乳ガンを患ってからの私

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

マンボウ

2021-04-19 12:16:37 | 乳ガン患ってからの日々
私が住んでるところは、まん防が出ている。
でもわが町は、感染者数は、毎日一桁あるかないか。
イオンにさえ1年以上行ってない。娯楽施設には、行かない生活。
長男は、試合があるので消毒液は常備させて、マスクの予備も持たせて対策してもらってる。
ところが、旦那の赴任先は、政令指定都市で毎日の感染者がギリギリ二桁。
先週末帰宅したが「会社とアパートの往復だけやし、大丈夫」って言ってた。
あなたが、1番リスクあるのよ今は…って感じだけど、2週目になっても、電話で泣く娘2人に、会いたくて仕方ないんだろうなぁ。
先程吉村知事が、緊急事態宣言を要請するってニュースやってた。
もう、慣れっこになって、あんまり効果ないんじゃないかな?
マスクが辛い季節に向かってるけど、マスクしなくていい日常が、早く取り戻せたらいいなぁ。

まん防を、耳で聞いてる次女は、ニュースで話はわかってないけど、最近よく聞くからなのか、
「母さん、コロナってマンボウみたいな、お魚なん?」って(笑)
ほっこりさせてもらいました。
最近では、でかけるときには、マスクする習慣が1番出来てる次女。
手洗いも、保育所で習ってるから、1番正確(笑)


旦那、単身赴任

2021-04-12 16:54:36 | 乳ガン患ってからの日々
この4月から、単身赴任になってしまった。
次女が生まれて1才半で、交通事故に遭い、私が告知されて治療始まっても、休職して自宅療養してくれてたので、私の体調悪い時も、子供たちの世話を、ちゃんとしてくれて、ご飯も食べさせてくれたので、ものすごく助かった。
次女は、3人のうち唯一の私っ子だったけど、接するのが、長くなったので、これまた旦那っ子になった(笑)特に娘2人は、本当に父さんが大好きで、寝る時も旦那は両手に花状態(笑)
そんな旦那が、単身赴任なんて、我が家では衝撃が走った。
コロナの影響で、府外ではないけど、感染予防の観点からアパート借りてくれて、そこから通勤。
コロナが落ち着いたら本格的に、府外に単身赴任になるようで。
4日の日曜日の夕方から別居スタートしたけど、毎日電話しては、なく娘たち(笑)
金曜日の夜に帰ってきて、土日一緒にいたけど、片時も離れないし、姿が見えなくなると探す(笑)
もう、笑える…。
最初は、歓迎されて嬉しかった旦那も、日曜日には少々うっとおしくなってきたみたいで
「オレのプライバシーってないのか?トイレもゆっくり行かれへん」と嘆いてた。
まぁ、治療中ネグレストが、サバイバーワンオペになって、夜泣きする次女に泣きたくなるのは、こっちだと思うけど、どうしょうもなく腕枕で添い寝したら、手術した方でしてしまい、朝起きたら、腕はむくんで、重くて上がらなくて情けなくなったけど、誰も悪くないので、グッと堪えた。

エコー終えて

2021-04-11 21:36:39 | 乳ガン患ってからの日々
3月15日にエコー検査があった。
結果は、鎖骨下の腫瘍は、育ってない。
一安心した。
先生と他愛もない話をして次回の予約をして帰った。
でも、1人でいると今年で50になる。
半世紀生きてる。四半世紀の時は、次の四半世紀にサバイバーになるなんて考えてもなかった。
仕事が楽しく、友達や彼氏と楽しくやってた。
結婚も考えてなくて、いつか独立したいって思うぐらい仕事楽しかった。
そして、この四半世紀は会社倒産して、今の旦那に出会い…でも、別の会社でまた土台作るつもりで結婚するつもりもなかったけど、なぜか結婚して(できちゃった結婚ではないけど)長男が生まれ、土日祝日が休みじゃない販売の仕事は、続けられないし、長男の成長が見たいって思ったので、引退した(笑)
私の実家で、同居していたので母親が、初孫の長男を溺愛し、私は生後7ヶ月の長男を、母親に預けて家から見えるぐらい近くの工場でパートで働いた。
ごく普通のパートとして働いてたけど、3か月ほど経った時に
「前職は、何してたの?すごく機敏に動くね」と、上司から言われた。
それまでは、子供が小さい事以外は、あまり話をしなかったので、気になってたみたいだった。
「雑貨屋で、店長したり、マネージャーしたりしてました」と言うと、好感度上がったみたいで、翌日から、違う部署に配置換えされた。
原料を扱うところで、私が失敗すると工場がストップするぐらいに、重要なところ…。
毎日覚えるの必死だった。
でも、任されるって事が嬉しかったなぁ。
長女が生まれる1か月前まで、働いて産休を取り、保育所に入れて復帰した。
それからも、ずっと次女を妊娠するまで、その会社で働いた。
次女が生まれ、保育所入ってからは、今の職場にいる。
仕事も、変わったけど、生活そのものが、変わったし、色んな事があった。
人生の起伏が1番激しい四半世紀だった。
4月に入り、ホルモン剤飲み始めて2年が過ぎて、だいぶ安定した生活を送るはずだったのに…。