復活祭休暇あけに訪問する
ゲッティンゲンのボッティチェリ素描について調べていた。
サンドロ・ボッティチェリの《聖母戴冠》のための緻密な構想図。

手のひらに収まりそうな紙の上で、神の手によって聖母が冠を授かる──そんな荘厳な瞬間が、筆跡として生きている。
聖母戴冠はお気に入りの作品、先日ウフィツィ美術館に訪問した時
別の部屋で展示されていた
20年前のフィレンツェ遊学中はプリマヴェーラとむかいあって飾っていて何時間もイスに座って鑑賞したもう20年前・・
この素描は、かつてフィレンツェのサン・マルコ教会に飾られていた、ボッティチェリ最大の祭壇画《聖母戴冠》の上部構成を描いたもの。
その作品は、今もウフィツィ美術館で静かに祈りの空気を放っている。
ふと思い出した。
サン・マルコで見た「サヴォナローラの部屋」。あの抑制された空気と、ボッティチェリが晩年に描いた静謐な宗教画たち。
宗教的情熱と美の探求が交差したあの時代の息吹が、この素描にも宿っている気がした。
中でも印象的だったのは、素描の中の天使たち。
どこかで見たような──そう、《聖母》のトンドに描かれた天使たちとよく似ている。優雅で、静かで、それでいて確かな意思を持つまなざし。
実際に比較してみると、その繋がりがより鮮やかに浮かび上がってきた。
素描はフラ・フィリッポ・リッピの影響も感じさせる線の確かさを持っているが、《聖母戴冠》はそれを超えて、浮遊感と神秘性に満ちている。天使たちはもはや「存在している」のではなく、「舞っている」のだ。
また、それによく似たボッティチェリの《聖母戴冠》――

マイアミのバス美術館が所蔵し、かつてパリでも展覧されたその作品は、
トスカーナのヴォルテッラ近郊、**カマルドリ会修道院(Badia Camaldolese)**に置かれていたという。
あの修道院。そう、私は2年前、そこへ向かう道を歩いていた。
バルサの崖の上、茹だるような夏の日差しあと少しのところで、暑さに負けて引き返した。
まさか、あの時目指していた先に、あの《聖母戴冠》が過去にあったとは
知らずにすれ違ったあの記憶と、パリでの展覧会を目前にして叶わなかった旅。
どちらも、「巡り会えなかった物語」のように、私の中に残っている。
今年いっぱい限りのヨーロッパ生活
限られた時間の中で
さて、どうしたものか。
もう一度、ヴォルテッラの友人に連絡を取ってみようか
https://www.instagram.com/reel/CxWbksOodFt/?igsh=MWl5amNud3B2MTRzNg==
あの街に戻ってみたい
そんな気持ちもふと湧いてくる。
修道院は、7月から9月の週末だけ開く
日本に帰ったら、もうこんなふうに、
ふらりとイタリアに旅することも、気持ちの上で遠くなってしまうかもしれない。
だからこそ、今という時間を大切にしたい。
出会えなかったことも、すれ違ったことも、いつか意味をもつと信じて。