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学校を出て、実家を出て、いよいよ自分の人生が始まった!とばかりに日々の生活に夢中になっていたら、旧交なんて温めても温まらなくなって、ただでさえ少なかった友人らとあっという間に疎遠になってしまった。若いうちはそんなことでいいのかと迷いもしたけれど、結局はそんなことでよかったとしか思えなくなった。
今から8年ほど前に訪ねた占い師の言葉に、2010年以降に出会った人との関係を大切にするといいというのがあり、とてもおもしろく思った。これに当てはめれば、学生時代の友人、歴代の彼氏、全て疎遠になっても大過なし、別れを選んで正解だったということになる。実際、そうなっているし。
そしてこれは、相手側の態度の問題である以上に、自分側の意識の問題なのだと思った。自分軸で生きることをより強く深く意識するようになると、引き合う相手もより誠実で聡明な人に変わってくる。それが、わたしにとっては、だいたい2010年を境にしてのことだった。
自分がアップデートしていくたびに、かつては意気投合してきた相手との認識のずれが生じるようになる。何でも話せる親友だと思ってきた相手に違和感を覚え、本心を打ち明けることを厭うようになる。
自分が居る場所を移すにつれ、自分の関わる世界が拡がるにつれ、相手との精神レベル、魂レベルの差異が明確になってくる。幼なじみやクラスメイトとあんなに仲がよかったのに今は…なんて嘆いても詮ないこと。家が近所だとか学級や部活が一緒だとか、同様の環境での共通の体験ありきの親しさだったのだから。
わたしがあなたから離れる。あなたがわたしを振る。
時に切ないよ、寂しいよ。
だけど晴々するよ、清々しいよ。
幼少期からずっと同じ地域を離れず同じ交友関係を続けているような人が苦手。親しみとしがらみの区別もつかないような人が苦手。符牒と楽屋オチを飛び交わせてわちゃわちゃ絡むのが仲間だと思っている人が苦手。
幼なじみとしょっちゅうつるんで過去を反芻してばかりいれば、そりゃあ記憶も絆も強固になるわな。部活仲間との飲み会が続いているなら、中年になっても中学の逸話が現在進行形の関心事であり続けるわな。
ステージクリアもレベルアップもないわな。
彼らの存在を否定はしません。こちらが関わらなければいいだけの話。
でも、あちらさんから関わってこられちゃったら、めんどくさいったらありゃしない。
さっぱりすっきり断捨離した過去を、ほらうれしいでしょうなつかしいでしょうとばかりに目の前に差し出されても、退屈であくびが出るばかり。同じ地域や学校出身だったというだけで、親しみの鑑定額が釣り上がるなんてありえない、取るに足らんことに要らんプレミアつけるなや。
互いの変化を楽しみ、尊び、受けとめられる心性があれば、出会った場所も時期も関係ないんだけどね、今どこでなにをしているかも問題ないんだけどね。
少なくともわたしにとっては、時間が止まっている人が退屈で、思考が淀んでいる人がめんどくさい。内輪受けとかローカルネタとかに巻きこまれても不愉快でしかない。
いくらわたしに絡んでも、地元のダチみたいなぬるい安心は得られないから、いいかげんあきらめてください。
過去の友達や仲間がいなくなったって、今ここを生きていくだけ。過去の友達や仲間がいなくなったなら、今ここで見つけていくだけ。ただそれだけです。
【今日のカフェラテ】
猿田彦の甘くないのが好きで、最近、通勤途中につい買ってしまいます。コーヒーチェーン店でブレンドをテイクアウトするのとさほど変わらないお値段だけあって、なかなかの美味です☕️
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