薔薇の吐息2014

前ブログから引越しをよぎなくされ、流れ着いたおばさんのひとりごと

思えば私の初任給は……

2007-06-08 22:17:14 | 日記

 息子が今月のアルバイト料が20万くらいだとのたもた。

 へえ、アルバイトでそんなに稼げるのか…。確かに休日返上だったし、あれほどやらないと言っていた自宅で仕事ってのもしてたけど……(時給のアルバイトで、なんで自宅で無給の仕事して間に合わせるんだ~どっか、へんだろ~と、つっこむのはやめた)

 で、自分が始めて給料というものをもらった時のことを思い出した。

 10万ちょい、ぐらいだったかなあ。で税金が引かれ、部屋代を出し、光熱費やらなんやら、食費、帰省代、もろもろ引いても、まあ、遊ばなかったので残った金はあった。

 あ、酒代もあったか。

 でも、たかが、20万に満たないステレオを買うのに、二年もローン組んで、細々と支払ったけなあ。

 ずっと親元で過ごしていたので、就職する時はきばって、親元を離れようと、教員採用試験の赴任地希望を最初から札幌でなく、北海道にしてしまった。

 それには大学受験のしこりもあったのだ。うちの親は札幌市内から絶~ぜ、絶対、出さぬと厳命したのだ私に。それほど頭のよくない私は、当時、岩見沢の教育大あたりが私に似合いって思っていたのに。

 悲しいかな、私に反抗なぞ、できるわけもなく。

 だって、その頃親戚中で、女で大学ってのは前例がなく、もはや、異端の域であったのだ。今考えると、めちゃ、女性蔑視? 大学に行かせてもらえるっていうだけで、なんというか、マレな椿事…扱いでなあ~。

 その上、自宅から通えないってのは、もう、ほとんど罪悪的な状況で。しかし、岩見沢は通学可能だったのんだけどなあ~。

 私の時代は、一期校、二期校って受験区分があって、もちろん、センター試験なぞない。その当時、で、私は、北大と、教育大学札幌分校と、私立藤女子大を受けた。

 札幌にある大学だな、全部。

 でもねえ、私の実力じゃあ、どれも、絶望的な学校ばかりだったようで。

 担任が、眉間にしわ寄せて、「滑り止め、ないぞ…」

 うんだ、私もわかってはいた。でもねえ、親がねえ。

 で、間違って藤女子大に受かってしまった。で、親の間ですったもんだがあったらしい。

 私立てのは授業料が高いし、家はもう、中流の下ってくらいの家だったし、お金ないしね。でも、母親が強行に私を押してくれたらしい。

 母親の時代は勉強したくても上の学校に行くなんて、も、本当一握りでしょ。で、泣く泣く涙を呑んで就職した世代だったから。やっぱり子供にはある程度の勉学をさせたいっと思ってくれたのですね。女でもって。

 とうことで、めでたく女子大生。

 いやあ、女子大生時代、母親が握りつぶしたお見合いの数々。

 チットモ知らなかった。やっぱ、父親にしたら、嫁に行くのが一番かね。学業より嫁ってのが、前時代的に、のさばってたのかなあ。

 で、卒業したら、札幌離れて地方に行くってので、色々あって…。

 一番、親元を離れることを望んだんですよ、その当時の私は。息苦しかったのか、ちょっとは反骨精神が働いたのか。

 で、寒いところは苦手だったので、どっちかというと暖かめのとこにということで希望した中で、声をかけてくれたのが、日高でした。(札幌に希望すると、枠が狭くて難しいってのももちろんあるんですが)

 あ、初任給の話だった。

 その頃、電話を引くにもその当時かなりの金がかかり、当時で8万くらいだったと記憶。もう、なけなしのお金でやりくり、やりくり。

 親の中古車を譲り受けなんとか生きてましたね~。

 で、その中古車がひどいんですよねえ。高速道路を走っているときに、すかって、エンジンが切れて……。ひょえ~~~~。

 あ、初任給の話でした。

 息子のアルバイト料がなんだか納得いかない。んで、多分、技術が必要な職種だとは思いますが、正規の社員に求めるだろうことを、アルバイトふぜいに、求めていいのか。

 契約社員でもなく、時給、数百円のアルバイトだぜええ、っと、。

 やっぱ、この国の行く末は危ういと思わざるを得ない。

 もう、なんとか、政府を変えなきゃ、……。

 って、思ったりして。

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2 コメント

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ルカさん こんばんは。 (としごり)
2007-06-09 18:57:51
ルカさん こんばんは。
私の初めての給料は手取りで3万ちょっとでした。勤めた所がアパレル業界だったので、身なりをビシッ!と決めないといけないので、前借?で服を買ったら給料がなくなってしまったのを思い出します。

今 沖縄での仕事は時給なんです。
休みもたくさんもらっているので手取りなんてほとんどありません。
でも沖縄ではそれでも楽しく?生きていけるような気がします。

そうそう 私ね大学受験の日 バスに乗り間違えて、よその大学に到着したんですよ~ハイそれまでよ~でした。(笑)
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としごりさん、こんばんは。 (ルカ)
2007-06-09 21:23:23
としごりさん、こんばんは。
私はあまり就職活動もせず、教員採用試験一本でした。今思えばそれしか考えなかったのが不思議です。

沖縄の暮らしって憬れます。
なんくるないさ~って言葉好きです。
憬れは一杯あるけど実際に暮らしていけるかどうかは…、無理かなあ。
やっぱり、としごりさんみたいに、農作物の栽培とかできないとね。

島バナナは熟してきたようですね。
いいなあ、バナナが育てられるっての。
コーヒー豆とかも、大丈夫かなあ。

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