ルナティカのメンヘラブログ

身体4級、精神3級の障害で生活保護、天涯孤独のメンヘラクリエイターの日常

火事にあってからのこと。いい加減な行政。

2020-11-03 08:29:28 | 日記
こんにちは、ルナティカです

今日は文化の日らしいですが僕はサービス業だったので休日に休んだことはないし、病気になってからは行事というのは普通の日なので特に変わりません。

毎日が日曜日だろう?なんて言われることありますが実際に毎日が日曜日だったら人間おかしくなりますよ。

さて、今日は僕の病歴のお話の続きです、結構重たい話なので苦手な方は読まないでください。

ブラック企業で本当に24時間営業の複数店舗の掛け持ち責任者、統括支配人だった僕は各店の店長すらつけてくれない会社だったので一人で業務をこなしてました。社員は3人いましたがバイトと大差なく。

そして当時恋人だった人が遠距離恋愛だったことや僕が合わなかったんでしょうね、突然の別れの電話。数日後、僕は出勤途中で急に会社に行かないで東京へ。高速とフェリーで東京のおばあちゃんのところに行った僕はもう思い残すこともなくその晩に練炭自殺しようとしたところを発見され未遂で終わりましたが、その後口も聞けずほとんど記憶もありません。

会社や自宅など両親が後始末してくれて、僕は実家で3年ほど引きこもりというか家こもりてすかね?何もすることもなくただ生きてるだけ。その後回復して神奈川県の妹の仕事の手伝いで東京に行くものの妹が帰郷することになり、僕はすぐに住み込みで働けるここもブラック企業の神奈川県の朝日新聞の配達所に。あまりのキツさに刑務所帰りの人すら逃げ出すようなところでした。

そして3年ほど働いたのですがうつ病やパニック障害、不安性パーソナリティ障害などが再発して実家へ。そこからパソコンスキルなど自宅警備員といわれる本当の引きこもりのような生活しながら勉強をしていました。

そして両親が年金生活も近くなり、世帯を別にして生活保護に。そのときに住んでいたアパートが築40年のところでした。これでも市の住宅手当は29,000円で、ここの家賃は35,000円。大家さんに直接交渉して貰って足りない6,000は生活費名目で出していました。

このアパートに住んで4年目くらいに、隣から出火して火事にあったのでした。窓から飛び降りるしかなかった僕は両足首の粉砕骨折。精神障害に加えて身体障害者にもなってしまいました。

グーグルマップでは残ってますが、もうこのアパートはありません。

そして、僕は4ヶ月ほど入院して今のグループホームにいるわけですが、このとき市からの生活保護費は入院すると2万円ほどしか出ないのでスマホ維持費でなくなってしまい。自販機でジュースすら買えない、テレビや冷蔵庫ももちろん使えない。

うちの両親はお金には厳しいので、返せる宛があっても借金はさせないし、このときは返せる宛がないので洗濯やお見舞いには来てくれますがお金は貸してくれません。

僕はそれが正しいと思っています。生活保護のほとんどの人(親元にいたりする若い人や、まだ働ける人、就労支援などで収入ある人以外)は携帯電話の人も多いですから。

そしてグループホームに入居が決まってからの家具など一切は市からお金が出ず。何故かというと火災保険で100万近いお金が出るはずだからそれで買ってくださいとのこと。ですが、保険屋さんに聞くと出るのはどんなに早くてもグループホーム入居してから1ヶ月はかかる。それを説明しても市からは明確な返答もなく、決定事項ですの一点張り。不服ならそういう制度ですので道のほうに申し立てしてくださいと。それってほぼ通らない申請なんですよね。なので諦めて両親に都合して貰って最低限の家具を揃えてグループホームに入居。利用料なども両親から。

その後保険金が降りてからは、その保険金が貯蓄になると生活保護を切らなければならないので全部申請したうえで許可だすので買ってくださいと。効果なテレビ買うだけでうるさい生活保護なのになるべく高い電化製品などを買って100万円使ってください。但し、電化製品、家具、洋服に限ります。何故なら火事で失ったものしか買ってはいけないから。それと娯楽用品も不可。 

つくづく行政の理不尽さを知りました。

当時8万もする42型のテレビ、使いもしない高価な電子レンジ、レコーダー、4万もする扇風機、空気清浄機、買ったのにまた買い直したベッドなど。本当に法律というか時代にそぐわない行政のおかしさには腹がたちました。

僕が仕事を探していくのに経歴からパソコンスキルあることは明白であるのに、パソコンは不可です。このネットワーク時代にパソコンは必要家電ではないといわれて買えませんでした。

それでも必要なので中古の1万円のパソコンを100万の保険金とは別の生活保護費のほうから買いました。

全ての家電屋さん、ニトリ、洋服屋さんの領収書を提出、数日後に許可が出てから購入する二度手間。

それでもお金が余った分は市に返金の上で、領収書上のなんらかの不備?で10万ほどその後の生活保護費から3年かかって返金させられました。その金額の理由や何故なのか何度も会議とやらの内容も問い出したましたが、教えては貰えず制度ですからの一点張り。

最後には不服なら道まで書類作成して申し立てしてください。です。もう諦めました。

そして悲劇なのは両足首が身体障害者になった僕なんかではなくて、隣にいた障害者仲間でもあった方です。

デイケアで知り合い、生活保護になるためにアパートを探していたときに隣空いてて大家さんも紹介して貰った友人です。

彼は僕よりも2ヶ月早く退院しました。けれど僕と同じくすぐに生活保護費が出ずに、同じく生活保護の母親の元にいたのですが、保険金が出てからどうしても生活費など母親からも借りれず、保険金で生活費に使っては行けないとわかっていながら使ってしまい、一度たかが外れると周りの悪友に誘われ飲みに出歩いたりして、ほぼ半分の50万を使ってしまったそうで。

その場合生活保護費から、かなりのお金を返すことになるのですが、事故なのか故意なのかお金が尽きた頃にオーバードラッグ、つまりクスリの過剰摂取で変死体で発見されました。

普段からお酒が好きで、たしかに元ヤクザで風俗店の店長などやってた元チンピラですがとても良い人でした。背中の入れ墨が見えるので施設のお風呂入れなかったり、長袖来てたり。

奥さんが病気で突然死してからうつ病、統合失調症になり閉鎖病棟に3年もいたそうですが、僕には絶対に敬語で礼儀をお互いにさせていたいたので(僕が同じ中学の先輩ですので)、本当に普通の人でした。

普段から鎮痛薬など飲みすぎることはありましたが(腰椎椎間板ヘルニア)、オーバードラッグで見つかった時期といい不自然でした。

行政の不備が彼を追い詰めて殺したといっても僕は過言ではないと思っています。

そのくらい生活保護制度や福祉制度の基準の古さや融通のきかなさ、おかしさは実際にその制度を利用することになる僕らが社会的弱者なので表に伝わることはありません。

何言ってるんだ、税金泥棒が。程度かも知れませんね。でも僕も一応10年ほどは厚生年金や税金など支払ってます。途中でリタイアしてしまってたしかに今では皆さんの税金で生かされて保護されているのです。

それには本当に感謝していますし、お役所の人たちだって本当に大変だと思います。悪いのは制度なんだけど。お金持ちばかりの世間知らずのエリート官僚達、政治家さんたちにはどうでもいいことなんでしょうね。

福祉は儲かります。元の事業で失敗してNGOという優遇された法人格を隠れ蓑に障害者や貧困者から国からの助成金を好き放題にしてる事業者がほとんどです。だって崇高な理念とやらをかざしてる団体ほど怪しいところはないですから。実際にいろんな施設にいって、そこの代表たちやスタッフと話してみて、ああこの人たちは偽善者だと何度思ったことか。

所詮はお金が全て。それが資本主義なんです。


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