母が亡くなって半年になろうとしています。
昨年11月に肝臓の数値が上がり、いろいろ精査していましたが、肝硬変と悪性リンパ腫とわかりました。
12月頃より私もほぼ神戸の実家に滞在して、3ヶ月ほど介護(というほではなかったけど)しました。
母はとにかく家にいて家のことを色々やるのが一番好きだったので、そういう介護体制を整えました。
訪問診療と看護が始まったばかりでしたが、3月8日早朝転倒し急遽緩和ケア病棟(ホスピス)に入院、翌9日の深夜に息を引き取りました。
子どもたち2人に手を握られながら逝きましたので、本人の希望通りだったと思います。
食は細って痩せていましたが自分のことは前日まですべてできて、大往生だったと思います。
満90歳でした。
思い返すといくつも悔いが残ります。
母は死ぬことをとても怖がっていたので、明確に病名や余命を面と向かって告げることはしませんでした。
母は先が長くはないことはわかってたし、日々弱ってゆく体調に不安をつのらせていました。
私は慰めの言葉もどうやってかければいいのかわかりませんでした。
ただ母の希望に沿って、足腰の弱った高齢者にも使いやすいお風呂用の背の高い椅子を買ったり、新しい部屋着や履きやすい靴下をそろえたり、生活環境を整えました。
後悔のない介護はないといいますが、私も本格的な介護は初めてで、もっと話を聞いて優しくしてあげられればよかったなあと思います。
嘘でもいいから大丈夫だよと言えばよかったと思います。
そしてはっきり口に出して愛してると言えばよかったなあと。
逝く前日に右手を弟が、左手を私が握ったとき、ぎゅっぎゅっと手をしっかり握り返してくれました。
それがとてもうれしかった。ちゃんとわかっているよ、と言われたような気がして。
弟が明日も仕事だというと、「じゃあ水筒にお茶を入れて準備しないと」と言い、夕暮れ暗くなったら「まりちゃん、もう暗いからそろそろ家に帰りなさい」と気遣ってくれました。
母は、最後の最後までずっと「おかあさん」でした。
父は昨年1月、心不全(老衰)で亡くなりましたが(満88歳)、母が頑張ってずっと介護していました。
父も自分のことは最期までできましたが、アルツハイマー病初期ということもあって、いろいろ大変なこともありました。
美味しいものを少しずつ食べたいということで、母は父のために一日6食の食事を準備していました。
父は母のおかげで幸せでしたし、長生きもできたと思います。
私は母も父も大好きです。
両親が老いてからは街をゆく高齢の方々を見ると、両親を見るようで親しみを感じるようになりました。
まだ両親がいないことになれることができません。