青少年って、明日、未来がくることを疑わないですか。普通。
でも、わが息子はちょっと違っていて、すでに、私と同じような感覚を持っているんですよね。じーさんのような意識を持っている息子です。(でも、かなり箱入り息子的なのが、困る。世間を知らないしなあ。)
高専時代、同級生とネットで精神年齢を出すサイトとかあったらしく、一緒に試したそうです。でもって、彼の年齢は・・・・
60歳。
は、ははは、はは・・・・。
アタシより上じゃん (ちなみに私もやってみた…年相応だった…)
なあんかねえ。って思いましたよ。その時。でもって、今日も、そんな話になって、私が普通、若者は未来を疑わないよね、って振ると、
『そうでもないよ。僕はけっこう未来がないかもってことも考えている。明日がないのは悲しい。未練は残るけど、まあ、そうなったら仕方がないか。』
って、息子の言です。
おいおい、そう達観するでない。
でもって、これからどれくらい生きる、とか、話していて、前にも何度も話し合ったことだけど、私が高齢になって(今現在でも、だけど)治る見込みのない状態になったら、安楽死というか尊厳死を望むってことにいたって、
『お母さんの、もしもの時の、無駄な延命治療は、しっかり拒否してあげるから!』
と言ってくれました。うんうん。それでいい。でもって、痛いのだけはイヤだからね。私。それも覚えておいてね。
ようやく意識定着してきたな。前までは、そうできる自信がないから、文書にして残しておいて欲しいって言ってたんだけど。まあ、子どもが一人しかいないので、必然、彼にしか頼めないんですよね。死ぬのもかなり面倒です。
墓も要らない。海に散骨してほしい。って望みは、まだ、定着が難しいようですが。
で、父はですね。そういう話を一切しません。まあ、どうするって父から切り出されないと、私もいえないし。
はたして彼はどういう死に方をしたいのだろう? 墓はいるのか? 延命治療は?
聞けない・・・・。
自ら言ってもらえないと、こればっかりは、気軽に聞けないよねえ。というか普通、親子でそういう話をするもんなのか? 私と息子はちょっとおかしいのか? って思ったりもします。