おはようございます、ルナティカです
釧路も大雪が降ったとはいえ今年は雪が少ないですね
こないだ月に2回のミーティングがあり、朝早くに物音がうるさかったり、ドアの開けしめ、階段の上りおりなど注意があったものの
個別に言うわけではないし、指導できるスタッフもいないので生活改善のための自立支援の福祉施設としての障害者用グループホームなのですがいるのは無資格の共有スペースの掃除と料理だけの主婦バイトのみ
市への個人計画書は半年に一度出せばいいだけでどんな取り組みがあり、何が改善されたかなどは全く関係ないようで
障害者というのは社会経験がほぼない人や引きこもりなど学校経験すらほぼない人、知的障害者もいるので常識というのはない人がほとんどなんですね
なので何を意見しても無駄なのです
形式だけのミーティング
一人当たり20万ほどの助成金
税金免除の福祉法人
貧困ビジネスとはよく言ったものだとつくづく思います
壁がベニヤ板じゃないだけまだ幸せなのです
朝ごはん、もういつものってかんじですね
世間様とは隔絶された世界で、わずかな糧を頂くのは、もはやお寺のようなものです
僕は先月はほとんど実家にいて、ここの食事などは食べてないので利用料金の返還の相談もしたのですが前例がないとの一言で検討もせず
何度も施設とは市役所や振興局を交えて業務改善、管理体制の相談はしてきてるものの、お役所仕事なので何も変わらないことはわかりましたので、今はもう何も言うつもりはありません
福祉施設など、大層な理念を掲げて、政治家との繋がりや社会貢献アピールばかりで、いろんな施設の責任者さんと何度もお話ししてきましたが、裏は相当腐ってます
人間というのは、善も悪もあり、そのジレンマで苦しむ生き物だと思ってますし、善と正義は違って、自己犠牲や損得なしに救えることをするのは善、正義というのは立場で変わるので、ただの正当化に過ぎず
悪を全否定というのも愛がない。全てを許せる気持ち、相手の立場や境遇を考えてあげる心のゆとりがないと人に優しくはできません
子供の頃は、この世は悪意に満ちていると思っており、本音と建前という日本人社会は、僕には嘘つきの大人になるなら死んだほうがましと思えるくらい大嫌いなものでした
病気になって、世捨て人となった今は、余生を穏やかに人のために出来ることを探し、優しく見守ることでせめて両親よりは長く生きて、そして死ぬつもりでいます
僕の彼女も感受性が強く、絵の才能や音楽の才能がある代わりに自閉症気味、なんらかの精神病なので、僕の若い頃に似ておりとても苦しんでいます
だから人生の最後に、この子を少しでも生きやすいように導いてあげられたらと思ってアドバイスなどしてあげてますし、親ともほとんど話せない子なのだけど、僕とは話せるので親の代わりに毎日の出来事を聴いてあげてるかんじですね
彼女というポジションも現実的ではないのだけど、彼女の希望なので受け入れてます
決してロリコンではないです(笑)
釧路も大雪が降ったとはいえ今年は雪が少ないですね
気温は最悪に寒いですが
それでは、今日も出来ることを頑張りたいと思ってます
いつもいいねやブログランキングなどありがとうございます❣
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