1547年におきた武田信玄と笠原・上杉連合軍との戦い(小田井原の戦いとそれに続く志賀城攻略戦)では,勝者である武田軍が,志賀城内の将兵3千名の降伏を認めず皆殺しにし,周辺の女子供は甲斐に連れ帰って売りさばいたそうです。それも市を立てて。 皮肉な言い方かもしれませんが,当時は名将ほど他国に対しては残虐であったと言えるかもしれません。それだけに悪逆非道の代表のように言われる織田信長が京都に進駐したとき,乱取りの類いを一切禁止したことは画期的であり,当時の京都市民から賞賛されたのでしょう。
ちなみに略奪行為を全面禁止にしたのは、織田信長が最初であったと記憶します。
秀吉は朝鮮での奴隷狩りを禁止していました。理由は戦闘に専念させたいから。 しかし、奴隷商人である島津は戦闘そっちのけで奴隷狩りにばかり狂奔し、「鬼」といわれました。
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皆の嫌われ者
皆の嫌われ者さん
質問者2023/7/13 11:15
軍勢と一緒に朝鮮に渡った商人の中には「人買い」も
いたという記述がありました。戦場での乱取り、人買
いは朝鮮の役でも普通に行われたのでは?