苦しくて嫌で怖いのに
『内観を止めたら私は治らない』
『内観を止めたら恐ろしい事になる』
そんな観念で自分を縛っていた。
一向に変わらない私に先生はいつも苛立ち
『どうして自分の罪を認められないんですか?!』
『貴方ほど狡くて卑怯な女はいない』
『世界で1番最低な女』
『お母さんへの恨みの復讐で拒食症になったのをいい加減認めなさい。』
1年2ヶ月ずっとこのように言われ続けてきた。
過去を省みても反省しない
泣けない、病気も良くならない。
同じ所をグルグル回る私。
ある時先生から
『貴方は食べ物への感謝がないから
断食して下さい』
と言われた。
何かが変わるかも?!
という期待と
病院食は拘らず食べられるようになっていたために、食べなくなるとまた食べるのが怖くなるのが怖くて最初断った。
そしたら先生がまた不機嫌に。
気にしなければ良かったのだけど
先生が怒ったり不機嫌になるのが
とても怖かった私は治る期待を含めて
断食を決意した。
本来は5日。
夜は清涼飲料水が与えられる。
だけどトコトンな私は
清涼飲料水も飲まず勝手に1週間断食をした。
そしたら・・・
案の定食べるのにまた抵抗が生まれて
その日から食べなくなってしまった。
だけど・・・
食べたかったのかな。
チューイングなんかしていた。
そんな事を繰り返している内に
みるみる痩せていった。
のには気づいていなかった。
なぜなら
あんなに美にこだわって来たのに
当時美醜などどうでも良くなっていて
まともに自分の姿を鏡で見る事もなく
自分がどんな姿をなのか分からなかった。
ただ
口が出っ張って喋りにくくなってた事
スタスタ歩くけれどつまずきやすくなってた気がする。
ある日体重を測ったら・・・
【24.0kg】だった。
どう思ったのかな??
助手の人に体重を何気なく伝えると
ビックリして先生に伝わり
その日から【テルミールミニ】という
高カロリー栄養ドリンクを飲まされて
点滴を打たされた。
嫌で嫌で嫌で仕方なかった。
テルミールミニを飲んで点滴を打った後
急に身体に鉛が乗ったようにドーンと重くなり
トントン上がれていた階段を手すりを持って這うように上がるのがやっとになっていた。
そこからはいつしか食べるようになった。
先生から
『貴方はお母さんを叩いても良いです。』
と言われたからと自己判断もできず
母を叩いたり殴ったり蹴ったりしていた。
心の奥底がウズきながらも
良い事をしているんだという考えで
先生に褒めてもらえる。
そんな気持ちだった。
自己洗脳なのか
そうではないのか
先生の言うこと=絶対
になっていた。
母の左目が腫れて青アザができ
それを知った先生がとんでもなく私を怒った。
その時
『え?!先生が叩けと言ったから叩いたのに。。。
何で??
私はどうしたらいいの?
なにが正しいの??』
パニック状態だった。
あまりに苦しくて自分を切りたくて堪らなくなり
持っていたハサミで左手首を切った。
スーッと気持ちが落ち着いた。
これが自傷行為の始まりだった。
ここで【境界例人格障害】という病名がついた。
ここの施設をキッカケに
精神薬を飲むことを強要されて飲み始め
リストカットが始まり
過食症が始まった。
後々酷い自傷行為やオーバードーズも
行うようになった。
27歳の頃は3階から飛び降りたり・・・。
そのお話はまたいつか。。。
今でも後悔してるのは母の事。
母に手を上げた事。
母に苦しい思いをさせた事。
悔やんでも仕方ない。
けど未だにこの1年2ヶ月を悔いる日々。
24kgだった私