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まさはる君がきた

2019-03-07 21:58:32 | 日記

土曜日、遅い朝から始めた家事をやっと終えたのが午後3時

 

「ぴんぽ~ん」

 

めったに鳴らない呼び鈴が、、よっぽど無視をしようかと思ったけれど、、、、

 

目いっぱいのいい声を出して

 

内から 「はーい」

 

外から 「テレビ東京ぽちたまという番組ですが」

 

弱いんだあ。ついフラフラと玄関を開けてしまった。今思えば、3匹の子ぶただったら、私は何も疑わずにおおかみにやられちゃうタイプだ。

 

開けた瞬間、おっきな犬と見たことある人~! 覚えてる松本君!ずいぶん見てなかったけれど。どうもその後でわかったけどBSで今は放映しているらしい。

 

 

 

テレ東 「大きな立派なお蔵がありますよねえ。見せて頂けませんか?」

 

私   「ええ。いいですよお。なんにも入ってませんけど」

 

 

 

そう、蔵の中は数年前からお片付けをしてかなりすっきりさせてしまった。今年食べる玄米と1月に仕込んだ味噌とその他ちょっとした物しか入っていない。

 

 

 

テレ東 「ここはどうゆう使い方をされていたんですか?」

 

私   「戦争時代は都会から疎開してここに住んでいた人もいるとも聞いたこともありますが、、、、、」

 

 

 

いつからの建物だとか、私が知りたい事ばかり、聞いてくる。

 

なんなら、テレビ東京さん調べてくださいよおー。私がまさに知りたいんですよお。

 

 

 

その後近所に住んでいるおばさんが、教えてくれた。

 

「わしの家はなあ、昔の家から’’天保の飢饉’’の頃に家を作ったって板だかが出てきたに。きっと、同じ頃だに」って。

 

まじか。すぐ、ぐぐる。天保って、、いつ?

 

天保の大飢饉は江戸時代後期の1833年(天保4年)に始まり、1839年まで(天保10年)まで続いたとのこと

 

2019年-1839年=180年

 

180年前の家、蔵なのかな?

 

 

 

まさはる君と共に

 

 

 

 

※なにが、悲しいって、ノー〇〇 ノーメーク ゆるゆるズボン、、、、、で、テレビにでてしまうとしたら、、、、、悲しいっ。

 

 

 

 

 

 

 

 


3月-旅立ちに向けて

2019-03-07 21:56:37 | 日々の暮らし

今年は、冬がそんなに寒くなくおかげです。

 

3月の知らせを聞くと、ホッとします。

 

次女の高校入試があった数年前の3/8、激しく吹雪いていたのを思い出す。

 

高校入試が終わりプツンと糸がきれたようになったのも思い出す。

 

プツンと切れたと言えば、長女の大学入試後はさらにプッツーンときれたようだったのも今ではいい思い出。高校3年夏に、ストップウォッチを首に下げ、10時間勉強と言っていたのは今振り返ればまだ序の口だった。1月、2月には15時間くらいはしていたのかなあ。最終的にはご飯を食べる以外は勉強みたいな。目標が定まるとそれはストイックに突っ走る子。

 

それは次女も一緒で入試前は軽く10時間を超えていただろう。

 

よく勉強した。

 

数年がたった現在大学3年の長女は流れに乗って就活をする事と大学4年になることを拒否し、休学することを決めた。海外生活をどうしても経験したい事と海外インターンへ行く事を決めたらしい。自分を見つめる為、自分がやりたい職業が本当に合っているかを確かめる為。必ず、大学は卒業をします。したいと言って。

 

甘い親かもしれない。でも、妥協をしない子。納得しなければ動かない子だから、1年様子を見てみる。これからの1年が、あの子にとって、実のある1年になりますよう。

実はすぐには実らないこともあることを心におさめて。

 

まずは、海外インターンに行くお金を稼ぐため、リゾートバイトにて資金調達。

 

娘を信じて送り出します。無事を祈り。

 

その前に、引っ越しやら、、、、、、気忙しい3月となりそう。

 


 

 

 

 

 


最後のパソコン教室

2019-03-07 21:52:27 | 日々の暮らし
秋からの半年の最後のパソコン教室を終えて帰ってきた夜、、星が綺麗だった。

色々教えて頂いたが大きくはブログをアップするということを教えてもらった。先生、ありがとうございました。
教室の皆さんもありがとうございました。

日記がわりの私の覚書帳のつもりだった物を教室の皆さんだけにはお教えすることになり、お教えしちゃって、(というか、教室でブログ作成しましたから)こそばゆいような思いですが、、、、。
せっかくですので、このまま続けていくつもりです。

いい1日でした。
星も綺麗でした。

答辞

2019-03-07 12:33:19 | 文章

2011.3.11 東日本大震災  

本日は 未曾有の大震災の傷も癒えない最中 私たちのために卒業式を挙行していただきありがとうございます

 

ちょうど 十日前の三月十二日。春を思わせる暖かな日でした

 

私たちは そのキラキラ光る日差しの中を 希望に胸を膨らませ 通いなれたこの学舎を五十七名揃って巣立つはずでした。

 

前日の十一日

 

一足早く渡された 思い出たくさん詰まったアルバムを開き 十数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。

 

「東日本大震災」と名づけられる天変地異が起こるとも知らずに・・・

 

階上中学校といえば「防災教育」といわれ 内外から高く評価され 十分な訓練もしていた私たちでした

 

しかし 自然の猛威の前には 人間の力はあまりにも無力で 私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました

 

天が与えた試練というには むごすぎるものでした

 

つらくて 悔しくてたまりません

 

時計の針は 十四時四十六分を指したままです

 

でも 時は確実に流れています。

 

生かされた者として顔を上げ 常に思いやりの心を持ち 強く 正しく たくましく生きていかなければなりません

 

命の重さを知るには 大きすぎる代償でした

 

しかし 苦境にあっても 天を恨まず 運命に耐え 助け合って生きていくことが これからの 私たちの使命です

 

私たちは今 それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します

 

どこにいても、何をしていようともこの地で 仲間と共有した時を忘れず 宝物として生きていきます

 

後輩の皆さん 階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が いかに貴重なものかを考え いとおしんで過してください

 

先生方 親身のご指導 ありがとうざいございました

 

先生方が いかに私たちを思ってくださっていたか 今になってよく分かります

 

地域の皆さん これまで様々なご支援をいただき ありがとうございました

 

これからもよろしくお願いいたします

 

お父さん、お母さん 家族の皆さん これから私たちが歩んでいく姿を見守っていてください

 

必ず よき社会人になります

 

私は この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います

 

最後に 本当に 本当に ありがとうございました

 

 

 

 平成二十三年三月二十二日

 

 第六十四回卒業生代表 梶原 祐太 

 

 (みやぎ学校安全基本方針 一より引用)

 

 

 

卒業シーズンが近づくと読み返さずにはいられない答辞

 

 

 

「生かされた者として顔を上げ 常に思いやりの心を持ち 強く 正しく たくましく生きていかなければなりません」

 

「苦境にあっても 天を恨まず 運命に耐え 助け合って生きていくことが これからの 私たちの使命です」

 

 あんなつらい経験をした中学生に自分の周りでしか生きていない50の気楽なおばさんが大事な事を教えてもらいにかえる文章