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国についての妄言-8 説明と認識不足ちゃう? 続(再録)

2021-06-30 10:32:55 | 支離滅裂-妄言虚説

中山文部科学相が教科書の内容について言わんでもエエ事をいうて、ご近所の国が問題にしてますねぇ。
(再録時注:歴史教科書について「極めて自虐的」「従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当に良かった」と2004年に発言)
しかし何ですなぁ、公人という意識が乏しいねぇ。
それとも何か狙いがあるんやろか?あるんかも知れませんなぁ・・・。

以前にも書いたような気がするんですが、わが国ほど宗教に寛容な国は珍しいでしょうねぇ。
寛容というよりも、捉え方に真剣味が無いというか、舐めてる感じもしますなぁ。
何かでキリスト教(バブティスト派やったと思います)の人と話をしてたら「他宗教の儀式には参加すべきでない」というんです。

「ほんなら仏式神式の葬式はどうしますねん?行きませんのんか?」と聞いたら、参列はするけれど焼香とか玉串捧呈の宗教行為はせんそうな。
私など仏教徒(門徒)やけど、行った先がキリスト教でも何でも他の参列者の真似して同じようにしてますねぇ。
気が向いたら賛美歌も歌いまっせ、ホンマのキリスト教徒は異教徒に賛美歌を歌われると不愉快なんやろか?
それどころか、商売の神さんと聞けばヒンドゥーのガネーシャであろうが、道教の関帝であろうがお参りしてお賽銭上げるしね。

日本人の中にも「我信ずる宗教イノチ、異教徒に天罰を」てなお方も居てはるんでしょうが、幸いな事に身の回りには見当たりません。
そうそう、一人だけ居てましたわ、姪っ子の結婚相手がイスラムでこの間はラマダンやってましたねぇ。
これなんぞは知人親戚の中で一番宗教的な部類に入るんですが、本人に言わせると国では話に成らんほど不熱心なイスラムらしいですわ。

自分だけカンカンになってる分にはエエんですが、要らんお世話で「救ってやろう」等と標的にされたら一大事ですなぁ。
「善を為している」という信念の基に絡み付かれたら、そらもぉ大変でっせ。

人の心に平安を与える為の宗教が、世界中で殺し合いの原因になっているのを見ると、ああいう組織化されて徒党を組んだ宗教は、争いの根源の一つで、百害あって一利の無い物に思えるんですよ。
残念ながら、宗教の力で紛争や戦争が終結した例を知らんのです。
ここでいう宗教にはある種の政治的な主義も含まれますなぁ。
某朝鮮民主主義人民共和国の”民主主義”と称しているものなどは宗教としか思えんもんねぇ。

日本の場合、一般的には先祖の墓参りや初詣を宗教活動とは意識してないのとちゃいますか。
あえて宗教を避けはせんけれど、気の向いたときに生活のメリハリ、薬味程度にお付き合いするという方が多いと思うんですがねぇ、どうですやろか?
若い連中など自分の家の宗派を知らんのが幾らでも居てまっせ。
偉そうにいうてるけど、わたしも勝手な解釈の門徒で、法恩講など行った事も、行く気も無いんですがね。

靖国神社も繰り返し問題になってますが、アレは墓参りの一種ですやんか。
根底に流れているのは、如何なる罪咎も本人の一代限り、本人があの世へ行ったらそれでお終い。
「生きてた時に何をしようと、誰でも死んでしもたら神様仏様やんか。死んだ後までゴジャゴジャ言いなや。」という感覚やないでしょうかねぇ。

死者に対する感覚の相違、神とその容れ物とでもいうべき神社の多様性、このあたりをよく説明すれば、納得せんまでも相当風当たりは違うと思うんですがねぇ。
ところが相手はそこいらへんは察していても攻撃非難のネタにして、外交的なポイントを稼ごうと掛かってます。
そこへもって、不純な政治屋が何かの為にスタンドプレーして、神経を逆撫でするから余計話がややこしなるんでっせ。

韓中朝以外の国では、内心不愉快に思っていても、あそこまで問題にしないのは何故でしょうね?
中華民国(台湾)、フィリッピン、旧インドシナ3国、タイ、マレー、皆んなに迷惑を掛けましたけどねぇ。
それこそ、海洋民の血やろか?

勝者が敗者を裁いた東京裁判を頂点とする第二次大戦後の戦犯裁判が、果たして正当であったのかも問題ですなぁ。
特に、現地で裁かれたBC級戦犯については冤罪や個人的な恨みによる告発も多かったようですしねぇ。

東京裁判でのインドのパール判事の少数意見や、サンフランシスコ講和会議においてインド、パキスタン、セイロン3ヶ国の代表として日本を弁護したセイロン政府代表団長、ジュネーブの人権委員会で日本の「過去」の問題が取り上げられたとき、英国の植民地時代の行為を例に引いて論陣を張ったインド出身の委員などの発言内容を「過去の清算」を声高に叫んでいる人達に一度じっくり読んで貰う訳にいかんのですかねぇ。

それよりも、日本の学校でそういうことをちゃんと教えてるんかいな?
少なくとも私は習わんかったような気がするなぁ。

2004/11/29:初出(旧OCNホームページ)
2021/06/30:再録

国についての妄言-7 ⇔ 国についての妄言-9


国についての妄言-7 説明と認識不足ちゃう?(再録)

2021-06-27 09:15:43 | 支離滅裂-妄言虚説

このところ(注:2004/11頃)、お隣の韓国や中国という鏡に映った日本を見ながら思うんですが、我祖国は実に面白いエエ国ですねぇ。
島国と言うのは捨てたもんやおませんなぁ。
ちょっと狭いけれど、庭付き一戸建ち。
仮に大陸と地続きやったら、遠の昔に消し飛んでるやろうし、それどころか国そのものが成立してたかどうか?
これで中央、地方行政官庁やそこに巣食う政治屋、役人がもう少し何とかなってくれたらなぁ。
贅沢を言うたらキリがないですねぇ。

国際化がすすむと、我祖国の美風は廃れる一方、良い所は減って厭な悪い所が増えて来ると心配している向きもあるようですが、それには永~い年月が掛かり、その間には新しい美風が生まれるでしょう、というのは楽観的過ぎるやろか?

確かに昔(私の小学生時代)は電話のある家は少なく呼び出し電話、風呂も貰い湯と称して他所のお宅で入れてもらったり、とプライバシーは限りなく無かったですねぇ。
隣のオカズから財布の中身まで知っているような、度が過ぎて気心の知れた、まるで自分の家の延長みたいな路地や町内は急速に消えつつあります。
もう消えてしまったかな?
しかし、よりプライバシーを大事にする方向に形を変えた地域社会が生まれてるのと違いますかねぇ。
所詮、人はバラバラでは生きて行けません。
昔の極短い距離だけで括られていた狭い地域社会が、その枠を広げて新しい形を模索している過程だと思いたいですねぇ。

これは、家庭内から国際的な国同士の付き合いでも同じ事やと思うんです。
特に国同士、異なる文化圏に対しては、いままで表層的な文化を紹介することはあっても、自国の一般的な価値観、宗教観を含む文化の基盤とでも言うような事柄を説明し理解して貰おうという努力が手薄やったのと違いますかね?
相手国を理解する努力は同じように必要であることは勿論です。

それ以前とでもいうべき問題が、何時までも繰り返される、過去の清算論議です。

韓国とは1961年の「第5回日韓会談予備会談」の「一般請求権小委員会第12、13回会議」で補償問題が討議されています。
この時、韓国政府は、労務者、軍人、軍属、徴用で動員された被徴用韓国人の生存者、負傷者、死亡者、行方不明者の肉体的・精神的苦痛への補償金の支給を請求しました。
そして、韓国政府は「日本政府が提案した韓国人犠牲者個々に対する補償の直接支給方式」を拒否、「韓国政府が一括して補償金を受け取って支給する方法」を要求したんですねぇ。
65年の日韓協定締結後、日本政府は約5億ドルの補償金を支払ってるんです。
(私、丁度この頃に船員やってて、韓国へ何度か行ってたんですわ。)

ところがその5億ドルの補償金は、実際には個々の韓国人犠牲者に支給されなかったんです。
これが、揉め事の元になってるんでっせ・・・。
当時の朴正熙(パク・チョンヒ)政権はその資金を浦項(ポハン)製鉄や京釜(キョンブ)高速道路の建設に充当したんですね。
その後1970年代になって軍人・軍属の死亡者約8000人への補償は実行されたのですが、被徴用韓国人に対する補償はついに行われず終いです。

こういう事情は韓国国民には全く知らされておらず、現政権が維新政権時代を批判する中でやっと表に出てきたんですね
日本が謝罪も補償もしないという「知らされていなかった為の錯誤」を韓国政府は愛国=反日教育に生かそうと意識的に放置していたんです。
日本のマスコミはそういう事情を知っているにも関わらず、一緒になって「日本政府はケシカラン調」の記事を書いているんですねぇ。

中華人民共和国の場合など、なぜ今までの経過を踏まえて、ちゃんと説明しないんのか不思議でなりません。
言いがかり嫌がらせの為に蒸し返しているのを、政略的に中共政府が容認しているとしか思えません。
別に機密でもなんでもない、当時の新聞に掲載された共同声明を読めば、謝罪も清算も済んでいるのは明らかです。
まさか中共と日本で、国内向けにそれぞれ違う内容の共同声明を発表したなんて事はないでしょうね?

遺棄された生物化学兵器等の当時認識されていなかった事柄の処理は、その都度適切に人も費用も負担して行っています。
仮にしなかったら大問題になって、大騒ぎになります。
時代背景がどうであれ、日本が他国を侵略したのは事実ですし、当時としてはやむをえない事情が部分的にはあったにせよ、どう強弁しても正当化出来るものではありません。
それにしても、中共も中共なら、日本も日本でっせ、もう大概聞き飽きて厭になって来ましたねぇ。

1972年に日中(中華人民共和国)は国交を正常化しています。
個人的には、国交正常化のために中華民国(台湾)と断交したのは全くの誤りである、と思っているんですがそれは又の機会に。

ともかく、共同声明では「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」となっているんです。
これが謝罪でなくて何なんです?
仮に「謝罪」という文言が無い、というのを問題にするのであれば、毛沢東主席も周恩来首相も一体どう言う積りで、謝罪もしない国と国交を正常化する調印をしたんでしょうか。

まして、戦争賠償の請求も放棄したんです。
これは何も日本側が戦争賠償を拒否したのではありません。
日本の謝罪と反省が充分であると感じたからこそ、請求を放棄したんです。
実のところは、中華民国が賠償請求権を放棄しているからには、面子に掛けても請求出来なかったんです。
中華民国との間の話は長くなるのでいずれ又。
(またの機会が多いですなぁ、相当溜まってしもたねぇ・・・)
その代わり、賠償という言葉こそ使っていませんが、確りと経済援助や借款を獲得しています。
国交回復という国家にとって重要な事を、内外に内容を知らさずに、当事者だけで隠密裏にコソコソと出来よう筈もありません。

共産化していても大義名分、面子と建前を大事にする国です。
1972年といえば、まだ抗日、共産革命第一世代が政府の、党の、軍の中枢に頑張ってた時代ですよ。
いかに毛沢東のカリスマ性が偉大でも、周恩来の智謀が優れていても、謝罪も反省もしていない日本と国交を回復することを中共国内に納得させられた筈がありません。
例え内実は日本の経済援助が何としても欲しかったにせよ大義名分、面子と建前を捨てて妥協したのでは政治生命どころか本物の命さえ失ったでしょう。

問題は、日本人でも国交正常化の内容を知らない人が多く、中共国内に到っては全くと言っていいくらい認識されていないことなんですね。
その知っていない連中が「謝罪も反省もしない」と声高に叫ぶのを中共政府は放置するどころか、外交圧力に使ってるとしか思えないですねぇ。
「大義名分は大事にしていても、信義はぶち投げたのか?」と悪態をつきたくなります。
こうなると、人民に知らせることを故意に怠っているというよりも、隠しているとしか思えません。

中共の一般市民や学生に「国交回復時に当時の中共の指導者が戦争賠償の請求を放棄した」などと言えば、嘘つき呼ばわりされて袋叩きに遭いかねませんよ。
公式的に言われている「侵略戦争は日本帝国主義が起こしたので日本の人民が悪いのではない」「日本帝国は敵であったが日本国は友人である」てな事は中共人民の誰一人思っていません。
マイクを突きつけられて喋っていることが本心などと思うのは大きな間違い。
そんな状況で、本音を言えるのは脳天気な日本人ぐらいのもんです。
今の日本=過去の侵略者、中華の辺境の東夷の成り上がりで「小日本(シャオルゥペン)」そらそうですわねぇ。

ところが、個人対個人になるとこれは話が全く違ってくるのは韓国でも同じ。
心が通じる友人同士になれるんですねぇ。
小難しいことを言わんでも、お互い個人的なつながりが増えてゆけば、違いを認め合った上で仲良く出来るし、相手の国を見る目も変わってくると思いますなぁ。
そうなると、韓国が怪しからん、とか中共がムカつく、てなアホの似非右翼みたいな皮相的な事を言えんようになるでしょうねぇ。
これこそが国際親善の根っ子やと思うんですが、中々そうも行かんようです。

中国共産党機関紙「人民日報」馬立誠元高級評論委員によれば、「1972年の国交回復以来2001年までの期間に、日本政府は戦争問題で中国に21回謝罪している」そうです。
ここに全部羅列するのはあんまりなんで最初と最後だけをご紹介します。

先ず第1回目1972年9月29日の日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明で日本国内閣総理大臣田中角栄は「日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し,深く反省する。」と言っています。
21回目は2001年の秋に日本国内閣総理大臣小泉純一郎が北京の「中国人民抗日戦争紀念館」を参観した後「侵略によって犠牲になった中国の人々に対し心からのお詫びと哀悼の気持ちを表明する」と言ったんですね。
お詫びと言うのは間違いなく謝罪と同義語です。

北京に限らず「中国人民抗日戦争紀念館」は愛国教育(=反日教育)に大きな役割を果たす施設です。
当然展示内容も淡々とした事実の展示ではなく、いかに中国人民が正義で日本が悪逆無道であったかを宣伝する為のものです。
参観は中共のお膳立てでしょうが、当事国の首相をわざわざそういう施設に案内するというのは如何なる神経で何の意図があったんでしょうねぇ。
まぁ、彼の事ですから心がこもっていたかどうかは知りませんが、謝罪した事に間違いはありません。
その後今日までの3年間にも何度か同じような事を言っている筈ですなぁ。

人民日報に全面広告で、1972年の国交正常化共同声明の全文を何の説明も加えずに載せればどうでしょうねぇ。
靖国問題で突っ張っているよりも、お互い自国の国民に事の経緯をキッチリ教え説明し、是々非々を明らかにする事が先決やと思うんですがねぇ。

2004/11/16:初出(旧OCNホームページ)
2021/06/27:再録

国についての妄言-6 ⇔ 国についての妄言-8:近日再録予定です。


国についての妄言-6 教育の第一目標(再録)

2021-06-19 08:57:18 | 支離滅裂-妄言虚説

もう一つ、今度は教育です。
我々が当然と思っている事が、実は当然では無いんですねぇ。

他人に迷惑をかけることは、日本人が社会生活で最もタブー視していることのひとつだ。
他人に面倒をかけ、気を使わせ、煩わせることは全てこれに該当する。
幼稚園の時から教育の第一目標は「人に迷惑をかけない子どもにすること」だ。
ある人が雪崩に遭い渓谷で遭難し、辛くも救助された。
この人が最初に言った言葉は「助けてくれて感謝する」ではなく「迷惑をかけて申し訳ない」だった。
死んでも他人に迷惑をかけないという心の底には、他人が迷惑をかけるのも絶対に容認できないという考えがある。
これが日本という共同体を維持する人間関係のルールだ。
自分の感情を自由に噴出でき、人の考えにも自由に干渉できる韓国ではなかなか見られない風景だ。
金泰翼(キム・テイク、韓国朝鮮日報論説委員)

こういうのを読むと逆にビックリしますなぁ。
「人様に迷惑を掛けない」これは大事な事やと思いますがねぇ
教育の第一目標は「人に迷惑をかけない子どもにすること」だ、てそれは躾以前の問題というもんで、当たり前とちゃうんかいな!と思うんです。
まぁ、最近は情け無い事に、当たり前とも言い難いんですがね。
最低限「人様に迷惑を掛けない」人間に育ってくれ、その上で人の役に立ち、人を助けることができれば万々歳、これに越した事は無いと、日本の親は皆んなそう思って子供を育ててきたのと違いますか?
だからこそ、仮に何かで我が子が世間を騒がせたら、親としては育て方に到らんところがあったのを詫びて「ご迷惑をかけて申し訳ない」と世間に謝るんですよ。

ほんなら、一体そちらは何を第一目標に躾るのか?と訊くと、勿論、人様に迷惑を掛けても良いとは思わないが、それよりも大事なのは「孝を尽くし、幼長の序を守る」やそうです。
なるほど、儒教の教えですねぇ・・・。
今でも政府や地方自治体が「孝子」を表彰したと、時々新聞にも載っています。
しかし、最近はその大事な躾が出来て無くて親不孝者が増えたと、嘆いておりました。
いずこも同じですなぁ。

「死んでも他人に迷惑をかけないという心の底には、他人が迷惑をかけるのも絶対に容認できないという考えがある。」う~ん・・・、改めて言われるとそういう所は確かに有るねぇ。
しかしそれがそれほど奇異に感じられるんでしょうかねぇ?

そういえば最近相前後して起きた同じようなテロ事件でも「自己責任」云々という論議は韓国ではほとんど無かったようですなぁ。
両親兄弟が「どんな事をしてでも助けてくれ」と悲鳴、いや絶叫のような談話を出してましたね。
周囲は勿論、マスコミも「もっともだ、その気持は良く判る。政府はもっと頑張って救出の努力をせよ。」という論調でしたね。

ところで「絶対に容認できない」と言っても、親の謝罪をマスコミなどが無理やり引き出すのは賛成できませんねぇ。
そういうのはあくまで自発的にされるべきで、ニュースのネタにする為に攻め立ててコメントを取るのはむごい仕打ちでっせ。
それ以上に、親に非難の手紙を書いたりするのは、言語道断、けしからん馬鹿者だと思います。
しかも匿名でとなると、何をかいわんや、馬鹿の上に卑怯が被さった人でなしですなぁ。

勿論、日本でも親の気持は同じだと思います。
しかし、ストレートに嘆き悲しみ泣き叫ぶことが出来ないのは「世間を騒がせて、迷惑を掛けた」という気持と、見苦しい態度は見せたくない思いがあるからなんでしょうね。
そして口に出せないその気持を慮って周りの者は同情し涙する、と言うのが日本ですわねぇ。
そういう「言わず語らずの内に」と言うのは全く理解出来ないそうです。
「健気に悲しみをこらえる」等という文章は翻訳不能かもしれませんなぁ。
言わず語らなければ「それは思っていないことと同じで、一体回りの者はどうして心の内を知ることが出来るのか?」というんですよ。

胸をたたき、髪を引き毟って、慟哭号泣して悲しみを表すのが普通で、周囲もそれを期待しているんだそうです。
ついにはそれが形式化して「泣き女」等という職業があった(今もある?)んですね。
悲しみを堪えていると、逆に「情を知らない、一体暖かい血が流れているのか!」と非難を浴びるらしいですねぇ。
葬式での揉め事のなかで「誰々は悲しみ方が足りん、怪しからん!」というのがかなりあるそうです。

あまりの悲しみで放心状態、涙も出ないと言うような事は認められないんですね。
判りやすく態度で表さないと非難の的になって、いかにそれまでつくしていても、下心があったからだろうとか、世間体が有るから。そういう振りをしていただけだったのか、と決め付けられると言うのですからたまりませんなぁ。
金日成(キムイルソン)氏の告別式で、弔問者の悲嘆にくれる程度で忠誠度を測り、泣き方が足りないと「怖~いこと」になるので皆必死になって泣いた、というのもあながち面白おかしくでっち上げた話とも思えないのが恐ろしいですなぁ。

人の考えに自由に干渉する事が良しとされている社会というのも、さてどんな具合なのか?
一杯飲み屋で議論が始まると、客はもとより、店の親父、はては通り掛かりの連中も参加しての大討論会になることがままあるそうです。
そういえば、市場での口喧嘩にしても、それぞれが見物人を味方に引き入れて、大騒ぎになっているのを見掛けましたなぁ。
こうなると、儒教云々というような簡単なことでは説明が付きませんねぇ。

日本人同士でも誤解や揉め事が起きるのに、これほどの違いを持っってしまった国を併合して、異なる文化を押し付けたんでは深刻な軋轢は起きて当然です。
それも儒教の本家本元がモンゴル、ジュルチン(女真)と蛮族視していた民族の支配を受け、気が狂うような煩悶の中で儒教の正統を守ったという意識があります。
まして日本に対しては文化面では常に教える側であったことを誇りにしていた国です。

儒教の幼長で言えば、己は師で「長」、日本は弟子で「幼」だと思っていたのに、「文禄、慶長の役(壬申倭乱)」で逆順の侵略を受けたんですねぇ。
有ろう事か近代になって、十九世紀末の李氏朝鮮が国としては既に破産状態であったにせよ、又もや日本の植民地にされたのでは誇りは木っ端微塵、粉々に砕け散った事でしょう。

最初に戻って、今に到るも「他人に迷惑をかけないことを、最も重要視している」筈の日本に、迷惑どころか災厄を与えられ、それに抗し得なかったという無念さ、腹立たしさは大きいでしょうねぇ。
加えて自力で日本の植民地からの開放を果たせ無かっただけに、砕かれた誇り、踏みにじられた意地を回復できず、モヤモヤした物が残ってしまったんですね。
残念ながら、日本への恨み辛みが何時までも澱(オリ)のように残っているのも頷けますなぁ。

歴史に「もしも」は禁句というけれど、果たして日韓の立場が逆転してたらどうだったんでしょう?

2004/11/15:初出(旧OCNホームページ)
2021/06/19:再録

国についての妄言-5 ⇔ 国についての妄言-7

 

 


国についての妄言-5 日本社会に偏見はない?(再録)

2021-06-18 09:12:17 | 支離滅裂-妄言虚説

韓国中央日報と言えば、朝鮮日報、東亜日報と並ぶ全国紙です。
そこに芸能の面から見た日本の記事でこんなのが掲載されてました。

日本を訪問し、それら(=文化の多様性)を観察しながら得た最も大きな所感の一つも、日本社会の「偏見のなさ」だった。
日本で最も成功した歌手は、何といっても桂銀淑(ケ・ウンスク)だ。
日本歌謡界のトップスターになった韓国歌手。
ケ・ウンスクという韓国名を使う同氏を軽く受け入れたのは、日本にせこい偏見などはないとの意味なのではなかろうか。
(中略)
(日本は)われわれを余裕に見下ろしながら、良いものは全部取っていこう、との構えだ。
それなら、韓国に残るものは何だろうか。
ひょっとすると、それが「独りぼっちの韓国」の歪んだ肖像の下に残された文化貧困の現象ではないものか、少なからず懸念される。
趙英男(チョ・ヨンナム、歌手、韓国中央日報)

これ又意外な意見ですなぁ!
てっきり「日本は外国人(特に韓国朝鮮人)を偏見を持って差別している」と言われるかと思えば、まるっきり逆ですねぇ。
日本社会に「せこい偏見などはない」と感銘を受けるということは、韓国社会は我々が想像できないほどの閉鎖的な面をもっていると自覚してるんですね。

そう言えば韓国のテレビでは日本語の歌を、例え韓国人でも歌うことができないんですねぇ。
最近はライブで歌うのは解禁されたと言うことです。
数ある外国語の歌が全部駄目なのかと言えば、そうではなくて日本語だけがそういう扱いを受けてるんですね。
ところが中高生は、日本のアイドルの歌の歌詞をハングル文字で書いて、一生懸命覚えてるんです。
そういうのを見るとホッとしますなぁ。

国内のマスメディアをいくら規制指導しても、衛星放送やWebもありますし、為政者にとってはやりにくいことでしょうねぇ。
ただし、韓国国内のプロバイダーから北朝鮮のサイトへは接続遮断、というような強硬な措置を政府がとっています。
それにしてもその気になれば完全には防げませんよねぇ。

それに「良いものは全部取っていこう」といっても有形の文化財ならばともかく、統治時代でも消せなかったんですから、無形の文化は消そうとしても消えないと思いますがねぇ。
「文化貧困」を懸念するのは全くの杞憂だと思うんですが・・・。

李承晩(イスンマン)から盧泰愚(ノテウ)までの時代は、「文化侵略」を防ぐ目的で、日本文化が韓国で紹介されるのを厳しく統制していましたねぇ。
「文化侵略」などという言葉は如何にも被害妄想的な感じがする、と思うのは偏見でしょうか?
特に朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の頃は印刷物は一切持ち込み禁止でした。
同じ頃中華民国(台湾)も日本の印刷物の持込を禁じていました。
これは、所謂共産主義に関した物や、当時の政権にとって都合の悪い情報を遮断する目的だったそうです。

ところが、九州の放送局の電波は済州島、光州、釜山、蔚山辺りでははっきり届くんです。
これは釜山に入港していた時も、NHKの気象通報を船のラジオで聞いて天気図を書いていたから間違い有りません。
当時30代の人々は、植民地時代に日本語教育を受けていますから放送内容を理解できるんです。
印刷物だけを規制したところで大して効果は無かったと思いますねぇ

船員として40年前初めて上陸した時に税関で厳しくチェックされて、全くそういうことの無い国で育った私は、初めて実は日本というのは自由な国である事に気付いたんです。
船にやって来た釜山の船舶代理店の金さんが、食堂に置いてあった古い週刊新潮を読みふけっていたのを思い出します。
別に目くじらを立てるほどの危険思想が書いてあったとは思えないんですがねぇ。

金大中(キムデジュン)で少し緩まって、今の盧武鉉(ノムヒョン)になるとかなり開放された感じがします。
しかし依然として規制は残ってるんだそうです。

今も残る反日感情は愛国教育の結果であって「こんな物は交流が活発になればいずれ消える」てな事を思うのは前回の「意地とアッサリ」にも関連する執着の無さで、先方にすれば理解できないのかもしれませんなぁ。

確かに、わが国は芸能にかかわらず、料理や行事など何処の国の物でも取り入れてます。
前回でグダグダ書いた将棋もそうですが、そのまま丸ごと取り入れるのではなく、都合の良い部分だけを取り込んで微妙に醤油味にしてしまうんですねぇ。
エスニック料理などはその最たるもので、真面目に本場の味に拘っていると大規模展開など出来ないどころか、早晩その店は潰れること間違いなし。
もしくは本場の味に拘るマニアックな客だけを頼りに、それこそ路地裏営業で頑張るかでしょうなぁ。

是は何も日本に限った事ではなく、海苔巻は韓国の遠足のお弁当の定番です。
韓国風にアレンジされて酢を使ってないので、見た目はそっくりでも味はかなり異なります。
名前もキムパッ(プ)と韓国風、名前は同じオデンでも見た目がかなり違うのと逆ですねぇ。
ただ、海苔巻は韓国が元祖で日本はそれを真似たんだ、と思い込んでいるあたりが、日本での韓国料理に対する認識と大きな違いですね。

風俗習慣でも、ものの見事に面白い楽しい部分だけをためらいも無く受け入れてます。
世界中の風俗習慣で金儲けのタネになりそうなものは、原型をヒョコ曲げてでも商業ベースで味付けして商品化するのは見事としか言いようがありません。
日本のクリスマスをみたらキリスト教国の人間は腰を抜かしまっせ・・・。
是は偏見の無さというよりも、節操の無さではないかとおもうんですがね。

北方騎馬民族もチャランポランな南方海洋民気質に染まってしまったんでしょうか。
それとも文化の伝播の行き止まりで、唐渡り、舶来を珍重してきた長い歴史に培われた、海の向こうからのものに対する憧憬が、未だに有るんでしょうかねぇ。

2004/11/13:初出(旧OCNホームページ)
2021/06/18:再録

国についての妄言-4 ⇔ 国についての妄言-6

 

 


国についての妄言-4 「意地」と「あっさり」(再録)

2021-06-12 18:38:45 | 支離滅裂-妄言虚説

奈良時代までの古代日本については、学術的に掘り下げたのや、歴史小説風(historical novel、fantasy?)の素晴らしいサイトが無数にあります。
今更私如きど素人が中途半端に生半可な事を書くのは気が引けますねぇ。
と言いながら、話の都合上、臆面も無く書くんですなぁ・・・。

六世紀初頭頃までのヤマト(日本)の姿は、国といっても有力な豪族が各地に勢力を張り、それらの豪族連合の承認のもとに天皇が据えられていたようです。
その豪族連合のヤマトも日本の一部をやっと支配下においていた、というのが奈良時代以前の日本であったと思います。
天皇などという呼び方は記紀が編纂された八世紀頃になってから出てきたようで、それまでは王や大王などの呼び方もあったようですが、はて実際どうだったのかは不明です。

それらの王や大王にしても、字面からの印象とは異なり、所謂専制君主では無かったようです。
中には専制君主たらんとしたらしい雄略(オオハツセノワカタケ)のような王もいたらしいのですが、ほとんどの場合軍事力はイクサノオミ(戦の臣)達が握っていて、天皇一本にまとめられて居らず、どちらかと言えば祭祀者としての色合いが強かったような印象を受けます。

国としての意識が高まった六世紀まで韓半島での拠点を有していたらしいヤマト(日本)は、七世紀の百済救援派遣軍の大敗、それに続く百済滅亡という衝撃を受けます。
百済王族、遺民を主として、依然として大陸からの流入は続いていたものの、拠点を失った日本は海で隔てられているのを頼りに、独自の国としての道をとり始めたようです。
韓半島の倭の上にツングース系が被さった古代韓半島南部の国々は、北方系の新しい統治者の文化と、陸続きで圧倒的な落差と圧力で流入する唐の中国文化に抗し得ず、倭の習俗はごくかすかな名残をとどめるに到ったのだと思います。

その点、一衣帯水とはいえ、大陸と海で地理的に切り離されていた事が防壁となって、絶妙のフイルターの役目を果たしたんではないでしょうか。
現代の東南アジアとも数多くの共通点を残す日本の斑模様の文化が育ったのは、海が大きな要素であると思いますねぇ。

千数百年前までは共通の、というよりも同一の文化基盤を持っていたであろう韓国では、現代の両国の違いをどう見てるんでしょう?
最近目に付いた物を幾つか引用してみます。

韓国人と日本人の社会心理的特性を、「意地」と「あっさり」に区分した文明批判家がいる。
韓国人は慇懃と根気が意地として発動し、簡単には敗北を認めないのに対して、日本人は割腹で立ち向かっていても、一度屈服すればそれで終りということだ。
日本が韓国の独立運動をそのように悪辣に弾圧したのも、韓国人の意地に対する反感かも知れないという解釈もある。
逆説的には、もし日本がインドを統治したなら、ガンジーの「無抵抗主義」は決して容赦されなかったはずだという話もある。
呉明哲(オ・ミョンチョル、東亜日報論説委員)

「意地が強い」「意志が強い」と並べると判るように、現代日本では「意地」と言う言葉は「意志」と違ってあんまり良い意味では使われませんねぇ。
「意地が悪い」とは言いますが「意地が良い」というふうには普通使わないですなぁ。
その癖「お前には意地が無いのか!」などと非難されることはありますがね。

第二次大戦後日本に進駐した米陸軍の第一陣は、ゲリラ攻撃を懸念して実弾を込めた武器を手にしていました。
沿道でニコニコ笑って即製のアメリカ国旗を振る日本人に、言いようの無い気味悪さを感じ、本当に抵抗の意思が無く、進駐を歓迎しているとわかるのにかなりの時日を要したといわれています。
特攻攻撃や斬り込み攻撃の激しさとのあまり落差に、果たしてこれが同じ大和民族なのか、この変わり身の早さは一体どう言う理由(ワケ)か、と頭を抱えたのも無理はありませんね。

基底とする文化が全く異なる欧米が日本(人)を理解しかねるのは、ある意味納得できなくもありません。
しかし、韓国でも同じように見ているようですねぇ。
この「アッサリ」が理解できないと「面従腹背」とみえるんでしょうなぁ。
狡い、信用できない、反省をしていない、などの批判もこのあたりから来ているんでしょうか?

このあたりの感覚の相違はチェス、象棋、将棋のルールに現れてるような気がするんですよ。

時々阪急中津駅で降りて、梅田をショートカットしてJR福島駅から大阪環状線に乗るんですが、関西将棋会館がJR福島駅の直ぐ近くにあります。
まだTVという物を見ていた頃、某国営放送局の朝の連ドラ「二人っ子」によう出てきてました。
将棋はインド辺りが発祥の地、と言われ東西に伝わって、中国(象棋)、西洋(chess)となったそうです。
日本には第二九代欽明天皇(539~581)の頃伝来したそうで、年月と共にチェス、象棋、将棋、それぞれコマの種類、形、細かい動きに差が出来たんですねぇ。
中国象棋についてはここで簡単に紹介して居ります。

チェスでは駒その物の色が、中国象棋でも文字の色が敵味方で分かれています。
日本の将棋の駒は「王」と「玉」が違うだけで、他の駒は全く同じで見分けがつきません。
敵味方の違いは置かれた駒の向きだけ。
もっとも大きな違いは、日本以外の国では、一旦捕虜になったら、二度と戦闘には参加せんのです。
そこで下手同士の勝負では、盤面に駒が数個になってしまい、お互いにどうにもならん、てな場面が出現します。

現実の戦では洋の東西を問わず、個人の武勇と力量を認めたら、例え元は敵でも重用して使った例が仰山有ります。
又、己の武勇を発揮出来るのであれば、陣営を変えることを躊躇せんかったようです。
中国の文天祥や鄭成功のように、あくまで誘いを断った人物は珍しかったからこそ、廟に祀られ語り継がれたんでしょうね。
文天祥が戦った元軍も、鄭成功の相手の清軍も、夫々第一線に立ったのは宋、明の軍を取り込んだ軍勢で、いわば昨日までの味方と戦ったんですね。

元にしても清にしても、中華意識をもった漢民族にとっては塞外の蛮族です。
化外の蛮族に中華の意地を見せて立ち向かった愛国者の代表的なこの二人は、いわゆる中華の真髄である中原(河南省・山東省西部・河北省と山西省の南部・陝西省東部)の出身ではなく、文天祥は古くは南蛮百越等と呼ばれていた江西省(江南)、鄭成功に到っては日本の平戸生まれの日中ハーフです。
傍流の方がより先鋭的であるというのは意外に良くある話ですなぁ。

中華、中華言うて、漢民族がドンだけのもんやねん?などと言い出すと話が縺れるからそれは置いといて。
本家本元の連中が「蛮族相手に名分を問題にしてもしょうがない、それよりも内側から中華に染めてしまおう」といち早く隷属し、いわば正統でない連中が「相手が蛮族なればこそ、名分の何たるか、大義の重さを示さんとイカン」と思い、敵味方に分かれて戦ったんですねぇ。

日本でも戦国時代位までは、どっちかいうとあまり名分を重視せず、己の武勇を発揮でき、それが認められるならば、いとも軽々と陣営を移っていて、それが当たり前やったみたいですなぁ。
一族郎党引き連れて敵軍に移籍、てな事がごく普通に行われて、それを不道徳であるとか武士道に悖(モト)る、等と非難するという感覚はあまり無かったようです。
プロスポーツの競技者の移籍感覚が近いような感じですなぁ。

戦場での勇者となれば、当然敵の何人かを討ち取ってるでしょうし、新たに参加した陣営にその討たれた者の縁者が居る可能性は十二分にあったでしょう。
ところが戦場での正々堂々の戦いによる死は武士の名誉で、相手を恨むとか、仇と付け狙う事はほとんど無く、その代わり正々堂々でない騙し討ちや謀略などで殺された場合は、何としても仇を討って名誉を守る事が善しとされていたんですね。
もっともこれは武将クラスの話で、下っ端はそうは行かんかったでしょうなぁ。

個人の武勇が戦の勝敗を決めた時代から、集団戦の時代になると途端に堅苦しい「忠」が這いずり出てきて、どうもいけませんねぇ。
親分が配下を引き連れての降伏も困るけれど、集団戦の立役者の雑兵がワラワラと降伏したり逃げたんでは収拾がつかん。
そこで、押入れの奥から儒教を取り出して来て、胡散臭い「忠」や「義」てな物が喧しく言われだしたんやないでしょうかねぇ。
三百年以上ネズミや有るまいし「忠、忠」と言うて来たのに、儒教が日本の庶民の骨にまで染み込んでなかったのは、鳥羽伏見の戦いで、畿内から駆集めた雑兵が、大砲のドンという音で、瞬く間に四方八方へ逃げ散った事でも判りますねぇ。

将棋のルールが儒教風に変わらなかったのは、根強い土俗的な倫理観が生き残っていたからだと思うんです。
なるほどそういえば、往生際が悪い、しつっこい、根に持つなどというのを我々は余り好みませんなぁ。

2004/11/11:初出(旧OCNホームページ)
2021/06/12:再録

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