BLOG-TERA

日々の中で観じた徒然を自分のペースで綴ってゆきます。
観じられることあればシェアしていただけると嬉しいです🌙

進む。

2021-09-28 08:31:30 | 日記
どんなことがあろうとも、進む。

真正面から自分に今できるMAXでうけとめる。
“うけとめる”。
自分にとって不都合なこと、目を伏せたいこと、体験せずに避けたいこと。
そのすべてを、そんなことは
100%おいておいて、
どんなに自分が傷つこうとも、ポコボコになろうよも、だとしても、そこに自ら入ってゆく。
それが、“うけとめる”ってことと思う。
自分にとってハードなことだからこそ、とりくむ。
それを通して、動じない自分、傷つかない自分、それでも相手を思いやれる自分、
これまでと違う捉え方、対応のできる自分をつくる。
それが、本来、生きるってことのひとつと思う。
自分を越える覚悟と決心。
それでしか、自分は越えられない。
変われない。
乗り越えたとき、本質的に“受け容れる”って体験が自分の内側に宿る。
それが“感謝”につながる。

正しいこと、
間違ってること、
とかじゃなく、どんな体験でも、それを通して学びきってゆく。
自分の発したことを受け止めきってゆく。
そしたら、そこから必ず複合的なメッセージがきっと味わえる。
ひとつひとつ、自分の発したことに丁寧に向き合ってゆくことで、自らうけとれるヒントはそこら中に落ちまくってると思う🍂

どれだけ未熟であろ

2021-09-23 11:45:29 | 日記
精一杯生きる。

自分のかんじてることをちゃんと伝える。
どんな状況にあろうとも、どんなにキャリアのある方を前にしようとも、どんなに自分がその道に素人であろうとも。

それが自分を精一杯生きる。
そういうことなんだ、と最近知った。

遠慮が入ったり、腰が引けていたり…、
そんなことは理屈ではわかりきったことかもしれないけど、実際その場面では、自分を正当化する意識もどこかにやはりある。
それでも、意識の中でそれを外すって、決心はできる。
ただ、自分の感覚を通すことでもなく、駄々こねることでもなく、現実未熟なことを100%承知の上で、お伝えさせていただく。
その結果はどんなことであろうとも、100%受けとめ、自分のこととして、そこから学び尽くしてゆく。

その繰り返ししかないな、と。
それが、自分自身で本気で生ききる、
学びきってゆく、ということなんだ、
って思う。

伝わるもの

2021-09-21 23:40:40 | 日記
伝えようと思って伝わることなんてなにもない...

相手やまわりの状態、振動波の気になる自分 
とは別に
自分が自分に向き合い、自分のスタンスでとりくんでるときって
ほんとにこころが自由で気にならない。

自分自身がしっくりと観じらるように自然にとりくんでる。
お掃除もそのひとつ。
だんだん、自分自身がすっきりとしてくる。
自分が何を観じていたのか、雲が晴れるようにかんじられる状態に近づく。
安定する。

そして、その状態で居る、ということそのものから、
振動波で相手に勝手に伝わっている部分もあることを知る。

結局、自分しかないことを知る。

しずかに耳を澄ますとき。

2021-09-15 01:04:44 | 日記
現実、バタバタざわざわすることは
たくさんある。

つんのめってる状態に自分で時として気づいたり…。

ひいて観じる、って最近、うけとっていた。

感謝って観じるとき、
ぐっと自分の内側に入って、土俵を掘り下げて観じる感がある。

しずかなところに、入る感覚。
一歩下がって。
自分がみている世界をすべて100%受け止めきる。

そんな感覚になったとき、
現実、いろいろ目の前で起きているいろんな事象が、ほんとに表面的にかんじられる感覚にも出合う。

そして、
自分自身はただただ、その深い部分で観じ、受けとめ、味わい、なにが本質か、確認しながらすすんで行くしかないんだな、って思う。

自分が自分の感覚で生きる覚悟。
そこを生きてゆく勇気。
自分の感覚を改めて確認し、
なにがあってもそれで生きることを諦めないしかないな、と思う。



感覚。。

2021-09-06 01:05:09 | 日記
自分のなかで、理屈抜きに観じる感覚。

なにかをみて観じること、
誰かから観じること、、
みんな誰しも自分の感覚としてうけとってる。
それをどこまで自分が信頼するか、
どこまで真正面からその感覚に向き合ってゆくか。

それによって、より深く、より繊細な感覚でうけとれるように自覚してゆけるように観じる。
だんだん、だんだん精妙に細かく繊細に。
誰に共鳴されなくとも、自分のなかでは確信できる感覚としてうけとれることもある。

精妙になればなるほど、
逆に、周りの“荒さ”も気になったりすることもある。
でも、
それはどこまでいっても自分へのメッセージと気づくしかない。
ひとつひとつ受けとめて、受け容れられる自分を創る。

“荒さ”に乱される自分は未だ未だ甘い!
自分ひとりで安定は楽。
修行のようなもの。
だけど、始まらない。
日常生活の価値観のまったく違う人たちのなかで、なににも振り乱されず、確固たるだけれどもとてつもなく精妙で繊細な感覚であり続ける。
それができて、はじめてそこから“還元”がはじまるのだと思う。
だとしたら、“還元”ってものすごく自然なことなんだと思うし、
それは雑多のなかでも這い上がるだけの意志と、その自分の日常の取り組みからしかないかな、って観じる。