2000年 平井堅「楽園」
この楽曲で、僕は作詞家として世に出していただいた。
あれから23年。あまりにも多くの人生の波に打ちのめされそうになりながら暮らしてきた。
YouTubeで「楽園」のコメント欄を拝見すると「色褪せない歌」「23年前ということが信じられない」という多くのありがたい声がある。
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僕が歌詞を書いた楽曲「楽園」
この楽曲を思春期に聴いたというリスナーも多いのだろう。
人生の大変だった時期にこの歌に出会ったという人々からの声もよく聞いてきた。
アルバムの出荷枚数でいえば250万人。レンタルも含めればもっと多くの人々がきっとあの時代に、この歌の空気にふれている。
印象的なモノクロのPV。世紀末の寂しさ、哀しみを描くSTORY。
あの頃、「楽園」という楽曲に出会った人々は、この23年、どのような年月を感じてきたのだろう。
時々、僕はそんなことに思いを馳せる。
実際、「楽園」という楽曲にふれていた頃の状況を教えてくださった人々にも出会ってきた。
僕が書いたと知ると、驚きの表情を見せる。
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右も左も分からない田舎の青年がいきなり音楽業界のど真ん中から引き抜かれ、有頂天になった。
過信に陥り、時代さえも自分のクリエイテイブが動かしているのだという驕りと錯覚を持っていた。
人々の想念、万象、自分自身の精神的な脆さ、疑念、重くて深い波が何度も押し寄せ、苦しみの日々もあった。
愛を歌に書きながら、愛に苦しみ、身動きの取れないような日々も続いた。
それでも、振り返ってみれば、なんという奇跡に支えられて生きてきた日々かと思う。
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23年経って、僕は今も、あの頃出会った敬愛するクリエイター、ディレクター、プロデューサーの方々と、連絡を取り合うことができている。
経済的にはまだまだ散々だけれど、ご無沙汰のご連絡をすれば無下にされることは滅多にない。
とてもありがたく、精一杯、生きてみようという気持ちになる。
心震えるような歌が生まれれば、引き上げてくださる方々が今も存在している。
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時代は重く、人々の懸念案件は増え続け、誰もが対応しなければいけない思考で大忙しな日々。
あの頃、僕が「楽園」で描いた空気感が、そのまま、今の時代の空気のようにも感じられる。
でも、僕はあの歌で悲しみだけを、絶望だけを描いたわけではない。
作曲家の中野雅仁さんはあの楽曲の旋律に静かに熱いエナジーを注ぎ、
僕は暗闇に潜む一筋の光を描いた。愛の光。
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この年齢になって、描きたい歌の世界も変わり、伝えたい世界は、僕の中でまた新たに芽吹き始めている。
僕が歌を書くということは、一面から見れば嘘で固められた世界のようだと自分でも思う。
歌のような人生を生きられているわけではないからだ。
それでも僕は、歌に嘘は書いていない。今まで一度も自分に背くような気持ちでは書いてこなかった。
いつか近い未来で、本当の自分。嘘偽りのない想い。
これが歌詞と統一され、誰かの心に何かの救いの光を送れるように精進したい。
23年。長い日々を経て、2巡目の今、もうこれからは、物理的な欲などではなく、この人生で与えられた使命があるなら、それを果たしたい。
時代の空気に負けたりしないで、人間という生命に宿る光を信じて生きていきたい。
Makoto ATOZI
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