結局、土曜日から、30分の片付けの計画を立てたものの
…3日坊主どころか、一日で終了してしまいました。
どうしても、晩ごはんの眠気に勝てず、座布団を枕に、
床に転がって、スマホを見る間もなくそのまま寝て
しまいます。
昨日は、起きたら4時、今日は、2時45分。
今の目覚めが一番スッキリしているし、寝る前に
9時30分くらいの記憶があるので、5時間は寝ていると
思います。
今日は、姑の介護の担当者会議があるから、このまま
起きて、片付けた方がいいかもしれないなぁ…
正直、自分は、どうして、こう、行動が変えられないん
だって、落ち込むパターンなのですが、
それよりも、自分のことばかり考えていて、子どもの
ことを全然意識してないんじゃないか?って、今日は、
そっちの方で落ち込んでしまいそうです。
私の頭の中は、常に家の掃除と、現実逃避ばっかり
考えています。今まで、子どもが小さい間は、子育てを
頑張っている、ということで、家族の中で自分の存在感を
確立している部分がありました。
その間、うまく子育てができていた訳ではありません。
やはり、基本的な生活習慣が身に付いていないので、
毎日、決まったことを子どもにさせることを管理する
力はありませんでした。
低学年時代の、音読、百ます計算、をさせるとか、サイン
をするとか、持ち物をチェックして連絡ノートにサイン
するとか、そんなことも毎日継続するのは困難でした。
毎日の制服の洗濯もキチンとできておらず、朝、
カッターシャツや靴下をドライヤーで乾かすとか、
しょっちゅうありました(⌒-⌒; )
紙袋に、濡れた洗濯物を入れて、ドライヤーの熱風を
入れると、かなり早く乾くので、簡易乾燥機のよう
でした。ドライヤーがないと生きていけなかったと
思います。
今以上に、起きるのが苦手だったり、片付けができずに
怒られたりすることも多く、精神的に安定していな
かったような気がします。
今の、子どものことでの問題点は、高3の子がほとんど
勉強しないことと、地元の誰でも受け入れてくれる私立
の大学を去年の担任に勧められたので、そこでいいや、
って感じになっていることです。
あまり、将来について、考えることがないのではないか
と思います。
中3の子は、どうにか、塾には決まった時間のギリギリ
は行きますが、その塾にいる間しか勉強も宿題もせず、
家ではゲームばかりしています。
休みの日は、私は家のことをしたり、主人と出かけたり
しますが、誘ってもついてくることはなく、家で友だち
と連絡取り合いながら、話したりゲームしたりして
います。
この辺りは…私がADHDで、子育てがうまくできて
いない、ということよりも、年齢的に、友だちとの方が
楽しいということで、よそのお家もそうなのかも知れ
ません。
結局、今の関わり方の問題より、子どもが小さい頃の
関わり方が重要だったのかも知れなくて、
精神的に不安定で、生活する力がなかった私が、
子どもに悪い影響を与えていないはずがない、と思い
ます。
この2人の子どもの上にも何人かいるのですが、この
2人以上に、うまく関われなくて、申し訳ないことを
したなぁと、本当にそう思います。
親のせいにせずに、それぞれが考えて決めた進路を
進んでいるので、任せるしかないのかな、と思います。
それなのに私は、子どもたちに意識を向けることを
忘れて、家の片付けや仕事や姑のことや、自分が何を
やりたいか、ということなどで、いつもいっぱい
いっぱいです。
本当に、そんな感じで、離れて暮らしている自分の親の
誕生日や父の日母の日も何もできていません。
覚えていても、何をあげたらいいんだろう、とまでは
考えますが、また忘れて、結局なにもあげられずに、
電話をかけることさえ、忘れてしまいます。
私にとって、「忘れる」ということが、かなり大きな問題です。
主人の誕生日は、また違っていて、欲しいものは、普段
から何でも自分で買うので、何をあげても喜ばなくて、
少々のものでは、もらったうちに入らないみたいです。
食べたいものとかない、と言われるし、そして人には
誕生日に何もしてもらえなかったと話すみたいです。
だから、毎年、主人の誕生日は、嫌な雰囲気で、過ぎる
のを待つ感じです。
子どもの問題点が何なのか、と考えてみたところ、私を
含めてですが…未来に対しての想像力がない、という
ことかな、と思います。
今が楽しければいい、という感じで、少し先の、たとえば
テスト勉強や、受験勉強をすることができていないです。
じゃあ、勉強をする子どものお家には、何も問題点は
ないのかというと、違うのかも知れません。
それなら今、今からできることは何だろう。
まずは、子どもたちがみんな、体が元気で、普通に
仕事や学校に行けていることに感謝することが大事なの
かも知れません。
姑に対して優しいことにも。
結局…
今、できることは、周りのことを自分の落ち込む材料に
せずに、できることを頑張るしかない、という…
なんだか、とりとめのない話になってしまいました。
落ち込んでいたって、何も変わらないのは分かります
ので、前向きに行動していくことしか、できることは
ないんだろう、ということです。
私の何が悪いのかを遡って行きすぎると、子どもを
産んだことが悪いということに辿り着くのは分かって
います。
さらに遡れば、私が産まれたことが悪いという話になり
ます。
そこに至ったとしても、それでも、今できることは、
同じなのだと思います。
自虐的な気持ちではなく…こんなに生きる能力のない、
人に悪い影響を与えるダメな私でも、生かされている、
ということに、神様に感謝、という感じではなく…
生かされていることって、一体何なんだろうなぁって
…つくづく考えさせられます。
人が苦手で、あんまり会いたくないのですが、明日の
子どもの授業参観には、行こうかな、という気になり
ました。
ああ、これも、義務感的だなぁ…
つくづく、私は人に興味がない人間なのかもしれない…