まりもの𝐁𝐥𝐨𝐠

心の基線

今日はとても天気が良くて
特に予定もなく
朝から解放感のある時間を過ごしていた。

午前中はスポーツクラブに行き
トレーニング。

終わってから
昨日から行きたいと思っていたカフェで
ランチの予定。

今日はお天気も良かったから
自転車で行くことにした。


行って目的のオムライスを注文。



ラー油抜きでお願いをした。


ところが出てきたのは
ラー油がかけられていて
一瞬「えっ⋯」と思ったけど
いつも愛想が良くなく
間違いがあっても謝らず
何かしら言う店主さんに
何となく恐怖心や遠慮があったのと
せっかく作ったから何となく
勿体ない気持ちになり
その時は『まぁ良いか⋯』と思い
食べる事にした。


だけど
やっぱり辛くて嫌で
ラー油を取って食べ進め
数口の所で
ラー油なしで注文したことを
店員さんに告げた。

すみません。
と謝ってはくれたけど
それだけ。


無理くり最後まで食べてしまい
食べた後で
何だか無性に腹が立っていた。


本来なら
お取替えしましょうか
とか
申し訳ございません。
とか
ドリンクサービスとか⋯


なんて思うのは
贅沢だろうか⋯


普通に会計済ませて終了。


悔しくて
『気を付けてくださいね』
何て言ってしまい終了。


腹が立ったと同時に
来た時言わなかった事
残さなかった事を後悔した。


そして
怒り
➡︎胆のう・肝臓に負担

だから
両臓器に謝罪した。


間違える事は
誰にだってあるから
それは全然なんて事はない。


ただ
そのあとのフォローとか
あってもいいんじゃない?


きっと人が怒るのは
自分をないがしろにされた感覚
誠意が感じられない感覚

なのだと思った。


そして
自分に置き換えると
心の基線が低いほど
幸せを感じやすく
心の基線が高いほど
幸せを感じにくい
と思った。



もしも
謙虚に


行きたい飲食店に行って
食べたいランチが食べられた


とか


お昼ご飯を
食べられただけでありがたい
とか
ランチできるお金
ランチできる時間があって
ありがたい
とか
辿りつけてありがたい
とか
作ってもらえて
食べられてありがたい
とか

下の下まで下がった時
全てがありがたくて
幸せで
怒りなんて
きっと
湧いてこないんだろうと思う


感謝の反対は当たり前


食べられて当たり前
正解が出てきて当たり前
謝られて当たり前
サービスされて当たり前
美味しくて当たり前
生きてて当たり前


私の中にある
無意識の当たり前


全ては当たり前ではない


そんな風に思えるようになれたら
生きてるだけで幸せな毎日になる


その後
お気に入りのカフェに行ったけど

そこでも
何だか落ち着かずイライラしていた。


自分の心境1つ
思考1つで
幸せも不幸せも感じる


同じ世界
同じ環境で
きっと
幸せな人と
不幸せな人がいる


できれば
幸せを感じる人でありたい


足元を見つめる練習を
していかないとな⋯。


心の基線を低く


人や環境ではなく
常に自分の内側を見つめられ
省みれる人でありたい







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