北海道で見つかった縄文後期の戦争の跡
マルクスの理論では資本主義が発達すると社会の格差が生まれ、資本家はさらなる富を求めて帝国主義的な戦争を仕掛ける。縄文時代は平和だったという言説は、日本人は元来平和を好む民族であり、かつ戦争のない世界は実現可能だというニュアンスを含む。
三内丸山遺跡に限らず、日本中に縄文遺跡は多々あるけれども、どこも縄文時代をユートピアとして描くのが通例のようだ。まあ遺跡は大事な観光資源なので、戦争などという生臭いことは抜きにしておきたい気持ちも分かる。けれども考古学は科学的に進めるべきだし、やはり事実は何だったのかを知りたい。
縄文時代に戦争がなかったという言説の最大の拠り所は、出土する人骨に戦死の形跡が乏しいことだとされる。けれども、平和だったはずという先入観を抜きにして、武器の変遷なども考慮して、より詳しく調査し直すべきだという意見がある。そうした見方を示す論文(「受傷人骨からみた縄文の争い」内野那奈・伊丹市教育委員会嘱託=執筆時点)もある。
また最近になって北海道の有珠モシリ遺跡で縄文時代後期における戦争の跡が見つかった(共同通信「頭に傷痕、複数の縄文人骨発見 集団間で争いか、北海道」)。多数の戦死者が出土したことに、個人の考古学愛好家も関心を示している。
世界的に見れば、狩猟採集民もたくさんの戦争をしてきた。実は過去になればなるほど、死亡率に占める戦士の割合が高い、というのが常識になっている。これは多くの学者が書いているが、日本でも読めるものとして、米ハーバード大学・スティーブン・ピンカー教授の著書『暴力の人類史』がある。
「忌まわしい文明が発達する前の高貴なる原始人の世界は平和だったはず」という思い込みはかつて海外の考古学界でも共有されていた。だが、よく調べ直してみると、実は時代を遡るほど戦争は多かった、ということだ。
縄文時代の平均寿命は10代前半
もしも日本だけが世界の趨勢とは違って、縄文時代が本当に平和だったとしたら、違いは何か。岡山大学の松本直子教授が2018年の論文で書いているように、人々の紛争を解決する文化があり、戦いでなく儀式や話し合いをしたのかもしれない、という意見がある。また、戦争するよりも交易するほうが豊かになる、との意見もある。
たしかに戦争でなく文化や交易に頼ったほうが豊かになるのは間違いないし、そのような部族は昨今、多くいる。しかし、これらの意見は根本的問題を解決していない。豊かになり、人口が爆発したらどうやって調整するのか?
結局のところ、縄文時代に戦争が本当になかったとすれば、それは、何か他の死因があまりにも大きくて、人口が増えなかったということしか考えられない。病気などで早々に人々が死亡したのだろう。
実際、縄文時代の平均寿命は10代前半だったとされる(下記グラフ)。
縄文人から現代人までの生存数曲線(環境科学技術研究所のホームページより転載)
女性は子供を産める年齢になると、妊娠と出産を何回か繰り返し、子供をもうけるが、その多くは幼児のうちに亡くなり、10歳を超えるのは4割程度。出産自体も危険を伴った。
温暖だったため北海道や青森でも文化が発展
やがてその女性自身も間もなく亡くなる。30歳を迎えるのは2割程度。平均として1人あたり2人の子供を成人させて人口を維持するのは際どいことになりそうだ。これが縄文時代の常態で、現代の基準からすると、かなり過酷な生活だったということだ。
すると冒頭のユートピア説はどう修正されるか。
「縄文時代には豊かな自然の恵みの下、人々は平和に暮らしました」というのは嘘で、「縄文時代は、あまりにも貧しくて人口は増えず、人々は戦争を起こす余力もありませんでした」ということではなかろうか。
もっとも、これだと縄文時代ディストピア説になってしまうので、観光資源にはふさわしくないという欠点があるが・・・
ひとつ救いがあるとすれば、縄文時代の北海道や青森県は今よりも2~3℃気温が高かったということか。
なぜ寒い北海道や青森で縄文文化が発展したかといえば、この気候の要因は大事だったと思われる。ちなみに当時は日本海の対岸のロシア沿海州もやはり気温が高く、文化が発達していた。
これからもしも地球が温暖化すると、北海道や青森県の暮らしや自然はどうなるか。縄文時代はその先取りになっている。よく調べると、これからの展望が明るくなりそうだ。