鳴かぬなら殺してしてしまえホトトギス
「鳴かぬなら殺してしてしまえホトトギス」は実際に信長が残したものではなく、江戸時代後期に創設された歌である。つまり、秀吉の「惟任退治記」が元に、信長が光秀を虐めて謀反を企てられたエピソードが散々創作された後であり、我々だけでなく江戸時代の人は既に「惟任退治記」によって信長の残虐性を連想しているのだと言える。
こうなってくると「惟任退治記」と「信長公記」のどちらに信憑性があるのかという話になってくるが、「織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!」の同じ著者の「本能寺の変 431年目の真実」では「惟任退治記」に信憑性がないという解釈になっていた。
- 光秀の読んだ歌、その日付に改竄が認められる
- 改竄があるということは秀吉が政治的な意図によって書かせた恐れがある
【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)
秀吉は「信長に政権管理能力がなく、織田家よりも自分が信長政権を引き継ぐにふさわしい人物であること」を強調したかった。それが一つの政治的な意図で書かせたという解釈である。
歴史の解釈の面白さ