7月26日オープンした「2012平和のための埼玉の戦争展」(以下「埼玉の戦争展」と略す)は、落語あり、ちんどん屋あり、浴衣パレードありで9000人以上の参観者で7月30日閉幕した。
この「埼玉の戦争展」には埼玉AALAも「呼びかけ団体」となり常任委員会、企画懇談会、会場説明要員に担当者を派遣して展示成功のために貢献して来た。
「埼玉の戦争展」は来年で30回を迎え、市民団体の間では周知の年中行事になっている。戦争展事務局の資料を基に経過をふり返って見たい。
初回の開催は1984年、「’84平和のための埼玉の戦争展」が平和を希求する団体と個人で構成される実行委員会形式で発足し、会場は浦和駅西口「コルソ」特設会場で継続開催されている。初回開催時の県政は「畑和(はたやわら)革新県政4期目」でもあった。
この戦争展は中央会場「コルソ」を発信基地にしながら地域戦争展へと広がり、各種の平和イベントや学園祭・文化祭へと裾野が広がりを見せて来た。
これは過去の戦争で二千万人を越えると云われる国内及び東アジアの国々の人々に加害者としての反省と被害者の立場に立って行っている行事として、飛行場跡地や神社仏閣を訪ね、戦時中の遺品の蒐集や戦争体験者の話の聞き取り、学校の校史や会社の社史、新聞記事の蒐集を行って事実・現物の展示が戦争展の魅力になっている。これらの行動には高校生も参加している。
戦争展を側面的に支えているのが「学びの場」としての「平和の学び場・コラボ21」が存在する。
「平和の学び場・コラボ21」は文字どおり平和に関する通年講座とフィールドワークを組み入れた学習。学生割引、高校校生無料と云う特典を取り入れて高校教諭、大学教授の講師支援を受けながら継続されている。
これまでの戦争展をふり返って「戦争展・常任委員会」は「あゆみ」を次のように確認している。
(1) 第1期 1984年~1990年 戦争の実相を学ぶ
(2) 第2期 1991年~1999年 目の前の戦争と向き合う
(3) 第3期 2000年~2008年 平和的未来を展望する
(4) 第4期 2009年~ 平和の行動者を育てる
「戦争展」での各種会議は個人、団体から提供される資料の内容確認と解説で出席者の学習の場となっている。高校、大学生から90才まで男女を問わないコラボレーションは世代を超えて学びあう、同じ人間同士が力を合わせる人生のロールモデルでもある。
今年の「埼玉の戦争展」は、学校教育に見られる戦時中の教科書や展示やオスプレイの模型や原発の実相展示。円卓テーブルでの戦争体験者のスピーチ、南北コリアのともだち展、沖縄のヘリパットモデルへのピースリボン結びなどなど多彩な新企画が盛り込まれた今回の戦争展は、参観者に学ぶきっかけを提供し、平和の大切さを訴える県内最大の戦争展となった。
このような、平和を希求する運動の反面、「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦はいなかった」「沖縄戦の『集団自決』に軍命はなかった」などとする自由主義史観派も存在し、国民世論形成のせめぎ合いでもある。
この「埼玉の戦争展」を継続開催する事が出来た裏には「埼玉機関紙協会」の職員のみなさんの物心両面に亘る献身的協力無しでは成し遂げられない事業である事は間違い無い。
とにかく、戦争展はお疲れさまでした。また、いろいろな機会にお目にかかれたら嬉しいです。飯塚
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