maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

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喜愛香港-053 深水捗-2 西九龍中心

2004-04-29 16:23:55 | 虚々実々-喜愛香港

地下鉄B出口付近から拡がる屋台は健在ですが、90年代の香港土地バブル以降スクラップ&ビルドが急激に進んで、相当数のビルが新しくなったり、高層化しました。
しかしながら新しいビルの隙間隙間に、不法設置の檻みたいなベランダを道に張り出した昔の安物高層住宅がしぶとく生き残っていて、街はマンダラ模様。
このベランダが道路に落下する事故が実に多いんです。

地震が無いのを良い事に、もともとのビルの造りがかなりええ加減。
大々的に鉄骨で組んだベランダをその頼り無い壁面に後から無理やり取り付ける、これは恐ろしいでっせ。
香港政庁や市政府は撤去を躍起になって呼びかけていますが、効果は無いみたいですねぇ。
時々、違法ベランダの設置工事中にベランダが丸ごと落下して、工事をしていた職人が死傷する事故が報道されます。
とても撤去どころか、新設の取り締まりもままならないようです。
最近は、その死傷した職人が黒工(大陸からの不法労働者)のケースが多いんですね。
不法労働者が不法設置のベランダの違法行為をする、なんてのは念が入り過ぎでんがな・・・。
おまけに果たして不法労働者が職人といえるだけの技術を持っているのか?これは甚だ疑問ですなぁ。

さすがに地元の人は良く知っていて、ヤバイ建物のところでは歩道を通らないで車道に出ます。
人が通らない所は理屈抜きで、同じように避けるのが大事な心得です。
もう一つ、歩道が濡れている所は絶対に近寄ってはいけません。
一番多いのは洗濯物のしずくですが、運が悪いと頭から汚水をぶち撒けられる事が有ります。
ビルが古くなると水周りが傷んで、うっかり流しに流すと下の階がビシャビシャ、下の住人が殴り込んで来る事は必定。
窓からぶち撒けた方が気楽、先ず下手人と特定される事は無い。
万一通行人が駆け上がって来てもしらばっくれる手もある。
そういうビルはベランダが降ってくる可能性も高いんですよ。
少し見慣れると、遠くから建物の雰囲気で何となく判るので、前だけでなく上下左右をまんべん無く注意していれば大丈夫。

南昌街の道を塞さいでいた不法占拠の工場は立ち退きを喰らって、道路も数年間は本来の姿を取り戻したんですが、今度は公認で臨時街市(仮設市場)が道の中央に出現。
そういう運命の道やったんですなぁ。
再開発の波に呑まれたとはいえ、深水捗は深水捗。
相も変わらず群がっている流動小販(ラウドンシウファン=移動屋台)は無許可のもぐり。
市政局の小販管理隊が出動すれば蜘蛛の子を散らすようにワラワラッと逃げ散ります。
「付いてる車輪は伊達やないで!」と路地を猛スピードで逃げ回って、壮絶な鬼ごっこを展開、まぁその勇ましい事。
小販管理隊が居なくなれば、どこからとも無く湧き出して、何事も無かったように元通り営業を再開するしたたかさはさすがですなぁ。
営業許可を取っているので逃げ回る必要が無い北河街の長沙灣街東(山)側の食べ物屋台の群れ、 西(海)側の古本市。
鴨寮街の電気製品主体とはいえゴミみたいなものから家具まで扱う中古品店街。
元州街の遣手オバちゃん、怪しげなCDを扇子みたいに広げて立売してる古惑仔(チンピラ)。
ライトバンのい荷台を店舗に、何時でも逃げられる体勢でで店開きをしている、どう見ても盗品臭いカーオーディオ等の自動車部品屋が最近増えましたね。
小売卸何でも来いの問屋で忙しく働くパキスタン風の男逹の群れ。
大通りで真昼間から堂々と流し目で客を引くドキドキする衣装の出稼ぎの菲妹、泰妹ちゃん。
見事なまでに得体の知れないパワフルかつ猥雑な喧騒が朝から深夜までワ~ンとこもっています。
やっぱり深水捗を知らずに香港の下町は語れませんねぇ。

さてその街に大規模な商業センターが出来ました。
出来た当初は回りの道はゴジャゴジャ、いかにも場違いな感じで驚いたんですが、大したもので、数年経つと周辺がコロッと変わりましたねぇ。
ガラス張りの大きな円柱状の9階建ての建物で、真中は最上階まで広い吹き抜け。
中に入っているテナントはありとあらゆる種類の見事なまでのゴッチャ混ぜ。
最上階には大食堂とスケートリンク、ゲームセンター、ミニ遊園地。

そして吹き抜け部分にジエット・コースター!
これが半端や無いんですねぇ、料金15HK$は決して高いことおません。
見ているとスピードはたいした事が無いようですが、何しろ9階の高さ、下はスットントンの空中。
そこを逆落としに下ってビルの壁面スレスレをかすめるのですから、体感スピードは凄いでっせ!
おまけにスケートリンクの上や、隣のフードコートの頭上を轟音を立てて走るんですよ。
大阪にもフェスティバル・ゲートという、ヨレヨレになった第三セクターの中に似たようなのが有るんですが、奇を狙って建物の中を突き抜けさせたのは良いけれど、一番大事な高度とスピード感が無いんですわ。
子供だましの到底絶叫型とは呼べん代物。
規模といい、思いっきりの良さといい、完全に負けてます、というか勝負にもなれへん。
第三セクターでここまではようせんのも無理は無いんですが、そもそもアミューズメント系に前例主義の事なかれ主義で遊び心の無いお役所が噛んで上手い事行く筈があるかいな!
その点ここのは「ようこんな物を許可したなぁ・・」と思うほど突き抜けてますねぇ。

(左)下から見上げると空中に支えもなく線路がとぐろを巻いています。
(中)別名「Dragon Center」と言うだけあって龍のデザイン。これがなんとも凄みの無い間抜けな龍なんです。椅子に登って手を伸ばせば届きそうな高さで、フードコートの頭上を遠慮会釈なく走り回ります。間に金網も何も無いんですよ!
(右)その素っ呆けたのが間抜け面のままで空中を疾走すると、似合わんだけに妙に恐ろしい。おまけに線路は複雑に絡んでいて、支えが極端に少ないんです。強度的にはちゃんと計算して有るんでしょうが、走るのを見ているとビヨンビヨンと撓んでます。

ドラゴン・ジェットコースターが轟音を立てて走る吹き抜けの下の1階は広場になっています。
自動車の展示会、ファッションショウ、物産即売会等何時も何か催し物が開かれています。
節日(勿論クリスマスやイースターも節日の仲間)の前にはそれにちなんだディスプレイが飾られます。
クリスマスツリーもセントラル(中環)辺りでは如何にも西洋っぽいんですが、尖沙咀、佐敦、油麻地、旺角と北へ行くにつれて、段々中華味になるような気がするんですがね。
「歓迎光臨聖誕祭」てな幕を張られて赤地に金の「福」のデコレーションがしてあると、天辺の星が人民解放軍のマークに見えてくるんですよ。
中秋節の前には直径2M、高さ7~80cmの巨大月餅が展示されて、目方当ての投票が行われます。
見事当れば巨大月餅を貰えるんだそうですが、どう考えても1トン以上は有りまっせ。
貰っても始末に困るでしょうなぁ。

実は「西九龍中心」は館内撮影禁止。
そんな事とは露知らず、写真を写すだけ写して、帰り際に入り口にデカデカと書いてあるのに気がついたんです。
結構、警備員風の人の前で知らん強みで大きな顔して写してたんですが、余りにも大ぴらに写してるので、許可でも取ってると思ったんでしょうかねぇ。

次回下町めぐりは海を渡って香港島の北角(パッコック)へでも行きますか、

2004/04/29

喜愛香港-054 北角(パッコック)-1

喜愛香港-目次


喜愛香港-052 深水捗-1

2004-04-28 16:21:52 | 虚々実々-喜愛香港

深水捗(本当は土偏に歩、シャムスイポ、サムソイポ)う~ん、どっちのカナがより近いか?
そもそも、声調(メロディ)を無視してるねんからどっちでもええか・・。

地下鉄の太子(Prince Edward)の駅のほんのチョット北側に界限街(Boundary Street)という道が東西に走っています。
大まかに言えば、九龍半島のここから南の部分と香港島が永久割譲された地域で、北側は99年の租借地。
この違いは当時では大きな意味を持ってました。
インフラの整備は永久租借地の方が格段に進んでいましたし、人口も集中していました。
その境が段々無くなって来たのは80年代の末だったように思います。
結局、一緒くたに返還したんですね。
津波のように中共から難民が押し寄せた時代、この道が重要な意味を持っていました。
何とかして界限街より南に入り込めば、めでたく難民収容所に入れて貰えて、特に問題がなければ審査の結果香港に住む事が出来たんですねぇ。
中国国境と界限街の間の地区で掴まると即強制送還。
「Tach and Safe=デンしたらOK」まるでラグビーのトライですなぁ。
難民にとっては界限街突破が第一目標やったんです。

その駅のも一つ北にあるのが深水捗。
何とかして界限街を越えようと難民が夜を待って潜んでいた所なんですなぁ。
越境難民相手の商売が合法非合法入り混じって賑わっていた繁華街。
共産中国の下っ端工作員が難民に紛れ込んで九龍や香港島の暴動を起していた根拠地でもあったそうです。
嘘か本当か、高級な工作員は新華社や中国銀行、中級のは中国百貨店に巣食っていたというのがもっぱらのお話です。
1970年代はそれはもう荒んだ感じのゴミゴミした、少々危ないけど面白い所でした。
ただこの頃は大通りから眺めるだけで、とてもや無いけれど路地に入り込む度胸は無かったですね。

やっと少し落着いた1980年代に入ってから、おっかなびっくりでウロウロし始めたんです。
この頃でも何昌街周辺は、道路を不法占拠したバラックの工場がひしめいていて、地図上の道を頼りに目的地へ行こうなどと悪い了見を持つと、行き止まりの連発。
それではと路地らしき所に入り込むと、キッチリ迷子になってしまう。
何処がどうなっているのか全く無茶苦茶。

ガンガン仕事をしている工場の中を通り抜けないと、向うの道へ行けないところが結構あったりしました。
いい匂いがする食堂があって、客も多いし、まぁまぁこの辺りにしては小奇麗。
形通りに麺と時菜を注文して食べているとテーブルの間を縫ってしょっちゅう人が通るんです。
見ると入ってきた入り口の反対側にも入り口があって、絶えず人が出入りしてます。
「厭に人の出入りが激しい食堂やなぁ?」と思っていたら、なんと自転車に大荷物を積んだのまで堂々と通り抜けるんですよ。
それもそのはず、この食堂てのが道路に屋根を渡して営業してたんですなぁ。
道端どころか道路を丸々店舗にしてしもてるんです。
そういう店がそこかしこに有りましたねぇ。
客と思ったのは通行人、通行の邪魔をしていたのはコッチやったのには驚きました。

成る程、行止まりと見えたのはそういうことやったんか!
これに気付いたお陰で、やっと地図が役に立つようになりました。
しかし、中には到底仮設とはいえんような、衣料品や金物を売っている道路上の商店もあるので、そういうところに突入するのは、判ってはいても二の足を踏みまっせ。
誰かが行く後をついて行くのが確かなんですが、ついていった相手が買い物を始めたりすると、一緒になって買い物をするわけにもいかず、知ってる積りで大きな顔して奥へ入っていったらホンマの建物で壁に行き当たってようウロたえましたわ。
しょっちゅうそういう頓馬がいてるのか、間違って乱入しても特に咎められへんので助かります。
皆さん居住している近所では凶悪な犯罪はしないらしく、香港島や尖沙咀で時たま起きる、武装強盗団が宝石店や金行を襲うような事件はここではあまり有りません。
一番多いのは不法賭博、毒品(麻薬)売買、これは今でもよく新聞に出ますねぇ。
他は細々したカッパライや置き引きスリ程度で、所謂子供やチンピラが危ないんですよ。
まぁ、襲うに足りるような高価な金目のものを置いている店も無かったんですがね。

この建物は初めて深水捗に行った頃から変わってません。この2、3年行ってないんですが、まだ残ってるやろか?
左の写真の建物のズ~っと裏手、青山道の近くには所謂「私娼窟」が密集して、なんともオドロオドロシイ魅力的な地域がありました。
道端にずらりと並んだオバちゃん、婆さん、兄ちゃんの客引きに、これでもかというぐらいスリットの入った安物ペラペラの旗袍やスケスケワンピースのお姐さん。
人出を当て込んだ、腸粉、魚胆、怪しい焼き鳥風、薬のばら売りの屋台。
タバコ、チュウインガムをばら売りしてる子供達、子ずれの乞食。
どう見ても偽物の「555」を1っ本買って、道端にしゃがんでイガラッポイ煙を吸いながら眺めていると飽きませんでしたね。
そういう雰囲気は九龍の再開発がどんどん北上してきた80年代末ごろには様子が変わって、90年代に入ると相当上品(?)になりました。
今でも「私娼窟」付近は風俗店が残っていて、往年の名残を留めていますが、規模は縮小、間に普通の商店が混じって、もうかっての賑わいは有りません。

屋台の中でも、良心的で味の良い店は屋台を卒業して店舗を構えて生き残っています。
フカヒレとかアワビてな高級な物をこの町で食べようなどと思うのは大きな間違い。
臭豆腐、豆腐花、肉丸、腓骨、麺、粥、萬頭などで思いも寄らない旨いものに巡り合えます。
とんでもない不味いものにも遭遇する危険も半々。
朝飯をシッカリ食べたかったら、ここか何れご案内する北角(パッコック)がお勧めです。
尖沙咀や中環などでは早朝(6:00頃)から営業しているメシ屋があまりありません。
油麻地でさえ大体7:00にならないと店が開きません。
その点ここは働き人(ハタラキド)の街ですから、朝早くからメシ屋が営業しています。
店の前に貼り出してある品書きの値段が、決して安くないのに客が混んでいる店なら、先ず大丈夫。
値段が不明な時は、漂ってくる匂いを頼りに「勝負!」心が躍りますねぇ。

治安は、以前ほど危ない事はありませんが、深夜のお散歩はお奨め出来かねます。
80年代の終わり頃の夕方に、地下鉄の出口から幾らも離れていない「公和豆腐」前の大通りで拳銃の発射音を聞いたことが有ります。
反射的に看板の影にカミさんを引っ張りこみましたが、道にいた連中も店先や電柱の陰に入って、一時的に歩道は無人状態になりました。
暫くして、何事も無かったように元に戻りましたが、一体何だったんでしょうか?
翌日の新聞には何も出ていませんでした。
通りを歩いている人達がいっせいに極自然にそういう対処をするというのには驚きます。
日本ではそうは行きませんねぇ・・・。

次回は、混沌とした深水捗の街に出現した巨大ショッピングビル「西九龍中心」へ行ってみようかなぁ。
あれも、もう出来て10年以上たったんですねぇ、歳を取る筈や・・・。

2004/04/28

喜愛香港-053 深水捗-2 西九龍中心

喜愛香港-目次


喜愛香港-051 香港のお葬式(殯儀)

2004-04-25 16:20:38 | 虚々実々-喜愛香港

深水捗に行く前に「冠婚葬祭」のもう片一方の「葬祭(殯儀)」もサラッとご紹介する事にします。
「婚」だけやったら片手落ちやもんね。

どうも、香港人の宗教観はどちらかと言えば日本と似てますねぇ。
道教の神さんと日本の神さんが似たような位置を占めてるように思います。
中には「他宗の祭壇には参らん」という、特定宗教に操を立てる信心深い人もいてます。
旅行する前には天后廟にお参り、子供の受験には文武廟、盂蘭盆には道端のお供えを出して、クリスマスは楽しく騒いで、病気になったら車公廟、死んだら殯儀館で仏式の葬式というのが多いみたいですね。
「楽しい事は大歓迎。効き目がありそうなことは何でもしたらエエやんか、効かんで元々、ご利益あったら儲けもん!」
節操が無いと文句を言うより、Open mind、自由闊達とほめたいですなぁ。

ずっと昔は、下町の街角の広場見たいな所で葬式をしているのに出くわした事が有りましたが、最近はそういうのは殆ど見掛けません。
日本みたいに自宅とか高層団地の集会所での葬儀も聞きませんね。
私が知らんだけかなぁ?
そもそも、団地に集会所が有るのんかいな?
新界の田舎に行くと今でも野天にテント張り、パチンコ屋の開店祝いみたいな花輪を立て並べた葬式もあるんですが、市街地ではもっぱら殯儀館という葬式場。
九広鉄路のホンハム駅の近くにも殯儀館が一つ有りますが、これがでかいビルで、何件もが同時進行するから賑やかな事。
経営者は大儲けして「殯儀大王」と言われてるんやそうです。

葬儀場は大規模で処理能力は日本のそれとは桁違いとはいえ数が少ないし、人口密度も高いので、下手をすると1週間や10日は会場が取れん事も有ります。
仏さんをその間どないするねん?と思えば葬儀場に冷凍ロッカーがちゃんと用意されていて預かってくれるんです。
亜熱帯やから、ドライアイスを抱かすくらいではとてもとても・・・。
それにしても1週間も10日も間があいたら、その間は仕事をせんならん。
遺族も参列者も式までに気抜けしてしまいまっせ。

葬式に行くとなると、気になるのは参列する時の衣装とお供え。
香典の袋は白(まれに茶色)で、金額は奇数の紙幣。
お札の色は赤系統(100$)は厳禁、青系統の50$札等の奇数枚数に1ドル硬貨を1枚足します。
服装は出来れば男、女性共ダークスーツ、ネクタイは黒。
日本式の略礼服などは全く居ません、普段着の人もそこそこいます。
お通夜もありまして、この時は服装の決まりも少しユルメ、日本と一緒ですなぁ。

葬儀場へ行くと、建物の周辺に花屋の客引き=供花のキャッチセールスが、申し込み用紙の束を手にウジャウジャ居てます。
式に参列する人に片っ端から声をかけて、親戚、友達、会社関係夫々に適した供花の注文を取るんです。
日本の否応無しのボッタクリ供花に較べると、半分以下どころか3分の1、4分の1以下の値段です。
同じ花を使い回してるんやろか?
デカイ字で会社名を書いたユニホームを着てるから「お金を払ったのに花が来ん。騙された!」てな心配無用。
この商売は信用第一、不始末があれば葬儀場からお出入り差し止めを喰らいます。
注文した本人が受付で香典を渡す頃にはもう式場に搬入するという早業。
葬式でも色とりどりの華やかな花を使うから、その供花の派手な事!

葬儀場内には各階に沢山の部屋が並んでいて、夫々で葬儀をしてるんですが、ドアは開けっ放しで廊下(ロビー?)には参列者、花屋、食べ物飲み物を運ぶ人が入り乱れて右往左往してて、おまけに香港人は総体に声がデカイ。
到底「しめやか」という雰囲気や無いですねぇ。
看板をよく確かめないとマゴマゴしてたら他所の葬式に参列してしまう。
地元の人でも間違う事があるそうですわ。

受付で香典を渡すと、小さな金封をくれます。
これは「吉儀」という御会葬御礼。
中には1$硬貨と飴(ドロップやキャラメル)が入っています。
飴が入っていない場合はその1$硬貨で飴玉を買うんです。
飴を舐めるのが、清め塩の代わり??
飴が一緒に入っている場合は「吉儀」の1$硬貨は何に使っても良いんですが、必ず使わないといけません。
ケチって家に持って帰たら不吉だと怒られます。
それと葬儀場から真っ直ぐ家なり会社に帰ってはいかんのやそうで、コンビニなり、茶餐庁なりとにかく何処かの店屋に立ち寄ってから帰るんです。

さて遺族の側ですが、仏教・道教では、遺族は白い服を着ます。
息子は白シャツ白いズボンで靴も白、上から白木綿の陣羽織みたいなのを重ねて、もう一枚下の服が透ける位目の粗い麻の平織りのを重ねて白木綿の帯で締めます。
頭には、白い木綿の鉢巻、これが長い!鉢巻の端が腰の当りまで垂れてるんですねぇ。
娘や嫁も同じ白装束で、鉢巻の代わりに防空頭巾(若い人には通じんかなぁ)みたいな先の尖った白木綿の頭巾をかぶります。
嫁は旦那と同じグループに入りますが、婿は次の段階のグループになります。
これが、故人の娘婿と孫世代になると、目の粗い麻の平織りのは無しで、鉢巻、頭巾に赤い丸印が付きます。
もう一段離れた孫の婿や曾孫世代はダークスーツ。
故人との近さが服装で直ぐ判るんですね。
装束は道教、仏教同じみたいです。
キリスト教のは知りません。

道教の場合は道士、仏教なら僧侶が大抵複数(3~5人)でなにやらお経のようなものを唱えながら、遺族に指図して、祭壇に礼拝をさせます。
それが1回や2回と違うんです。
香港の遺族は葬式の間かなり忙しいでっせ。
参列者はその間に、三々五々祭壇に向かって式場の人の指示に従って3拝し、遺族席に向かって1拝。
より念を入れたい時は、祭壇で線香に火をつけて3本供えます。
この線香が芯に椰子の軸や竹ヒゴが入ってて太くて長い、ホンデ滅法煙たい。 焼香はしませんなぁ。

ちなみに「3と7」が葬式につき物の数字やそうで、ラッキーセブンは通用しません。
年寄り(80歳位)で天寿をまっとうするとロウソクは赤を使います。
拝礼が済んだらそのまま帰ってしまう人も有りますが、会場内の椅子に座って、用意してある軽食や飲み物をいただきながら一寸時間を潰して、帰る時に祭壇に向かって3拝、遺族席に向かって1拝。
これで終了。

祭壇の傍らには小型の焼却炉?が置いてあって、あの世の暮らしで使えるように、紙製の家財道具、自動車、仕事に関連したもの、例えば海運関係なら船、事務系ならコンピューターなどと、「金が無いのは首が無いのと同じ」という香港らしく、あの世(冥界)で通用するお金、四角い紙の真中に切手位の金箔.銀箔をはったものを燃やして故人の元へ届けます。

最近は何が無くともクレジットカード(当然紙の偽物)、携帯電話(紙製)は絶対外せんそうです。
三途の川の渡し賃、六文だけを持って旅立つ日本とはエライ違いですなぁ。

さて次回はホンマに深水捗(シャムスイポ)へ行きまっせ。

2004/04/25

喜愛香港-052 深水捗-1

喜愛香港-目次


喜愛香港-050 香港の結婚式-7

2004-04-03 16:14:38 | 虚々実々-喜愛香港

大根餅のオジさんが呼びに来たんで自分のテーブルに戻ると、乳猪(小豚)の丸焼きがデ~ンと出てました。

昔は新娘(花嫁)が純潔やった印に、新郎側が結婚の翌日に猪(豚)の丸焼きを花嫁の実家に送る風習が有ったんやそうです。
お金持ちは、1頭と言わず何頭も赤い布で飾った豚を台に載せて、お神輿みたいに掛け声をかけて担いで行ったもんやそうで、それをご近所親戚にお裾分けしたんですて。
見栄えの良いでっかい豚で「どや!」とエエ格好するか、高級志向で乳猪で行くか、婚家の品定めのネタにされるから送る方も悩んでしまうわねぇ。
近所からお嫁さんが出ると「明日あたりは豚がくるぞ♪」と皆んな心待ちにしてたんやそうですなぁ。
そらもう、この時の豚は一世一代選り抜きの豚を腕によりをかけて焼き上げたもんやそうです。
これをお裾分けするのには気を使うたんやそうで、貰ろた方も、尻尾の先っちょとかケツのヘタとかやと、いかにも軽んじられてるようで気ィ悪いがな。
そうかいうて、三枚肉のエエ所は限られてるし、足もムカデや無いから4本しか無い。
お付き合い、親しさの程度を測られるとあって、ああでも無いこうでも無いと苦労したんやそうな。

お裾分けの配分に頭を悩ませているのは幸せな方で、万々が一、待てど暮らせど猪(豚)の丸焼きが届かんとなると一大事。
今更己の保護監督教育の至らなさを悔やんでも手遅れ。
ひょっとしたら返品を喰らうて娘が出戻ってくるやも知れん。
仮に当人同士が承知の上でそのまま無事に済んだとしても、面子を大事にするお国柄やから、真にもってご近所親戚に対して具合が悪い。
そんな時はこっそり自前で猪(豚)の丸焼きを頼んでお配りしたそうです。
再婚の場合は勿論豚は無し。
口の悪い連中に「あいつは豚代を節約しよった」といわれたもんんやて、辛いねぇ・・。

「今時そんな事を厳密にやったら、豚の丸焼を食べる機会は激減するよ!私メシの食い上げになるよ」
オジさん、そういう事を此席ではあんまり大声で言わん方が・・・。
「ゥエンは子供の時から知ってるがあんなエエ娘は珍しい。検査はしてないが純潔間違いなし。旦那は大威張りで豚を配れたねぇ。今時滅多に無い幸せ者や!ワシと一緒や。君等も大きな顔で豚を配れるお嫁さん貰えよ。その時は安うサービスしたげるでェ。」
ユム君間に入って通訳に難儀してますなぁ。

今は事実はどうで有れ、豚代の節約は許されんそうです。
特にレストランの中国料理披露宴には否応なしに出てくるんやて。
そら、打ち合わせの時に「実は豚は要りません」とは少々言い難いでっせ。
なんにも、メニュー決めるのに診断書が要るで無し、そういう至って微妙なプライバシーを公表する事は無いがな。
出るにはでるけど、予算によって、大きさ、オスメス、顔付き、肉付き、焼き方が全く違うんやそうで、今日のは飛び切り、非の打ち所が無い「天上第一號」やそうな。

そやからこれは言わば縁起物、何が何でも食べんと承知せんと言うんですわ。
「あんたは一番遠い所からわざわざ来てくれたんやから、最初に食べて」と言われても豚の尾頭付きでっせ。
言わば豚さんのいといけない幼児の焼死体・・・。
いくら生まれたてで小柄やとはいえ、4つ足の姿まんまで腹這いというのは、正月の睨み鯛より格段に迫力ありますがな。
どう細工してあるのか、顔がニンマリ笑ってるみたいなのが反って不気味やなぁ。
頭に齧り付くの論外として、何処から手を付けたらエエもんか?
何かお作法が有って、最初は鼻とか目玉からなんてのも困るねぇ。

すると大根餅のオジさんが腕まくりをしたかと思うと、テーブルに有った取り皿を手に持って、皿の縁をナイフ替わりにサクサクと切ってくれました。
それほど柔らかいんやろうけれど、素人が闇雲にやったんではこう鮮やかには捌けんやろうね。
切ったあとも、手足を広げてベテッと俯伏せになった姿はほとんど崩れてませんねん。
プラモデルを組む前に部品を並べたみたいな感じやなぁ。
さすがにお肉屋さんですなぁ。
皆んなが拍手で賞賛したら、大サービス、各々に取り分けてくれました。

丸ごとはカナワンけれど、切り身になって皿に載ると、コンガリと栗色に焦げた皮のテカリ具合といい、実に美味しそう。
見た目だけや無しに、まぁ、皮がパリパリで香ばしいし肉はフォワフォワ、脂っこくも無く、ホンマに美味しかったですなぁ。
既にエエ加減満腹でもすんなり食べてしもた。
「どう?」言うから「很好食!(ゴッツイ美味しい!)」言うたら、オジさん何処かへ行って、もう一ッ匹調達して来た!
そうは食えんよ・・・、て結局は食べたんですけどね。

大根餅のオジさんはお酒が廻って、ますますテンションが上がってるけれど、酔い崩れん所は立派ですねぇ。
見回しても日本でよく見るグダグダに酔うたんは居りませんなぁ。
何でやろ?皆さん途轍も無い酒豪ばっかりやろか?と訊いたら「酔いつぶれて醜態を晒すと面子が無くなる。面子を無くすと付き合いも商売も出来んようになる。」そうです。
日本の酒飲み諸君、見習わなあかんで。
韓国も日本みたいに酔うてクダ巻くのがタマに居てるね、あんたらも一緒に見習いなさい。

それにしても、猛烈に食べて呑んで喋って、このバイタリティは到底我々大和民族の敵う所やないね。

地べたや家屋、家財は一旦事が起こっても持って逃げられん。
お金なんぞは紙切れになるのは何度も経験済み。
美術骨董、宝石貴金属は取り上げられる恐れが有る。
金が出来たら、先ず美味い物を食べて、腹に入れてしまえばもう誰にも盗られん。
コッチのもんや、ざまぁ見ぃ♪

というのを聞いたことがあるけれど、じっさい動乱の歴史に鍛え上げられた食欲は筋金入りですなぁ。
亜熱帯から熱帯にかけては、つまみ食い文化というか、朝から夕方までしょっちゅう軽食、スナック的な物をチョコチョコ食べるんですねぇ。
ホンで夜に宴会でもあろうものならドカンと食べる。
それも香辛料タップリ、油ゴッテリのが多んでっせ。
「暑いと食欲が無くなる」などというのは上品ぶった温帯育ちの軟弱な輩の戯言で、そんな生チョロイ事を言うてたんでは生き抜けん。
我々のロクに鍛えられてない胃袋とは段違いに柔軟性と消化性能が優れているように思いますなぁ。
私の台灣、香港へのお土産のリクエストの上位にキャ〇ジン・ゴールド等の日本製胃腸薬が入ってるんです。
しかし、リクエストしてるお方は決して胃腸が弱いんや無い。
安心して心置きなく暴飲暴食をする為なんですなぁ。
食べる事に掛けての情熱と直向な心構えは見習うべきものが有りまっせ。

食べ疲れの喋り疲れ、で時計を見たら10時をとっくに廻ってますねん。
やっと締めの「功夫茶と甜点心」がが出てお開きになったのは11時過ぎ。
9時間でっせ、9時間!お腹は一杯やし、眠たいし、頭は完全にオーバーヒート。
自分でも何を言うてるのか判らんご挨拶をして、さぁホテルに帰って寝よ、あ~エラ・・・・。

地下鉄有るかいな?

2004/04/03

喜愛香港-051 香港のお葬式(殯儀)

喜愛香港-目次


喜愛香港-049 香港の結婚式-6

2004-04-02 16:13:46 | 虚々実々-喜愛香港

何やらよう判らん内にいとも簡単な開宴の儀が済んで、乾杯、ちゃう!飲勝、飲杯。
威勢良く「飲勝(ヤムセッ)!」
しかし料理の姿が見えんなぁ?
「食事は大体3~4時間ぐらい掛かるから楽にしてね」
3~4時間!?これはメシを喰うのにも体力要りまっせ。
うちのテーブルは当たり前やけれど私とカミさん以外は香港人。
皆さん段取りを承知してるから、飯に合わせて準備万端怠り無く元気一杯。
私等もう相当消耗してしもてるがな。

「これ直ぐ上のお姉さんのダンナサン」とマンサン君がスポーツシャツ姿の、いかにも威勢の良さそうな筋肉質のオジさんを連れてきました。
「直ぐ上のお姉さんて、蘿葡羹(ロォポォゴォ=大根餅)のお姉さん?」
「ハイハイ、ロォポォゴォ〇X△〇X△、マンサン〇X△ヤップン〇X△・・・」
オジさんニッコリ笑ってでかい声で機関銃みたいに話してくれるけど、大根餅とマンサン、日本以外は皆目判らん・・・。

関係をご説明すると、新婦の母親=マンサン君のお姉さんは長女で、沢山いてる妹弟の中で下から2番目の妹だけが香港に住んでるんです。
旦那は街市(市場)でお肉屋さん。
「弟(マンサン)が世話になって」と旧正月前には大根餅を作って送ってくれるんです。
デンマーク・クッキーの大きな空き缶に流し込んで蒸し上げたこの蘿葡羹が最高、天下一品。
具が沢山で、商売柄、風肉(フォンヨッ=臘肉、乾肉)が絶品。
しばらくは他所の大根餅が食べられんかった。
その旦那なんですわ。

そらもう香港の下町の活気が服を着て汗まみれで走り回ってるようなオジさん。
感が良いと言うか、コッチのインチキな廣東語を拾っては、何十倍も喋ってくれるんで、マンサン君の通訳が到底追い着きませんねん。
追い着くどころか、通訳してる最中も喋ってるし、マンサン君も逐一こちらに伝えようとするから話が周回遅れ。
オジさんは業煮やしてして、そこいら中の紙切れに書き殴って渡してくれるけど、その字が勢い良すぎて読めん・・・。

やがて出てきた前菜を見て息を呑んでしもた。
これは張り込んだなぁ!
ヨ~シこうなったら死に物狂いで食うぞ。
ところが、こちらが言葉に不自由なのも全く意に介せずに、周りから話し掛けてくるからその応対に大変。
大根餅のオジさんは、廣東人の鑑ですねぇ、男らしく食い、男らしく飲み、楽天的で陽気。他にも同じような人が揃ってるから賑やかというか騒がしいと言うか。
ウチのテーブルだけかと思えば全体にそうみたいですなぁ。
声がでかいし、隣のテーブルとも喋るから、会場内がワ~ンとしてますねん。

他のテーブルにいたユム君が彼女を連れて紹介しに来ました。
姓がウチの親父の名前と一緒!珍しい姓やなぁ。
それに色白であんまり香港人らしないなぁ?と思ってると、私を脇へ引っ張っていって小さな声で「実は彼女上海人やねん」
これはこれは、香港仔で生まれ育った香港人の中の香港人、香港人の標本として展示したい位のユム君としたことが何で又?
というのは、香港で話題がなくなったら、贔屓の粥麺屋と上海人の悪口を持ち出したら間違いなく盛り上がると言うほどですねん。
単純明快、サッパリした気性を好む香港人と、怜悧陰険で勘定高い評判のある上海人とでは合わんというのが常識みたいになってますねん。
話を聞いたら北角(パッコック)生まれやから、まぁ相当香港化した上海人ですわねぇ。
ちなみに、その後、無事彼女と結婚にゴールイン、男の子にも恵まれて、最近の写真ではユム君かなり中年ぶとりになってきてますなぁ。

大声で喋ってると食べる端から消化するのか結構食べられるもんですなぁ。
おめでたい「大極」の模様に盛り付けた二色のスープや、料理の盛り付けもいかにも結婚披露宴ですねぇ。
しかし止め処なく料理が出てくるねぇ。

おや?微妙にテーブルを囲んでるメンバーが入れ替わってるね。
そうか席が決まってるんや無いから、皆さん自由にウロウロしてるんや。
それでは私もと、腹ごなしにウロウロしてたらシュイちゃんが手招きしてるんです。
新婦の友達が集まってるテーブルで若い可愛い香港娘の展覧会。
「今までに私のパジャマ姿を見せたのはお父さんとこの人だけよ」
それは何ちゅう紹介のしかたやいな・・・。
しかしそれまで廣東語で盛り上がってたテーブルが、私等が混じった途端にパッと英語に切り替わるのには感動しましたねぇ。
折角英語に切替えていただいたのに、受け答えがシドロモドロですんませんねぇ。
大阪弁に切替えてもらえたら、ミッチリお相手させて貰うんやけどねぇ。

拍手が湧いたので見ると新婦がピンクのカクテルドレスにお色直しで登場。
いうても日本みたいにピンスポットでジャジャ~ンと出てくるのや無しに、極自然に何気なしに登場ですわ。
写真アルバムの思いっきり芝居がかった演出と、この披露宴のアットホームな雰囲気の落差は何なんやろ?
そう言えば司会者さえ居て無いんや!
新郎新婦はアッチのテーブルに呼ばれ、コッチのテーブルに引っ張り込まれで大変でっせ。

こんな長丁場を出ずっぱりで、ゥエンちゃん明日は1日ノビびてしまうで・・・。

2004/04/02

喜愛香港-050 香港の結婚式-7

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