12月議会の一般質問では、北の杜学園のテニスコート地下に埋没している可能性が極めて高いと太田市史から読み取れる不発弾の調査を求めました。
太田市史には被弾図が
12月議会で示したパネル
2023年3月議会で示したパネル
1987年発行の太田市史に掲載された被弾図
2023年3月議会で示したパネル
質問では、米軍偵察機による爆撃後の写真に、市史に掲載された米軍作製の被弾図の範囲を外側の赤枠、北の杜学園の範囲を内側の赤枠で囲み、不発弾の埋没地点に赤丸を記したパネルを掲示。外側の赤枠内に1発250キロの高性能爆弾が不発弾として43発、うち1発が北の杜学園テニスコート地下にあると説明しました。
昨年3月議会でも同じパネルを示し、不発弾の調査を求めましたが、市長は、「中央小の周辺にも爆弾が落とされたと思うが、その後の開発・造成では爆発していない」と答弁。調査をするとは答えませんでした。市長は昨年3月議会でさらに、「市史が間違っているとは思わないが、(不発弾があるかどうか分からないのに)北の杜学園の保護者に(水野が)危険だと知らせるのは、いかがなものか、スバルの問題もある」と答えていました。
市長 ないと思ったほうがいい
不発弾について市長は、市史には、数値の正確さを確認できなかった旨の付記があるとして、不発弾の有無や位置を確実に示すものではないと答弁。北の杜学園の南にあるスバルの工場内には、多くの不発弾が埋まっているはずだが、確認したところ過去一度も調査をしておらず、爆発事故も発生していないとして、不発弾はないと思ったほうがいいと答えました。最後まで調査の意向は示しませんでした。
2023年3月議会で示したパネル
1987年発行の太田市史に掲載された被弾図
2023年3月議会で示したパネル
質問では、米軍偵察機による爆撃後の写真に、市史に掲載された米軍作製の被弾図の範囲を外側の赤枠、北の杜学園の範囲を内側の赤枠で囲み、不発弾の埋没地点に赤丸を記したパネルを掲示。外側の赤枠内に1発250キロの高性能爆弾が不発弾として43発、うち1発が北の杜学園テニスコート地下にあると説明しました。
昨年3月議会でも同じパネルを示し、不発弾の調査を求めましたが、市長は、「中央小の周辺にも爆弾が落とされたと思うが、その後の開発・造成では爆発していない」と答弁。調査をするとは答えませんでした。市長は昨年3月議会でさらに、「市史が間違っているとは思わないが、(不発弾があるかどうか分からないのに)北の杜学園の保護者に(水野が)危険だと知らせるのは、いかがなものか、スバルの問題もある」と答えていました。
市長 ないと思ったほうがいい
不発弾について市長は、市史には、数値の正確さを確認できなかった旨の付記があるとして、不発弾の有無や位置を確実に示すものではないと答弁。北の杜学園の南にあるスバルの工場内には、多くの不発弾が埋まっているはずだが、確認したところ過去一度も調査をしておらず、爆発事故も発生していないとして、不発弾はないと思ったほうがいいと答えました。最後まで調査の意向は示しませんでした。
10月2日に宮崎空港で不発弾が爆発
今回の質問では、今年10月2日に宮崎空港の誘導路付近で不発弾が爆発したことを強調。国交省によると、不発弾は米国製の250キロ爆弾で、北の杜学園テニスコート地下にあると市史に記載のある爆弾と同じで、爆発した原因は不明とされます。国交省は、宮崎空港も含め、これまで不発弾が発見されている仙台空港、松山空港、福岡空港、那覇空港についても磁気探査の実施を決定しています。そして宮崎空港で爆発した不発弾の調査で防衛省は、「時限式の爆弾が不完全な形で爆発したとみられる」とする見解を明らかにしています。
今回の質問では、今年10月2日に宮崎空港の誘導路付近で不発弾が爆発したことを強調。国交省によると、不発弾は米国製の250キロ爆弾で、北の杜学園テニスコート地下にあると市史に記載のある爆弾と同じで、爆発した原因は不明とされます。国交省は、宮崎空港も含め、これまで不発弾が発見されている仙台空港、松山空港、福岡空港、那覇空港についても磁気探査の実施を決定しています。そして宮崎空港で爆発した不発弾の調査で防衛省は、「時限式の爆弾が不完全な形で爆発したとみられる」とする見解を明らかにしています。
防衛省によると、宮崎空港で爆発した不発弾の底の部分には起爆装置の信管が残っていて、これが時限式の物と考えられ、今回の爆発は不完全なもので、本来よりも威力が小さかったと考えられるとされます。専門家は、「完全な形で爆発していたら甚大な被害の可能性があった」と指摘しています。
空襲で九死に一生を得た人の証言
空襲で九死に一生を得た人の証言
不発弾に詳しい人は、映像では真上に吹き上げているので、太田市に落とされたものと同じ徹甲弾タイプの遅延信管だろうと話しています。その人は昔、中島飛行機の工場で空襲を体験した人から話を聞いています。体験者の証言では、全員が避難しても防火警備のため何人かフロアに残らされたとされます。
証言では、空襲が激しくなり、飛行機の下に潜りこんだが、近くに落ちた爆弾が床を突き抜けて地中に入り爆発したとされます。その時の爆風は上に吹き抜けたので助かったという証言も。遅延信管だったため爆発の前に地下に潜ったことになります。これが瞬発信管なら床か屋根に当たった瞬間に破裂するので、爆風は横にも広がり、飛び散った鉄片で助からなかったという証言もあります。
米軍は、中島飛行機の工場の屋根は厚さ約2メートルのコンクリート製だと誤解していたらしく、屋根を突き抜け床で爆発するよう仕掛けていたと言われています。実際には薄い屋根だったため、屋根と床を突き抜け地中深く潜り爆発したのが2月10日の空襲での爆弾の特徴で、太田市の不発弾がどれも地中深くにある理由とされます。
太田市の不発弾の埋没状況は、市が1987年に発行した太田市史に収録。1945年2月10日から計3回空襲があり、中島飛行機太田製作所の幹部により示されたデータとして、計980発の爆弾などが投下され、そのうち高性能爆弾計60発が不発弾として残ったとされます。
市史に和訳・転載されたのは、国立国会図書館に記録されている空襲後に米軍がつくった報告書。市史では、米軍の調査報告にある被弾図も収録され、その被弾図を現在の地図と照合すると、北の杜学園のテニスコート地下に1発の不発弾があることになります(上記画像)。
今回の質問ではそれらを指摘し、不発弾の危険性は、宮崎空港の爆発でも全国の爆発を振り返っても言うまでもないと強調。宮崎空港の不発弾は戦後79年経ってからの誘導路脇での爆発で、爆発した付近は頻繁に飛行機が移動していて、これまで爆発しなかったのが今回爆発したことを指摘しました。
1992年 大分市のバイク店がいきなり爆発
1992年 大分市のバイク店がいきなり爆発
質問ではさらに、不発弾の爆発事故は枚挙にいとまがないことも強調。1992年11月4日には、大分市のバイク店がいきなり爆発。店舗が全壊全焼、経営者の妻が重傷を負っています。地面をえぐる穴が大きく開き、金属片も発見され、警察の鑑定では、第二次大戦中の米軍の不発弾だと判明しています。このように、特に衝撃を与えなくても自然に爆発するのが不発弾です。
戦後、不発弾の爆発事故での死亡者は、全国で一昨年までで710人。負傷者は1,281人。衝撃を与えなくても、79年経っても爆発する不発弾の危険性をどう考えているのかをただしました。
市長は、スバルは不発弾が多数あるとされる場所に高層階の建物を建てたとし、市の秘書室長が問い合わせたところ、スバルは一度も調査をしたことがないとの回答があったと答弁。「一発も不発弾が破裂したことはない」「(北の杜学園にも不発弾は)ないと思ったほうがいい」と答えました。
不発弾はない、爆発しないと断言できるのか
私は昨年3月議会の「(不発弾が)あるかどうかも分からないのに、保護者に危険だと知らせるのはいかがなものか」という市長答弁に言及し、不発弾の危険性と子どもの安全を真剣に考えているからこそ知らせたと明言。そのうえで、北の杜学園テニスコート地下に不発弾はないと断言できるのか、あっても爆発しないと断言できるのかと市長を追及しました。
市長は、そこで爆発したことはないとして、「スバルに落ちていたとしても爆発しないということ」と答弁。しかし不発弾はない、あっても爆発しないとは断言できませんでした。
時間の経過による不発弾の爆発リスク
これまでの想定より高まる可能性
不発弾はない、爆発しないと断言できるのか
私は昨年3月議会の「(不発弾が)あるかどうかも分からないのに、保護者に危険だと知らせるのはいかがなものか」という市長答弁に言及し、不発弾の危険性と子どもの安全を真剣に考えているからこそ知らせたと明言。そのうえで、北の杜学園テニスコート地下に不発弾はないと断言できるのか、あっても爆発しないと断言できるのかと市長を追及しました。
市長は、そこで爆発したことはないとして、「スバルに落ちていたとしても爆発しないということ」と答弁。しかし不発弾はない、あっても爆発しないとは断言できませんでした。
時間の経過による不発弾の爆発リスク
これまでの想定より高まる可能性
私は続いて、時間の経過による不発弾の爆発リスクがこれまでの想定より高まる可能性があるという、ノルウェーの研究チームの発表を報じた今年11月16日付NHK大分のウェブニュースを紹介。ニュースでは、ノルウェーの不発弾はアマトールという第2次世界大戦中に広く使われた爆薬の一つで、日本でもアマトールを使った爆弾が投下された可能性が高いとしています。「何十年も爆発しないのだから心配ない、爆発しない」は、もはや通用しないと力説。何十年も爆発しなかったからこそ、いつ爆発するか分からないほど爆発の危険性が高まっていると考えるべきと強調し、どう考えても調査が必要と迫りました。
●2024年11月16日付NHK大分ウェブニュース
https://www3.nhk.or.jp/.../20241116/k10014640031000.html
市長
スバルの工場を止めて調査できない
市長は、テニスコートに不発弾があるかないかも分からないとして、調査は不可能と答弁。不発弾の可能性を否定できないなら調査が必要と迫った私に、不発弾はスバルの工場内に落ちているものがほとんどとして、工場を止めて調査はできないと答えました。
市長はスバルに遠慮しているのか
この市長答弁は、まるで、市が北の杜学園の不発弾調査を行えば、スバルも調査をしないわけにいかなくなることを回避するためとも思えるもので、スバルに遠慮しているかのようなものです。
スバルの調査はスバルが決める
市長が心配すべきは学校の子どもの安全
●2024年11月16日付NHK大分ウェブニュース
https://www3.nhk.or.jp/.../20241116/k10014640031000.html
市長
スバルの工場を止めて調査できない
市長は、テニスコートに不発弾があるかないかも分からないとして、調査は不可能と答弁。不発弾の可能性を否定できないなら調査が必要と迫った私に、不発弾はスバルの工場内に落ちているものがほとんどとして、工場を止めて調査はできないと答えました。
市長はスバルに遠慮しているのか
この市長答弁は、まるで、市が北の杜学園の不発弾調査を行えば、スバルも調査をしないわけにいかなくなることを回避するためとも思えるもので、スバルに遠慮しているかのようなものです。
スバルの調査はスバルが決める
市長が心配すべきは学校の子どもの安全
私は、スバルの敷地内の調査は、スバルの経営陣が判断することで、市長が心配する必要はないと厳しく指摘。市長が心配しなければならないのは、北の杜学園の子ども達の安全と重ねて追及しました。それでも市長は、不発弾があるかないか分からないのに調査はできないとこだわる論理破綻の繰り返しでした。
大分 バイク店爆発から1年半後に周辺でまた爆発
大分 バイク店爆発から1年半後に周辺でまた爆発
私はさらに、11月16日付NHK大分のウェブニュースが報じた、92年11月の大分市のバイク店での不発弾の爆発に言及。付近の住民から周辺にも不発弾が埋まっていないか調べてほしいと要望がありながら、周辺調査が行われず、1年半後の94年5月に、そのバイク店の爆発現場から約2キロ離れた場所で再び不発弾が爆発したという報道を指摘。こうした事実があっても、まだ北の杜学園の調査を決断しないのかと迫りました。
市長は、「そこから離れたところにあったとなりますと、太田市中至るところ、探査しなければいけなくなってしまう。とてもできる話ではなく不可能」と答弁。ここでも市長は、「可能性が高いから調査」ではなく、「あるかないか分からないから調査しない」という考えに固執しました。
市史の不発弾の記載は、米軍が戦後、中島飛行機の複数の幹部の証言によりまとめた報告書に基づくもの。市史に、(米軍の報告書には)数値の正確さを確認することはできなかったという付記があっても、不発弾が埋没している可能性が高いという判断による調査が求められることは言うまでもありません。
●北の杜学園のテニスコート地下に埋没している可能性が極めて高いと市史から読み取れる不発弾 ただちに探査・処理を/2023年3月17日/水野正己のブログ
●北の杜学園のテニスコート地下に埋没している可能性が極めて高いと市史から読み取れる不発弾 ただちに探査・処理を/2023年3月17日/水野正己のブログ