乳ガンを患ってからの私

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

従姉妹

2023-05-05 18:17:35 | 乳ガン患ってからの日々
次女の卒園入学を、SNSに投稿して数日経ったある日従姉妹から連絡がきた。
父親は、7人兄弟の5番目で、私と同級生の従姉妹が3人いる。
小さい時に帰省した時に、何度か遊んだりしたけど、特別仲良しだったわけじゃなかったけど、父親はすぐ上のお兄さん一家と、よく連絡取り合ってて、兄嫁さんがとても頭のいい人で、起点がきくし父親は、いつも自慢してた。
父親は、そのお兄さんが体調崩した時も、真っ先に帰省して、色んな話をしたり、もう余命長くないとなった時に、ずっと付き添ったりしてた。
父親が体調が悪くなり、ガンとわかった時は、兄嫁さんが御百度参りしてくれたり、体にいいものを送ってくれたり、よく連絡くれたり、父親が亡くなった後にも、私達にまめに連絡くれたし、母親とは同じ嫁同士と言うこともあって、とてもよくしてくれた。そんな兄嫁さんも、ガンになりとてもあっけなく亡くなってしまった。
でも、同い年の従姉妹は、季節ごとに連絡くれたりなんとなく交流はあった。
後の2人は連絡先知らないから、連絡取ったらしてなくて、父親亡くなってから疎遠だった。
そんな心優しい両親の下で育った従姉妹は、SNS載せるとメッセージくれる。
でも、記事にコメントじゃなくて、個別に連絡くれて
「卒園入学おめでとう。体調どうですか?あまり無理しないように、まだまだ子育て頑張ってくださいね。報告があるんだけど…私も去年乳がんがみつかりました。幸い初期だったので、手術して抗がん剤しました。
まだ体調なんとなくだるかったりするけど、自分のペースでやっていくね」

身近に続けて乳がんって、ショッキング過ぎて言葉にならない。
9人に1人だったかな?罹患するって言うけど、今までいなかった…実はいるけど、隠して頑張ってるだけなのかな?
私は甘いのかな?しんどいとか、言っちゃいけないのかな?
5年経過して、もう普通の人なのか?
でも、病院の先生は寛解とは言えないって言われたし、なんか私ってなんなんだろうって、ちょっとまた塞ぎ込んでしまってた。
強くなろう。。。

最終登園のお迎えで

2023-04-10 14:24:39 | 乳ガン患ってからの日々
卒園式が終わっても、春休みと言うわけにもいかずに、次女は3月末まで園に通わせてた。
私の15年の最終日のお迎えの時に、長男の時からお世話になった先生方に、挨拶してまわった。
そのうちの1人の先生で、3人とも一度は担任してもらった、明るくひょうきんな中堅の先生。
最後は、別のクラスの担任だったけど、毎朝通勤途中にもすれ違ったりして
「おはようございます。よろしくお願いします」って声かけたりしてたし、お迎え行った時に色々喋ったりする先生がいて、
わざわざ先生がいる教室まで行って挨拶した。
ずっとずっと3年ぐらい聞きたかった事があって、最終日まで温めといた。
私「先生、今日で最後です〜。お世話になりました。ありがとうございました」
先生「こちらこそ、至らないところたくさんあったと思いますが、色々ご協力有難うございました。送迎から解放されて、お母さんもちょっとゆっくりして下さいね。お母さんは、いつも明るくてお喋り楽しくて、つい声かけてしまうのに、もう来られないなんて、寂しいです…。小学校は隣ですし、いつでも遊びに来てくださいね」
嬉しいこと言ってくれた。
さて、あたためた事を他の保護者がいないうちに、聞かなくちゃ。
私「先生、ずっと聞きたかった事があるんですけど、最後だから聞いていいですか?
3年前から、何か病気されてると思ってましたが、お体大丈夫ですか?」
先生「やっぱりわかってましたか?おかげさまで大丈夫です」
私「ある日突然、真っ黒髪になって、しかもかなりのツヤがある綺麗な髪の毛。ウィッグじゃないかと思ってました。そして、2年近くウィッグらしい髪型の後の、短いチリチリ毛…。その時に、やっぱりなぁって思ったんですけど…。どこだったんですか?まだ治療してますか?」
先生「…えっと、お母さんと同じです。私は部分切除なので、いびつな形ですけど、抗がん剤しましたし、今も薬飲んでます」
私「一緒なんですか?保育士の仕事って大変じゃないですか?私なんて、しんどくて仕事休むにしても、次女預けてたのに、それを預かってもらってたのに…。いやぁ、本間にありがとうございます」
先生「お母さんだって、仕事しながら、家事もあって、子供さん3人もいて、すごく大変そうやのに、いつも明るくて。でもその姿を見て、私は励まされてました。だって、独身やし、実家暮らしやし、お母さんより楽させてもらってたし。告知された時は真っ先にお母さんの事が浮かんで、でもきっと大丈夫って安心に変わりました。気持ち共有したいと思った事何度もありましたけど、保育士と保護者だから、胸にしまっておきました。お母さんも、気付いてたのに、普通に接して下さってありがとうございます。いつかゆっくり体験談とかお互いに話したり出来たらいいなぁって、ちょっと思ったりしました。お母さんって、すごすぎます。これからも気軽に声かけますし、かけてくださいね」

まさかの同じ場所だったのは、驚いたけど元気に過ごされてて、嬉しかった。

次女の卒園式

2023-03-21 13:38:54 | 乳ガン患ってからの日々
次女も、とうとう卒園式。
8ヶ月から通ってくれて、無事にこの日を迎えられた。
毎朝泣いて後追いひどくて、知恵熱みたいに熱出して、お休みいっぱいの最初の半年。
今の会社で働き始めたばかりで、休み過ぎてクビになるんじゃないかって、不安だった。
胃腸炎になって、やっと復帰した3日後に水ぼうそう。
少し朝泣くのましになったら、病気でまた数日休むの繰り返しで、1年間泣いてたなぁ。
迎えに行くと、すごい勢いでハイハイでお出迎えしてくれて、癒しだった。
もうすぐ進級って言う頃に、私の乳がん見つかった。
CVポートの手術とか、毎週の通院とか、担任の先生に時間もらって少し話した。
先生は、驚いてた…まぁ、あまりない話だと思う。担当保育の保護者がガンになるって。
翌日に、登園したら園長先生が担任から、話を聞いたんだと思うけど、心配して声かけてくれた。
長男が年少の時の担任の先生で、出世して園長になって、赴任してきた。
とてもいい先生で、その先生が園長って心強かった。
病院で聞かされた治療の話をして、仕事休む事が、多くなりますがすみませんが、病院に連れて行けないので、登園させます。
と、説明をしたら
「体調悪い時でも、1人でゆっくりした方がいいと思うので、登園させてもらって大丈夫ですよ。何かあれば言ってくだされば、お力になれるようでしたら、遠慮なく」
そう言ってくれた。
そこから、園長はずっと同じ先生で、次女の成長とともに、長男はサッカー頑張ってますか?
長女はどうしてますか?って、兄姉のことまで聞いてくれる人だった。
卒園証書を受け取る次女と渡す園長が向かい合ってる時は、さすがに込み上げてくるものがあった。
0才から、一緒に過ごしてきた同級生。みんなまだ歩けなかったのに、立派過ぎてウルウルずっとしてた。
でも、残念なことにコロナ禍で、保護者2名の参列。
在園児の合唱とか、シュプレヒコールとかなし。
3人の中で、最後の卒園式が1番寂しい式だった。
式場だと密になるので、園庭で記念撮影したり、少し余韻に浸ってる時に、長男がやってきて、担当してもらった先生がまだ数名いるので、もう来る事なくなるので、挨拶にきてくれて、一緒に写真も撮ったりした。
ここまで、闘病できたのは、先生方のお力添えがあり、倦怠感ひどくて何日か休んでても、預かってもらったり、病院でお迎え時間間に合わない時に、特別に長男のお迎えを許可してくれたり、ご迷惑いっぱいかけたのに、無理を聞いてくださったおかげだと思う。
長男の時から、次女まで通算15年の送迎。
いろんなことあったけど、無事に卒園式迎えて良かった。

告知された時は、次女の卒園式まで生きられるのかな?って思ったので、本当に5年生存出来た事にも、感謝です。

尊敬する人

2023-03-19 16:07:05 | 乳ガン患ってからの日々
パート先の社長の奥さんなんだけど、全く偉ぶらなくて、気さくで気配りが出来て、あんな風に年を取りたいと思わされる人。
一昨年いっぱいで、仕事辞めて専業主婦に戻るって。ここのところは、コロナ禍で歓送迎会や忘新年会など、飲食伴う会社のイベントもなくて、おまけに奥さんの最終出勤日は、長女の学校がコロナで休校になってしまったので、お別れの挨拶もしないままだった。
たまに、差し入れ持って会社に来てくれてたけど、運悪く私休んでて、退職されてからお目にかかる機会がなかった。
木曜日の午後奥さんから、ショートメールが来て
「少し暖かくなってきたので、久しぶりに会社に行こうと思うんだけど、出勤してるかな?金曜日か月曜日にと思ってるんだけど」って。
もう、嬉しくて😊
「どっちも出勤してます」って返信した。
金曜日の午前中たまたまトイレに行って、出てきたら奥さんが両手に差し入れいっぱいの袋持って立ってた。
「いやぁ〜。お久しぶり〜。元気にしてる?やっと会えましたね」って、持ってた荷物を置いて
「ハグしようか?」って両手を広げてくれた。
私は、奥さんの胸に飛び込んでハグしてもらった。
背中をさすりながら
「無理してない?体調落ち着いた?しんどかったらお休みしたらいいのよ。無理しないでね」と声をかけてもらった。
それで、色々話をして、荷物を運ぶの少し手伝った。
職場をそんなに離れてるわけにもいかないので、そろそろ戻ろうかと思ったら
「もう一回ハグしとこうか?」って、また抱きしめてくれた。
温かさに涙が出てしまった。
すると
「何かあったら、メールしていいのよ。抱えたりしなくていい。私には、何の力もないけど、あなたが頑張ってる姿で私もパワーもらえるんだからね」と言ってくださった。
「また、顔みにくるね。ぼちぼちやってね」そう言って帰って行かれた。
私みたいな短時間のパートの事、いつまでも気にかけてくれるのは、本当にありがたい。
器の広いすごい方だと、心から思う。

3.11

2023-03-11 09:22:09 | 乳ガン患ってからの日々
今日で震災から12年。
あの頃私は6月に長女の出産を控えながら、前の職場でパートしていた。
かなり出てきたお腹かばいながら、動き回ってた。
ちょっと貧血気味だったし、お腹圧迫されて、あまり食べられず油っこいの食べれなかったり、長男の時になかった現象に、不安だった。
産休前に、引き継ぎで仕事を教えてたけど、その人が少しミスをして、2人して事務所に呼ばれた。
事情を聞かれ対策として、どうすべきかと話し合ってた。
話を聞いてるけど、なんかめまいする感じ?後1ヶ月産休まであるけど、体調大丈夫かな?今日で、最後の出勤になるのかな?とか思ってたら、やらかした本人は、なんだか事務所の天井見上げてるし内心
(この人に任せて大丈夫か?私今日までになるかもやのに…)って。
その姿見て、上司がちょっとイラッとしてる感じがした。
ヤバいなぁ…どうしよ?って思った時に、事務所の照明が揺れてる事に、上司が気付いた。
「地震じゃない?すごい揺れてる。とりあえず建屋から出よう」と指示。
そして、全部の機械を止めて、全員で外に避難。
それが、3時前だったので、復旧してすぐに退社。
家に帰ってテレビつけたら、あの惨事。
しかも場所は、遠く離れた場所だし。
もうびっくりだったのと、私の体調不良じゃない事がわかって、不謹慎にもホッとした。
神戸の震災の時も、大阪なのに屋根づれおちて、結構な被害あったけど、遠くても思い出す記憶。
毎年今日の事は、子供たちと話をする。
そのわりに、あまり備えてないなぁと、反省もするけど。