ATOZism

作詞家 Makoto ATOZI ブログ

作詞塾

2023-05-09 07:50:12 | ATOZism

こんにちは。

作詞家 Makoto ATOZIです。

Makoto ATOZI ホームページ

しばらくの不安定な天候が少し収まり、寒さはありながらも晴れやかな火曜日ですね。

昨年から僕は人数限定の作詞塾を開催しています。

オンラインで月4回。毎回1時間のマンツーマンシステムです。

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2000年 平井堅「楽園」よりキャリアをスタートして、様々な歌を書かせていただきました。

10年ほど休養状態ではありましたが、依頼があれば書いていましたので、お休みの間も年間2-3曲はリリースをしてきました。

幸運に恵まれ、いただくお仕事は力のあるアーティストの音楽制作ばかりで、ありがたいことだと、いつのときも感謝しながら暮らしています。

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23年、実際の現場で揉まれながら歌を書いてきました。

この月日の中で学んできたことを、おしみなくあなたに伝えたいと思います。

歌の書き方が全くわからないという方から、プロダクションに所属されているようなアーティストまで、幅広く扉を開いています。

おひとりで月4回のご受講になりますので、僕自身のタイムスケジュールの関係もあり、完全人数限定になっています。

入会料はいただいていません。

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歌を書くという作業は仕事になるとなかなか苦しいこともありますが、

自分の想いがかたちになったとき、不思議な爽快感があるものです。

それは一生残るあなたの宝物です。

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新たなライフワークとして、作詞の楽しさを味わってみませんか?

僕なりに23年間学んできた技術をお教えいたします。

他の講座ではきっと教えていないオリジナルなロジックが満載です。

もしも興味がございましたらお気軽にお問い合わせください。

あなたとお会いできますことを楽しみにしています。

 

Makoto ATOZI

Makoto ATOZI作詞塾

 


本当に欲しいものは何か

2023-05-08 07:27:18 | ATOZism

物質原理の波のなかで生きている我ら

ゴールデンウイークが終わった。

今日からまた世の中の日常は平常運転になる。

ここ最近は気圧の上下変動、寒暖差が激しく、

能登で地震があった日と翌日はあまりにも激しい風が吹き、まるで天地が怒り狂っているかのようにさえ感じられた。

地球を開拓すれば、それは身体の皮膚をえぐるかのごとく因果の物質原理が働き出す。

僕たちは単なる観察者だからなどとは言っていられないほどに切羽詰った世界の様相が僕らみたいな平民にもわかってしまう。

それでも僕はこの朝にMCTオイル入りのバターコーヒーを飲む。

開拓はダメじゃないかなんて言いながら、奴隷文化のコーヒーを飲み、森林開拓の結果のMCTオイルを自分の身体の健康のためにいただいている。

ニュージーランドから遥々届いたグラスフェッドのバターとともに。

アーユルヴェーダの観点から見てみれば霊性を高めたければラジャス(激質)なコーヒーは控えたほうがいいというのに。

どの世界を見ても矛盾で満ち溢れている。

教師が生徒に性的感情を持ち、警察、聖職者などが利権になびき、汚職などというかなしいニュースも見てしまう。

実績なき講師が溢れた現場で、資格が金銭で売買され、薄っぺらな時代に拍車がかかっている。

 

泥沼で見つけることのできる光

西暦2000年、今から23年前、僕は自分が書いた歌が日本中のテレビ、ラジオ、街角で響き渡るという稀有な体験をさせていただいた。

それなりの収入をいただき、普通であれば出会えるはずのないような方々のいる世界を体験させていただいた。

それはまるで激しいジェットコースターのようで、しかもジェットコースターから見える世界は光り輝き、まるで夢のアトラクションのようだった。

そうして精神的な重圧。パニックを何度も経験し、故郷に戻り、一時期、僕を引き上げてくれた業界から距離を置いた。

何もかもがうまくいかないというような月日が過ぎた。

そうしてコロナが広まり、僕は頭髪をスキンヘッドにして、持ち物を断捨離して、小さな古いアパートに引っ越して、寝るときは寝袋、カーテンもないような暮らしにした。

ブッダの教えに傾倒して欲を捨て去ろうとした。

でも2022年、それでいいのか?本当にいいのか?と自分に問いただす心の声が聞こえてきた気がした。

僕は髪の毛を伸ばすことに決めた。

今度は自分の中でここだという時が来るまでは一切髪の毛を切らないことにした。

10年前から続けている暮らし、住居にはテレビもなく、お酒も飲まず、タバコも吸わず、ギャンブルは避け、性的ブラフマチャリアの継続は変わらない。

ここ最近は砂糖と小麦を絶った。

 

本当の教えは自分の中に

この数年、僕を救ってくれたのは瞑想。

毎朝と夜、30分の瞑想をしている。

怒りの気持ちがほぼ完全に僕の心身から消えた。

あらゆることに対して、怒りを消滅させることができるようになった。

そうして、瞑想のルーツを探りヨーガにたどり着き、今はヨーガの聖典をずっと勉強している。

ヨーガスートラ、バガヴァッドギータ、ヨーガ・ヴァーシシュター、

5000年以上の時を経て、僕たちに何かを伝えようとする聖典の中に見え隠れする真理を見つけられたならと、瞑想に生かす日々。

全ての聖典は一貫して欲を離れよと説く。執着を離れよと。(ブラフマチャリヤ)

そうして心身を制御し、真理を得たときサマーディとして僕たちは解脱する。

あるときヨーガの聖典は生への嫌悪を説く。またあるときは生命を行為によって解脱することを説く。

僕たちは生かされている。

自分自身は何も努力せずとも心臓は動き、無限にも近く感じられるような数の身体の各細胞は今この時も働いている。

生命ある限りは生きなくてはいけない。

しかも健康に生きる道を探すべきだ。

そのためには貪りから離れることが幸せを生む力となる(アパリグラハ)

そして、バガヴァッドギーターでクリシュナが説くように行為を無為の心で行えばいい。

全ての行為が神または大いなる叡智への捧げ物として行われるなら、きっと僕たちは救われる。

今は宗教的な匂いのする話は嫌悪されてしまうような時代。それはとてもかなしい時代だと僕は思う。

何かを支持しすぎることで引き起こされる争いは慈悲の心を人生の中心に置かないことから起こる。

宗教は道徳でもある。道徳を忘れた僕たちは今、荒波の中に漂う葉っぱのようだ。

自分が目指す仕事に集中すればいいのだと思う。

与えられた役目に一体になればいい。

それ以外の豪華な食事、きらびやかな会場、身の丈を超えたような住宅に一体何の意味があるというのだろう。

許容できる量を超えた甘美はやがて負の荷物を生み出してしまう。

人ひとり、身体には入れられる量は決まっている。

誰かの持ち物を自分も欲しいと思えば、満たされるような日は来ることはない。

 

思惑により教えは変化する

ヨーガにしても6000年もの月日を何一つこぼすことなく教えをつなぐことは至難の業。

携わる生命が増えれば、利権、思惑などは当たり前のように発生する。

セックスカルトとして非難される側面は、一部の流れとしてはあったとしても否定できないように思う。

スワミとはブラフマチャリアを達成した聖人であり、グル(師)と呼ばれる、

だからといってすべてのグルがスワミであるとは限らない。

魔法的能力を売り物に勢力を伸ばしてきたグルもいるのでしょう。

世俗の中で生き抜くためのエネルギーを得る方法としてのヨーガを求めるならば、仕方がなくも見えるけれど、

僕は本来のヨーガであれば、スワミとしての生き様で現世での天命を成就することができるのだろうと確信している。

全ての欲を捨て去ったときに天命は手招きし、心を潤す財宝を与えようとする。

本来のヨーガが伝えてきた神秘には願望実現などのレベルをはるかに越す偉大さが在るはずだ。

 

人生は不思議な優しさでできている

ヨーガの聖典、ブッダの教え、様々な宗教も、すべておなじようにこの世界は苦しみであると説く。

でも、本当の世界の仕組みに気づいた生命にとっては、この銀河とプラーナと叡智の世界は優しさに満ちているはずだ。

僕たちが生きているこの一瞬一瞬は常に現実的世界と夢の世界が混ざり合ってできている。

ある人は確かな目覚めを生きて、ある人は夢の中を眠りながら生きている。

願うことは叶う。集中して信じきれたことは現実になる。

夢の中であればあらゆることは叶えられていく。

でもそれはまるで映画を見ているだけの観察者のように物語を止めることはできない立場にいる夢遊病者。

目覚めの中で、ときに夢の世界を渡りながらも、ここに在る(Be)ものだけが世界を自在に観ることができる。

軽くする。

持ち物を、身体を、心を。

そして、自分がこれだと思うコトを一心に、神に捧げるのだと決めて行う。

世界は素晴らしい。

あふれだす感動で泣きそうになるほどに素晴らしいものだ。

僕は歌を書き続ける。詩を書き続ける。

そして、歌を書ける人を増やす活動を続ける。

天に捧げる気持ちをいつも心に打ち続ける。

何があろうとも、自分の道が見えていたなら恐れは消えていく。

あなたにもそうであってほしい。

偉そうなことなんて言えない生き様でいる僕だけれど、

この世界を知れば知るほど、伝えなければという熱(ラジャス)が巻き起こる。

世界よ幸せに(サットヴァ)

一日一食で慎ましく、一日一日を歩んでいこう。

それでもバターコーヒーは飲むという矛盾。

何事も中庸に。

せめて行為を無為の心で、捧げものとして、この世界を泳ぎ切りたい。

深い眠りの世界の中で、目覚めながら生きていきたい。

 

Makoto ATOZI

Makoto ATOZI Official Web Site

 

 


作詞教室のご案内

2023-05-02 14:59:50 | ATOZism

こんにちは。

作詞家 MAKOTO ATOZIです。

世の中はゴールデンウィーク。

買い物などに出かけてみれば人出の多さに流石だなと感じられます。

僕はといえば、これといったレジャーもせずに読書三昧の日々です。

ヨガ、インド哲学、聖者と言われた方々の書籍を読みあさっています。日本の古事記も読み直してみようと思い、AMAZONでポチってあります。

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日々のワークとして僕は作詞教室を開講しています。

この度、ホームページをリニューアルしました。

MAKOTO ATOZI作詞講座

 

今の時代、あまりこりすぎたページではなくて内容がわかればいいのだろうと考えシンプルなサイトにしてあります。

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作詞講座って何を教えるのですか?と疑問に感じる方も多いと思われます。

なぜなら多くの人々は、歌の歌詞をただ思いを書いただけの文章だとして受け止めているからです。

アイドルで「作詞に初挑戦しました」というようなニュースがあると尚更に簡単なように感じてしまいます。

実際には、歌にはメロディーがあり、様々な制約、決まりごとがあります。

初めて歌を書く人は多くの場合、それを知らずに書き始めてしまうため、結局、いつまでたっても完成しないということになります。

「いつか作詞家になるんだ!」と話している人に「今までに何曲書いたの?」と聞くと「今から書くんだ」と話すというジョークもあります。

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僕の作詞講座は楽しいですよ。きっと。

奇想天外、様々な視点からロジックの伝授、アドヴァイス、インスピレーションがありますように、できますようにと心がけています。

ゴールンウイークが過ぎればまた新たな日常。

新しいライフスタイルの一つとしてソングライティング。

いいと思いますよ。

自分の思いを歌にする。

本当にいい歌ができたとき。

僕はいつも叫んでいます。

あなたも叫んでみませんか?

それは喜びの叫びです。

MAKOTO ATOZI 作詞教室

あなたからのご参加をお待ちしています!

 

MAKOTO ATOZI


平井堅「楽園」から23年

2023-04-21 08:26:38 | ATOZism

2000年 平井堅「楽園」

この楽曲で、僕は作詞家として世に出していただいた。

あれから23年。あまりにも多くの人生の波に打ちのめされそうになりながら暮らしてきた。

YouTubeで「楽園」のコメント欄を拝見すると「色褪せない歌」「23年前ということが信じられない」という多くのありがたい声がある。

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僕が歌詞を書いた楽曲「楽園」

この楽曲を思春期に聴いたというリスナーも多いのだろう。

人生の大変だった時期にこの歌に出会ったという人々からの声もよく聞いてきた。

アルバムの出荷枚数でいえば250万人。レンタルも含めればもっと多くの人々がきっとあの時代に、この歌の空気にふれている。

印象的なモノクロのPV。世紀末の寂しさ、哀しみを描くSTORY。

あの頃、「楽園」という楽曲に出会った人々は、この23年、どのような年月を感じてきたのだろう。

時々、僕はそんなことに思いを馳せる。

実際、「楽園」という楽曲にふれていた頃の状況を教えてくださった人々にも出会ってきた。

僕が書いたと知ると、驚きの表情を見せる。

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右も左も分からない田舎の青年がいきなり音楽業界のど真ん中から引き抜かれ、有頂天になった。

過信に陥り、時代さえも自分のクリエイテイブが動かしているのだという驕りと錯覚を持っていた。

人々の想念、万象、自分自身の精神的な脆さ、疑念、重くて深い波が何度も押し寄せ、苦しみの日々もあった。

愛を歌に書きながら、愛に苦しみ、身動きの取れないような日々も続いた。

それでも、振り返ってみれば、なんという奇跡に支えられて生きてきた日々かと思う。

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23年経って、僕は今も、あの頃出会った敬愛するクリエイター、ディレクター、プロデューサーの方々と、連絡を取り合うことができている。

経済的にはまだまだ散々だけれど、ご無沙汰のご連絡をすれば無下にされることは滅多にない。

とてもありがたく、精一杯、生きてみようという気持ちになる。

心震えるような歌が生まれれば、引き上げてくださる方々が今も存在している。

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時代は重く、人々の懸念案件は増え続け、誰もが対応しなければいけない思考で大忙しな日々。

あの頃、僕が「楽園」で描いた空気感が、そのまま、今の時代の空気のようにも感じられる。

でも、僕はあの歌で悲しみだけを、絶望だけを描いたわけではない。

作曲家の中野雅仁さんはあの楽曲の旋律に静かに熱いエナジーを注ぎ、

僕は暗闇に潜む一筋の光を描いた。愛の光。

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この年齢になって、描きたい歌の世界も変わり、伝えたい世界は、僕の中でまた新たに芽吹き始めている。

僕が歌を書くということは、一面から見れば嘘で固められた世界のようだと自分でも思う。

歌のような人生を生きられているわけではないからだ。

それでも僕は、歌に嘘は書いていない。今まで一度も自分に背くような気持ちでは書いてこなかった。

いつか近い未来で、本当の自分。嘘偽りのない想い。

これが歌詞と統一され、誰かの心に何かの救いの光を送れるように精進したい。

23年。長い日々を経て、2巡目の今、もうこれからは、物理的な欲などではなく、この人生で与えられた使命があるなら、それを果たしたい。

時代の空気に負けたりしないで、人間という生命に宿る光を信じて生きていきたい。

 

Makoto ATOZI

Makoto ATOZI Official Web Site