも生産し、一切欠くる事無ぎ、天産自給の宝国なり。殊に世界に比類なき粳米を、全国に産出せざる土地なく、殊に刀剣の原料なる因雲産の鉄鉱ありて、自然に鋭利なる武器を作ることは、全世界に比類なく、近海には岩石多く点在して、敵艦を近くるに便ならず。加之人民の衆多なるは、面積比較上外国に数倍し、天賦の霊能日本魂有るを以て、勇気、智量、慈愛、親睦の良質を惟神に包蔵し、平素清潔を好み、神祗を崇敬し、皇室を敬ひ尊び、大義を重んずる事は、此神域に生を享けたる神国神民の自然より出づるものなり。併し淳朴質実にして、神勇神胆あるが故に、日本の太古は、天道地道人道などの名称も無く、忠義孝貞などの名目も無し。只々神随言挙せぬ国にして、不言の教、無為の化、自然に行はれ、其の行事の道に違反せしもの少く、大伴氏の遠祖、天押日命の誓言にも、海行かば水潜屍、山行かば草生屍となりて、取り治むる者なくとも毫も厭はずして、大君の辺にこそ死なめ、閑には死なじ、顧みはせじと言ひ、筑紫の防人とて、東より賦役にさゝれて行く土兵が、額に箭は立つるとも、背には箭は負はず、進む事ありとも、退く事は為さじと言ひし如く、君臣の大義父子の親愛も、自ら備はりけるが、人民漸次数多く生るに従つて、惟神の美風良俗次第に破れむとし、一の教法無くては、治まり難く成りしが故に、崇神天皇の御宇に至り、和光同塵的御政策の時代の必要に迫れるを思召され、漢土の聖人の教書を、我国に採用し玉はむとして、三韓より、阿直岐及び王仁をして、教書を伝ヘしめ給ひ、国民を教導き、治国平天下の輔翼と為し給ひしより、儒道は皇国に弘道し、其道は今に至つて尚ほ勢力を張りつゝあれども、皇国古有の大道、即ち皇道の枝葉とも称すべき教義なれば、日進月歩の今日の皇国の実際に適合せず。故に古には、少々治国の輔となりしものも、わが国聖代の人民を教ふるには、隔靴掻痒の感なき能はず。此を以て、礼儀廉恥の四維を張る可き志を奮起せしむるにも足らず、今や皇道実現の聖代に於ては、全然無用の長物視さるゝに至れりと雖も、若し此儒教をして、真面目に漢土に行はしむる時は、支那五億民衆の良教書と為すを得べし。元来皇道は、日本神国に具はれる大道にして、日本魂の根元なれば、異域の人の咀嚼し得べきものに非ず。皇道の教は『神は万物普遍の霊にして、人は天地経綸の司宰者なり』てふ神教に基き、天津日継天皇が、天の下四方の国を、安国と平けく治食す可き規範たるべきものなれば、世界の人類を治め助け、善美なる言行の範を示し、上御一人の御尾前に仕へ奉りて、世界を経綸するの天職を、惟神に具有するものにして、決して外来の宗教説の如く、未来の楽土を欲求し救助を求め、万事哀願的に出るとは、全然其選を異にす。故に凡ての外来宗教なるものは、我国に在りては、害ありて益少く、日本男子の去勢的道具にして、天祖の神慮に叶ひ奉らざるものなるを知らざる可らず。
皇国は畏多くも、皇祖の大御親神に坐す、天之御中主大神の御実体の顕現にして、世界一切を具有し給ふ神国なれば、世界一切の生民を同胞と為し、高天原に霊的活動し、且つ不滅に常住し、出ては地球上面の各国土を経綸し、入りては宇宙、即ち高天原に静養し、畏くも皇祖の御神勅に依りて、天下を治むる天職を帯ばせ給ふ、神聖不可犯の、天津日継天皇が、天壌無窮に鎮座あらせられ、神国の神民は、畏くも御皇室と共に、万世一系以て皇運を扶翼し奉る天職を、完全に先天的に具有し、皇祖大神の授け給へる、敏心の日本心は、天稟の良性にして、決して亡ぶる事無きが故に、今にもあれ、皇道の大本を講明し、以て之を激励する時は、必然日本魂の発現し来りて、天授の神魂に復帰す可きは論を待たず。譬へば三冬の厳寒に水は凍り、土涸れて、樹木の葉は悉く落ち散り、一見枯果てたるが如く、草の茎葉は朽果て、残るもの無きが如くなるも、其枝幹若くは根本に、花実となり茎葉となる可き原質は、尽く含有せるが如くなるは、野人匹夫の目に一丁字さへ無き輩、郷丁傭夫の徒にも、折々侠腸義気突破して、事に臨みては、敢て一死を顧みざる者有るを見ても知られたり。故に今、皇祖の御遺訓並に、国祖の神諭に依り、国人固有の日本魂を研き、其光輝だに現出せば、我一を以て異方の百千万人に当るに足る可く、国土の豊満なる事は、外国の及ぶベき所にあらざるなり。
第六章 皇国の言語と神胤
言語は、国土の疆界を弁別すベき自然のものにして、我皇国の如く、言語正しく清く円満にして、言霊に権威を伴ふもの無し、皇国以外の総ての国は、何事も一切用語を先にして、体語を後にす、印度、和蘭其他の外国、皆然らざるはなし。独り我皇国のみ、体語を先にして用語を後にす。「書物を読む」と謂ひ「酒を呑む」と謂ヘば「書物」及び「酒」は体語にして「読む」又は「呑む」は用語なり。「読書」又は「飲酒」と言へば「読」及び「飲」と云ふ用語を先にして「書」及び「酒」の体語は後にす。体語は本にして君主の如く、用語は末にして臣民の如し。我日本皇国にのみ如斯正しき言語を以て万事を.弁ずる事は、即ち我皇統の万世一系にして、天壌と共に窮まり無き宝祚に坐して、太古より君を君として立てたる、坤輿中に冠絶して、尊き御国体なる事を、此言語の妙用にて分ちたる自然のものなり。且つ我皇国は、昔より諸の事物を、万国に採りて用ひ来りし事は、和光同塵の御深慮とは云へ、一は以て、必然の理由存するが故なり。譬へば貴人高位の人の身は、自ら一切の事物を営作すること無く、唯々臣下又は庶人に命じて之を造らしめ、之を採りて用ゆるが如く、亦視聴言動等の機会を為す耳目口鼻等の、頭上に在りて、下胸腹四肢の根本と成るが如く、我国体の大に万国に冠絶せる所以も、亦是等の例を以て準知し得るにあらずや。然るを明の宋景廉の輩が、日東の曲に難聞分逆読と謂ひしは、己が国を中華中国など自称し、他国を卑しめる逆心より、是を逆なりと謂はむを、強ちに咎むべき事にも非ざれども、我皇国の臣民たる物茂卿太宰純などの似而非学者輩が、妄りに漢土に左袒して、是を目して回環顛倒の読みと言ひしは、大なる僻言にして、却て皇国の言語は正しくして、異邦の言語の顛倒せる所以を知らざる、狭き心より起りしものにして、論ずるに足らざる事共なり。
豊臣太閤曾て朝服を、闕下の施薬院に着けし時、屡々天顔を拝し奉るに感激し、人に謂て曰く、身微賤より起て人臣の位を極むること、天恩実に深し、蓋し吾母、むかし朝家式微にならせ給ひし時に当つて、後宮に仕へて一賤役を勤め奉りしが、一日不図、竜体に近づき奉りて孕み、その儘出て尾張の人に嫁ぎて吾を産みたるなりと。按ふに豊臣太閤は、我国古今無双の大英雄にして、其行事の凡人に卓絶せしことは、日月と光を争ふが如くなるに、瞹昧なる托言を作りて、自身の貴き胤なりと称ふが如き、卑劣魂性の寸毫も無かりし大人物なりき。世に豊太閤の母、嘗て日輪吾が懐中に入り給うと夢みて、吾を生みたりと宣まへる由を伝へしは、隠然其皇胤なることを云へど、豊太閤のそれと宣まはざりしは、朝廷を憚り給ひし忠良の御精神にて、国家への礼儀を思ひ給ひての事なりき。施薬院に於ける太閤の話は、偶々感激喜悦の余りに出でて、思はず其実を漏されたるなるべし。抑また太政所の日輪の夢は、托けて言へる言か、或は夢に其瑞兆ありしにや、何れにしても豊公の興起せしは、僅々数年間の短時日に、天下の大乱を鎮定して、皇上を輔翼拝戴し、諸侯を糺合し、以て法を将来に垂れ、武将万世の模範と成りし、大智大勇を兼備したる事の大に優れたるを観れば、其胤在りし事必然なり。我皇国は、外国の国状とは非常に相異ありて、天下は即ち一人の天下にして、皇上は実に、天上の現人神に在し坐し、王侯将相といへども、悉く皆、その胤あるなり。故に古今の豪雄の、将相の位に至つて天下の権を執りし人の、微賤の種なるは、明治の御代に至るまで、曾て在りしこと無し。平相国清盛の如きも、固より皇胤なり。鎌倉の右大将源頼朝及び北条氏、足利将軍、織田右府信長の如きも皆、桓武、清和の皇裔なり。故に豊公の系統も、亦貴き方の胤なる事前述の如し。世に豊公は凡種奴隷の出身なりとするは、大誤解たるを思ふべし。余輩は思ふ、豊太閤の、此事実を妄りに言はざりしは、天皇の太政所に堅く誠めおかれし為に、是を言ふ能はざりしものなるべし。また一説に、太閤は後奈良院の落胤にして、母は持萩中納言保廉卿の尾張国へ配流せられし頃同国御器所村の猟師の娘に逢ひて、産せたりし由縁を以て宮中に奉仕し、遂に竜体に近づき奉りて懐孕に成りしと云へり。吾大本開祖も一時は時運非にして、賤業に就事し給ひしかども、祖先を尋ぬれば、矢張り尊き人の後裔にして、山陰中納言より出で給ひしことは、桐村家の系図に由りて、明白なる事実なり。故に我国は、凡て王侯将相大賢至聖、皆その種ある事を知るべきなり。
第七章 皇国の使命
畏くも、天下統治の天権を天賦に享有し、万世一系の皇統を保全して、大日本国に君臨し玉ふ、天津日継天皇が、神聖なる天下統治の神権、大日本皇道を、未だ完全に発揮し給ふに到らざりし神代は草昧混沌として、天下は実に無道なるやの感ありしなり。古往今来天運未だ到らず、国体の精華を隠伏し、和光同塵の御神策を以て、御皇運発展の時運を、期待し給ふのを止むを得ざりしが故に、世界到る処、草昧なる権謀を発生し、以て治乱興廃の活劇を反復す。人生の不安、世路の困難なるは、是れ天下挙つて、体主霊従主義に心酔せる無道の微証ならずや。由来王道、覇道、憲政、共和政治と称し、或は聖賢大哲の唱導せる教理、道徳説は、天歩艱難の時代を忍耐すべく、凌駕すべき方便たりしなり。然り而して、是を以て時代の人智を啓発し、練習、研磨せしめ、以て皇運扶翼の資に供せしめ給へるなり。皇祖天照大御神の命以て、此の地球即ち豊葦原千秋長五百秋の水穂国は、吾御子正哉吾勝々速日天忍穂耳命の知所国と、言依し給ひて、天降し給ひし、豊葦原中津国なる、極東日本国に、天壌無窮の皇統を垂れ給ふが故に、天下の真正なる大道は、皇国に実在せり。天佑を保全し、万世一系の皇祚を践み玉ふ、皇宗崇神天皇は、畏くも神器を敬遠し、和光同塵の御神策を垂れさせ給ひし以来、茲に二千有余年、天歩艱難の凌辱を隠忍し給ひし御事は、実に吾等臣民たるもの、恐懼措く能はざる所なり。
鳴呼尊き哉、三千世界一度に開く梅の花、天運循環の神則に因り、天下の大道は皇運発展に伴ひ王政復古にその曙光を発し、明治維新の皇謨は、和光同塵の御神策をして、棹尾の大局を終結し玉へり。古語に曰く、彼を知り己を知るは百戦殆からずと。世界大経綸の用意は、畏くも、明治天皇御一代の偉業たりしなり。
畏くも明治天皇は、天運循環して、皇運御発展の時運に到着せる事実を洞察し給ひ、戊申の詔書を下させ給ひて『抑々我ガ神聖ナル祖宗ノ遺訓ト、我ガ光輝アル国史ノ成跡トハ、炳トシテ日星ノ如シ。寔ニ克ク恪守シ、淬励ノ誠ヲ輸サバ、国運発展ノ本近ク斯ニ在リ。朕ハ方今ノ世局ニ処シ、我忠良ナル臣民ノ協翼ニ倚藉シテ、維新ノ皇猷ヲ恢弘シ祖宗ノ威徳ヲ対揚セムコトヲ庶幾フ』と詔命し給ふ。然りと雖も、挙国上下の臣民は、斯深遠なる御聖慮を解し奉らず、道聴途説の如く軽視し奉り敢て聖旨を奉体せざるは、誠に恐懼に耐へざる次第ならずや。維新の皇謨の要素は、実に斯に在り。神聖なる祖宗の御遺訓皇道大本は、是実に天下統治の大道なり。是断、是遷、天威以て厳戒を加へ給ふこと、国本発展の基本なり。古今の弊政、累惑の学説、憲政の悪用は、是古今天下無道無明の産物なり。百度維新、これ開闢以来、未曾有の盛事なり。世界の平和は、斯に其基礎を厳立し、皇国の使命は、言向和す皇化の顕彰なり。済世、済民の皇道は、天理人道を明かにし、祭政一致の教政は、国体の精華を発揚し、国威は四海を風靡して、天下の無道を糺明し、世界の無明を光被す。天津日継天皇が、皇憲を世界に宣布し給ひ、以て其御天職を実践し給ふや、茲に国際的競争は、忽ち文明の競争と化し、生活の不安は、直ちに鼓腹和楽と化すべし。日本国教たる、皇道大本の奨励は、驕慢怠惰奢侈淫邪を殲滅し、社会を刷新して、世界永遠の真の平和始て茲に成就す。万世一系の天皇は、日本皇道大本を宣揚して、世界の平和を確保し給ひ、以て天下統治の御天職を完成し給ふ。鳴呼神聖なる神器は万古に存す。宇宙の大中心、世界の中心、日本国の中心にして、言霊学より見たる、アオウエイ五大父音の総轄たる、アの言霊の幸ひ、助け、天照り給ふアヤの霊域、是れ皇道大本奉釈者発祥の聖地なり。世界妖気の発する所、神軍一過忽ち平定す。偉なる哉、大正維新の皇謨、大なるかな、皇祖経綸の大謨。
人皇第一代神武天皇を、神日本磐余彦天皇と称す。彦波劔武鵜鵜草葺不合尊の第四の御子なり。御母を玉依姫とまをす。我国の太古は神も人も皆私心私情無ければ、必ず兄を以て、世を継ぐ事を為さず、唯その徳の優れるものを選ぶが故に、皇兄五瀬命、稲飯命、三毛野命を置て立て太子となりたまふ。天皇生れながらにして明達、意志確如まします。長となり給ひて、日向国吾田の邑吾平津姫を娶りて妃となす。手研耳命を生たまふ。御年四十五歳に成り玉ひし時、其兄五瀬命等と御子手研耳命と、高千穂の宮に在し坐して、相議たまふは、『此日向国は辺僻にして、王化を普く天下に及ぼすに便宜ならず。何れの地に遷りてか、大業を成就せむ。昔我天神高皇産尊と大日霊尊此豊葦原の瑞穂国を、我天孫彦火々瓊々杵尊に授け給へり。是に於て瓊々杵尊、天の磐座を離れ五百重の雲を排開き、御前を駈足して、此土に戻止たまひしが、運は鴻荒に属ひ、時は草昧に鐘りぬれば、唯その屯蒙たるまゝの淳素なる風俗に随ひ、唯専一に正直の道を養ひ玉ひて、此西の偏に在りて世を治め玉ひ、我皇祖皇宗いづれも神聖にましまして、慶を積み量を重ねて、多くの年所を歴たること、天祖の斯国に降跡たまひてより以来、今に逮りて二千四百七拾余歳なれども、遼遠なる地は猶いまだ王沢に霑はず、村に長あり邑に君あり、恣に彊界を分ちて相互に凌ぎ轢るもの多くして治まり難し』アゝ是れ二千六百年以前の世界の現象なり。即ち現代に於ける世界列強が、各国を侵略割拠し、各自彊界を分ち用ひ、相凌轢せるの状態と古今相等し。是れ天下無道、無明の証徴にして、皇国の天職、皇道大発揚の必要時機ならずや。畏れ多くも日本神国天皇が、万世一系の皇統を享有し玉ふ所以は、豊葦原瑞穂国なる世界を統治経綸し給ふ天職を帯び玉ふ故なる事、是れ国史に炳として日月の如く、記し賜ふ所なり。畏くも神聖にして、天壌無窮の皇運を保ち給ふところ、敢て古今の差別ある事なし。夫れ豊葦原の瑞穂国とは人類の生活し得て、以て国家社会を組織し得る、全世界の総称にして、大日本皇国は、是れ豊葦原の中津国、即ち世界の中心枢軸なり。醒めよ我同胞、自覚せよ其天職を。
第八章 和光同塵の世
畏くも皇孫瓊々杵命は、天地経綸の薀奥を極致し給ひ、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降り坐て、万世一系の皇統を垂れ給へり。是に因りて詔たまはく『此地者向韓国真木通笠沙之御前而朝日之直刺国。夕日之日照国也。故此地甚吉地詔而。於底津石根。宮柱布斗斯理。於高天原日木高斯理而坐也』是れ神聖なる、皇祖御遺訓に示し給ふ所。鳴呼降臨の霊域、筑紫の日向国は、これ朝日の直射す国と詔給へる。所謂威弦の発溂的弯威あり。彼の桜島の爆発、高千穂の爆煙は、是百度維新の神威ならずとせんや。天下の無道、暗黒無明の世界を照し玉ふ、神聖なる大日本皇道の顕彰すべき事を知らしめ給へる、朝日の直射す曙光を示し給へるものなる可し。
現代物質文明の淵源地は、西欧諸国にして、是れ即ち夕日の日照る国なり。鳴呼夕日の日照る国、この国より御稜威の発せるは、即ち西欧米等の大戦乱は、皇運発展の導火線たる事、国祖の神諭に由りて明瞭なり。
(一)敢て日本国と謂はず、世界を挙げて、累卵に陥りつつ在るは、目下の惨状なり。由来古今東西の聖哲が、世道人心を治安せむと欲して、唱導せる倫理、宗教、道徳、政治は、之を反復練習せる事幾千年、未だ以て真に社会を平和にし、人心を安息せしむる事能はざりき。然り而して幾種の宗教、幾種の道徳、幾種の倫理、幾種の政治は、各その学者の口に因りて主張せられ、各学派を樹立し、以て相凌轢する所、二千六百年以前の状態なりし、所謂神武天皇の詔ふところの『遂使[#下]邑有[#レ]君、村有[#上]長、各自分[#レ]彊用相凌轢』と幾許の差異かあらむ。
(二)上流社会と称して、美衣、美食、酒色に耽溺して、大厦高楼に起居し、尸位素餐、閑居不善を極むる者あり。中流社会と称し、営々として子女を教養し、租税の醸造的機関たる枢軸的階級あり。下流社会と称して、家族を挙げて、生活の物資を得るに、汲々乎として奔走し、以て生命糊口を凌ぎつつある者あり。
由来上中下流と称するも、人間として何の差別あるに非ず、人生の目的は、必ずしも生活するが為に生れたるに非ず。更に禽獣と相等しく、生活の物資を得るために、奔走すべきものなるの理由は断じて無かるべし。物資、財力、権威等の獲得を以て、現代人生経綸の本旨と為し、以て大は国際的の競争と、中は政権争奪に党を結び、小は個人として、各営利の為に相競争し、各自相凌轢しで、世に処するの状態は、是二千六百年以前に、神武天皇の詔給へる、所謂『遼遠之地猶未霑於王沢遂使邑有君、村有長、各自分彊用相凌轢』此世態と幾許の差異あらんや。
(三)畏れ多くも明治天皇は、教育の根本に関する、大勅語を国民に降下あらせ給ひ、
『斯道ハ実二我ガ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶二遵守スベキ所、之ヲ古今二通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス、朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ、威其徳ヲ一ニセムコトヲ庶幾フ』と詔らせ給へり。鳴呼日本国民にして、誰か此の大勅語の御本旨を奉体して、以て御国体の精華を発揮し奉り、天壌無窮の皇運を扶翼し奉り、以て祖先の遺風を顕彰したる。誰か、陛下の忠良なる臣民の資格を有する者あるか。六千万の同胞上下を問はず、滔々として世界の濁流に游泳して、私産を作り、虚栄を貪るに、敢て手段の善悪を問はず、偽善詐偽不倫行為が、根本的に天賦の徳器を破壊するも、更に毫も怪しまざるの現状なり。殊に日本の学者にして、神聖なる祖宗の御遺訓皇典古事記は、天武天皇の御勅語にして、斯乃邦家之経緯、王化之鴻基焉と記し給へる御神慮を知らず、恰も西洋印度等の神話と同一視し、布衍教導する洋学に心酔累感せる迂愚学者を輩出するに至れり。彼等は御国体の蝕虫、教育界の蠹魚たるなり。
鳴呼現代は、是れ弊政の窮極なり。無道の政治、無明の教育を以て、曷ぞ能く御国体の精華を発揮し奉る事を得むや。鳴呼、神聖なる皇祖の御遺訓、大日本皇道を奉体せざる輩、曷ぞ皇憲を運用し奉るの資格これ在らむや。
(四)神武天皇詔日
『是の時運鴻荒に属し、時は草眛に鍾る。故に蒙以て正を養ひ、此西の偏を治む』
鳴呼畏くも崇神天皇が和光同塵、以て世界統治の神策を建て給ひて以来、殆ど二千有余年、蒙倶以て正を養ひ給ひしが故に、御歴代の天皇が天歩艱難を凌ぎ忍び給ひけること、誠に惶き極みにこそ。皇運発展の時代は、畏くも陛下の御代に於て、万世一系の御天職を発揮し給ふに因りて、実現さる可き事は、炳乎たる事実なり。加之天運循環の神律は、日本国に幸ひ助け、天照り玉ふ言霊の復活と、国祖の神聖なる垂訓に因りて、皇道を顕彰し給ひ、以て現代の無道無明を照し給ふ可し、神聖なる天津日継天皇の御稜威を、八荒に照耀し給ひ、壮厳なる国祖国常立尊の神威は、暗黒界を照明して、天下に皇道を実現せられ、以て世の経綸を革正し、茲に神聖なる済世救民の御天職と、永遠の平和を保全し玉ふは明瞭なり。偉なる哉、日本皇国の天職や。
第九章 天祖の大予言
仏教家の人を誘ひ、以て其教に入らしめんとするや、実に巧みなりと謂ふべし。賢人智者を誘導するには、最も高遠にして難解の教理を以てし、愚俗者を誘導するには、禍福因果の談を以てし、其嚮ふ所に従ひ、方便を設けて之を導き、その哀傷憤怨の際に乗じて之を説得す。故に世人の多くは、其所説に酔ひ迷ひて、自ら之を悟らず。然るに仏者の言ふ所は、皆これ憑虚捏造風を捉へ影を捕ふるが如く、一の証顕有るに非ず。少しく識見を有する者は、固より以て其妄説たるを知るに足る可し。基督の徒に至つては、其術更に巧妙を極む、以為[#レ]事証顕無ければ、則ち人をして信従せしむるを得ず。是を以て証験二項を立て、以て其空理空論に非ざるを表明す。一は先知予言、後事応験を以て証拠と為し、一は非常神蹟、衆人共見を以て証拠と為す。是を以て、其教理洋の東西に蔓延し、識者と雖も亦或は固信して之に従ふに至れり。然りと雖も近世に至つて、人智日に開け月に進み、格物究理の学術益々進むに及びて、基督教の諸々の異能を現はすは、固より其徒の伝導の方便的偽造に出で、又彼の神の奇蹟なるものは、奇異驚く可きが如しと雖も、亦皆山海の形勢、大気の変動及び機械、薬品の致す所にして、決して神の為す所に非ざるを知るに至り、彼の徒の狼狽為す所を知らず、遂には種々の苦策を巡らし、救貧施療等の社会的事業に、慈善的仮面を被りて、僅に教理布衍の命脈を維持するの止むを得ざるに至れり。且つ又その予言なるものは、其所謂聖書に就て之を考ふるに、或は夢寐恍惚、殆んど捕捉すべからず。或は譬喩曖昧の記事を挙げ、或は擬似両端の事を録し、或は荒唐無稽解す可らざるの語を載せたり。後世彼徒の有力者は、種々苦心の結果、乃ち之を牽強し、之を附会し、曰く是れ某時の予言なり、之れ某人の予言なりと。夫の予言と称するもの、亦竟に確拠明徴有り、以て信従するに足るもの有るに非ず。
夫れ予言と日ひ、神の奇蹟と云ひ、一として信従するに足らざるは、業に已に斯の如し、故に洋人と雖も、知識階級の人士は、亦多く其妄虚たるを暁るに至れり。是を以て基督教の今日の勢力、亦古事の隆盛なるに若かず、殆ど将に廃滅せむとするの兆候あり。古の信徒は、唯単に神の予言と神の奇蹟を以て、其の信仰の眼目となせしが、人文開明の今日にては、却て其予言及び神蹟に因りて、同教の廃滅を兆すに到れり。則ち予言と神蹟の説示は、是将に同教を頽廃せしむるものなり。然るに我皇国の教は、其予言と神蹟を説かざりしか。曰く否、皇国の教は古昔に在りては、即ち予言と神蹟を説く事稀なりと雖も、国祖国常立尊の、地の高天原に顕現し給ひし聖代に在りては、即ち予言と神蹟を説き国民を指導するの急務なるを信ず。古の学者は天壌無窮の予言と、万世一系の神蹟を説きしもの尠く、故に皇道の教理、未だ万国に弘布せざりき、今や天運循環の神律に因り、天祖の予言と神蹟、並に国祖の神訓神蹟を、説く可き時機の到達せるを知る。皇道の大本、皇祖皇宗の御遺訓神蹟にして、明確に宣布されむか、世界万国の民亦必ず、相率ゐて皇道の教理に帰順すべし。如何となれば其予言と神蹟は、確拠明徴あり。以て大に信従するに足るものあるを以てなり。請ふ其説を言はむ。皇典に曰く『豊葦原千五百秋之瑞穂国は、是れ吾子孫の王たるべきの地なり。爾皇孫就きて治む可し。行け宝祚之隆当に天壌と窮まり無かる可し矣』此言や、是天祖の天孫に勅命し玉ふ所なり、天孫彦火々瓊々杵命、此の神勅を奉じて下土に降臨し給ひし以来、皇統連綿として万世一系に渡らせられ、宝祚の隆なる事、果して天祖の神勅の如し。是れ豈に偶然ならむや、是れ山豆に確拠明徴、以て信従するに足るものにあらずや。此の大神勅、即ち吾人の所謂予言は、然も基督教予言の比に非ざるなり。故に曰く、基督教は予言に因りて廃滅し、皇国の教則ち皇道は、必然予言を以て興隆すべしと。
第十章 皇国の神蹟
我が皇国は古来神国と称し、独一の真神なる、天之御中主之大神の主宰の下に、天津神八百万、国津神八百万在し坐して、国土を守り幸はひ給へば、古往今来、外国に優りて神異神蹟極めて多く、僕を更ふるも数ふべからず。余は今日唯に一、二の神蹟を挙げて、以て皇国固有の大道の信仰遵奉せざる可らざるを徴せむとす。中古称徳天皇は、元来深く宇佐八幡宮を信奉帰依し給ひて、大神の憑語と言へば虚実を問ふの暇無く、事々物々其神憑の語に従ひ給ふを奇貨と為し、時の妖僧弓削道鏡なるもの天皇の殊寵を得て、心行共に日と共に増悪の域に進み、出警入蹕僣に乗輿を擬し、自ら号して法王と謂ふに至れり。時に太宰府の神主にして、中臣の習宜阿曾麻呂なるもの、権勢並び無き自称法王妖僧弓削道鏡に媚附き、己が勢力を得んため、畏れ多くも矯めて、宇佐八幡大神の教言なりとて朝廷に奏す。即ち日く『天皇若し、道鏡をして天津日継の位に即かしめ給は父、天下は永遠無窮に太平なる可し』と、茲に天皇は、殊寵殊愛の道鏡と雖も、事余りに重大なるを以て、御神慮決し兼ねたまひ、密かに和気清麿を召し出し、往きて宇佐大神の神教を請はせ給ひぬ。発するに臨み、妖僧道鏡亦清麿を招き、目を瞋らし劔を按じ清麿に謂ひて曰く『八幡大神深く我が忠誠を嘉みし、我をして天津日継の位を践ましめむと欲し給ふ。故に今汝をして再び神教を乞はしむ。汝克く神教を奉じ、我をして欲する所を得せしめなば、即ち我は汝をして太政大臣の官を授く可し。若し我言に違ふあらば、即ち必ず重き刑罰に処す可し』と。茲に誠忠無比の清麿は固く意を決し、直ちに往きて宇佐八幡に詣で、厳粛なる祀典を修し、心神を清めて、恭しく神教を乞ひ奉る。大神即ち清麿に神懸して具に教へ覚し給へり。清麿更に祈りて曰く『今大御神の教へ給ふ所の語は、是国家の一大事なり、大神の憑語信じ難し。願はくは神異を示して其真否を決せしめよ』と。自己審神者の神術を修するや、是に大御神は忽然として神形を顕示し給へり。其身長三丈に余り、光輝満月の如し。
神勅に曰く。
『我国家開闢以来君臣の大義明分定まれり、未だ臣を以て君と為し、君を以て臣と為せし事あらず天津日継は必ず皇緒を立てよ。道鏡の悖逆素より天地容れざるの大罪なり。宜しく速に剪除せよ汝道鏡を怖る瓦勿れ、吾は必ず相済けむ云々』
清麿還りて具に神勅を奏す。道鏡事の成らざるを以て大に怒り、遂に清麿を大隅に流謫し、人を使て之を途中に追殺せしめむとす。俄然大雷雨来りて、天地晦冥咫尺を弁せず。使者未だ発せざるに、勅使来りて免る丶を得るに会ふ。次で光仁天皇位に即き給ふに及んで、道鏡の大逆を悪み、直ちに之を下野に竄し、和気清麿を召還し給ふ。清麿時に脚を病み起つこと能はず。強ひて病を輿して途に上る。忽ち宇佐を過ぎ大神を拝するや、脚即ち起ち、遂に馬に乗りて還る。観る者神威神蹟の顕著なるに、歎異せざるは無し。夫れ道鏡妖僧之神器を覬覦するや、凶焔人に逼り勢当にあたる可らず。事の成否は、即ち使臣和気氏の一言に決するなり。国家存廃の分水嶺上に立てる清麿の責任や、実に大なりと謂ふべし。皇道の本義を体得せる、誠忠無比の和気氏、乃ち毅然として撓まず屈せず、一身の安危を度外に措き、直ちに神教を朝廷に奏上す、其の志操や、国家を匡救し、気節、姦侫の心胆を震愕せしむ。是固より和気氏忠義の節、天地に貫徹せるに由る可しとは雖も、神明皇祚を護佑し玉ふに非ずんば、焉ぞ能く、此の如くなるを得むや。実に皇道の大本毅然として、万古に卓立する所以を知るべきなり。
胡元宋国を滅し、次で諸多の隣国を征服し、四百余州に君臨し覇を称ふるや、独我皇国のみ使聘を通ぜず。元主韓人を使て、書を皇国日本に致さしめて日く『我要求に服せざる時は、即ち尋問の師を出さむ』と。朝廷忽ち、令を鎌倉に下して議せしむ。時の執権北条時宗大に怒つて曰く『書辞以て甚だ礼を失す。報復するに及ばず』と。則ち使者を追ふ。其後元の使者、幾度来りしと雖も、悉皆拒否して納れず、且つ一々其使者を斬る。其後元主大に怒り、文永十一年冬元軍西境に仇す。鎮西の猛将勇士、拒み戦ひ且つ之を退く。建治元年夏、元の使節「杜世忠」等復た来る。時宗怒つて之を鎌倉竜ノロに斬る、乃ち北条実政を以て筑紫の探題と為し、鎮西の将士を監し、辺海を鎮戍し、大に戦備を為し急変に備ふ。未だ幾何も経ざるに、元の使節復た来る。時宗また之を斬る。元主「忽必烈」我国の再び元使を誅せるを聞き、大に憤怒し、大に舟師を興し「茫文虎」を以て之に将とし入侵す。弘安四年七月。博多に抵り舳艫相銜む。実政が部下の将士等、克く拒ぎ戦ひ殺傷相当る。時宗爰に宇都宮貞綱を遣はして之を援く、未[#レ]到。是時に当つて朝野心を一にし、全国の神社並びに仏宇に祈薦を修す。畏くも亀山上皇は、躬自ら徒洗して石清水八幡宮に詣で、精疇一夜、従臣をして神楽を奏せしむ。また権大納言藤原経任を伊勢に遣はし、幣帛及び宸筆宣命を皇大神宮に奉り、身を以て国難に代らむことを請ひ給ふ。閏月朔太陽蝕に当る。天陰見えず。黒雲一点石清水宮より起り、雲中隠々白羽の鳴矢あり、西の天に向つて飛び去る。皇大神宮の摂社たる風神の社殿内より、忽ち一道の神光を発し天地に照耀す。大風暴び起る、西海最も激烈なり。雷迅竜跳、怪異百出、海水篏蕩し、賊艦四千艘悉く皆覆没破壊し、虜兵全部滅亡し、十万人中脱れ帰る者、僅に三人なりと謂ふ。是より元再び、我皇国の辺境を窺はざりき。
夫れ胡元、強大の武力を以て我国に臨み、一挙にして忽ち我を併呑せんとする、其猛勢や恰も巌を投げて卵を打つ如し。然りと雖も、皇道の大本に、惟神的に合成し、奮然として撓まず、屈せず、数々其無礼極まる使節を斬り、以て彼の兇威を挫き、民志の団結を固め、死を決して之を待つや、天下の志気大に振ひ、戦はずして敵を呑み、仇に勝つの慨あり。是固より時宗が、国家の一大事に際して少しも騒がず、悠然として志を決し、防禦宜しきを得たるに由るとは雖も、神明の霊威皇国を護佑し給ふに非ずんば、焉ぞ能く斯の如き大勝を得、以て国威を万世に伝ふるを得んや。抑道鏡の徒が姦曲殆ど皇祚を移さんとし、胡元の仇、殆ど皇国を傾けんとせり。然るに皇国の神明、深く国家を保護佑助し、大に威霊を顕示し給ひて、妖鬼沮喪し黠虜殲滅し、今日に至る迄纂奪の禍害無く、対外戦に於ける敗なし。其神蹟の彰々たるや此の如し。
鳴呼皇国は、天神地祗の佑護に成れる、建国以来の歴史によりて、克く其の国粋を保ち、時に精華を開きたりと雖も、現代の風潮は、漸く妖蘖の兆を醸成し、国民思想の根底は、油水の浸潤するが如く、腐敗蝕すること、元寇の禍害に幾百倍し、外来思想の伝播は妖僧の如く、皇道を無視し且つ軽侮し、祖神が以て、天壌無窮なりとして依さし給へる神国の基礎、また以て不測の禍根なきを保ち難からむとす。見よ、上下生活難を絶叫するは何の為ぞ、安分の念なくして、虚栄浮華に奔るを以てなり。六親相怒り、郷呂相鬩ぐは何の為ぞ、誠敬の心無くして、自他相欺くを以てなり。父子の情殆ど絶え、君臣の大義将に滅せむとす。於是乎社会共産主義あり、自然主義あり、民主々義あり、共和主義あり、厭世主義あり。曰く吾人の意志は自由にして、人権は平等なり、故に共和政治は、最も人生に適すと。曰く、天は人を平等に生み平等に愛す、須らく共産主義を行ふ可し。曰く、人は自然に生れ、死するも亦自然なり、故に自然的情欲を恣にして、無政府たるべし。曰く、人生は猶ほ火宅の如く、身を焼いて止まず、甚だ厭ふべしと。或者は豺狼の如く、或者は羊豚の如くにして、民心常に薄氷を践むが如く、国家は日に月に、深淵に臨むが如し。噫思ひを此処に馳する時は、現代は是一大乱世に非ずや。古語に日く、家貧にして孝子出で、国乱れて忠臣現はれ、天下無道にして、聖人起るとは宜なる哉。我皇国は、神の建て給ひし国なり。神の開きし国なり、神の作りし国なり、神の守り坐す珍し国なりと日ふ。茲に国家の一大危機に頻し、畏くも国の大祖国常立尊、豊雲野尊の二神、下津岩根の高天原に、変性男子変性女子の二霊を降し、神如の慈教を宣伝して、此漂蕩へる民心を修理し、此漂蕩へる国家を固成し、以て世界をして、神祗聖代の徳沢に鼓腹せしめ、此の世界の各国土をして、五六七の神世に転化せしめ、此蒼生をして、高天原に安住せしめむが為に、去る明治二十五年正月、大本開祖出口直子刀自に、国祖の神の憑依し給ひ、前後通じて二十有七年の教莚を開き給ひ、国家国民針の指を発表し給ひて、顕幽両界に跨り、皇国を護佑し給ふも、全く皇道大本の、確固不変なる所以なり。鳴呼忝なき哉、国祖の殊恩。鳴呼尊きかな、天津日嗣天皇の、天壌無窮の皇運を保全し給ふ皇国。金甌無欠の我国体。
宇宙初発の際に言霊あり、言霊は神なり、又仏陀と日ひ真言と日ふ。
我国は天地開闢の時に、最初に造られたる真正無比の国土にして、地球の総領国なり。又言霊の法清く美しく、円満にして朗かなり。故に我国を言霊の幸ふ国、言霊の天照る国、言霊の助くる国、言霊の生ける国と、古より言ひ伝ふ日本神州神民の声音は、円満清朗にして、其数最も多く、
清音のみにして且つ言霊に権威を伴ふ。他国の言霊は、甚だしく混濁して、日本神民の三分の一の数を用ひ、且つ不正の声音を発し、言霊の権威は絶無にして、只々意思を伝ふる用に供するのみ。其他の下級動物に至るに従ひ、声音の数益々少く、論ずるに足らず。
惟神の大道は、天地自然の性に従ふものなるが故に、世界各その教を設くるにも、国霊と風土の関係に由つて、差別あるなり。皇国は国霊も風土も、清浄潔白にして、其国民は恰も神明に等しければ、神命を奉じ、万世一系の皇室を戴き、大君は神の御心を心とし、民を以て本となし、天国の善政を施き、臣民を率ゐて、天地経綸の司宰者たる天職を尽すべく教へ導き、天が下を安国と平けく、知食玉ふが故に、我大君は主、師、親の三徳を惟神に具有し給へば、我国民は、天津神の霊統を継がせ玉へる、現人神に在し坐す、大君の御神勅を、畏み仕ヘ奉りて、上下一致億兆一心の、天津誠の道を遵奉し奉り、天地の神明に愧ぢざる善行を為し、天下に範を示すベき神州清潔の神民なれば、外国の如く、小賢く言挙げせざる大御国なる事も、弁ヘ知るベし。又印度の如く風俗悪く、従つて国霊劣りて、頑愚度し難き人民を、教化し済度せんとせば、彼の釈迦の如く、仏の教なるものを作り、地獄極楽の説、因果応報の教旨など、種々の方便を設けて、国人の心を和め、且つ之を導くは、是その国土人心に相応したる教誡なり。故に印度人としては、最も適当なる唯一の教理と日ふべし。されど我国に是を応用するは、人類の食膳に向つて、牛馬の喰ふべき食物を供するが如くにして、必ずしも、適当なる教と日ふべからず。日本人は皇国固有の教を遵奉し、印度人は印度国に適したる仏教を遵奉せば安心立命し、以て人生の本分を尽し得るなり。
支那の如きは、人民の心を本として教を立て、天下は天下の天下なり、一個人の左右すべきものに非ずてふ精神に基きて、教を立てたる国土なれば、仮令天下の主なりと雖も、暴逆にして民心を失ひたる時は、之を伐ち、之を放ちて、其位に代るを以て、自然の良道とするなり。故に孟子の言にも、民為[#レ]貴、社稷次[#レ]之、君為[#レ]軽と在り。土神穀神の社殿と雖も、旱魃洪水などの変災頻りに起りて、之を禦ぐこと能はざる時は、直ちに無能不用の神として、其社殿を毀ちて之を更改す。況んやそれに次ぐと為せる、国君の不徳にして民を治むる事能はず、暴逆無道にして、民心に背反する時は、明君出てその位に替るも、皆その風土国霊に相応して、聖賢の立たる自然の道なり。それとは亦格別にして、我皇国は神の造りし国、神の治むる国、神の建てたる国なれば、万世一系の皇統を、天津日継と申し奉る事は、天地開闢の太初より、高天原に在します所の、皇祖天照大御神の御子孫にして、天津日の御跡を継ぎて、天下に君臨し給ふと日ふ、尊称なる事は、古典明かに之を教ヘ給ふなり。『茜刺す天照国の日の宮の聖の御子云々』と続日本紀の歌にも載せられ、我国体の尊厳無比なるは、古往今来国民の普く知悉せる所なり。万葉集の長歌にも『天地の初の時ゆ久方の、天の河原に八百万、千万神の神集ひ、集ひ居まして神分り、分りし時に天照日女尊、天をば知しめしぬと葦原の、瑞穂の国を天地の、依相の極み知しめす、神の命と天雲の、八重掻別けて神下り坐し奉りし』など詠めるも皇祖大神の高天原を知召し、皇孫瓊瓊岐命の、此の地上の国土へ降臨し給ひたる、神事を云へる神歌にして、君を君として立て、所謂天立君主、立憲制の御国土なるが故に、古の摂家、清家の家々も皆天上より陪従し来りて、事ヘ奉りたる神人の裔孫支流にして、天地開闢の初より、君臣の大義名分なるもの、自然に定まりて、幾度世を代ふるとも、毫も動揺する事無く、天津日継の高御座は、万世一系にして擾れ給ふ事無き、誠に至善至美至真の御国体なれば、斯の神国に生を託するものは、神と皇上との殊恩を、片時も忘却すベからず、実に神聖無比の天国浄土たるなり。然のみならず、其皇子に源平等の姓を賜ひて、皇族の御方々と雖も、一度臣下の列に成らせ給ひたる時は、仮令皇子、親王、諸王と雖も、再度皇位を継がせ給ヘる事実なき、霊威不可犯の尊位に在しまして、国民は実に有難く、忝なき次第と云ふべし。我歴代の天皇は、上は天津神の御心を心と成し給ひ、下は臣民の心を以て、政治の大本と為し玉ふが故に、畏くも明治天皇は
『罪あれば我を咎めよ天津神、民は我身の生みし子なれば』
と仰せられ又 『我臣民億兆の中に、一人にても、其所に安んぜざる者あらば朕の罪なり』
と仰せられし御聖旨を伺ひ奉るに於ては、我皇上の臣民たるもの、一人として感泣せざる者あらむや。実に尊く忝なく、御仁慈の程は山よりも高く、海よりも深く、恰も慈母の赤子に於けるが如しと日ふ可し。畏くも皇宗天武天皇の、古事記を撰録せしめ給ひし時、その御序文に
『於是天皇詔之 朕聞諸家。之所賚 帝紀及本辞。既違正実。多加虚偽。当今之時。不改其失未経幾年。其旨欲滅 斯乃邦家之経緯。王化之鴻基焉。故惟撰録帝紀。討覈旧辞。削偽定実欲流後葉。』
以上の御聖旨に由るも、皇典古事記の最も正確にして、勅撰に成れる事実は、昭々として日月の如く、一点の疑惑を容れ奉るの余地無し、古典学者の輩浅学薄慮にして、神聖なる皇典古事記の深奥を解せず、徒に文字音句の上に拘泥し、偶、穴穂御子(安康天皇)の大日下王を殺し、其妹なる長田太郎女を皇后と為し給ひ、其子目弱王に弑せられ給ひし事跡などを捕へ来つて、古事記は上代の出来事を、最も赤裸々に伝へられしものにして、主上の暴逆を記載せられたるは、寧ろ古典の美点なりなど唱へて泰然たるは、実に恐懼の至りなりと日ふべし、我歴代の天皇は、上は天神の御心を体し、下は臣民の安危を以て念慮と為させ給ふが故に、天下を知食し給ふや、時代の人情治乱を以て、我が不徳の罪と為し、下万民に代りて天神に罪を謝し万民を無罪の神子と、見直し、聞直し、詔直し給ふ、主、師、親三徳全備の現人神に在し坐せるが故に、其御宇の人民の罪悪を赦し、御自身の御行跡の如くに伝へ給ひて、臣民を庇護し給ふ、大慈大悲の大御親心に出でさせ給ふを、伺ひ奉る可し。之に反して紀、記両書の伝ふる事跡を、文辞の儘に解す可きものとすれば、何を以て天武天皇の『斯乃邦家之経緯、王化之鴻基焉』と詔らせ玉ふ可きや。
吾人の常識を以て判断するも、自明の理ならずや、次いで日本書紀の一節、武烈天皇紀に『天皇の御所行総て残忍に在坐して孕婦の腹を割きて其胎を観給ひ、人の頭髪を抜きて樹に登らしめて、之を射墜し給ふ』などの、大悪逆有らせられし事を記されたるが、我列聖の大君は、元来大慈大悲の、天津御神の珍の御子孫に在し坐し、民を見給ふ事、恰も我身を傷むが如く、思召し給ふが故に、何れの君主も皆時代に応じたる、善政を布き給ひて、天意に順応し給ふが故に、御一方として、悪逆無道の君主出で給ひし事無きは当然なり。然りと雖も、我国歴代の至尊は、天祖天照皇大神の、此の豊葦原瑞穂国は、吾児の世々知さむ国と詔り給ひて、全地球の御支配権を、任さし給へる大君に在し坐すが故に、現代の極東日本国のみならず、全世界の人民をも、赤子の如く治め統ベ愛くしみ給ふ御天職の在しませば、仮令、異域の出来事と雖も、責任を帯ばせ給ひ、全世界に於ける主、師、親の全徳を発揮し玉ふ、歴朝の大御心より、当時に於ける異域の悪逆無道の出来事までも、一身に引受け、異域の悪王の所行と雖も、之を見直し、聞直し、詔直し玉ひて、千座の置戸を負はせ給へる、尊き忝なき御神慮には、日本臣民は言ふも更なり、外国の臣民たりとも、感泣せざるを得ざる大御心と、仰ぎ奉りて、猶余りありと謂ふべし。然る深遠なる、大慈大悲の御神慮の御在します事を、奉解し能はざる、群盲象評的の似而非国学者輩頻出して、尊厳無比なる、皇祖皇宗の御遺訓なる古典を誤解し、武烈天皇紀の御事跡に対して『斯の如ぎ大悪逆を為し給ひし大君も、崩御し給ふまでは、臣下に誰一人、これを弑し奉らむと思ふ者無く、天皇と仰ぎ奉りたるは、君臣の名分定まりては、妄りに動かし難き、風土の然らしむるに由るなり』など論ずるは、寧ろ古典を汚す、不忠不敬の盲目学者と謂ふベし。吾年来主唱せる皇道大本の解説は、皇祖皇宗の大御心を奉体して、弁明を降し奉るものなれば、前人未解の真意義を解し、以て全世界を、精神的に改造し神皇の洪大なる御恩徳に、浴せしめむとするに在るのみ。
皇道の本義
世俗往々にして、我々の宣伝する皇道を目して、現代の所謂十三派の神道宗教と同一視し、以て神聖なる皇祖皇宗の御遺訓を奉釈する皇道大本と、宗教との根本的解釈に迷へる者多きは、実に斯道の為に慨嘆禁ずる能はざる所なり。吾人は茲に、皇道と神道との区別を略述し、世の誤解を解き、我国体の精華を根元的に明瞭ならしむるの、最大急要事たるを自覚する者なり。
皇道の本義は、畏くも万世一系の皇統を継承し給ひて、日本神国に君臨し、地球上に於ける、主、師、親の三徳を具備し給ふ、天津日継天皇が天下を安国と平けく知食し給ふ、乾霊授国の御本旨を達し給ふ。御経綸の神法神則を、皇道と称ヘ奉るなり。然り而して、綾部の皇道大本は、皇祖皇宗の御遺訓を、皇国固有の言霊学の上より、将又大本開祖二十七年間の、神諭の御精神より真解を施し、我国民をして、皇道の大本を知悉せしめむとする、惟神の霊府にして、直ちに皇道実現実行の、首府と謂はむは非なり。如何んとならば、皇道の御実現御実行なる神業は、畏くも一天万乗の至尊の御天職に在し坐すが故なり。我臣民たるものは、只々皇道の大精神、大本元を会得し、以て上御一人の御天職を忝なみ、神国臣民たるの本分を尽し、神と皇上との洪恩に報い、天津誠の神教を遵奉し、麻柱の大道を守り、忠良の臣民と成るの心掛けを、片時も忘却すべからざるなり。要するに皇道とは、畏くも天津日継天皇が天下を治め給ふ、御政道の意義にして、皇道大本は其意義の大本を根本的に奉釈し、天下万民をして、皇国々体の尊厳無比なる真理を了得せしめ、忠孝両全の日本魂を涵養し、練磨せしめむとする教庭なり。
謹んで皇道の根本、皇祖の御遺訓、皇典古事記の内容を按ずるに、古事記上巻、
『是を以て白したまふ随に、日子番能邇々芸命に詔科せて、此の豊葦原水穂国(全地球の総称)は、汝知さむ国なりと言依し賜ふ。故命の随に天降りますべしと詔たまひき。
爾に日子番能邇々芸命、天降りまさむとする時に、天の八衢に居て、上は高天原を光し、下は葦原の中津国を光す神是に有り。故爾に天照大御神、高木の神の命以ちて、天之宇受売神に詔りたまはく、汝は手弱女なれども伊向ふ神と面勝神なり。故専ら汝往きて問はむは、吾が御子の天降りまさむとする道を、誰ぞ如此て居ると問へと詔りたまひき。故問はせ賜ふ時に答へ白さく。僕は国つ神、名は猿田毘古神なり。出で居る所以は天津神の御子天降りますと聞きつる故に、御前に仕へ奉らむとして参向へ侍るぞと白したまひき。爾に天の児屋命、布刀玉命、天の宇受売命、伊斯許理度売命、玉の祖命、併せて五伴緒を支り加へて天降りまさしめたまひき』
以上古事記の御遺訓は、万世一系の天津日継天皇が、世界万国を平けく安らけく知召させ給ふ、天理(教育)人道(政治)の要義、即ち皇道の大本源を示し給へる神勅にして、幽遠微妙の神理あり。普通文章的の解釈にては、容易に其の内容の本義を窮知する事難く、偏に我皇国に幸ひ助け、天照り生ける、言霊の真解に依らざる可らざる神文なり。
古今の大学者、大哲人と唱へらるゝ輩は、上文の天降ります段を以て、空中より地上へ降らせ給ひしと解説し、或は亜細亜大陸より渡来の意義ならむなど、誤解したるは、実に憫笑の至りならずや。実に天津日継の御皇統は、世界人類発生以来、根本的に日本国に、弥栄えに栄え在し坐す事実は、皇典古事記の御内容を闡明し、実地を踏査する時は、最も明確に、判明する事を得るなり。何れも皆天津日継天皇が、天祖天照大御神の御神勅に依り、世界御経綸の要旨を、明示し玉ヘる神文なり、次に、
『於是其の祷ぎし八尺曲玉、鏡、及草薙劔、亦常世の思兼神、手力男神、天の岩門別神を副へ玉ひて詔り玉ひつらくは
此の鏡は専ら我魂として吾が御前を拝くが如、斎き奉りたまヘ。次に、思金神は御前の事を取持ちて為政たまヘと詔りたまひき。
此の二柱の神は、さくくしろ、五十鈴の宮に、拝き奉る。次に登由宇気神、此は外宮の度相に坐す神なり。次に天之石門別神、亦の名は櫛石窓神、亦の名は豊石窓神とも謂す。此の神は御門神なり次に手力男神は佐那県に坐せり』下略
以上の御本文に由るも、皇道の国家経綸を、運用する大基本を示し給へるを知る可く、其の大要を奉解せば、
(一)思兼神の本質は、天理(教育)と人道(政治)の本末を、正しく結び定むる活用を保有し玉ひ、
(二)佐久々斯侶伊須受能宮と謂ふは、皇祖皇宗の御神勅を稟け奉りて、天津日継の重要なる経綸を、結び定むる神庭の意義なり。
(三)登由宇気神と謂ふは、天賦の国の徳性と、人の徳性の本末を糺す、活用を保有し給ふ意義なり。
(四)坐外宮之度相神也と謂ふは、国家人心安穏に、天賦の国土を経綸して、子孫益々栄え、天賦の人の徳性を顕現せしむる活用を、保有し玉ふ地なる事を謂ふなり。
(五)天之石門別神と謂ふは、世界各国に、国魂相当の分限を守らしむる活用の謂なり。
(六)櫛石窓神と謂ふは、世界各国が等しく、異れる国魂の大造化力の機関たる、活用を保有する事を顕はす意義なり。
(七)豊石窓神と謂ふは、天賦の国土の天職と、人の天職を明亮にして、世の活用を司る機関、即ち天地経綸の司宰者たる、人生の本義を保たしむる活用の意義なり。
(八)御門神と謂ふは、天賦に保有せる気界及び動植物等の適当なる運用を定め、天賦の国家経綸の活用を司らしむる神業の意義なり。
(九)手力男神と謂ふは、世界を籠め結ぶる所の、智力を保ち給ふ意義なり。
(十)佐那県座也と謂ふは、人が天賦に生れ出たる、各自の国土を経綸する、性質を保ち居る意義にして、各国ともに国魂相応の天賦に順ひたる、世の活用を結び定むる事の神文なり。
斯くの如く広大にして深遠なる、厳粛なる、国家経綸の神業を総称して、皇道とは謂ふなり。即ち皇道とは、天津日継の教育と天津日継の経綸を統ベ玉ひて、天下を平かに治め玉ふ、惟神の大道なり。
斯の皇道、即ち惟神の大道を実行し玉ふ時代には、国に天災地変無く、人畜に病災無く、政争跡を絶ち戦乱起らず、人に盗欲の心無く、生活に困難を来さず、社会的の不平も無く、生死往来の真理は、実に日月の如く明かなるが故に、男女老幼共に、各自天賦の霊能を発揮して、人生の天職を全うし、各天賦の幸福を楽みて、天国の生活を為すに到らば、是れ皇道実現の神世なり、極楽の世界なり、天之岩戸開きなり、五六七の大神出現の世なり。彼の孔夫子が『天下道あれば、即ち礼楽征伐天子より出づ。(中略)天下道あれば、即ち庶人議せず』と言ヘるは実に至言なりと雖も、憐むベき哉、彼等の国体は言ふ可くして、実行し得られざる国体なるが故に、徒らに治乱興廃を繰返しつゝ、其理想の出現し、且つ成功せし事未だ例なし。其所以は、地球即ち全世界を統轄する天職を帯ばせ玉へる、天子即ち天皇は、日本皇国より外には在し坐ざるが故なり。
実に斯の尊厳なる皇道を実現して、世界の師範と成り玉ふべき天皇の御鴻業を、国民一致赤誠を以て輔翼し奉り、皇運を宇内に発揚し奉るは、皇国の国体なり矣、畏れ多くも皇道の実現実行の御天職は、上御一人に在らせられ、又日本臣民の一大努力を要すベき重大責任たるなり。是即ち天祐を保全し、万世一系の皇統を保ちて、世界を統轄するを天職と成し給ふ所以にして、天皇の自ら主宰し給ふ国家経綸を、皇道と称し奉る所以なり。
神道の本義
吾人は進んで神道の本義に移らむとす。即ち神道とは、世界各国に行はれつゝ在る宗教に対しての名称なり。今茲に論題と為したる目的は、日本皇国に於ける神道の事を以て、先づ標的となすものにして、古来神道宗教家なるものゝ本尊として、敬拝尊崇せる神々の御性格が、各別々に発揮せられ、明確に説明せられ、的確に実行されあるや、大に疑問とすべき所なり。現今日本国に於ける、神道宗教の十三派を通じて、各奉斎する神々の本質を闡明して、真個国体の精華を発揮せるものありや、頗る疑はしき次第なり。彼の天理教は、十柱の神を主神として、之を天理王尊と称へ、八埃の教を説き、神の御活動を説くと雖も、寧ろ現代に活躍すべき神理に薄き感あり。黒住教は、皇祖天照大御神を主神とし、金光教は、天地金の大神と総称する三神を本尊となし、御嶽教は、国常立尊、大己貴命、少名彦命の三神を主神として敬拝すと雖も、未だ以て神々の御本質を明確に説かず。其他の神道宗教の教理及び祭神も、亦個々別々にして、一も統一せるもの無く、却つて神道の尊厳を汚濁するものと謂ふべし。
第四章 神祗の奉斎
皇国の大道は、神祇を奉斎するを以て最要とす。而して斎に二法あり、曰く顕斎、日く幽斎、之れなり。道の大原に曰く『幽斎は霊を以て霊に対し、顕斎は形を以て形に対す。故に幽斎は神像宮社無し、而して真神を祈る。顕斎は神像宮殿有り、而して神像を祭る俗学蒙昧にして古義を知らず、混じて以て一と為し、岐して以て万と為し、停止する所無し。実に祭儀の大疵なり』と。然りと雖も、顕斎にして幽斎ならざるも非なり。幽斎にして顕斎ならざるも亦非なれば、祭祀の大道は、一方に偏執せざるを以て中道と謂ふ可し。吾人は茲に慎んで、顕斎即ち祭祀、幽斎即ち祈願の大道を講明し、以て大方の参考に資せむと欲す。
祭祀
人は祖に本づき、祖は神に本づく。故に人の道たる報本反始を貴ぶ、報本反始、是れ祭祀の由りて興る所なり。恭しく、上古祭祀の興りを稽ふるに、天祖の天孫を下土に降すや、之に宝鏡を授け、以つて斎鏡と為し給ひ、また天之児屋根命、天之太玉命に勅して、神籬を持ち、以つて下土に降して、天孫の為めに之を奉斎せしめ給ふ。是れ祭祀の興る所なり。天孫既に宝鏡を奉じ以て下土に降り、児屋根、太玉二神をして各其職を奉じ、天上の儀に遵ひ、以て祭祀の礼を行はしめ給ふ。此の時に当り、天祖天に在して下土を照臨し玉ひ、天孫群臣を牽ゐて誠敬を下に尽す。祭政維一治むる所の天職、代る所の天工、一として天祖に事ふる所以に非ざるもの無く、天を敬ひ祖を尊び、以て其の民に臨み玉ふ。是に於て乎、君臣の分定まり、父子の親敦し。至恩内に隆くして大義外に明かなり。是れ天孫の国を建て、基を開き玉ひし所以の太端なり。神武天皇の御宇に及びて、親ら天下を平定し給ひ、霊疇を鳥見山に立て、以て皇祖天神を奉祭し給ひ、崇神天皇は深く神祗を敬畏し、殿内より之を外に移し、天祖を笠縫の邑に祭り、天下蒼生と共に是を敬事尊奉し給ひ、垂仁天皇位を嗣ぎ玉ひ、詔を下して曰く、『先皇神祗を礼祭し以て昇平を致し玉ふ、朕が世に当りて祭祀を怠るを得ず』と、乃ち倭姫命に命じて、天祖鎮座の地を求めて、笠縫の邑より諸国を経て、以て伊勢に至り、神勅を奉じ、宮殿を五十鈴川の上に創建し玉ふ。此の事、今を距る既に一千九百五十有余年なり。而して宮城移らず、殿閣巍然として神徳愈々高大無限なり。鳴呼盛なる哉。垂仁帝の後列聖相承け、敬事怠り玉はず、祭祀の礼倍々備はれり。光仁天皇の勅に日く『神祗を祭祀するは国に大典なり』と。禁秘御抄に曰く『禁中の作法、神事を先にし他事を後にす』、右大臣石川麻呂曰く『先づ神祗を祭り、而して後政事を議る』と。此を以て、皇室歴世祭祀を崇重し玉ひしを見る可し。皇室既に祭祀を尊重し給ふ故に、其の祭祀を掌る者、亦天児屋根、天太玉二臣の後裔なり。児屋根の後に中臣氏たり、太玉の後は斎部氏たり。祭祀の日、中臣天神の寿詞を奉じ、斎部神璽の鏡劔を奉ず。其他百執事、亦皆其の職を嗣ぎ、連葉替へず、駿奔事を承け、当初の礼儀に依り、毫も天祖、祚を伝ヘ玉ひし日に異ること無く、而して君臣皆その初を忘れざるなり。且つ群臣の祖先、亦皆天祖天孫に事へ、民生に功徳あり、列して祀典に在り、而して宗子族人を糾輯し、以て其の祭儀を主どり、入ては以て其祖に孝を述べ、出ては以て大祭に供奉し、子孫継述、万世一日忠孝一に出で、而して政教岐れず、不言の教、無為の化、自ら天下に行はれ、家には忠厚の風あり、人には孝順の俗あり、民は唯天祖を敬ひ、天胤を奉ずるを知るのみ。嚮ふ所一定して異物を見ず、是を以て民志一にして、而して天人合一す。是れ皇統の天壌と与に、相終始して易らざる所以なり。報本反始の義、それ大なる哉。
祀礼の数五有り。其天祖を祭るは、天を敬ひ祖を尊ぶ所以なり。其の国祖及び豊受姫を祭るは、国土を鎮護し、民生を厚くし玉ふ所以なり。其の山海草木、風火金水、百物の神、及び皇子皇孫、忠臣烈士、世を幸し国家に功労ある者を祭るは、其の功徳に報ゆる所以なり。宮中の八神、座摩等の祭は、天位を保護し、国家を安静ならしむる所以なり。祀典の目に至つては、即ち践祚大嘗祭等、是を大祭と為す。天皇位に即き、大に天祖に報じ玉ふなり。元始祭は天皇親ら、天祖天神及び列聖を祭り以て宝祚の元始を祝し玉ふなり。祈年祭は時令順序を、天下の諸社に祷り玉ふなり。月次祭は庶人の宅神祭の如し。新嘗祭はその義、大嘗会の如くにして、歳々之を行ひ、以て祈年の祭に報賽し玉ふなり。神宮は亦別に、神衣神甞祭あり、以て天祖の嘉穀を頒ち、養蚕を教ふるの徳に報ゆるなり。亦皆中祭と為す。他の大忌、大殿、鎮花、鎮火等の祭皆之を小祭と為す。凡て此の如きもの、皆天に事へ祖を祀り、孝を申べ民を愛する所以にして、一として報本反始の大義に出でざるは無し。夫れ所謂報本反始は、唯に皇室のみに非ず、庶民と雖も、亦宜しく然るベきなり。
如何とならば、即ち人は祖に本づき、祖は神に本づく、故に人の道たる、報本反始より貴きは無かるべし。吁庶民も、亦豈人の子孫に非ざらんや。父母は我を生み、我を育てゝ、我を長じ、我為に焦慮し、我為に苦労す。夫れ誰か父母なからんや、誰か愛慕の心なからんや。父母没して而して之を祭るは、其の愛慕の心に因りて、以て之が礼を制し、以て其の無極の恩に報ゆるなり。祖宗を祭り父母の心を体し、以て其の恩に報ゆるなり。神祗を祭り祖宗の先に溯り以て其の恩に報ゆるなり、夫れ子孫有れば、即ち必ず父母あり。父母有れば則ち必ず祖宗あり。祖宗有れば則ち神祗有り。試に思へ、末より本を推すに、本亦本有り。本の本を為すものは神祗なり。故に庶人の本、亦皆神に出で、一民として神祗の胤に非ざる者無し。況んや神徳至大にして、神恩の至厚なる、人の世に在る一事一物、悉く神の恩徳に頼る。斯の如くんば、何ぞ夫れ敬祭せざる可んや。蓋し神の数たる八百万在しませり。而して何の神を祭るを以て可となすか。日く、庶民宜しく祭るベき所のもの三有り。曰く天祖なり、国祖なり、産土神なり。夫れ神は、天祖より尊きは莫く、天祖より霊なるは莫らん乎、古往今来、天子庶民を問はず、皆天祖を敬祭せざるは莫し。
漢人天子に非ざれば、天を祭らずとの見を以て、庶民の天祖を祭る者を論難して、朝典を僣する者と為す。何ぞ知らん、人は祖に本づく。祖は神に本づく、故に神を祭らざる者は、祖宗父母を祭らざると其理を同うす。皇国の習風、漢人の如き陋習無し。その大公至正や斯の如し。
庶人亦宜しく之を知り、以て天祖を敬祭す可し。国祖は、地球修成の大功有る神なり。凡て地上に生とし生けるものは、其鴻恩を感謝し、以て之を敬祭せざる可らず。産土神は、諸国土地に鎮まり、各其土地に功徳ある者なり。故に其の土地に住する者は、必ず祭らざる可らず。
又氏神あり、古の時、各其の氏の祖先を祭り、之を氏神と謂ふ。近世に至り、氏神、産土神相混合して弁別し難きものあり。要は皆其土地に功徳ある者、故に産土神に挙げて之を概括するなり。
庶民亦宜しく、之を知りて以て産土神を敬祭すベし。凡て祭祀の序たる天祖を先とし、国祖是に次ぎ、産土神之に次ぎ、祖宗父母亦之に次ぐ。
凡そ祭祀の礼には固より其式あり。天祖国祖、産土神及び祖宗父母、各其の祭る所既に異り、故に其の式又同じからず。且つ人には貴賤あり、家には貧富あり。その儀物に於けるや、精粗厚薄、各その分に随ふを可とす。凡て祭祀の儀は、恩徳を報謝する所以にして、福祉を求むる所以に非ず。然りと雖も、祭祀を怠らざる時は、即ち福祉求めずして自ら至る。祭祀を勤めざる時は、即ち禍殃亦求めずして自ら至る。祭祀の道、夫れ忽諸に附す可ん哉。凡そ祭祀の日には、机席杯皿必ず清潔にし、清酒、稲梁、果物、蔬菜、魚鳥必ず清鮮なるを要す。然して後、斎戒沐浴、斎明盛服以て其の礼を行ふ。而して其の要は、即ち誠敬の心を尽すに在り。誠敬の心を尽さずんば、即ち神必ず諾ひ玉はず。苟も能く誠敬の心を尽す時は、則ち神祗、祖宗父母の霊、各其の祭る所に随つて、感応来格し、洋々乎として其の上に在り、其の左右に在り。而して其の福を降し、祉を賜ふこと疑ひ無し。嗟夫れ人は祖に本づき、祖は神に本づく。
故に人の道たる、報本反始より貴きは莫し。然らば即ち報本反始の義は、庶民たりと雖も、亦宜しく遵奉すベし。焉ぞ独り、皇室のみならん哉。
祈願
祭祀や、祈願や、二者混じて明かになし難きが如し。請ふ別けて之を論ぜん。宮殿あり拝所ありて儀物を供奉し、以て神恩を報謝す。之を祭祀と謂ひ、儀物を供奉すると否とを問はず、唯其の願望する所を、宇宙万有の主宰に在します、真神、天之御中主大神始め天祖、国祖、並に八百万神に求むる、之を祈願亦は祈祷と謂ふ。祭祀の礼たる、最も重大にして、祈祷の意たる切実なり。吾人は既に前段に於て、祭祀を論じたれば、今又此処に祈祷の大意を説かんとす。
夫れ人誰か罪穢無からん、即ち解除を受け祭祀を勤むと雖も、宜しく誠敬の心を尽し、以て真神に祈願すべし。凡そ道を奉ずる者は、始めより終に至る迄、唯々真神に祈願を為すに依りて徳を成す。その日将に没せんとするに及んでや、至清至美至善至楽の、高天原神園に上るを得る者、尤も祈祷の大徳に頼らざる可らず。是の故に祈祷は、実に吾人の急務にして、少時も、忽諸に附す可らざるものたり。祈祷の義は、唯誠敬の心を尽し、以て神に求むるに在る而已。伏地叩頭発声哀願の如きは、是特に其の外貌のみ。徒らに其の外貌を飾りて、中に誠敬の心無き者、固より既に、慢神の罪を犯すものなり。況ん乎邪心妄行の徒を以て、非理の福を願ひ非分の利を望む者、神豈之に災禍を降さざらんや。是故に祈祷の法は、其求むる所、一に公正の願望に出しむ可し、然る後、其の精誠を以て、上は天に通じ、下は地に徹す。則ち伏地叩頭発声哀願を待ずして、神既に之を享け給ふ矣、且つ夫れ祈願は、独り己が躬の為に非ず、又当に国家師友父母兄弟妻子の為に、祈願す可きなり。国家師友兄弟妻子の為にする者は、大抵公正の願望と為す。但其己が躬のためにする者は、動もすれば、名利逸楽の求に出るを免かれず。若し果して然らんか、則ち必ず神の罰を受けむ。故に己が躬のためにする者は尤も宜しく公正の願望に出べし。公正の願望其の目二有り。一は則ち、生前の安寧を求むるに在り。吾人の愚昧にして微弱なる、たとヘ神前の懺解除の力有らしむるも、亦其の日々犯す所の罪悪、固より又尠しとせず。故に宜しく夙夜神祗に乞ひ、以て其の我罪を、宥恕し給ふことを冀ふべし。
又宜しく、我の悔悟と信誠を堅くし、而して異端邪説に惑はざるを請ふべし。又宜しく、我の智識を明かにし、而して神典の主旨に通達し得ることを冀ふべし。又宜しく、我をして敬神の大道を践み、而して岐路に陥いらざらしめ給はんことを請ふべし。又宜しく、我をして反躬自省し、而して事物当然の理を失はざらしめ給はんことを冀ふベし。又宜しく、己の胆勇を壮にして、己をして障害艱難に遇うて、其志操を変ぜざらしめ給はんことを求むべし。誠に能く、此の如くならんには、神明必ず之に感じ玉ひて、以て福祉を其の人に賜ふ。是之を生前の安寧を求むと謂ふ。一は即ち、身後の永福を求む。身後の永福は、尤も求め難きものと為す。故に独り悪を改め、善を行ひ、功を立て、過を補ふ可し、又唯々として懇願痛望、以て神の我を救ひ我を憫み、我をして根底の国の苦刑を受けずして高天原に安住するの恩栄を蒙らしめ玉ふことを冀ふべし。是之を身後の永福を求むと謂ふ。此二者己の躬の為になすと雖も、亦皆公正の願望にして、名利逸楽の請に非ず、是実に祈祷の要義なり。
凡て祈祷は、唯に天主、天祖を主とし、国祖之に次ぎ、他神を主とせず。
而して天主は幽邃の地、閑静の家を撰み、且神心を澄清にして、一意専念我が心魂の上帝の御許に到ることを、暗祈黙祷すベし。亦天祖国祖を祈るは、宜しく至誠の地を首め、各自の神床に於て為すべし。凡て祈祷は、誠敬の心を専とすと雖も、而も身の礼儀、実に心と相応ずるを以て、其の式亦講明せざるべからず、而して其儀式たるや、唯に簡易なるを貴び、而して繁雑なるを卑しむ。既に幽斎則ち祈願の場に於ては、先づ身体を整へ、瞑目静坐すベし。身体衣服を清潔にすベし。而して後、感覚を蕩尽し邪念を断滅すべし。最初先づ再拝し、次で手を拍つこと二回、天主、天祖、天皇、国祖、産土神の尊号を唱ふるもの三回静粛に、其の願望する所を陳べ畢り、数分間の後、我心魂の神明に感合せしを覚ゆると同時に、又両次拍手し、而して後二拝して止むべし。また祈願の時は晨昏を可と為す。晨時には、則ち神の吾に当日を幸し、吾をして其分を守り、過失無からしめんことを請ひ、昏時は即ち、神の吾の当日を庇護し給ふを謝し、亦当に自ら省み、以て其罪愆を懺ゆ可し。凡そ祈願幽斎の度数たるや、多々益々善なりとす。故に晨昏に止めず、余時と雖も事業の閑暇には、又宜しく祈願幽斎を執行すベし。余時は必ずしも礼式に拘泥せず、造次にも顛沛にも、又皆暗祈黙祷し、而して斯須間断無く、久しきを以て倦まず撓まず、真心を捧げて祈願する時は、神の我を佑助し給ふや必然なり。或人難じて曰く、子の祈祷を論ずるや善し矣。
然るに人間万事、悉皆神明の御旨に由る。今乃ち祈祷以て其の願望する所を求むるは、豈神旨に悖らずと為す乎。神旨に悖りて祈祷を勤むるは、恐こからずやと。曰く是徒らに其一を知つて、其二を知らざる者也。天祖の天之窟戸に入り給ふや、六合の中、闇黒にして昼夜を弁せず、而して万妖悉く発りき。茲に八百万神惶み惑ひて、殆ど為す所を知らず。是に於て乎、思兼神の智慮に因りて、始めて祈祷を行ひ、以て能く、天祖の怒を解き和らげ、天之窟戸を出し万妖を伏せ、六合の中再び照明を得たるは、是れ祈祷の明験と謂ふベし。然らば則ち、祈願は神旨に戻らず、又何の不可か之れ有らんや蓋し天地の変、猶ほ祈祷に頼りて以て其常に復す。況ん乎人事に於てをや。故に曰く、急務にして少時も忽諸に附すべからざるものは、幽斎乃ち祈祷なり。