気候は日々、秋に近づいてきて、過ごしやすい気がするけれど、どうも、意欲のほうは減退気味で、今日も、でれでれと過ごしてしまいました。
ソファにでれんと伸びて、ゲソを噛みつつ、本を読む。
至福の状態を続けてます。
退職にともなって各種、書類を書かなきゃならなくて、午前中一杯それに取っ組んでいたわけですが、文字を書くってのが、けっこう負担になってしまっていて、びっくり。
まず、指が痛い。
パソコンでキーボードを叩くことって、楽チンなんだって改めて思いました。そういえば、中指のペンだこがいつのまにか、消えていた。……。たこが消えるほど書いてないってことだよね。
それに、老眼が進んで猫背で文字が書けない。
手元と眼がある距離離れないと、書けないという事実に愕然。めちゃ、がび~んです。
やっぱり、老眼鏡が必要なのかなあ。かなりのショックでした。眼鏡はずすとかなり近寄らないと見えないし、眼鏡かけるとうんと離れないと見えないし。
ぼわ~んとした視野にちょっと苛立つ。
遠近両用眼鏡を用意しなきゃならない……。のかなあ。
うちの両親はどちらも眼がよくて、眼鏡をかけてなかったんですが、ある年齢から老眼鏡で文字を読む姿を見てから、親の老いを感じたんですよね。
「老い」という言葉を身に沁みて感じる時ってのが、必ずあるんだよね。
まずは親の「老い」感じる青年時代。そして自分の「老い」を感じる中年時代。
段階を踏みながら、もう若くないってことを少しずつ自分になじませながら、年をとっていく。その過程に私も入ってきたってことだよね。
はてさて、老境を自覚するまであと何年くらいだろうか。
まだまだ、そう自覚したくないという自分がいる。中年って言葉もけっこう抵抗あるし。
私の前を歩く人々も同じ思いで、年を経て来たんだろうな。そういうことって、なかなか気がつかないように思うけど。
生きて天寿をまっとうできるってのが、本当に稀な奇蹟のようなこの世の中。まっとうに中年なれたことに感謝しなきゃならないかな。
できれば、老境の心境ってのも経験して、死にたいなと、ぼわ~んと思う私です。
私 本(と言っても雑誌しかないですが)を読む時の眼鏡と車を運転する時の眼鏡と二つ持っているんですが、それ以外に普段の生活をするときにも、また違う眼鏡が欲しいです。普段の生活にはそのどちらの眼鏡も合わないんですよ~
眼鏡ってやっぱり場面によってかえたほうがいいんですかね。
よく眼鏡屋の広告に、「中近」「遠近」「近近」とか分けて宣伝しているのを見るんですが、場面によって使い分けたほうが眼に負担が少ないのかなあ。
ちょっと考えてみようかなと思いました。