ムーミンパパの気まぐれ日記

ご訪問ありがとうございます。
日常を綴っているだけの日記ですが、
ゆっくりと遊んでいってくださいね。

2022年頭所感

2022-01-02 | column
みなさま(と言うほど、読者がいるとも思えないが(^^;)、あけましておめでとうございます。
それぞれに楽しいお正月をお過ごしのことと思います。

私はと言えば、紅白歌合戦見て、新年を迎えるとほぼ当時に爆睡し、元日の朝8時からビールを飲み始めるという、王道のような年末年始を過ごしております。
王道と言えば、年賀状ですが、最近は出さない人が多くなってきているのに加え、だんだんとご本人がご逝去されたというような便りも多くなり、最盛期の半分くらいに減っています。これから出す相手が増えるようなことも無いだろうし、正月早々寂しいなあと感じています。もっとも、新し好きの私としては若い人たちにLINEであけおめメッセージなどを送って喜んでいることを付記しておきたいと思います。まあ、「あけおめ」だの「ことよろ」だの、最近の子たちはもう使わないんだろうけどね。オジサン達が使い始めたら、その言葉はもう死語らしいです。
話は脱線しまくりますが、先日「絶滅危惧動作」というのがあるのを知りました。小指を立てて女性とか恋人とかを表すとか、指を回しながら電話をかけることを表すとか、そんな動作らしいです。ついつい、「え?!それってみんなまだやってるよ」と言いたくなりますが、それはこちらが既に「絶滅危惧種」側だからなんでしょう。やれやれ。

とまあ、年の初めからくだらないことを書いておりますが、正月らしく自分の年を実感しつつ、あれこれと思いを巡らすお正月です。
そんな相も変わらぬムーミンパパですが、本年もお見捨てなきようよろしくお願いいたします。
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気仙沼

2021-11-24 | column
 宮城県気仙沼市に行ってきた。2020年にコロナ禍が始まってから、都外に宿泊を伴う旅行をしたのはこれが2回目。(ちなみに、宿泊を伴うものでなければ、緊急事態であろうがなかろうが、試合さえあれば都県境を越えて埼玉スタジアムに出かけている(笑))前回出かけたのは福島県会津若松市だったから、まずは東北に向かうというのが私の習性なのかもしれない。
 ともあれ、気仙沼は朝ドラ「おかえりモネ」で一杯でした。街中のお店には必ずと言っていいほど「おかえりモネ」のポスターが貼ってある。というか、大概の店は2枚以上貼ってある。もし清原伽耶が気仙沼市長選挙に立候補したなら、間違いなく当選するんじゃないかと思うほどである。お土産物に入れば「おかえりモネ」ライセンス商品のコーナーがあるし、食堂に入れば「モネちゃんセット」があり、ホテルのロビーには「おかえりモネ」ロケ地マップがある。いやあ、朝ドラの威力恐るべし!である。しかも、実際に街中を歩いていると、それらしい聖地巡りのシニア世代がウロウロしているのである。もちろん私もその一員として街歩きをしていたわけではある(笑)
 それほど観光スポットがたくさんあるというところはないけれど、朝早起きして眺める気仙沼漁港の景色はとても素敵なものでした。当日の日の出は午前6時4分。残念ながら、この時期から見ることができるという気嵐(けあらし:海の上を霧が立ち込めたような状態)を見ることはできなかったけれど、漁船のエンジンの音で目が覚めて見る港は一度は見る価値があると思う。早起きついでに気仙沼漁港まで歩いて見学をしてきたが、次々に入港してくる船がカツオの水揚げをしていく様子を、小一時間は飽きずに眺めていた。入場無料なのがまたいい(笑)
 街に入ってすぐ「気仙沼には初めてですか?」と地元の人に聞かれて、少し考えながら「はい」と答えたのだけれど、あちこち歩いていて思い出してきた。来たことあったなあ。2011年夏、内陸に流されてそのまま居座っていた大きな船、ひび割れて沈下してしまっている岸壁、まだ避難された方がいるホテル。ほんの数時間いただけで移動してしまったせいもあるけれど、あの時見た風景と余りにも違っていて記憶の照合ができなかったのだろう。東日本大震災から10年。見た目は変わっていても、まだまだ復興の途中なのだろうと考えさせられる。
 ようやく少しは旅行ができるようになってきました。みんな考えることは同じらしく、まずは近場の温泉が賑わっているようですが、そんな密なところに行くくらいなら、被災地復興にちょっとだけ協力してみるのはいかがですか。

 気仙沼さ 来てけらいん
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その後のこと

2021-09-20 | column
 オリンピック・パラリンビック東京大会が終了した。開催まではいろいろなことが言われていたが、私自身はそういった主張に懐疑的だったし、やって良かったと思う。威勢の良かった人たちは日本選手団の活躍に気勢をそがれているうちに、パラリンピックの障害者に優しい社会を作るという大義の前に沈黙し、諸外国からの日本だからできたという高い評価の前に雲散霧消してしまったかのように見える。別にざまあみろとか思ったりしないが、この国はいったいいつになったら、正しい議論の方法を身に着けることができるのであろうかと、溜息の一つくらいつくのは許されるだろう。
 きっとコロナ対策についても、この騒ぎが収まる頃には同じことを思っていることは賭けてもいい。最近はネット情報によってデマが拡散しやすくなっているなんて、ブラウン管(いまや液晶画面かな)の向こうでしたり顔に解説している人がいるが、別にSNSが無かった頃だって、君たちは同じことやってたよねと思う。松本サリン事件の時、加熱するワイドショーの報道を見ながら、「専門家という人が出て来るんだが、サリンというのは素人でも比較的簡単に製造できるという人と相当な科学の知識が無いと作ることはできないという人がいるんだよなあ。専門家っていうのはいい加減なもんだよなあ。」と上司がシニカルに話していた記憶が鮮明に残っている。あの事件は1994年6月のことだから、少なくとも30年近く進歩が無かったことになる。専門的な事象を一般の人向けに分かりやすく解説するのは良いけれど、本当にそれが正しいのかどうかは眉唾である。コロナワクチンを接種すると不妊になるとか、5年後には副作用で大変な状況になるとか、医学博士や医師の肩書を持つ方々がたくさん本を出している。5年後には全員引きずり出して公開処刑したいくらいであるが、そこはまあ自由と民主主義の日本であるから我慢するとして、正義の味方としてネット上で大騒ぎしている方たちは、今こそ出番ではないかと期待したくなる。
 東京都の新規陽性者数は、2021年9月19日現在で565人(7日間移動平均815.3人)と減少し始めているが、累積陽性者数は371,990人に達している。東京都の人口は14,043,239人(8月1日推計値)だから、単純計算で2.64%の方が陽性者となっている。50人に一人くらいのイメージだから、身近な人で感染した人も多くなってきた。あれこれ言っている人が、自分の身を守ってくれるわけではない。ワクチン接種と不織布マスクの着用、手指消毒をお勧めします。
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TOKYO2020

2021-07-26 | column
 様々な議論が行われたオリンピック東京大会が開幕した。新聞やネットニュースには様々な言葉が並ぶけど、なにはともあれ大会の開催に向けて準備を進めてきた現場のスタッフの皆さん、この日のために研鑽を積み重ねてきた選手の皆さんに対して賛辞を送りたいと思う。私自身はいつだってテレビ観戦だし、地元開催だからと言ってチケットを持っていた訳でもないので、やれ祝祭感が無いだのかんだの言われても、「ふ〜ん」くらいの感想しかない。もし中止になっていたらいたらで、手のひらを反して「選手が可哀想だ」とか「これまでの経費をどぶに捨てた」とか大騒ぎするに決まっている。だから、そんな議論に付き合う気は毛頭無いのだが、個人的に違和感を感じることはいくつかある。
 まずは、海外からの選手団にコロナ陽性者が出るたびに、それ見たことかと大々的に報じられることである。彼らだって、なりたくてなったわけでは無いのに、外国選手団はさも危険な病原体かのような報じ方に辟易する。これってある種の外国人差別なんではなかろうか。しかも、どうもアフリカ系の選手団にはより風当りが強いように感じるのは気のせいなのだろうか。
 次に、なんで事前の壮行試合が有観客で行われて、オリンピック本番は無観客なんだろうか。オリンピックは海外からの観客が多いとか、東京と地方との人流が増加するとか、それなりの理屈はあるのかもしれないが、それなら国内客とか地元客に制限すれば済むはずである。そもそもプロ野球やJリーグは人数制限をしながら開催を続けてきたのだし、なんでオリンピックだけ?という素朴な疑問が拭えない。しかも、そんなこととは関係なく、都内のあちこちの盛り場では人出が増え、路上飲みが横行していることを考えれば、何をかいわんやという気分である。
 そして、最も根源的な疑問としては、なんで欧米諸国に比べて圧倒的に陽性者数も死者も少ないのに、日本の医療体制はひっ迫してしまうのかということである。これは医者の数が少ないのか、それとも多くの医者が効率的に業務を行っていないのか、どうやら日本の医療体制に致命的な問題があるように思われてならない。しかも、この問題は医療過疎と言われるような地方ではなく、東京で起きているのである。さらに言えば、コロナのせいで感謝が減り、病院経営が厳しいから何とかしてほしいとの声が聞こえてくることである。その医療資源はどうしてコロナ対策にシフトできないのであろう。ハード改修が難しいというのは理解できるが、人材はシフトできるはずだし、問題の発生から既に1年以上が経とうとしているのだから、それなりの対応はできたはずである。
 議論に付き合う気は無いと言いながら、あれこれ書いてしまったが、ともあれ、東京大会に参加している全ての選手の皆さんが全力で戦うことができるように祈るだけである。メダリスト達が口々に「こんな状況の中で開催されたことに感謝している」とコメントすることに痛々しさを感じている。君達は余計な気配りなどしなくていい。ただ、おのれのこれまでの精進を信じ、堂々と勝負してくれればいいのである。それ以外のことは、大会運営に関わる偉~いオジサンやオバサンに任せておこう。
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終活

2021-04-30 | column
 新年度明けましておめでとうございます!

 なんて、ブログもしばらく更新していないと、なんとなく投稿しづらく、なにかしら言い訳が欲しくなるものなんですよねえ。
 その言い訳も4月30日とは…トホホ
 
 「〇活」って言葉があれこれと使われている。たぶん就職活動を略して「就活」って使われるようになったのが、この種のブーム(?)の最初だと思うけれど、ホームルームなどの学級活動が「学活」と言われていたのが原点なのかな(違ってたら訂正してくださいね。)。ともあれ、不妊治療など、妊娠を目指した活動が「妊活」、保育園を探す活動が「保活」、学校では「学活」と、それこそ揺りかごから墓場まで〇活ばやりなのである。そしてその「墓場」を目指すのが「終活」。
 今や総合週刊誌では毎号必ずこの終活の話題が載っている。これは終活に対する中高年の関心が高いということが基本にあるのだろうが、若者の活字離れが進み、週刊誌を買って読むのは中高年ばかりだというのも大きいのではないだろうか。なにせグラビアページまで、アグネスラムや水沢アキなどのかつてのアイドルの水着が載っている。なかには既に他界している女優の未公開ヌードなどと見出しに踊っているのには、どうだかなあと思ってみたりもするのである。ちょっと見てみたいと思ってしまうのが、ちょっと悲しいが(笑)。
 話は寄り道にそれましたが、この終活というのは人生の終り、端的に言えば、自分の死に向かってやるべきことや準備しておくべきこと全体を指している。これまでは、まあそういうことも必要だよなあっていうくらいの感覚だったのだが、最近は少しは自分もやっておかなくてはと思うようになった。そもそものきっかけは父が亡くなった時の手続である。まずは、葬儀に当たって、どこに連絡をしたらいいのかが分からない。だいたい男の子と父親なんていうのは、基本的に没交渉なので父の交友関係などというものはほぼ不明である。母はとっくの昔に天国に旅立っているので、そっちに聞くこともできない。聞いてみても、うるさい父をこっちに寄こすんじゃないって怒られるのが関の山である。ともあれ、親戚、町会と昔の職場に連絡を済ませ、年賀状を頼りに失礼を承知で学生時代の旧友と思われるような方に連絡をしてみたら、ありがたいことにその方が同窓の方々に連絡をしてくれた。それはまあ幸運ではiあったが、自分が死んだ後はどうするのか、やっぱり少しは準備しておかなくてはならないと実感したのであった。それから何年も経ち、そろそろ思っているだけでなく、実行に移さなくてはならない年齢になってきた。人生百年時代なんて言うものの、人間いつ死ぬかなんて分からないし、死なないわけにもいかない。とは言え、エンディングノートみたいなものを買って記入していくというのも性に合わない。かくして、あっちの書類を見てみたり、パソコンの前で唸ったりしていくうちに時は過ぎていくのである。
 まあ、身内に見られたら恥ずかしいような動画ファイルやら画像だけは消去しておくかな。名残惜しいけど。
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観察ウォーキング

2021-01-22 | column
あけましておめでとうございます。相変わらずいつ更新するか分からないブログでありますが、本年もよろしくお願いいたします。(なんとか一月中に更新できた(^^;)
とは言え、世の中は2度目の緊急事態宣言で大騒ぎの最中、うちの県は対象外だからとも言ってられないほど、日本中コロナで大変な状況になっております。まずは自らの身の安全を守るため、こんなブログでも読み返しながら、ステイホームされることをお勧めする次第です。え?そんなことよりステイホームでもっと更新しろ!ってですか。おっしゃる通りですが、そこがまた浮世の面白さと言うもので。。。そろそろ今回の話題に。

 折角のダイエットを無にするリバウンドを解消するため、また最近になって通勤時のウォーキングを数年ぶりに再開した。最初は、地下鉄の駅にして4駅、約4.7㎞から始めたのだが、やっぱり身体は正直なもので、脚がだるくなったり、筋肉痛になったりしたのだが、徐々に慣れてきて、さらに一駅分距離を伸ばしたりしている。お腹の方は一向にへこまないものの、通勤電車での感染機会を減らすという副次効果もあるはずだと言い聞かせて、せっせと歩いている。,
 で、この出勤ウォーキングであるが、NHKーBSで朝の連続テレビ小説を見終わってから出発するので、毎日正確に7時45分に家を出て、8時55分にデスクに着いているという見事なまでの定時運行である。ところが、朝の日課というか、行動パターンは、多くの人にとっても概ね決まっているようで、よく見ていると、面白いほど同じ人が同じ行動をしているのに出くわすことになる。まずは、本来ならば地下鉄に乗る最寄り駅であるが、ここでは政治家の方がいわゆる「朝立ち」、駅頭での演説などを行っている。これはまあ、日によって立っている人が違うのだが、パターンと言えば、パターンである。これを横目に歩いていくと、黄色い帽子を被った何人かの小学生とすれ違う。最近の子はランドセルに、防犯ブザーをぶら下げているのだが、そのうちの一人がなぜか10cmくらいのぐんまちゃん、そう、群馬県のゆるキャラを着けていて、すごく目立つ。どうしてぐんまちゃんを着けているのか、その理由が気になるところではあるが、ここで少女を呼び止め「ねえ、ぐんまちゃんが好きなの?」なんて声をかけでもしたら、瞬く間に「不審なサラリーマン風の男性による声掛け事案が発生」などと、ネットで警戒情報が拡散しかねない。あふれる好奇心をぐっと抑えて進むしかないのである。そうこうしているうちに、比較的大きな交差点に出ると、角にあるマンションの玄関先で女性2人が立ち話をしている。いかにも子供を学校に送り出した後といった感じではあるが、毎朝いったい何を話しているのだろうか。井戸端会なる言葉は今や死語なのかもしれないが、女性が情報交換(という名のおしゃべり?)に励むのは、子供や家族を守るために女性といすれ違う性に与えられた人類誕生以来の本能なのではないかと、一人で納得しつつ、横断歩道を渡るのである。しばらく歩くと、野球帽を被ったおじいさんが犬の散歩をしている。朝の時間帯なので、犬の散歩をする老若男女とすれ違うのだが、このおじいさんが特徴的なのは、必ず左手に缶チューハイ(多分レモンハイ(笑))を持っているのである。最初の頃は犬のおしっこにかける水でも入っているのかと好意的に解釈していたのだが、ある日しっかりと飲んでいるところを目撃してしまった。こんな朝から、しかも屋外でしか飲めない理由が何かあるのだろうか。もしかして、肝臓病か何かで家では飲むことを厳しく止められているのだろうか。どうにも他人事には思えず、温かな眼差しを送ってしまう私である。
 とまあ、こんなとりとめのない反応を繰り返しながら出勤ウォーキングをこなしている私ではあるが、すれ違う相手からはいったいどう思われているのだろうか。人の振り見て我が振り直せ、ってことなんでしょうねえ。
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1010

2020-10-11 | column
 今回の投稿が1010件目の記事になる。このブログを再開してから約1年。月に一度に満たない投稿でしかないけれど、心のどこかにいつもブログの記事をどうしようかなあとは思っている。まあ、思っているだけでは記事はアップされないのが玉に瑕ではあるけれどね。そのうち、AIの進歩とやらで私のアバターが自動的に記事をアップしてくれて、私がこの世からいなくなった後も何年も何十年もこのブログが続く日がやってくるかもしれない。その時もポツポツとしかアップされないのかなとか、そんなあれこれを妄想しながら、日々を過ごしている。できることなら、雲の上でAI気まぐれ日記を読みながら、「いやあ、私だったらこうは書かないなあ」とか言って修正をかけてみたいくらいである。
 ちなみに、1010を千(せん)と十(とお)と読み「銭湯」と語呂あわせで、10月10日は銭湯の日だったなあとか、千(せん)と十(じゅう)と読み「千住」語呂あわせで、足立区北千住にある文化施設は「シアター1010」とかいう名前だったなあとか思い出したら、いつもの通りムダな好奇心がむくむくと湧いてきて調べてみた。10(と)10(と)で魚(とと)と読み、釣りの日。10(と)ま10(と)でトマトの日。0(れい)10(とう)でで冷凍めんの日。10(ten)10(とう)で転倒防止の日。10(to)10(to)でサッカーくじのtotoの日。同じく、トートバッグの日。10(ジュー)10(ジュー)でお好み焼きの日。いやあ、出るは出るは、一つの文字を何通りにも読む日本語の面目躍如というか、日本人の語呂あわせ好きの真骨頂というか、全部で一体いくつあるんだろうかというほど記念日のオンパレードである。一瞬、このネタをシリーズ化して毎日書けば、それだけで300回分くらいは投稿回数を稼げるかもとか、邪悪な思いも頭をもたげたが、さすがに非難されそうなのでやめた。
 ともあれ、こんなどうでもいい記事ばかりですが、もうしばらくは本人の書いたブログを読んでやってください。(冒頭の写真は小金井市にある江戸東京たてもの園に保存されている子宝湯です。)
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ラジオネーム

2020-06-28 | column
 新型コロナウイルス感染症の影響で、ブログとの間にソーシャルディスタンスを設けたとか、投稿を自粛していたという訳ではないのだが、結果的にもう6月も終わろうかという時期の投稿になってしましました。って、毎回言い訳から始まるブログっていうのもどうなんでしょうかね。

 だいぶ前から老人性早起き症などと言っているのですが、睡眠時間が短くなり、家で酒でも飲んで早く寝てしまったりすると、真夜中の2時、3時に目を覚ますなんていうことがよくある。そのまま眠れてしまえばいいのだが、なかなか寝付けずテレビを見てしまったりする。CSに加入しているせいで、そんな深夜でもそこそこ面白い番組があったりするので、ますます目がさえてしまい、そろそろ世の中が起きだすころに眠くなり、1時間ほどうつらうつらしてからボーっとした頭で出勤することになる。そんな日々が続いていたある日、同世代の友人と話していたら、「自分もそうなんだけど、僕の部屋にはテレビが無いからラジオ聞いているんだよねえ。」と言われ、はたと膝を打った。その手があったかあ。考えてみれば、青春真っ盛りの頃は深夜放送全盛の時代で、受験勉強しながら(というか、する振りしながら)ラジオを聴いていたものである。これは私もラジオ派に転向しなくてはと思い、少しいいラジオを購入してみた。実際に聴いてみると、深夜放送は若い人向けのガチャガチャを騒がしいだけの番組だらけで、ちっとも面白くない。これもまあ、ラジオ局に問題があるわけでなく、こっちが歳を取っただけのことだから文句をつける筋合いでもないしななどと思いながら、NHKの「ラジオ深夜便」か文化放送の「走れ!歌謡曲」を聴いている。「ラジオ深夜便」はさすが皆様のNHK!と褒めてあげたいほど、ベテランのアナウンサーによるシニア層向けの落ち着いた語り口がしっとりした感覚をもたらす大人の深夜放送、というかシルバー世代もしっかりと視野(聴覚野?)に置いたプログラムである。一方、「走れ!歌謡曲」の方は昨年放送50周年を迎えた老舗番組。日野自動車の提供によるトラックドライバー向けの番組のせいか、若い女性MCによる気取らないプログラムである。若い頃に聴いていた時は、もう演歌ばっかり流れていたが、最近は普通にポップス系の曲も流れるようになっていて、少々驚いたものの、比較的に耳になじむ選曲だし、うるさすぎないのがいい。まあ、何はともあれ、イヤホンを耳に入れ、2時間で電源が切れるオートオフ機能を使いながら聴いていると、いつの間にか寝てしまうことも多く、テレビ視聴よりは断然調子がいい。
 そんな習慣が付いた頃、ふと思い立って番組に投稿をしてみようと思いついた。高校生くらいの頃は番組宛に投稿している人たちに対し、面白いこと書けるもんだなあと思ったり、そんなことしても何の得にもならないのにと思ったりしながら、自分では投稿したりすることは一度もなかった。当時はハガキや手紙だから、番組内では当然「匿名希望、ペンネーム〇〇さんからのリクエストで…」なんて読まれていたのだが、今やメールやツイッターによる投稿が普通になっており、いつの間にかラジオネームなどという呼ばれ方をしている。天の邪鬼のくせに新しい物好きな私としては、どうしてもチャレンジしてみたくなったのである。そんなことを思ってから、逡巡することしばし。それでも、ついにパソコンから、とある番組宛に投稿してみた。まあ、名前を呼ばれることも無いだろうなあと、ちゃんと心の予防線を張りながら、その後もその番組を聴いていたのだが、当然のことながら私のラジオネームが読み上げられることはなく一月が過ぎていった。そんなある日、ついに私のラジオネームがMCの口から読み上げられたのである。内容はかなり端折って紹介されたものの、それは織り込み済みだったので気にならない。それよりもなによりも、こうやって読み上げられることが、こんなに嬉しいものなんかと自分でも半ば呆れるほどである。

 自分って実はミーハーだったのかもしれない。他人にはバレないように、そっとこのブログにだけ書き留めておこう。ブログ再開しておいて良かったなあ。ちなみに、ラジオネームはムーミンパパではありませんよ。
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新型コロナウイルス感染症

2020-03-15 | column
振り返ってみたら、2月は投稿してなかったようですね。って、他人事みたいに(^^;

 さて、この間の話題といえば、やっぱり新型コロナウイルス。ご多分に漏れず、私もあれこれと対策に忙殺されていました。職場のマスクが無いとか、消毒液が手に入らないとかいったどこの会社でも起きているようなことに加え、感染者が出たら業務をどうするんだとか、リモートワークはできないのかとか、一挙に仕事が襲ってきて、1月の終わりから土日も無く働かされております。(決してブログを更新しなかったことの言い訳ではございません。念のため。) ともあれ、最近は「新型コロナウイルスに感染してないのに、新型コロナウイルスにやられちゃうかも」というのが、口癖になりつつあります。まあ、実際に感染してお亡くなりになった方や長期にわたって隔離状態に置かれた方のことを考えると、そんな愚痴も言ってられませんよね。
 ともあれ、こういう事態に陥ってみると。人間の本性というか、国民の成熟度というか、これまで隠れていたあさましい部分がよく見えてきたような気がするのは、私だけではないはず。東日本大震災の時に語られた危機の時に見せた日本人の態度は世界から称賛された、などを始めとした国威発揚的な話をどこか胡散臭い気持ちで聞いていた私にとってはやっぱりなあというような感じです。誤解の無いように付け加えておきますが、東日本大震災の時に被災地の人たちの忍耐と自制力が素晴らしいものだとということに異論はありません。ただ、同時に報道されないところでは様々な犯罪やエゴイスティックな行動もあった訳で、少なくとも現時点で振り返って見るときにただの礼賛だけではおかしいと思っているのです。ちょっと脱線が長くなりましたが、不足するマスクを転売して暴利を得る者、ネットを通じてデマを流す者、そしてそれに付和雷同する大衆、そんな行動にため息をつく。ましてや、患者を受け入れたかもしれない病院に勤務する医師の子供が保育園から欠席を要請されたという話を聞かされた時にはもう怒りしかなかった。単なる推測だけでそこまでするのか?それで医師が勤務できなくなることで、どれだけの患者が困ることになるかは考えなかったのか?こんなところで怒ってみても仕方ないのだけれど、この騒動が終息をみたときにはまた政府の対応に対する非難が山ほどなされるのだろうけど、本当に振り返るべきことはそこじゃないような気がするのである。

全然関係ないけど、COVID-19ってほとんど使われませんね。やっぱり日本人には親しみにくい単語なのかな。ともあれ、みなさん、しっかりとした手洗いを第一に感染予防してくださいね。
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粉砕骨折 その2

2020-01-19 | column
 地下鉄に乗り込んだ私はなかなか左肩の痛みがひかないため、もしかしたら脱臼しているのかもしれないし、念のためレントゲンくらいは撮ってもらった方が良いのではないかと思い始めた。このブログの古くからの読者ならご存知だとは思うが、私の骨折はこれで三回目である。最初に左腕を骨折した時は、ゴールデンウィークと重なってしまって近くの整形外科が休診だったこともあり、診察を受けるまで5日くらいかかってしまったという経験もあり、いかな医者嫌いの私でも今度は早めに診察をしてもらおうと思った訳である。2駅ほど乗ってから電車を降り、改札にいた駅員に状況を説明したところ、駅務室に案内をしてくれた。駅員の方は、痛みのせいか気温のせいなのかは分からないが、汗が止まらなかった私を見て、新しいタオルを出してくれてから、電話で病院を探してくれる。しばらくして近くの大学病院なら診てくれるということだった。てっきり救急車を呼んでくれるものと思っていた私は少し拍子抜けしたが、まあ痛いのは肩だけだからなと気を取り直しつつ、15分ほど歩いて病院へと向かったのである。(ちなみに、駅員の対応は非常に親切であり、別に文句を言っている訳では無い。)休日の閑散とした大学病院のロビーにたどり着き、どれくらい待たされるのかなあと思いつつ、まずは職場に到着が遅れる旨電話してから、家にもメールをした。どちらも本人から連絡があったくらいだから、いたって淡々とした返事があっただけである。思ったほど待たされることも無く、救急外来の診察を受け、MRI検査を受けることになった。MRIなんか受けたこと無かったし、レントゲン撮影だと思い込んでいたのでビックリしたが、その結果を聞いて更に驚いた。上腕骨の一番上のげんこつのようになっているところが多分3つに割れているというのだ。このまま固定して治るのを待つという選択肢も無い訳では無いが、たぶん手術をする必要がある。今日はここまでで痛み止めの薬を出しておくので、明日以後もう一度診察に来てほしいとのこと。ありゃりゃ。休日出勤をしなければいけないほど忙しい時期なののどうしよう?と思いつつ、プレートと包帯でぐるぐる巻きにされた左腕の上からシャツを羽織り、トボトボと歩いて職場に向かった。
 会議中の同僚の前に現れた私を見て、みんな大騒ぎ。仕事はいいからこのまま帰ってくださいと言われたのだが、「骨折までして出勤してきたのだから、とにかく今日やれることはやってしまおう」と訳の分からない理屈を言って会議に参加。ところが、左肩が固定されているので、資料に字を書き込もうにも、資料が動いてしまうので字が書けない。やむを得ず隣に座っていた女性に資料を押さえてもらってペンを走らせながら「なんか『ゲゲゲの女房』みたいだね」なんて軽口を叩いていたのだが、後日、私の向かいに座っていた男性から「目の前でどんどん肩が腫れて大きくなっていくのが、見てて分かるくらいだったので、心配しましたよ」と言われたくらいだったので、あの時の皆の笑いは苦笑だったんだろうなあとちょっと反省している。1時間半ほど経ったところで、とにか早く帰ってくれと皆にせかされるので仕方なく退散。呼んでくれた車に乗り込み、自宅へと帰ったのである。
 こうして骨折初日は終わっていった。
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謹賀新年

2020-01-02 | column
みなさま、あけましておめでとうございます。

再起動はしてみたものの、月一回の投稿すら覚束ない感じですが、こんなブログに訪れていただき感謝に堪えません。
2019年は年末に風邪をひいて寝込んでしまい、どうして仕事が休みの時に限ってこうなるんだろうかと、身の不幸を嘆いておりました。
2020年もこの怠け癖は治らないとは思いますが、世の中はオリンピック・パラリンピックなど、騒々しい一年になりそうです。
気まぐれ日記のタイトル通り、今年も気ままにポツポツと更新していきますので、どうかよろしくお願いいたします。

このブログを訪れてくれるみなさまに沢山の幸せが降り注ぐ一年となることをお祈り申し上げます。
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粉砕骨折 その1

2019-12-22 | column
 このブログをお休みしている期間で、個人的に最も大きい事件といえば骨折である。

 休日出勤をしなければならなかった朝。午後までに職場に着けばいいので、たまには健康のためウォーキングでもするかと思い立ったのが、今から思えば運命の分かれ道であったのであろう。およそ8kmほど歩いてから、地下鉄に乗ろうと改札を抜け階段を下っている時に事件は起こった。まあ、事件とは言っても、完全な自損事故ではあるのだけれど。
 ホームに向かっていた私は階段を変な感じで踏み外した。後から考えれば、そのまま転んでしまえば良かったのだが、踏ん張ってしまった結果、大股で2、3段跳んだ挙句に踊り場に左手を突き倒れたのである。よく事故を起こした時のことはスローモーションのようになると聞くが、まさにその通り。空中を飛んでいる間に、次の階段の下に停まっていた電車を見ながら、あそこまで落ちたら死ぬなとか、左側にそびえる踊り場の壁を見ながら、あれに激突したらヤバいなとか思いながら、早く着地しなくてはと考えていたのである。ほんの一秒あるかどうかの時間だったのにである。
 踊り場にはいつくばった私が一番先にやったのは、腕時計を見て時間を確認することだった。午前11時47分。なぜそう思ったのかは分からないが、事故の時間を正確に記憶したのは、後々いろいろな書類を提出する時に役に立つことになる。人間の行動というのは本当に不思議なものである。時計の確認をした私は上体を起こし、足や腕を順番に触りながら、大きな傷や出血などをチェックした。どうやら足も腕も変な形で曲がっていたりする個所は無さそうである。これだけ派手に転んだんだから、体のあちこちが痛むのはしょうがないと思いながらその場で座り込んでいると、傍らを通り過ぎる何人かの人が「大丈夫ですか」、「駅員さん呼んできましょうか」などと声をかけてくれる。ありがたいのだが、恥ずかしい。丁寧にお断りをし、しばらくしてから立ち上がり、左肩がひどく痛むなあと思いながら地下鉄へと乗り込むことにしたのである。

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タイムカプセル

2019-11-03 | column
 ブログの再起動をしたのはいいけれど、何を書こうか悩ましい。これまでどんな感じで書いていたんだったけかなあとか、本当に読む人いるのかなあなんて、うだうだ考えているうちに半月経ってしまった。なにが再起動だよ、という諸姉諸兄のお叱りの声が聞こえてくるような気がします。とはいえ、6年間も放置していたので、それなりに色々なことがあったし、しばらくはそんなプチ思い出話を書いていこうと思っている。

 先日、福島県の帰還困難区域を視察する機会があった。ご存じのように、福島第一原子力発電所の事故により放射能汚染が原因で未だに住民の方々が帰宅をできない地域である。国道6号線をバスに乗って進むと、ここから帰還困難区域に入るとの案内を受ける。現在、道路上は車の通行は制限されていないが、道路の両サイドは柵でがっちりとガードされている。窓越しに見えるロードサイドの店舗は、地震によるものなのか、9年近い月日のせいなのか、天井が落ちたり、壁がはがれたりしている。それは廃墟という言葉がぴったりする風景である。重苦しいとまでは言わないけれど、車内は徐々に静かになってくる。少しは気の利いたジョークでも飛ばして場の雰囲気をなごませようかとも思ったりもするけれど、そんな無謀なことにチャレンジすることなど到底できる感じではない。しばらく走ると、一時立ち入りのためのゲート、いわば検問所みたいな所でバスが止まる。ここから先は事前に登録した人以外の立ち入りはできない。係員の方がバスに乗り込んできて、一人ひとり身分証明書を確認しながら、名簿との照合をする。再出発したバスは、一見すると日本中どこにもあるような住宅地を走っていく。立ち並ぶ戸建住宅の中には、新築されたばかりだったんだろうなあと思うものがいくつもある。玄関先の自動車はタイヤの空気が抜け、ペタンと腰を抜かしているかのように駐車している。住民の方たちはどんな気持ちで家を去っていったんだろうか。そんなことに思いを巡らすよりも先に、住宅ローンはどうなったんだろうなんて考えている自分が嫌になったりもする。でも、被災者のリアルに寄り添わなければ復興なんてできないよなあ、と言い訳しながら自分を慰める。そんな取っ散らかった感情が行ったり来たりしている間にもバスは進んでいく。
 旧大熊町役場近くにある常磐線大野駅の前でバスは停まり、少し歩くことになった。靴にはビニールカバーをし、使い捨ての手袋とマスクを装着してバスを降りる。駅には足場が組まれ、改修工事を行っている。2020年の春には営業を再開する予定だと聞いて、少しホッとしながら駅前の商店街へと歩く。そこに広がっていたのは、あの日から時間を止めてしまった街の姿だった。調味料や紙ナプキンがきちんとテーブルの上にセットされているレストランのテーブル。半開きのシャッターの奥にハンガーにぶら下がったブラウスやスカートが陳列されている婦人服店。街全体がタイムカプセルに入れられたような光景がそこにはあった。そう言えば、遠い昔、かつてヴェスヴィオ山の噴火により紀元79年で全てが火山灰に埋もれてしまったポンペイ遺跡の展示会に行ったことを思い出した。その時は、食事の途中のままのテーブルや子供をかばったまま息絶えた母親らしい痕跡などの展示を見て、人々の営みが2千年後までそのまま残っている生々しさに奇妙に興奮したものだが、今回はそんな気分とは程遠い感覚である。あちこち写真を撮る若者を少し腹立たしく思いながら、自分も街並みだけを何枚か撮影してみた。きっとあおの若者も単なる好奇心や興味だけで撮影しているわけではあるまい。ここにあるのは空間だけでなく、時間も存在しているのだから。それも2011年3月のまま。

 このブログで原発問題の是非や復興事業などを議論する気はない。ただ、見たまま感じたままを書き散らしただけである。その先のことはそれに相応しい場を選んで語ってもらえれば、それでいいと思う。ただ、この時の心の揺れが止まっていたこのブログをまた動かしてみようと思うきっかけの一つになったことは確かである。
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再起動

2019-10-20 | column
 ふと気がつけば、1,000回目の投稿をしてから6年の月日が経っていました。

 匿名のブログとはいえ、どこかで気がついている人もいるだろうし、それほどのものではないにしろ、社会的な立場上炎上したりするのは嫌だった。定期的に記事をアップしなくてはと、売れっ子作家でもないのに、そんな強迫観念にも似た思いを感じる自分自身が嫌だった。少しずつそんな気持ちが強くなってきていた時期に1,000回の節目を迎え、ここらで少しお休みをもらおうかなと思って、このブログから離れていました。ちょうどFacebookが流行り始め、知り合いだけの閉じたサークルの中で短文を投稿するのが、いい代替品になったこともあり、思いもかけず6年もの期間、ブログにアクセスすることもない日々を送っていました。
 ある日何気なく、本当に特別な思いは何もなく、アクセスをしてみたら、そこには優しいコメントがついていました。とりあえずは、コメントを返してみたものの、それからなんとなく自分のブログが心の隅にひっかかるようになったのです。このまま放置したままでいいのだろうか。でも、再開するのも大変だしなあ。いっそのことキッチリと閉鎖のご挨拶をしてしまおうかな。いや、それはそれで1,000回分の自分の想いが消えていくようで寂しいよな。そんな思いが行ったり来たりしているまま、またしばらく時間が過ぎて行きました。そして今日。チエちゃんのブログを、やはり6年ぶりに拝見させていただきました。そこには悲しい出来事が綴られていました。かける言葉も思いつきません。そして思いました。このブログを通じて知り合った方々とのご縁をこのまま断ち切ってしまっていいのだろうか。もちろん、既に老眼で、パソコンの画面を見るのが辛くなった私がいつまでこのブログを続けられるのかは分かりません。それまでは時々でもいいから書いてみよう。そう思ったのです。ここまで放置してきたのだから、かつての読者の皆様が戻ってきてくれるとは思っていないし、そもそももうブログなんていうのは古いのかもしれません。でも、ムーミンパパの気まぐれ日記って、そんな天の邪鬼なキャラだったよね。でしょ(笑)

 次の投稿がいつになるかは分かりません。でも、このブログを再起動し、もう少し続けることにしました。よければお付き合いください。
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すべての人に感謝の花束を

2013-02-19 | column
 日本人の平均寿命は女性85.90歳、男性79.44歳(2011年)ということらしい。もちろんこれはただの統計数字でしかないから、私が80歳になった時(もちろんそこまで生きていたらということだが)に、その数字がどう変わっているのかは分からない。ましてや誰がいくつまで生きていられるかなんてことは、誰にも分からないってことは人類が誕生して以来、いや、DNAが二重らせん構造を持つ生物が誕生して以来明らかなことである。明日何かが起きてこの世から姿を消してしまうのかもしれないし、もしかしたら5分後に飛行機がオフィスに墜落してきていなくなってしまうのかもしれない。未来のことは何一つ分からない。分かっているのは、人が死亡する確率は100%だということだけである。だからと言って、死を怯えながら暮らすこともないし、いつ死んでもいいようにと覚悟を持って暮らし続けるのもなんとも辛い。人生の先行きを考えながら生きていくのは難しいことである。

 それでも私は今日を生きていく。

 毎日世界中で沢山のことが起こっている。いい話も悪い話も数えきれないほどの出来事が起きている。それでも、その中のいったいどれほどの出来事が後世の歴史書に掲載されるのであろうかと思ってみたりする。高校生の頃に眺めていた日本史や世界史の教科書は、まさに有史以来の出来事が掲載されていたけれど、たぶん500ページもなかったような気がしている。あと2,000年経った時、41世紀の高校生たちは1,000ページの教科書を読まなければなるのだろうか。それともやっぱり500ページくらいに圧縮された教科書になるのだろうか。私たちが生きている時代はいったい何ページに、いや何行くらいになるのだろう。3,000年の歴史が500ページなら、単純計算で一年は0.17ページ、人生80年なら同時代の記録は16ページということになろう。もちろん、その中に私やその友人に関する記録が入っている確率は限りなくゼロに近い。

 それでも私は小さな何かを成し遂げながら日々を暮らしている。

 毛沢東は「婦女能頂半辺天(女性は天の半分を支えることができる)」と言ったとされている。その政治的意味はよく分からないが、世の中の半分は女性であることは毛沢東に言われるまでもない事実である。もちろん統計的には出生比率はわずかに男性の方が多いことはよく知られているし、社会の高齢化が進めばどうしても平均余命の長い女性の比率が高くなってくる。そんなディテールを無視すれば、恋愛対象が異性である人は世界の人口の半分、約40億人の中からパートナーを選ぶことになる。もちろん生涯に好きになる人は一人ということはないだろうから、その相手が5人なら8億人に一人、さらに年齢構成も絞られるから、広めに見てその1/4程度、2億人に一人の確率で相手を選んでいることになる。ということは、ある相手が自分のことを好きになってくれる確率も1/2億だとは考えられないだろうか。誰かを好きになるっていうのは、物凄い奇跡への挑戦なんだと思う。

 それでも私はあの人を好きにならずにいられない。

 なんだかよく意味の分からない記事だなあと思ったかもしれませんね。ただ、私はこんなことを頭のどこか片隅に置きながらこのブログを続けてきました。その一部だけでも書き留めておこうと思ったのです。勝手に付き合わせてしまって、ごめんなさい。

 2004年10月16日(土)に最初の記事を投稿してから足掛け10年。満53歳の誕生日を迎えた今日、ちょうど1,000回目の記事を投稿することができました。拙い文章ではありますが、いろいろなことを考えたり、ただ感じたり、楽しかったり、苦しかったり。そんな日々の想いをその時々に書き留めてきました。ただそれだけの記事をこれまでとても多くの人が読んだり、コメントをしてくれました。そう、今では既に天の高いところで読むことになってくれている人もいます。お世辞にも粘り強いとは言えない私に、このブログをここまで続けさせてきてくれたのは、そうした多くの人たちがいたおかげだと思っています。
 この先、このブログがどこまで続くのかは分かりませんが、とにもかくにも1,000回を迎えたことを区切りに、すべての人たちに感謝の花束を心の中で捧げたいと思います。
 本当にありがとうございました。
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