[1]タイトル(続編・OVA・映画のタイトル含む)
荒ぶる季節の乙女どもよ。
[2]140字の紹介文(Twitterに投稿しているため)
少女でなければ、大人でもない、純潔を掲げた文芸部員達は文学を通して「性」を知り、異性を通して「欲」を知る。待っているだけでは決して味わうことのできない魅惑に翻弄されつつも、それぞれが現状を変えるためにもがいて、傷ついて、それでもなお進んでいく。さあ乙女達――荒ぶる季節を謳歌せよ。
[3]ジャンル(独断と偏見かつ勝手に作成したジャンル区別一覧に基づく)
青春・恋愛
[4]話数(時間の違いは「ショート」「ショートショート」「映画」で区別)
計12話
[5]キャラ名+「CV.」(dアニメの作品情報を主に参考にしています)
- 小野寺和紗(CV.河野ひより)
- 菅原新菜(CV.安済知佳)
- 須藤百々子(CV.麻倉もも)
- 本郷ひと葉(CV.黒沢ともよ)
- 曾根崎り香(CV.上坂すみれ)
- 典元 泉(CV.土屋神葉)
- 天城 駿(CV.広瀬裕也)
- 山岸知明(CV.福山 潤)
- 三枝 久(CV.咲野俊介)
- 十条園絵(CV.戸松 遥)
- 杉本 悟(CV.花江夏樹)
[6]その物語を作った人(構成作家・原作者など)
原作:岡田麿里 漫画:絵本奈央 (講談社「別冊少年マガジン」連載)
[7]主題歌(可能な限り劇中歌も入れる)
〈OP〉乙女どもよ。「CHiCO with HoneyWorks」
〈ED〉ユメシンデレラ「麻倉もも」
【劇中歌】TRAIN-TRAIN「THE BLUE HEARTS」
【劇中歌】お前の股ぐら「ザ・タイマーズ」
【劇中歌】恋人ツナギ「CHiCO with HoneyWorks」
【劇中歌】チェインギャング「THE BLUE HEARTS」
[8]感想
いつも通りイラストからこのアニメを見ることに決めました。5人の女の子を見た瞬間、私の百合センサー、百合の波動を確かに感じました。キタワー(ヘブバンのおタマさん風)と思い視聴し始めると、あれっ?すぐに男子との色恋で幕を開けました。あーはいはい、これはかませ男子というやつですね、それがあーなってこーなって新しい境地に行くんですね?分かります分かります――なんて自分を言い聞かせましたが、OPが始まり、原作「岡田磨里」さんの名前を見てやっと、本当は「恋愛拗らセンサー」が反応しただけということを自覚しました。類は作品を呼びます。
私は「~さんの作品だから」って言うのはkey作品以外したことないんですが、イラストで引きつけられ、自分の心を大きく揺さぶってくれる作品のお話を作った人が岡田磨里さんだった、というのがとても多いのです。
「とらドラ!」「凪のあすから」「あの花」「キズナイーバー」などがありますが、どれも胸に刺さる群像劇です。それぞれの恋が複雑に絡み合い、時には横暴になったり、時には自ら身を引いたり、またある時は自暴自棄に陥ったりと、とにかく心情の機微から目が離せません。
その時にしか味わえない、心の葛藤に思う存分触れられる岡田磨里さんの作品は大好きです。
もし、僕が彼女の作品の登場人物に投影するなら、間違いなく身を引いてその選択をした自分の悦に浸るキャラになりそうですが、それはつまるところ本当に相手を好きににゃったことがにゃい奴の証にゃ、とブラック羽川に言われるでしょうね(作中には悦に浸るような好きになりにくいキャラはいないので安心してください)。
話が逸れましたが、つまり岡田磨里さんの作品と知った時に、迫りくる難しい恋愛事情に備える心の準備をしたわけです。で、甲斐も虚しく心を痛めました。まぁ痛めないわけないですよね、はい。
本気の恋愛をしたことがない、つまり想像の世界でしか感じれない痛みでこれほど苦しいのなら、経験者や当事者はもっと辛いんだろうなと思います。
「人間の醜い部分は見たくない」「あまり考えたくない」「恋愛系はイチャイチャ成分だけで良い」という方にはあまりお勧めできません。
本作品では度々、というか多分テーマと言っても過言ではない「性と恋愛の関係性について」の内容が出てきます。少女5人は文芸部で官能小説の朗読会を定期的に開いたり、「えすいばつ」という便利な言葉を皮切りに、下ネタとも捉えられる間接的な言葉を多用します。
「性欲と感情は切り離せるか否か?」という話題も出てきます。この言葉だとちょっと分かりずらかったので、「性欲と好きという気持ちは切り離せるのか」ということだと私は考えました。私はそれについて言及できません。察してください。
終盤間際までミステリアス少女だった菅原氏が{本当に大事な気持ち以外は借りものだってどうだっていい}と言っていました。
百々子は親友(和紗)の恋を応援したいけど、恋をしたことがない自分が彼女にかけられる言葉がないと悩んでいた時に出た発言で、本で得た知識や感情を使えばいいアドバイスができるかもしれないと菅原氏は言いました。
とても心に響きました。もしかしたら解釈を間違っているのかもしれないですが、まずはその状況に対して自分の気持ち、あるいは自分がしたいことを考える、それが相手にどう影響するのかはそれがまとまってから考えても遅くない、と言っているように感じました。親友であっても、その人がどんな言葉や行動を欲しているのかを全て把握している人はそう多くないはずです。だからそんな想像するしかないことよりも、まず自分を意思を見つめろということです。
私の場合、彼女らの本に当たるものがアニメであるように思います。私の人生で直接経験してない事象、それに対する感情の動きも、アニメを介することで疑似体験することができます。知らなかった感情を掘り出せたり、それを言葉として表すことができたりと、アニメから得られるものは底を尽きません。それらを誰かのために生かす機会は今までほとんどありませんでしたし、これからもきっと皆無でしょうが、いつか来るその日のために、いや、あくまで自分のために着々と世界を広げていこうと思います。
終盤ではキャラそれぞれが自分の想い人を自覚し、それに伴って人間関係も大きく変化していきますが、特に(自分に対して)驚いたのは、百々子の菅原氏への想いです。えっ?私のセンサーあながち間違えでもなかったじゃん?と一人歓喜しました。実際、序盤からそれらしい描写もありましたが、自分の偏った見方で、なんて忌々しい偏見だと自分を責めていました。しかし自分の予想?が当たったような感覚を味わえて、女の子同士の恋愛の難しさを考えられて、最後のエピローグで二人の関係が垣間見れて、一石三鳥でした。そしてこういう時にどういう言葉で締めればいいのかを私は知っています。
「……アナザーストーリー待ってます。どうかよろしくお願いいたします」
最後に……
アニメのおかげで「苦境や挫折を乗り越える、救われるには誰かに依存するばよい」という自分なりの一つの答えを出せました。しかし問題は人は永遠ではないということ。私は出来れば誰かに頼らずに救われる方法を見出したいです。その理由は長くなるのでまた機会があれば記します。
最後までお読みいただきありがとうございました。
【作成日:2022年8月15日】
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