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ボッティチェリとすれ違う旅

2025-04-19 00:14:00 | ボッティチェリ

復活祭休暇あけに訪問する

ゲッティンゲンのボッティチェリ素描について調べていた。

サンドロ・ボッティチェリの《聖母戴冠》のための緻密な構想図。

 





手のひらに収まりそうな紙の上で、神の手によって聖母が冠を授かる──そんな荘厳な瞬間が、筆跡として生きている。

聖母戴冠はお気に入りの作品、先日ウフィツィ美術館に訪問した時

別の部屋で展示されていた

20年前のフィレンツェ遊学中はプリマヴェーラとむかいあって飾っていて何時間もイスに座って鑑賞したもう20年前・・

この素描は、かつてフィレンツェのサン・マルコ教会に飾られていた、ボッティチェリ最大の祭壇画《聖母戴冠》の上部構成を描いたもの。
その作品は、今もウフィツィ美術館で静かに祈りの空気を放っている。

ふと思い出した。
サン・マルコで見た「サヴォナローラの部屋」。あの抑制された空気と、ボッティチェリが晩年に描いた静謐な宗教画たち。
宗教的情熱と美の探求が交差したあの時代の息吹が、この素描にも宿っている気がした。

中でも印象的だったのは、素描の中の天使たち。
どこかで見たような──そう、《聖母》のトンドに描かれた天使たちとよく似ている。優雅で、静かで、それでいて確かな意思を持つまなざし。

実際に比較してみると、その繋がりがより鮮やかに浮かび上がってきた。
素描はフラ・フィリッポ・リッピの影響も感じさせる線の確かさを持っているが、《聖母戴冠》はそれを超えて、浮遊感と神秘性に満ちている。天使たちはもはや「存在している」のではなく、「舞っている」のだ。

また、それによく似たボッティチェリの《聖母戴冠》――








マイアミのバス美術館が所蔵し、かつてパリでも展覧されたその作品は、
トスカーナのヴォルテッラ近郊、**カマルドリ会修道院(Badia Camaldolese)**に置かれていたという。

あの修道院。そう、私は2年前、そこへ向かう道を歩いていた。


バルサの崖の上、茹だるような夏の日差しあと少しのところで、暑さに負けて引き返した。
まさか、あの時目指していた先に、あの《聖母戴冠》が過去にあったとは

知らずにすれ違ったあの記憶と、パリでの展覧会を目前にして叶わなかった旅。
どちらも、「巡り会えなかった物語」のように、私の中に残っている。

今年いっぱい限りのヨーロッパ生活

限られた時間の中で

さて、どうしたものか。
もう一度、ヴォルテッラの友人に連絡を取ってみようか

https://www.instagram.com/reel/CxWbksOodFt/?igsh=MWl5amNud3B2MTRzNg==


あの街に戻ってみたい

そんな気持ちもふと湧いてくる。

修道院は、7月から9月の週末だけ開く



日本に帰ったら、もうこんなふうに、
ふらりとイタリアに旅することも、気持ちの上で遠くなってしまうかもしれない。

だからこそ、という時間を大切にしたい。
出会えなかったことも、すれ違ったことも、いつか意味をもつと信じて。


スメラルダ・ブランディーニとして知られる女性の肖像(2024Forlì Preraffaelliti 展覧会)240628

2024-06-28 16:27:00 | ボッティチェリ

2024年のPreraffaelliti 展覧会より

イギリスのヴィクトリア&アルバート博物館で2017年に鑑賞したボッティチェリの肖像画

(このために訪問)

なんとForlì にも展示と思ったらこちらは模写でした。

 

↓2017年に鑑賞したボッティチェリの肖像画(ボッティチェリ作品)

スメラルダ・ブランディーニとして知られる女性の肖像

この肖像画は、窓辺に立つ女性を描いており、彼女の名前は窓枠に刻まれた後の追加の銘文に基づいて「Smeralda Bandinelli」とされています。ただし、この銘文は後世に追加されたものであり、彼女の正確な身元については議論があります3。一説によれば、彼女はフィレンツェの彫刻家バッチョ・バンディネッリの祖母である可能性があるとされています。

この肖像画は、ボッティチェリが伝統的な横顔の構図を捨て、三分の一のポーズを採用した初期の例とされており、ルネサンス期の肖像画の新しい方向性を示しています2。また、この作品は、後にダンテ・ガブリエル・ロセッティなどのプラ・ラファエル派の芸術家たちに影響を与えまし

 
今回お会いした模写
クリスティアナ・ジェーン・ヘリングハム(Christiana Jane Herringham)
ロセッティを語るにもこの絵画は重要ですね
 

 

 

Portrait of a Lady known as Smeralda Bandinelli · V&A

Discover how Botticelli's gazing lady ended up at the V&A

Victoria and Albert Museum

 

女性の白い帽子は、おそらく1869年から1880年にかけてこの絵を所有していたラファエル前派の画家ダンテ・ガブリエル・ロセッティによって描き直されたものです。オリジナルの絵の具は下端にわずかに残っているだけです。窓枠に刻まれた擦り切れた碑文も後世に付け加えられたもので、描かれている人物は1439年頃に生まれ、ヴィヴィアーノ・デ・ブランディーニの妻であるスメラルダ・バンディネッリであると記されています。ヴィヴィアーノの孫は著名なフィレンツェの彫刻家バッチョ・バンディネッリです。この碑文は、バンディネッリ家の一族の人物によって1600年代初頭に書き加えられたものと考えられます。この人物は、自身の貴族の家系を誇張するために多くの文書を偽造していました。

この絵画は幾人もの所有者を経てきました。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは1869年、クリスティーズでわずか20ポンドで購入しました。おそらく、それまでの8年間、ロセッティ自身も半身像の女性像を描くという実験を繰り返していたため、この絵画に魅力を感じたのでしょう。ボッティチェリの肖像画を購入した後、ロセッティは自身の絵画の中でこの作品を繰り返し参照し、模倣するようになりました。透け感のあるオーバーガウン、長い指の手、まっすぐな視線といった要素は、ロセッティの『トロメイのピア』『フィネストラの女』『プロセルピナ』の複数のバージョン、そして1870年のチョーク画『沈黙』に繰り返し現れています。

このデッサンを描くことで、ロセッティはボッティチェリがどのような芸術家であるかを探ろうとしているように見える。これは、ウォルター・ペイターがボッティチェリに関する最初の本格的な論文『サンドロ・ボッティチェリ断章』を出版した1870年当時、まだ十分には確立されていなかった点である。数世紀にわたり比較的無視されていたボッティチェリの作品は、1870年から1880年にかけてウォルター・ペイターやジョン・ラスキンといったイギリスの批評家によって熱狂的に支持され、称賛された。ボッティチェリは、ロセッティ、エドワード・バーン=ジョーンズ、ウィリアム・モリスといった、美学運動に関わる芸術家に永続的な影響を与えた。批評家のヘンリー・ホーンは、自らが無批判な崇拝と捉えていたことに懐疑的であり、「ボッティチェリに対するイギリス特有の崇拝は、今や、我々の奇妙で奔放な時代と同じくらい奇妙で奔放な、ある思想と趣味の一時期の特徴となった」と述べている(Horne, 1908)。


初めてお会いしたBotticelli とイタリア・フォルリで何度目かの再会 240728

2024-06-28 01:49:00 | ボッティチェリ
(思考か飛んだ内容)
初めてボッティチェリと出会ったのは
京都で開催されたイタリア・ルネッサンス美術展
 
🔗初めて西洋美術を鑑賞した美術館。中学生3年のころ
美術室の図録でお会いしたボッティチェリに傾倒
 
受験中でしたがぜったい行きたい!と言って母親と一緒に大阪から京都まで
おそらく絵画鑑賞も初めてだったと思う
 

カタログは実家にあります。
本当にお美しい
 
その後ウフッツィ美術館(約10回訪問)
東京美術館のウフッツィ展https://www.tobikan.jp/exhibition/h26_uffizi.html
等、一番お会いしている絵画です。
貸し出しが多いのかな
 

今回出展されたボッティチェリ(二点は模写です)

こちらはミュンヘン地元東駅から
今回のイタリアは電車で入ります。

Forli駅前にロセッテイがお出迎え

炎天下の中、バスと歩きで紆余曲折しつつ、なんと美術館は時間待ちもありましたが
入場。素晴らしいルネッサンス期の絵画もありましたが、すぐ目についたあなた様

いきなり中央で再会



再会。(ラファエル前派も好きなのですが・・後ろに素晴らしいバーンジョーンズ・・)

光が入るので横から撮影




 
好きな望遠風景
 
 
昔、美術の先生が鑑賞する時には足元に注目するとおっしゃっていた

私は足元にこだわらいが
ボッテチェリの足元が好き…必ず注目




そして、レースの透け感は写真では伝わらないが、絵の前に立つとその美しさに目眩がしそうになる。



有名な『プリマヴェーラ』の絵はその最大の作品。メルキュールの視線の先にこの絵が掲げられたという説を聞くと、嬉しさのあまり卒倒しそうです


宝塚で開催されていた「ルネッサンスさろん」の講義の中で新プラトン主義の説明を皆がうっとりされていた事を思い出した

後方のバーンジョーンズも鑑賞して
名残惜しいけど他の部屋へ
この後、最大のラファエル前派の絵画に触れてトランス状態
またまとめられると良いな

 
↑(ちょっと横道にそれます)
最初に絵の飾られていた場所はカブール通り
リカルディ宮殿かな?
通った語学学校もその通りにあった。
今は引越ししてしまったけど、邸宅の中に学校があり、
自由参加の美術講座、教会訪問、美術散策など
楽しかった
 
最近フィレンツェに行き東洋人の中にイタリア人の先生がいらして撮影を頼まれた
日本人かとおもえば韓国人のグループですた。
ブディックでは語学学校の手提げ袋に以前の学校の名前がプリントされた方々に声をかけたけど
日本人ではなく…咄嗟にイタリア語も出なく、寂しい気持ちになった。
 
 
 
美術史の先生はとても大好きで
日本に帰ってもやりとりして旅行でフィレンツェに行き講座に参加したり
今はどうしていらっしゃるのかしら
 
 
 

『e Brasiliana』

Carissima !Grazie per ricordarsi di me.Sento mancanza da cuelo tempo di studiar…

Meravigliosoな日々

 
この先生ともう1人のSassia先生
2人はfacebook、もう1人は震災の時に家🇮🇹に来なさいとメールが…。
懐かしい話しに飛んでしまったね


2021年5月に訪問したロベレートのボッティチェリ展
 こちらでもお会いしていました。
 
  • フィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されている絵画。
  • 湖や海の風景を背景に、ミルトの冠をかぶった優雅な女性が描かれている。


  • 左手に豪華な装飾が施された重いハルバードを持ち、右手でケンタウロスの髪を掴んでいる。
  • ケンタウロスは弓と矢筒を持っているが、弓の弦は張られていない。
  • 絵画は元々板に描かれていたが、現在はキャンバスに移されている。
  • 1498年のメディチ家の財産目録に「Chamiloとサティロが描かれた絵」として記載されている。
  • 一部の学者は、この女性を『エネイード』に登場する勇敢な戦士カミラと考えている。
  • 1516年の目録では、正しくミネルヴァとケンタウロスとして記載されている。
  • ミネルヴァは知恵の女神として描かれ、ケンタウロスは動物的な衝動を象徴
  • 絵画の依頼者はロレンツォ・デ・メディチで、彼の息子ジョヴァンニ(後の教皇レオ10世)も関与している可能性がある。女神の衣装に絡み合ったダイヤモンドの指輪にあります。これらはロレンツォ・イル・マニフィコの特有の紋章であり、後に彼の息子ジョヴァンニ(後の教皇レオ10世)によっても使用されました。
  • 絵画は1482年の結婚祝いとして制作されたと考えられている。この絵画が制作されたのは、メディチ家が長い間準備していた結婚式のためである可能性があります。具体的には、1482年7月19日に行われた、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ(彼の従兄弟であり養子)と、ピオンビーノの領主ジャコポ3世・デッリ・アッピアーニ・ダラゴーナの娘セミラミデとの結婚式です。この日付は、絵画の制作が結婚式の贈り物として考えられるため、制作の最終期限となります。
  • ボッティチェッリがシスティーナ礼拝堂のフレスコ画を描いた後に制作された可能性が高い。ボッティチェリがシスティーナ礼拝堂のフレスコ画制作の後にローマから戻った直後にこの絵画が制作されたことは、ケンタウロスと『コラの罰』や『モーセとアロンの石打ち』の悪魔的な人物像との間の様式的および形態的な類似点によって確認されます。これらは、サンドロが教皇シクストゥスの礼拝堂で制作した3つのフレスコ画の最後のものであり、ウフィツィ美術館のキャンバスの風景にも前兆が見られます。
 
今回訪問したラファエル前派の展覧会の図録
 

 
 


(かなりの重量の図録…これをカートに入れイタリアを回った
ミュンヘンで知り合った↑イタリア人友達の論文はロセッティ
…お茶に呼ばれて持参したとき息子ダヴィデのダンベル💪になった)

要約

この作品は、15世紀末にフィレンツェのヴィア・ラーガにあるロレンツォとジョヴァンニ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチの宮殿に所蔵されていたことが証明されています。その後、19世紀にカステッラの別荘に移され、パラッツォ・ピッティで再発見されたのはその世紀の終わり頃で、どうやらイギリスの画家ウィリアム・ブランデル・スペンスの指摘によるもののようです。それ以来、この作品は美的な熱狂と無限の批評的議論の源となっています。画家の他の神話的寓話と同様に、文学的、哲学的、政治的賛辞の解釈は数多く存在し、実際、それらの解釈は異なるニュアンスを持ちながらも、必ずしも互いに矛盾するものではありません。それは、サンドロや少し後の若きミケランジェロが自由に活動していた、ネオプラトニズムの思想に彩られた高い知的環境の文化的刺激の豊かさを捉えているからです。

この作品は、限られた鑑賞者のために制作され、その曖昧な意味は古い目録で女性の姿がカミッラ(1498年)やミネルヴァ(1516年)として識別されることに反映されています。流れる髪と透明な衣装をまとった女性は、ケンタウロスに対して優位な役割を果たし、驚きと苦しみをもって捕獲を受け入れます。彼女はパラスの明確な属性を持たず、目立つハルバードとメディチ家の象徴である絡み合ったリングが特徴です。儀式的な緊張感のある雰囲気は《ヴィーナスの誕生》と共通していますが、スタイルはローマ滞在時(1481-1482年)に近いです。
 
 
また改めて追加予定・・かも・・(備忘録)

黒いヴィーナスは三回お会いいたしました。 ベルリン絵画館240609

2024-06-26 17:10:00 | ボッティチェリ

表紙は2024年6月に撮影

 
黒いヴィーナスのとは・・この命名気に入っています。

ブログ、ありました。
 
私は神戸博物館ではじめてお会いしました。
 
ウフイッツィ美術館のヴィーナスと比べれば、現実的な感じの美人(三つ編みがそう思わせるのかな)
去年2023年はルネッサンス部屋が閉鎖のため別の部屋で輝いていらっしゃいました
 
以下は2023年8月に撮影














①初めてお会いした

■会場:神戸市立博物館(神戸市中央区京町24)
■会期:2005年7月9日(土)~10月10日(月・祝)

■世界遺産・博物館島「ベルリンの至宝展」記者発表会 会場:ドイツ連邦共和国総領事館/2005年5月12日

 

②2023年8月16日 ベルリン絵画館

③2024年6月9日 同上