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初めてお会いしたBotticelli とイタリア・フォルリで何度目かの再会 240728

2024-09-08 01:49:00 | ボッティチェリ
(思考か飛んだ内容)
初めてボッティチェリと出会ったのは
京都で開催されたイタリア・ルネッサンス美術展
 
🔗初めて西洋美術を鑑賞した美術館。中学生3年のころ
美術室の図録でお会いしたボッティチェリに傾倒
 
受験中でしたがぜったい行きたい!と言って母親と一緒に大阪から京都まで
おそらく絵画鑑賞も初めてだったと思う
 

カタログは実家にあります。
本当にお美しい
 
その後ウフッツィ美術館(約10回訪問)
東京美術館のウフッツィ展https://www.tobikan.jp/exhibition/h26_uffizi.html
等、一番お会いしている絵画です。
貸し出しが多いのかな
 

今回出展されたボッティチェリ(二点は模写です)

こちらはミュンヘン地元東駅から
今回のイタリアは電車で入ります。

Forli駅前にロセッテイがお出迎え

炎天下の中、バスと歩きで紆余曲折しつつ、なんと美術館は時間待ちもありましたが
入場。素晴らしいルネッサンス期の絵画もありましたが、すぐ目についたあなた様

いきなり中央で再会



再会。(ラファエル前派も好きなのですが・・後ろに素晴らしいバーンジョーンズ・・)

光が入るので横から撮影




 
好きな望遠風景
 
 
昔、美術の先生が鑑賞する時には足元に注目するとおっしゃっていた

私は足元にこだわらいが
ボッテチェリの足元が好き…必ず注目




そして、レースの透け感は写真では伝わらないが、絵の前に立つとその美しさに目眩がしそうになる。



有名な『プリマヴェーラ』の絵はその最大の作品。メルキュールの視線の先にこの絵が掲げられたという説を聞くと、嬉しさのあまり卒倒しそうです


宝塚で開催されていた「ルネッサンスさろん」の講義の中で新プラトン主義の説明を皆がうっとりされていた事を思い出した

後方のバーンジョーンズも鑑賞して
名残惜しいけど他の部屋へ
この後、最大のラファエル前派の絵画に触れてトランス状態
またまとめられると良いな

 
↑(ちょっと横道にそれます)
最初に絵の飾られていた場所はカブール通り
リカルディ宮殿かな?
通った語学学校もその通りにあった。
今は引越ししてしまったけど、邸宅の中に学校があり、
自由参加の美術講座、教会訪問、美術散策など
楽しかった
 
最近フィレンツェに行き東洋人の中にイタリア人の先生がいらして撮影を頼まれた
日本人かとおもえば韓国人のグループですた。
ブディックでは語学学校の手提げ袋に以前の学校の名前がプリントされた方々に声をかけたけど
日本人ではなく…咄嗟にイタリア語も出なく、寂しい気持ちになった。
 
 
 
美術史の先生はとても大好きで
日本に帰ってもやりとりして旅行でフィレンツェに行き講座に参加したり
今はどうしていらっしゃるのかしら
 
 
 

『e Brasiliana』

Carissima !Grazie per ricordarsi di me.Sento mancanza da cuelo tempo di studiar…

Meravigliosoな日々

 
この先生ともう1人のSassia先生
2人はfacebook、もう1人は震災の時に家🇮🇹に来なさいとメールが…。
懐かしい話しに飛んでしまったね


2021年5月に訪問したロベレートのボッティチェリ展
 こちらでもお会いしていました。
 
  • フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されている絵画。
  • 湖や海の風景を背景に、ミルトの冠をかぶった優雅な女性が描かれている。


  • 左手に豪華な装飾が施された重いハルバードを持ち、右手でケンタウロスの髪を掴んでいる。
  • ケンタウロスは弓と矢筒を持っているが、弓の弦は張られていない。
  • 絵画は元々板に描かれていたが、現在はキャンバスに移されている。
  • 1498年のメディチ家の財産目録に「Chamiloとサティロが描かれた絵」として記載されている。
  • 一部の学者は、この女性を『エネイード』に登場する勇敢な戦士カミラと考えている。
  • 1516年の目録では、正しくミネルヴァとケンタウロスとして記載されている。
  • ミネルヴァは知恵の女神として描かれ、ケンタウロスは動物的な衝動を象徴
  • 絵画の依頼者はロレンツォ・デ・メディチで、彼の息子ジョヴァンニ(後の教皇レオ10世)も関与している可能性がある。女神の衣装に絡み合ったダイヤモンドの指輪にあります。これらはロレンツォ・イル・マニフィコの特有の紋章であり、後に彼の息子ジョヴァンニ(後の教皇レオ10世)によっても使用されました。
  • 絵画は1482年の結婚祝いとして制作されたと考えられている。この絵画が制作されたのは、メディチ家が長い間準備していた結婚式のためである可能性があります。具体的には、1482年7月19日に行われた、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ(彼の従兄弟であり養子)と、ピオンビーノの領主ジャコポ3世・デッリ・アッピアーニ・ダラゴーナの娘セミラミデとの結婚式です。この日付は、絵画の制作が結婚式の贈り物として考えられるため、制作の最終期限となります。
  • ボッティチェッリがシスティーナ礼拝堂のフレスコ画を描いた後に制作された可能性が高い。ボッティチェリがシスティーナ礼拝堂のフレスコ画制作の後にローマから戻った直後にこの絵画が制作されたことは、ケンタウロスと『コラの罰』や『モーセとアロンの石打ち』の悪魔的な人物像との間の様式的および形態的な類似点によって確認されます。これらは、サンドロが教皇シクストゥスの礼拝堂で制作した3つのフレスコ画の最後のものであり、ウフィツィ美術館のキャンバスの風景にも前兆が見られます。
 
今回訪問したラファエル前派の展覧会の図録
 

 
 


(かなりの重量の図録…これをカートに入れイタリアを回った
ミュンヘンで知り合った↑イタリア人友達の論文はロセッティ
…お茶に呼ばれて持参したとき息子ダヴィデのダンベル💪になった)

要約

この作品は、15世紀末にフィレンツェのヴィア・ラーガにあるロレンツォとジョヴァンニ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチの宮殿に所蔵されていたことが証明されています。その後、19世紀にカステッラの別荘に移され、パラッツォ・ピッティで再発見されたのはその世紀の終わり頃で、どうやらイギリスの画家ウィリアム・ブランデル・スペンスの指摘によるもののようです。それ以来、この作品は美的な熱狂と無限の批評的議論の源となっています。画家の他の神話的寓話と同様に、文学的、哲学的、政治的賛辞の解釈は数多く存在し、実際、それらの解釈は異なるニュアンスを持ちながらも、必ずしも互いに矛盾するものではありません。それは、サンドロや少し後の若きミケランジェロが自由に活動していた、ネオプラトニズムの思想に彩られた高い知的環境の文化的刺激の豊かさを捉えているからです。

この作品は、限られた鑑賞者のために制作され、その曖昧な意味は古い目録で女性の姿がカミッラ(1498年)やミネルヴァ(1516年)として識別されることに反映されています。流れる髪と透明な衣装をまとった女性は、ケンタウロスに対して優位な役割を果たし、驚きと苦しみをもって捕獲を受け入れます。彼女はパラスの明確な属性を持たず、目立つハルバードとメディチ家の象徴である絡み合ったリングが特徴です。儀式的な緊張感のある雰囲気は《ヴィーナスの誕生》と共通していますが、スタイルはローマ滞在時(1481-1482年)に近いです。
 
 
また改めて追加予定・・かも・・(備忘録)

バルディ祭壇 ベルリン絵画館 240609

2024-08-29 17:51:00 | ボッティチェリ

ミュンヘン近郊教会巡りをすると
このような配置の祭壇(木製彫刻)多いと感じる。

サヴォナーラに影響されたと言うことも頷ける
私は影響も受けた絵画も好みです
(最大に好きな絵画はチェステッロの受胎告知 Annunciazione di Cestello)


足元はボッティチェリの絵画で好きな部分

お花🌺もモチーフ化されている
プリマヴェーラのお花と同じ!
素敵

授乳🤱の聖母は他の作品にもあります

あらこんなところでとびっくり


工房作品?今どちらに?

ミラノのアンブロジアーナ絵画館
(受付でスペイン人と間違われた2007年頃訪問)



2人のヨハネのうち右側のイエスお気に入りの弟子福音記者ヨハネは老人に描かれているのが珍しい、…時空を超えた不思議な構図
祭壇ですから


フィレンツェのサント スピリト大聖堂の家族礼拝堂のためにアーニョロバルディからの依頼を受け、1485 年末に完成。

💻美術館ホームページより
 

この構図は、聖母マリアと幼子キリストが玉座に座り、聖人たちに囲まれている様子を描いたもので、特にフィレンツェで発展しました。

特にこの様式は、15世紀半ばのフラ・アンジェリコによって古典的な多翼祭壇画を近代化する試みとして始まりました。

このスタイルはすぐにフィレンツェ周辺の祭壇画における一般的なモチーフとなり、フィレンツェの商人ジョバンニ・デ・バルディの墓所礼拝堂の祭壇画もその例外ではありません。

彼はロンドンで富を築いた後、1480年代初めにフィレンツェに戻り、礼拝堂の装飾を依頼する際にはメディチ家に相談しました。

礼拝堂はフィリッポ・ブルネレスキによって設計された教会に設置され、建築家としてジュリアーノ・ダ・サンガッロが選ばれました。

そして、画家としてサンドロ・ボッティチェリが選ばれました。

この祭壇画は、ボッティチェリがメディチ家のために制作した他の作品(「プリマヴェーラ」や「ヴィーナスの誕生」など)とは異なり、より宗教的なテーマが強調されています。

例えば、聖母マリアがキリストを授乳する際に胸を隠しているなど、裸体を控える表現が見られます。

背景には植物が細かく描かれており、これはキリストの十字架が作られた木材を象徴しています。

また、聖母マリアは「閉ざされた庭」として象徴され、純潔が強調されています。

この作品は、ボッティチェリが象徴主義的な要素を取り入れ、植物の描写に非常に精密な技術を発揮していることが特徴です。

絵の中央に描かれた架空のパネルには、十字架が描かれており、視覚的な効果を高めています。

この祭壇画は当時の鑑賞者にとって宗教的なメッセージが込められた深い意味を持つ作品でした。



改めてバルディ祭壇を調べてみたらサンタクローチェのジオットの壁画がある祭壇ですね・・遠い日の記憶を思い出すと

短期留学中に夕方の美術史講座に参加したとき、教会の方に話しかけられて、明日はアッシジに行くのよと話した記憶が・・検索していたら昔よく読んだブログがヒット

日本語教師の勉強とイタリアに関してのテンションが高かった40代前半・・懐かしい

 

 

バルディ家の礼拝堂 - 日本語教師のひとりごと Il soliloquio di una insegnante:楽天ブログ

バルディさんちも、ペルッツィさんとこと同じ金融で栄えたおうち。 祭壇画はサン・フランチェスコ。 そういえば、この教会、フランチェスコ自身が建てたらしいわ...

楽天ブログ

 

 

 

 

ジュリアーノメディチの肖像画 ベルリン絵画館 240609

2024-08-28 19:50:00 | ボッティチェリ

2024年6月にお会いした
ジュリアーノメディチの肖像画

ジュリアーノメディチの説明にほぼ登場する



↑2023年8月(撮影)に訪問した時は愛人のシモネッタは修復中


殆どこの絵目当ての訪問だったのにどこ?と学芸員さんにきいたスクリーンショット




2024年6月訪問時はトンドを挟んで並んでいました。
(どの小説か解説か忘れましたが、時を同じくこの世を去り、そして新たな時代に変化していく…事がいつも寂しく感じます)



はじめてベルリンを訪問した2016年2月にもお会いできてなかったようです。
でもどこかでお会いしているかも…
将来追記の予感


聖セバスティアン ベルリン絵画館 240609

2024-07-14 09:19:00 | ボッティチェリ
2024年6月9日 ベルリン絵画館
 
聖セバスティアンの絵を初めて見たのは美術室にあった画集
初めて磔刑図を見た時のように痛々しさを感じます
 
(今思い出した…芸術新潮にセバスティアンの購入記録が書いてあったと思う→次回帰国時に🗾確認したい)
 
ローマの士官セバスティアンは、ディオクレティアヌス帝の護衛として働くためにキリスト教の信仰を捨てなければならなかった。彼が拒否したとき、彼は木の幹に縛り付けられ、写真の背景に見える帝国の射手によって処刑されました。彼らの矢は彼の体を突き刺したが、彼は処刑されても生き延びた。
この絵はフィレンツェのサンタ マリア マッジョーレ教会(懐かしいのために描かれ、その絵は右側の最初の柱に掛けられていました(ベルリン絵画館)
 
 
他の絵画では痛々しそうですが・・ボッテチェリの絵画は呆然としたあきらめ顔のボッテチェリらしい表情

左下の人物が気になります。矢を射った人たちでしょうか

こちらも意味があるのでしょうか?ゆっくり調べます。



船も見えます。

水墨画のような風景。ボッテチェリの後ろに描かれた風景はどれをとっても懐かしさが残る。空気遠近法でしょうか

セバスティアヌスは、ローマ市の3 人の守護聖人の 1 人であり

リオデジャネイロおよびニーダーバイエルン地方の首都ランツフートの守護聖人であり、

聖ペテロとともにファビアン、ヴェストファーレン州のゼルム、上プファルツ州のローディング、フルト・イム・ヴァルトの都市。リオデジャネイロ、実際にはCidade de São Sebastião do Rio de Janeiroでは、聖人の記念日に行列が行われます。

ドイツ語圏で最も重要なセバスティアンの巡礼地は、オーバーバイエルン州エーバースベルクにある聖セバスティアンの旧修道院教会で、聖人の脳箱が中世後期の貴重な聖遺物箱に保管されています。最近訪問したばかり(24.4)鉄格子越しでしたが、お近くにいらしたとは!これはきちんと訪問しなくては!

 


Kath. Pfarramt St. Sebastian  Ebersberg

 




サンタ マリア マッジョーレ教会フィレンツェの大通りにある教会。游学中は休憩スポットとして利用
次回訪問の時には聖セバスチャンのことを思いを馳せる予定
 

興味深い記事を発見!

 

フィレンツェ・ミステリー。錬金術師に石にされた女の謎(イタリア・フィレンツェ) | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

文・写真/佐藤モカ(海外書き人クラブ/イタリア在住ライター) フィレンツェ中央駅から中心街へと向かう大通りに、一つの素朴な教会が建っている。 サンタ・マリア・マッ...

サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

 

 

追記

エーバスベルグに問い合わせたところ

ツアーがあるようです

これはドイツ滞在中に行かなくてば


da ich denke, dass Sie eine Führung haben wollen, setzen Sie sich bitte mit Herrn Warg in Verbindung.

Herr Warg bietet Führungen u.a. in der Kirche an.

Stadt Ebersberg - Stadtführungen

 

Vielen Dank. Bei Fragen können Sie sich gerne bei uns melden.

 

 

Mit freundlichen Grüßen

Franziska Huber

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Kath. Kirchenstiftung St. Sebastian KdöR

Bahnhofstraße 7             

85560 Ebersberg


 


黒いヴィーナスは三回お会いいたしました。 ベルリン絵画館240609

2024-06-26 17:10:00 | ボッティチェリ

表紙は2024年6月に撮影

 
黒いヴィーナスのとは・・この命名気に入っています。

ブログ、ありました。
 
私は神戸博物館ではじめてお会いしました。
 
ウフイッツィ美術館のヴィーナスと比べれば、現実的な感じの美人(三つ編みがそう思わせるのかな)
去年2023年はルネッサンス部屋が閉鎖のため別の部屋で輝いていらっしゃいました
 
以下は2023年8月に撮影














①初めてお会いした

■会場:神戸市立博物館(神戸市中央区京町24)
■会期:2005年7月9日(土)~10月10日(月・祝)

■世界遺産・博物館島「ベルリンの至宝展」記者発表会 会場:ドイツ連邦共和国総領事館/2005年5月12日

 

②2023年8月16日 ベルリン絵画館

③2024年6月9日 同上