私の父は、大正の終わりに生まれました。
そして、2020年6月…亡くなりました。
年男の時に亡くなったので、96歳でした。(享年97歳)
父は、本当に苦労ばかりで、もし、私なら、とっくの昔にリタイアしていたと思います。
年齢から言うと、大往生と言っても良いのですが、最後の方は、本当に病院の対応が酷かったです。
父を家に連れて帰って、10日間ほど生きていました。
亡くなる5日前くらいは、一番機嫌も良く、いろいろ話もしました。
誤嚥性肺炎で、病院に入院したのですが、家に帰りたいというので、家に連れて帰ったのです。
連れて帰る時、看護師も医師も、ナースステーション等には一人も居なくて、(土曜日の夕方だったからなのか、この病院は、土曜日の夕方とか日曜日は、救急病院と一応は、なっているけれど、看護師の姿は見えないのです…)『ご退院おめでとうございます。お会計は…』と書かれた小さな紙が、1枚あるだけでした。
病院の寝間着(着物)を着ていたので、兄が、掃除のおばさん?みたいな人(看護師でもないけれど、病院関係の人?)を探してきてもらって、その人に脱がせて、着替えさせてもらいました。
帰りは、車いすタクシーを頼んでいたので、ストレッチャーに載せて連れて帰りました。
父は、苦しそうな顔をしていたので、その時は、疲れたのかなあ?と思って、家のベットでそのままにして休ませていました。
家に連れて帰って数時間後、食事をさせようとした時に、腕には、点滴の針が刺さったままでした。
一応、包帯もありましたが、ほどけた状態でした。
私は、びっくりしました。
私には、どうする事もできないし…もう、真夜中だし…。
翌日曜日は、訪問看護の人が来ることには、なっていたので、待つしかありませんでした…。
父は、どれだけ痛い目をしていたでしょう。
翌日、訪問看護の看護師が針を抜いてくれました。
どうせ、点滴をしなければいけないから、点滴の針だけ刺していたということです。
でも、私は、何も、聞いては、いませんでした。
説明も、一切なかったし、そもそも、医師・看護師…誰一人として、父を家に連れて帰る時、いなかった…。
点滴の針…それも、針は、固定されていなくて、ただ刺さっていたという状態…。
本当に、むごいです。
翌日、訪問看護師の人に針を抜いてもらうと、父は、急に穏やかな表情になりました。
それだけ、本当に痛かったのでしょう。
病院に入院している時も、1日1本500ml100カロリーの点滴だけで、正午には片づけていました。
父だから…父が生きたいと思っていたから…よく3週間、身体がもったのだと思います。
3週間…毎日…1日、100カロリー、500ml…
担当医師でない医師に言うと、「点滴をしてむくむから…」とか大嘘を言っていましたが、むくむどころか、家にいた時は、床ずれも全くしていなかったのに、連れて帰ってみたら、骨に皮がつっぱっている状態で、背中には床ずれ?傷がいっぱいありました。
担当医師からの説明も、医師から日時を指定したのにも関わらず、一度も、時間通りに来たことはありませんでした。
でも、医師という仕事だから…と思う事もあるのですが、一度も待たせたことに謝った事すらありません。
遅れただけでなく、一方的にドタキャンをしても、謝らない。
医者…どれだけ、えらいんだ?!って思いました。
父は、耳が、あまり聞こえなくて、最後の方では、目も見れなくなっては、いました。
でも、頭は、ハッキリしていたし、意思の疎通も、亡くなる数日前までできました。
ただ、かかりつけ医が、父は耳が聞こえないから、質問に答えられなかったのに、「アルツハイマー」とカルテに書いていました。(家に帰って、私が大きな声で、耳元で聞くと、ちゃんと答えられました。知っている魚の名前と野菜の名前)
ちゃんとした検査なしでです。
かかりつけ医に言うと、「アリセプトを出すためのカルテ用の病名を書いただけ」という事です。
(アリセプトは、副作用が強い?から、断って、父は飲んでいません。)
『カルテ用の病名』って、あるのでしょうか?!
おまけに、最初から介護度5ですから…何年も前から…
普通に、デイサービスに行って、碁とか打っていてもですよ!!
もう、無茶苦茶としか…言えません。
かかりつけ医の、それを見て、バカにして?!(バカにするのも、どうかと思いますが)、入院した病院の医師や看護師たちは、父に、酷いことをしたのでは?!と勘ぐってしまいます。
父は、アルツハイマーでもなく、何も分からなかったのではなく、全て分かっていました。
私は、何も分からなかった方が、良かった…アルツハイマーだった方が、父は、その方が幸せだったろうに…と思っているくらいです。
父は、亡くなる数日前に、私に遺言?を言いました。
泣きながらです…。
また、それよりも少し前に、父の言った事は、スマホ・PCに録音してあります。
だから、私は、大学受験をしようと思いました。
私は、介護とか医療に関しては、ずっと疑問に思う事があって、悶々としていましたが、父の言葉で決めました。
父は、家で、私と兄に看取られて、静かにこの世を去りました。
母と義姉も、家には、いました。
亡くなった後の父の顔は、とっても穏やかでした。
病院にいる時の顔は、あまりにも酷かったですが…これもスマホに残してあります。
大学受験…父親への一番の供養だと思っています。
【これから、父の事・私の事…このブログで書いていきます】
そして、2020年6月…亡くなりました。
年男の時に亡くなったので、96歳でした。(享年97歳)
父は、本当に苦労ばかりで、もし、私なら、とっくの昔にリタイアしていたと思います。
年齢から言うと、大往生と言っても良いのですが、最後の方は、本当に病院の対応が酷かったです。
父を家に連れて帰って、10日間ほど生きていました。
亡くなる5日前くらいは、一番機嫌も良く、いろいろ話もしました。
誤嚥性肺炎で、病院に入院したのですが、家に帰りたいというので、家に連れて帰ったのです。
連れて帰る時、看護師も医師も、ナースステーション等には一人も居なくて、(土曜日の夕方だったからなのか、この病院は、土曜日の夕方とか日曜日は、救急病院と一応は、なっているけれど、看護師の姿は見えないのです…)『ご退院おめでとうございます。お会計は…』と書かれた小さな紙が、1枚あるだけでした。
病院の寝間着(着物)を着ていたので、兄が、掃除のおばさん?みたいな人(看護師でもないけれど、病院関係の人?)を探してきてもらって、その人に脱がせて、着替えさせてもらいました。
帰りは、車いすタクシーを頼んでいたので、ストレッチャーに載せて連れて帰りました。
父は、苦しそうな顔をしていたので、その時は、疲れたのかなあ?と思って、家のベットでそのままにして休ませていました。
家に連れて帰って数時間後、食事をさせようとした時に、腕には、点滴の針が刺さったままでした。
一応、包帯もありましたが、ほどけた状態でした。
私は、びっくりしました。
私には、どうする事もできないし…もう、真夜中だし…。
翌日曜日は、訪問看護の人が来ることには、なっていたので、待つしかありませんでした…。
父は、どれだけ痛い目をしていたでしょう。
翌日、訪問看護の看護師が針を抜いてくれました。
どうせ、点滴をしなければいけないから、点滴の針だけ刺していたということです。
でも、私は、何も、聞いては、いませんでした。
説明も、一切なかったし、そもそも、医師・看護師…誰一人として、父を家に連れて帰る時、いなかった…。
点滴の針…それも、針は、固定されていなくて、ただ刺さっていたという状態…。
本当に、むごいです。
翌日、訪問看護師の人に針を抜いてもらうと、父は、急に穏やかな表情になりました。
それだけ、本当に痛かったのでしょう。
病院に入院している時も、1日1本500ml100カロリーの点滴だけで、正午には片づけていました。
父だから…父が生きたいと思っていたから…よく3週間、身体がもったのだと思います。
3週間…毎日…1日、100カロリー、500ml…
担当医師でない医師に言うと、「点滴をしてむくむから…」とか大嘘を言っていましたが、むくむどころか、家にいた時は、床ずれも全くしていなかったのに、連れて帰ってみたら、骨に皮がつっぱっている状態で、背中には床ずれ?傷がいっぱいありました。
担当医師からの説明も、医師から日時を指定したのにも関わらず、一度も、時間通りに来たことはありませんでした。
でも、医師という仕事だから…と思う事もあるのですが、一度も待たせたことに謝った事すらありません。
遅れただけでなく、一方的にドタキャンをしても、謝らない。
医者…どれだけ、えらいんだ?!って思いました。
父は、耳が、あまり聞こえなくて、最後の方では、目も見れなくなっては、いました。
でも、頭は、ハッキリしていたし、意思の疎通も、亡くなる数日前までできました。
ただ、かかりつけ医が、父は耳が聞こえないから、質問に答えられなかったのに、「アルツハイマー」とカルテに書いていました。(家に帰って、私が大きな声で、耳元で聞くと、ちゃんと答えられました。知っている魚の名前と野菜の名前)
ちゃんとした検査なしでです。
かかりつけ医に言うと、「アリセプトを出すためのカルテ用の病名を書いただけ」という事です。
(アリセプトは、副作用が強い?から、断って、父は飲んでいません。)
『カルテ用の病名』って、あるのでしょうか?!
おまけに、最初から介護度5ですから…何年も前から…
普通に、デイサービスに行って、碁とか打っていてもですよ!!
もう、無茶苦茶としか…言えません。
かかりつけ医の、それを見て、バカにして?!(バカにするのも、どうかと思いますが)、入院した病院の医師や看護師たちは、父に、酷いことをしたのでは?!と勘ぐってしまいます。
父は、アルツハイマーでもなく、何も分からなかったのではなく、全て分かっていました。
私は、何も分からなかった方が、良かった…アルツハイマーだった方が、父は、その方が幸せだったろうに…と思っているくらいです。
父は、亡くなる数日前に、私に遺言?を言いました。
泣きながらです…。
また、それよりも少し前に、父の言った事は、スマホ・PCに録音してあります。
だから、私は、大学受験をしようと思いました。
私は、介護とか医療に関しては、ずっと疑問に思う事があって、悶々としていましたが、父の言葉で決めました。
父は、家で、私と兄に看取られて、静かにこの世を去りました。
母と義姉も、家には、いました。
亡くなった後の父の顔は、とっても穏やかでした。
病院にいる時の顔は、あまりにも酷かったですが…これもスマホに残してあります。
大学受験…父親への一番の供養だと思っています。
【これから、父の事・私の事…このブログで書いていきます】