京都、烏丸御池駅近くにある「ちおん舍」にお邪魔して来ました。
「鏡と鳴弦」〜赫き響く「ひ」の世界〜
クラシックギタリストの西下晃太郎さんの奏でる素敵なコンサートと、鏡師 石谷ヒロムさんのお話会
いつもは少し端にある席を選ぶ私ですが、
今日は何故かど真ん中まん前の席を選んでいました。。
ギターコンサートが始まってすぐ、
なんだかたまに軽いめまいがするような…
うーん、めまいか?
そうではなく意識がすっと離れるような離れないような…
調子悪いのか?私。
ギターの音色は胸でもなく、腹でもなく、
頭のてっぺんあたりにぐゎんぐゎん響く感じでした。
そして感じていたのは、オキシトシン出てるな…
でも上手く言えませんが、リラックスすると言うよりは、体の変化についていけずにちょっと戸惑っている感じ。
もっと体の感覚に集中すればいいのに、あーでもないこーでもないと思考が動き出す。
気づいて戻っても、また思考はわいわいしてくる。
そして世話しない自分に気づく。
普段から、創造に繋がらない想像ばかりしていて、体とそこについている魂を置いてけぼりにして、心がだけががさがさしているなぁ。
現実から離れすぎるなよと、
コンサートが行われている部屋に飾ってあったお不動様に言われているようでした。
しばらくすると後ろの席からぐぅぐぅ寝息が聞こえて来て…
こんな素敵なコンサートに寝ちゃうなんてもったいないと思うところですが、
たぶんのわたしの後ろの席の方にとっては、休息が必要だったんだろうなぁ。。
鏡師 石谷さんの対談形式でのお話はこれまた興味深いものでした。
「かがやく」を何故、輝の字を使わずに、
赫という字を使うのか。
「赫」の中には、常にピカリと光っているだけではなく、暗くなる、いわゆる「滅」の部分も含んでいる。らしい。
実はこの陰の部分はとても大事ということ。
「見にくい」状態から綺麗な状態にして「美しい」ということは、生まれでた赤ん坊に言えることだと。
また、対談の中で縁がわの話もあり、
日本家屋のいわゆる「濡れ縁」という場所は、外でもない内でもない曖昧な部分。
白黒をつけない曖昧さ。
「あわひの世界」とはあの世とこの世の境目の世界。語る人はその世界は青だと言う。
音階で言えばきっと5度の世界だと私は思う。
その世界を通り抜けてこの世にやって来た赤ん坊を、人はついた少しの汚れを落とし綺麗にして懐くのか。
鏡は本来は水鏡。
水面に姿を映して、水の力を借りて内面を調える。
神社からの依頼で磨く鏡は水だけを使うのだとか。
月の巡行に合わせて夜中に作業されていることが多いらしい。
最後に、床に置かれた石谷さんの手入れされた写鏡を覗き込ませていただいた。
天井が深く深く奥底まで広がる不思議な空間がそこにありました。
西下晃太郎さんのCDもゲットして、サインまでいただき、るんるんな帰り道でした。