母が叔父が送ってくれた梨をくれるというので、ついでに歩こうということで、待ち合わせの札幌駅までまず歩く。なんだか、歩いても汗が出ない。冬でもばんばん汗が出る私だから、ちょっと、不安になる。
体に熱がこもって具合が悪くなりそうな感じ。とりあえず、駅まで歩いたら水分補給で乗り切ろうと思って歩いていた。
25日に15キロ歩くので、ちょっと歩いておきたいと母が言うので、円山周りで琴似まで歩く。さすがにここ数日は暑くて、母も歩くのを控えていたらしい。というか、お盆だったから祖父母の墓参りとかしていたからかな。私の弟とは一緒に行ったらしい。(弟ともかなり会ってないなあ~)
うちの家族はちょっと複雑な事情で、両親は事実的に離婚状態。私も弟も結婚に失敗して離婚しているというやもめ暮らし。
で、私は父と一緒に暮らしている。といっても、二世代住宅なので、同じ家に住みながら、ちょっとしか顔を見ることはない。そんなこんなで母方の親戚とはかなり疎遠になっている。父方の方も、私の病気とかもあって、わざわざ煩わしい付き合いもせずにいて、父方の祖父母の墓参りとかもこの所、行ったことがない。(罰当たりだけどね)
歩き始めたら雲がわいて来て涼しい風が吹いてきた。これなら歩けそうだなと思って、円山公園を目指す。母は私といるとおしゃべりだ。私はどちらかというとそっけない返答になってしまう。歩きながらずっと話し続けるってのは、すごく苦手だ。
西区は通り雨があったらしくて、歩きやすかった。母の住んでいる琴似のマンションまで歩いて、梨をもらい帰ってきた。2万歩には届かなかったけど、けっこう、歩いたね。
そうそう北海道神宮で、真夏の挙式を終えた新婚さんを見た。神宮での神前結婚ってもあるんだなあと、珍しいものを見た気分。本宮前で記念写真を撮っていた。角隠しのお嫁さんが白無垢で、いいなあ~って思った。
今日、久しぶりに田口ランディさんのブログを読んできた。
なんか、かなりやばい状態にあるらしい。まあ、落ち着いてきたって所だったけど。ランディさんの文章を読んでいると、家族って何だろう……って考えさせられる。傍から見ても辛い人生というか、波乱の人生というか、を送っているなあと思うけれど、順風満帆の人生を送れる人ってのは、いるんだろうかって思ったりする。
生きるということは重い。きっとどんな人にも重い。
ストレス塗れの生を、誰もが歩んでいる。
身近な人の死。病気。思わぬ事故。挫折。思うように進めない進路。介護。リストラ。離婚。苦と死がいつも身近にあるはずの人生だよね。
薔薇色の人生を生きているって人は本当はいないのではないか。
薔薇色に人生が見えているって人は、そう感じられるように、見えるように、かなりの努力をしているのではないか。などと思ってしまう。
暗い色に染まらない生を生きられるのは子供だけだよね。過去も未来もあまり気にせず、現在だけに生きていた頃ってのは、けっこう、薔薇色だったような気がする。
でも、その子供が自殺するってのは、なんだか、狂っているよなあ。
本来の子供の特権が奪われた子供ってのは、とってもかわいそ過ぎる。
人は苦しい生を生きねばならないと運命付けられているのかな。でも、そこに幸せを生み出せと、いうことなのかな。
幸せは、あがきながら生きていく中で、覆いかぶさる苦の中から生み出していくものなのかもね。