Hさんとブログとは別の
Hさんのお弟子さん(Uさん)が
出迎えてくれた。
Uさんにハグされた時
物凄く心にイガイガしたものを感じた。
彼女が本能的に私を嫌だと感じてるのが
伝わった。
その後Nさん、Nさんの姪っ子さんも交え
居酒屋で食事した。
そして私は
Uさんのお宅にお邪魔した。
ここが私が住まわせてもらう所になる。
Uさんの家に居候だった。
Uさんは
表面的には穏やかでおっとりで
癒し系で通ってたけど
本当は酷く潔癖で神経質で
私の存在がかなりのストレスだった。
8月から【トラウマリムーブ】
という治療をHさんから受ける事になっていた。
トラウマに気付いてトラウマでなくす
みたいなものだと思う。
それにはあらゆる薬を1週間辞めないといけないとの事で
無知な私は飲んでいた精神安定剤、甲状腺ホルモンの薬など全てをいきなり止めた。
そこからが物凄い波乱になった。
激鬱状態
大パニック
混乱、不安、恐怖、孤独感
どうしようもない状態
それでもその時その時をやっていた。
苦しくて怖くて
生きていられない気持ち
下関に帰りたくて仕方なかった。
だけどHさんからは毎回
『帰ってどうするの?』
という言葉が返ってきて
帰ることが認められず苦しかった。
そして
飛行機だから簡単には帰れない
そんな気持ちで苦悩した。
トラウマリムーブは
対抗催眠みたいな感じだったけど
よくわからなかった。
私が北海道に来て1週間後
祖母が他界した。
翌年の5月
母は1階の私が住んでいた所から
祖父母が住んでいた階に引っ越した。
8月のある日
Uさん宅の大家さんから
居候は認められないと伝えられ
出ていかなくてはいけない事になった。
あれほど帰りたかったのに
突然『帰りたくない!』という気持ちになった。
8月末までに出なければならなかった。
そこから家探しが始まった。
Hさんは不動産屋さんに連れて行ってくれ
何軒か見て回った。
『Pハウス』という会社のIさんという
男性だった。
余談だけど
2019年札幌に移住を決めた時
家探しをしたのも偶然同じ『Pハウス』 しかも担当が女性だったけど同じ苗字のIさんだった。
彼女とは今も友達。
その時決めた家はコンビニ挟んで
左側にある1階のアパート【103号】
だった。
そして偶然にも
2019年決めた家は同じコンビニ挟んで
右側にある2階のアパート【201号】
ここは今も住んでいる。
何と
下関で10年前住んでた気持ち悪い部屋も
【103号】
トンネル挟んで左側
今も引っ越して住んでるのが
【201号】
トンネル挟んで右側
下関の住所と今の住所が物凄く似ている。
という不思議を感じている。
そういう訳で
2011年8月末一人暮らしをする事になった。
閉塞感のある苦しかった同居から
解放されていた。
続く