前に新聞を読んでいて、こんな言葉が引用されていて、ギョッとなったのです。
「死は生に意味を与える無意味なのです」
仏の思想家、ジャンケレヴィッチという人の言葉なそうだ。
意味のないものは排除。って、普通生活していくうえで取捨選択ってしてるように思うのですが、どうですか?
いつも効率を求め、アクションを起すことにある一定の意味を付して、人って生活していると思うのですが、
この言葉で、
無意味に意味がある・・・・ってのは、確かに。言えるかも。って。ちょっとした気付き。
「人生に無駄はない」
とも、言いますよね。失敗も挫折も悲哀も苦痛も何もかも、無駄はない。と、ちょっと違うかもしれないけど、何故か、同じように響いてきました。この言葉。
無意味が意味を持つ。
ということは、無意味と思えることも意味があるってことで。
ということは、無意味なものは一切ない、ってことで。
もうちょっと、穿ってみれば、無意味なものに意味を見出すってことが、大事なのかも。
苦しかったり、空しかったり、つまらなかったり、人生色々だけど、
見えているものがみな、灰色に見えたり、人の目が不親切に見えたり、
迫害されている(子ども用語では、はぶき・・・にあっていると言う)と思ったり、
全般、不遇だと落ち込んでみたりする、無意味な時間が、存外、とっても大事な意味あることを浮き彫りにさせる、ファクターだったりするのかもね。
秋です。
紅葉が深まってきてます。
私の所有するしょぼい株が、30%も価値を失いました。おいおい。今買えば、安かったのにィ~~~。って。思っても仕方がありません。
ま、売るつもりもない株なんで、ゆるゆると情勢をみてますけど、今日は戻しましたね。少し。10000円を割ったら、けっこう買いなんですけどねえ。8000円まで下がったのをみたら、ちょっと皆さん、引いているような気がします。
結局、誰も損したくないしね。でも、儲かる人間がいれば、損をする人間もいるんですよ。
損をする人間がいるってことに、目をつぶって、まわる資本主義世界。
損をしないから、まあまあ、で仕事をしてきた共産主義世界。
儲かれば、どこで誰がどうなっても関係ない! と、
言い切ったように、毒が溢れる国。
でも、チャイナフリーで暮らせない、飽食の国日本。
意味がないどころか、負の意味を撒き散らして、日々が動きます。
明日が明るいって思えない状況は、けっこう、きついんだよね。
政府は何をやっている。国会中継を見ても、時間に追われて、なんだ、って場面ばかり。もう少し骨のある政治家はいないのか! ないものねだりなのか!
どう考えても、意味のないような答弁が続く。
・・・でも、無意味に意味があるの、かも。 です、ね。