ハマったきっかけ
1970年代中頃から1980年代中頃にかけて、Thaiの田舎に凝っていました。
(しかし、こんな話、誰か読んでくれるんやろか?象を撫でてる群盲の1人、それもホンの端っこをチョロット撫でただけ。もし、読んで頂けるなら、そのお積りでお願いします。)
バンコックには何回か来ていたのですが、所謂観光旅行。
たまたま友達になったのが、ソンブーン・スリヤ・ブラパックル君。
そもそもは、丁稚修行にお世話になった、東京の会社が行った、お得意先を招待しての観光旅行に員数あわせで参加させてもらい、何やら良くわからぬまま、ニューロードでかなり有力な金物販売会社である彼の父君の会社を訪問したのが初対面。
翌日タクシーの運ちゃんと、怪しげな片言の英語と、もっと怪しいタイ語でワイワイ料金の交渉していると、
偶然彼が通りかかり、よほど暇だったのか時間が有れば家においでとのお誘い。
今日は1日自由行動、何処へ行くかも決めていなかったので、これ幸いとお邪魔しました。
その後、彼が日本にくると、連絡をとってくれたり、妙に気が合っておりました。
彼はロイヤルチャイニーズと呼ばれる、福建系のタイ人、夫人が北部の出身でした。
夫婦で実家に帰るのに同行させて貰ったた時に、はじめて、タイの田舎を知ったのです。
実家は、北部の町チェンライの近郊。
黄金三角(ゴールデン・トライアングル)のすぐ近くです。
雲南省とビルマ、ミャンマー、ラオスは直接境を接しています。
タイとビルマ、ラオスも直接境を接していて、夫々の交点の間は200Km少々しか離れていません。
タイ北端のチェンセンから100Kmほどは、メコン=瀾滄江がラオスとの国境です。
タイ語北部方言とラオ語は、京都弁と大阪弁ほどの違いもありません。
雲南省にはタイ族が居て、当然タイ語を常用しています。
メオ、ヤオ、リス、プーテン、アカ、ユアンタイなどの少数民族、そこにシャン、ラオが入り交じった綴れ織りのような世界です。
その頃タイでは学生運動が盛んで、東北部のイサーン地域では共産ゲリラが、西北部ではビルマ(ミャンマー)のシャン独立勢力と連帯した学生活動家が、小規模ながらゲリラ活動をしていました。
バンコック(クルンテープ)観光からは想像も出来ないほど、キナ臭い国だったのです。
しかし、目に映る田舎の風景はのんびり、ゆったり時間がうねりながら過ぎて、平和で長閑です。
さすがは、小学校の国語の教科書、第一ページに、「水のあるところ魚が居り、土のあるところ米が実り、木のあるところ果実が熟す」とあるように自然は豊かです。
そして、仏(プラー)を信じ、精霊(ピィー)を恐れ、王室を敬い、来世を信じる人々が、ゆったり流れる時の中で生活しています。
体面を重んじ、運命を信じ、激情と優しさ、慈悲と残虐、質量を感じる空気のなかで、「しょうがない」(マイペンラ~イ)と悲しい諦観で、したたかに生きる人々。
気が付いた時には、タイの持つ混沌の魔力にとりつかれていました。
その頃のあれこれを、とりとめも無く・・
2002/03/11
☆追記
OCNのHPにアップしていた記事の再録です。
本文は原本のまま手を加えず、補筆・訂正は文末でします。
残りも間が開く事になるでしょうが、追々再録する予定です。
2016/04/10