BLOG-TERA

日々の中で観じた徒然を自分のペースで綴ってゆきます。
観じられることあればシェアしていただけると嬉しいです🌙

ほんもの。

2021-08-24 08:50:55 | 日記
最近、自宅の片づけをしている。
長年、先祖の代から受け継いできていて、8年ほど前に引っ越しをした際にも
ある程度は整理したものの、そのまま箱ごとしまっていたもの含めて。

備前焼だの、烏城彫り、貴金属、掛け軸、絨毯、贈答用食器、着物、、
半端ない数。
議員さんとかさせていただいていたので、その際のいただきものがほとんど。
時代は感じる、、。
買い取り業者さん、鑑定の方に見に来ていただく。
業者さんも1社じゃなく、3社ほど来ていただいた。

みんな、見方はそれぞれ。
得手不得手の分野もあるんだな、ってのはわかる。

10倍以上の値が付いたり、プラスティックといわれるものが珊瑚だったり。
勉強にもなる。

ほぼほぼ、これまで封すら開けてこなかったもの。
ここにきて外の空気を浴びる焼き物さんたちもいらっしゃる。

私自身にはものへの愛着というのはほんとに無く、、
ただ、妹には妹なりの観かた。
母には思い入れも含めて、価値観やものの見方がある。
その思いが見えないところでも錯綜していて、お互い自分の主張を守るために
頑なに力が入る部分、抵抗が見え隠れする部分もある。

いったん、自分のそれは置いておいて、付き合う。

眠いけれど、、
ひとつひとつ、開梱してどうのこうの。。

”いいものが振動波のいいものとも限らない”
それも通じる。

”私はこれを、”
ということでなく、家に残るかんじのもの、
という見方をしようとする。
少しだけ通じる。

でも、ひとつひとつ見ながら観じたこと。
ここまで、複数の鑑定士さんに棲み分けしてもらった備前焼。
グループして置いてくれてる。

ひとつひとつ値のつくもの。
このグループで幾ら、ってもの。
その塊がいくつか分かれるけれど、、ほぼほぼ、滅多と裏切らない。

ちゃんと、作者さんの状態がのっかってる。
人間国宝、無形文化財の方はほんとうに素晴らしいもの、。
凛としていて品があって、その作家さんの状態がそのまま顕われている、
深い部分の静寂や落ち着きを観じられるもの。

開けてよかった、、って観じる。

少し前、テレビでしていたある作家さんのインタビュー。
”なにをつくるか、ではなく、どう生きるか”

それがやはりそのまま、作品を通じてにじみ出るものになるんだな。
そこから学ばせていただく。
作品を通じ、味わわせていただく体験の貴重さをありがたくかんじる。













深く観じてゆく

2021-08-17 08:13:08 | 日記

朝、神棚と仏様に手を合わせる。
それは家にいる限り、毎日取りくむこと。
自分のその時にできるMaxの状態で。 必ず。

神棚は自分のテーマの発信。
より明確に、自分の中でも落とし込める。

仏壇は、ご先祖様おひとりおひとりへの”感謝”に取りくむ。
おひとりおひとり、観じてゆく。
それぞれの方との交流。
それぞれにそれをかんじ、味わってゆく、
それぞれに自分自身がかんじるところの感覚は違う。
,,,,,なんていうんだろう、、
自分自身の掘り下げる場所、の違う部分 を味わう。

結局は現実的にも、どういう角度のどういう領域のは幅からどんな方も受け入れてそこから学ばせていただく、
というところがベースで、
その角度や幅や領域の種類やその深さを自分の内側につくってゆく、
ということが必要、というかそこを学ばせていただいてるんだと思う。
生きる、ってことは。

毎日のご先祖様にそれぞれに真摯に向き合うこと、
それを通じて
私は、自分の内側にそのレールをつくらせていただいていってるんだな、
ってことも思う。

朝、そのレールを発見することも度々ある。
日中に、それは離れることもある。
だけれども、一旦自分の中で味わったレールは必ず自分の内側に存在してる。
砂埃を被って見えにくくなることはあるけれど、
一度味わった感覚は自分のものだから。
必ずそこに戻れる。

現実は、自分の肉体を通じ、目に見える現象と人と交流させていただく中で
より明確に受け止められ、それが真実となって腑に落ちる。
その体験もありがたい。
そうして、だんだんレールだったものが自分の血肉になって自らの状態と一体化するんだと思う。

大変なことはたくさんあるけれど、真実を見失わずにしっかりと歩んでゆこう、って観じる。

還元 ~真の交流~

2021-08-16 01:09:42 | 日記
“還元”、、
自然の仕組みの一端、自分の気づいたことをうけとっていただけるよう工夫して伝えさせていただくこととしての“還元”。

自分の気づいたこと、って、もう自分のベースに流れてる。
=自分がすでに発信してる。

じゃ、“還元”ってどうやって?
って、結局は振動波で交流をしてくことしかないんじゃないか、って最近思う。

相手と向き合うときも、振動波で向き合うことを自分のベースにする。
顕在意識での交流はもちろんあるけれど、自分のスタンスは振動波ベース。
それって、やってみるとわかる。
全然違う。
うけとれる部分も多々ある。
届いていることが振動波として繋がることもある。

だから、顕在意識の“還元”とは少し違う。
言葉もある程度は必要だけど、その言葉の裏にある意識はもっともっと遥かに大切でそっちの方で相手は反応する。
言葉を越えた振動波の交流、自然の仕組みの“還元”にNoで返す人は居ない。
なぜならそれはどこまでも滞りなく続き、拡がる心地のよい感覚だから。
それは万人、万物に通じる向き合い方って思う。
相手にその振動波が届いたとき、真の還元になるんだな、って思う。


正解、不正解…

2021-08-12 10:42:47 | 日記
その空間にアートをセットする。

どんなアートさんでも、なんとなく
置く前とそのあと、その空間の雰囲気は
がらっとかわる。
調和のとれたアートさんを置けば、
空間の拡がりや、あたたかみや、
ほっと剥がれる空気感も生まれる。
味わえる。
きっと、その空間のフゲーキンさんも
喜んでくれる、ような。

じゃ、何のどのアート?
ってなったとき、なんか微妙に力入ってしまったり、ってある気がする。
すごくよくわかる。
お金もかかることだし、失敗したら、とかよりその場に適ったものに、とか、
自分で決めたようでもなにか不安で
誰かに太鼓判押してほしい、というか。

でもでも…。
知ってる。

なにが大切か…
それはその空間を調整するって
そこに延長する意識。
決めて終わりじゃない。
飾って終わりじゃない。
その空間を整えるという意識のベースの延長にアートを選ぶ作業があったり、そしてアートが届くまでの意識が流れたり…、
しながら絶妙なタイミングでアートさんは時空から届けられる。
そのあとも交流は続く。

その空間をただただ、自分の内側でかんじる。
そこから感覚を掘り下げ、深めてく。
そこで味わう振動波そのもの。
その振動波と近い、リンクしてるような
アートをただ単純に選ぶ。

それだけ。
ほんとはすごくシンプル。
だけど、枝葉を削ぎ落としてかなきゃ、
根っこは見えないってことだけかもしれない。



FALF

2021-08-11 22:58:11 | 日記
波動の法則 だの、
振動波 だの、
それは気づけば本質をいってるだけの話でなんてことないんだけど、
言葉が先走ると、
時として、相手として、
“拒絶”をあらわにされることも少なくない。

家族にはまったく…、
というのもよく聞く話。

だけどね、
みんなほんとは深い部分では当たり前のようにわかってる。
当たり前すぎるくらいに。
自分がそれが地肉になりきってない、
自分のなかでも言葉レベルでしか消化しきれてない部分に家族はそこを絶妙に突いてきているように思う。

自分が完全に消化できて、自らの発信の振動波と一体化になってるその角度に対しては、ほんとに家族にもありがたくうけとってもらえてるとこは明らかにわかる。
その振動波で向き合ってたら、ほんとに穏やかに交流がすすみ、まとまってくる。

だからこそ、
自分自身はただただ、自分の中に自然な状態になるとこまでその発信を落としこんでゆくしかない、って、
それも事実。

厳しい部分や果てしなくかんじることもあるけれど、
ひとつひとつ
ちゃんと
自分に向き合い続ける。

だんだん、それに付き合う自分にもありがたみをかんじちゃったりする🐣