量子コンピューターという思想(その2)
万物は粒子である ─ファインマンの青春の夢─
(その2)-7.”万物は球体=粒子=量子=デジタル情報である”
1985年にファインマンは「普遍的量子シミュレーター」という思想に到達した。1950年代、遠隔相互作用で物理学を書き直す仕事をしていた彼はすでに「特殊量子シミュレーター」に繋がるアイデアを示している。
その内容は、https://ja.wikipedia.org/wiki/ゼアーズ・プレンティ・オブ・ルーム・アット・ザ・ボトム
30年の熟成期間を超えてついに量子コンピューターの世界を提示したのだ。1985年に量子コンピューターの理論を確立したD ドイチは手短にファインマンの仕事を紹介してくれている。
ファインマンが量子干渉実驗装置そのものが計算機になると考えるに至ったアイデアは次のようなものだった。
D ドイチによるファインマンの発想の要約。
①量子実驗装置へ「量子の投入=入力」
②量子実驗装置の「設計=プログラム=アルゴリズム」
③量子実験結果の「観測装置=読み出し=出力」
入力された情報は、つまり投入された量子は計算困難な計算を量子自身でプログラムに従って通過しながら即座に処理して瞬間的に観測装置に到達し、計算結果を出力出来るとファインマンは考えた。
ここで注目することは「量子自身で」という説明の中に量子コンピューターの特性が表れていることである。もう一度ここを繰り返すと「量子力学的粒子は自分で「チューリングマシン通路=量子干渉実驗装置」を潜り抜けながら計算困難な処理を『自分で終えて』出てくるのである」となる。
ファインマンの普遍的量子シミュレーターには一つの條件がある、とドイチは指摘する。それは「予測不可能性=初期値敏感性=カオス」ではないという條件である。この條件は環境の影響による「デコヒーレンス」の問題を想定しているものであろう。
また、普遍性にとって「処理困難性=計算不可能性=数学基礎論的限界突破」が重要であって「予測不可能性=初期値敏感性=カオス」ではないと通常では考えられていたが、しかし、ファインマンは、まさしく、反対の結論を導き出した「処理困難性=NP完全問題=数学基礎論的限界」を障害とは見なさず、好機と捉えたのである。
通常というのは、古典コンピューターでは計算不可能性が最大の問題だった、しかしこと量子コンピューターでは環境の攪乱要因のカオス状態がネックになると考えたのであるが、これは量子コンピューターの理論をファインマンが正しく把握していたことを示している。
古典コンピューターの最大の難問とはコンピューターが停止してしまうことと永遠に停止しないコトにある。じゃー、量子コンピューターはと言うと不思議に思うことでしょうが、このような障害は存在しないか回避することをコンピューター自身が選択するのである。
†
量子コンピューターという思想(その2)
万物は粒子である ─ファインマンの青春の夢─
(その2)-8,ファインマンから始まる3人の系譜
(量子シュミレーターと量子コンピューター)
三人は量子論の奇妙な問題に立ち向かい、現代物理学を根抵から変革しようと志した物理学者である。結果的には成功したとは未だ言えない改革に関わった3人ではあった。だが、そこから生まれた量子コンピューターが3人の格闘の果実となった。
1950年代にファインマンは「ナノテクノロジー量子シミュレーター」というアイデアと思考実験に到達した。さてここからだ、プロトタイプともいえるこのアイデアは実に壮大な構想を持っていた。
1983年には「普遍的量子シミュレーター」として量子コンピューターのアイデアを公開した。ファインマンは量子「コンピューター」という表現は行っていないことに注目してみたいと思う。あくまでも、「量子シミュレーター」なのだ。ここが大事なところで、ペンローズに通じる見識なのだ。
詳しくはペンローズのところで「意識」「思考の危険性」「インスピレーション」という三題噺として書きたいと思いますシュミレーターという表現の中に自然世界の一部として量子世界を眺めているファインマンの直感的な目線がある。
粘菌コンピューターを思い起こして頂きたい、粘菌に「任せれば」計算機で解くことの出来ない解を求めることが出来る。この発想をファインマンが持っていたから、シミュレーターという発想が位置つけられている。つまり粘菌シュミレーターということになるが、どっこい粘菌自身は量子コンピューターを内蔵しているというわけだ。
この言葉の中に生命が自ら持つであろう「常温自然量子コンピューター」の存在を予言していたことになる。
1918年生まれのファインマンは30代でこの発想に到達し、磨き上げてまとめたとき65才になっていた。量子コンピューターは若き物理学者のヒラメキから生まれ、30年の歳月の間に卵の殻を破って成長した。
この壮大さは師のホイラーの影響だと私は思う。実は3人の系譜にはつねにこの超大物の物理学者が顔を出すのだ。そして決定的なのはホイラー最晩年の自伝からのコトバなのだ。
「最初、私はすべては粒子であると思い,次にすべては場であると思い,今はすべては情報であると思っている」。ホイラーの晩年とは、96才の長寿だったから、90才に近い頃かも知れない。この言葉は2000年に公になった自伝に記載されているとのことだ。
粒子から場へ、場から情報へ、この流れこそファインマンの粒子、ペンローズの重力量子場の理論、ドイチの量子コンピューター理論という系譜を一言で締めくくってしまったものだ。
驚くべき直感力を持った長寿科学者がいたものだが、相似象では人生の永い時間をかけた熟成が直感を鍛えるのに必要である事を強調している。
-----------
次回の、量子コンピューターという思想(その3)はペンローズです、万物は回転(スピン)する。
心の起源を始元であるビッグバンにもとめるという大胆な仮説を裏付けるのは量子コンピューターのオントロジーであるというのです、これを相似象及びKamu Number Theoryから相似象観光します。
量子コンピューターという思想(その2)1〜3へ (その2)4〜6へ
Kamu Number Theory
copyrght © Allright Rserved Masaki Yoshino
万物は粒子である ─ファインマンの青春の夢─
(その2)-7.”万物は球体=粒子=量子=デジタル情報である”
1985年にファインマンは「普遍的量子シミュレーター」という思想に到達した。1950年代、遠隔相互作用で物理学を書き直す仕事をしていた彼はすでに「特殊量子シミュレーター」に繋がるアイデアを示している。
その内容は、https://ja.wikipedia.org/wiki/ゼアーズ・プレンティ・オブ・ルーム・アット・ザ・ボトム
30年の熟成期間を超えてついに量子コンピューターの世界を提示したのだ。1985年に量子コンピューターの理論を確立したD ドイチは手短にファインマンの仕事を紹介してくれている。
ファインマンが量子干渉実驗装置そのものが計算機になると考えるに至ったアイデアは次のようなものだった。
D ドイチによるファインマンの発想の要約。
①量子実驗装置へ「量子の投入=入力」
②量子実驗装置の「設計=プログラム=アルゴリズム」
③量子実験結果の「観測装置=読み出し=出力」
入力された情報は、つまり投入された量子は計算困難な計算を量子自身でプログラムに従って通過しながら即座に処理して瞬間的に観測装置に到達し、計算結果を出力出来るとファインマンは考えた。
ここで注目することは「量子自身で」という説明の中に量子コンピューターの特性が表れていることである。もう一度ここを繰り返すと「量子力学的粒子は自分で「チューリングマシン通路=量子干渉実驗装置」を潜り抜けながら計算困難な処理を『自分で終えて』出てくるのである」となる。
ファインマンの普遍的量子シミュレーターには一つの條件がある、とドイチは指摘する。それは「予測不可能性=初期値敏感性=カオス」ではないという條件である。この條件は環境の影響による「デコヒーレンス」の問題を想定しているものであろう。
また、普遍性にとって「処理困難性=計算不可能性=数学基礎論的限界突破」が重要であって「予測不可能性=初期値敏感性=カオス」ではないと通常では考えられていたが、しかし、ファインマンは、まさしく、反対の結論を導き出した「処理困難性=NP完全問題=数学基礎論的限界」を障害とは見なさず、好機と捉えたのである。
通常というのは、古典コンピューターでは計算不可能性が最大の問題だった、しかしこと量子コンピューターでは環境の攪乱要因のカオス状態がネックになると考えたのであるが、これは量子コンピューターの理論をファインマンが正しく把握していたことを示している。
古典コンピューターの最大の難問とはコンピューターが停止してしまうことと永遠に停止しないコトにある。じゃー、量子コンピューターはと言うと不思議に思うことでしょうが、このような障害は存在しないか回避することをコンピューター自身が選択するのである。
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量子コンピューターという思想(その2)
万物は粒子である ─ファインマンの青春の夢─
(その2)-8,ファインマンから始まる3人の系譜
(量子シュミレーターと量子コンピューター)
三人は量子論の奇妙な問題に立ち向かい、現代物理学を根抵から変革しようと志した物理学者である。結果的には成功したとは未だ言えない改革に関わった3人ではあった。だが、そこから生まれた量子コンピューターが3人の格闘の果実となった。
1950年代にファインマンは「ナノテクノロジー量子シミュレーター」というアイデアと思考実験に到達した。さてここからだ、プロトタイプともいえるこのアイデアは実に壮大な構想を持っていた。
1983年には「普遍的量子シミュレーター」として量子コンピューターのアイデアを公開した。ファインマンは量子「コンピューター」という表現は行っていないことに注目してみたいと思う。あくまでも、「量子シミュレーター」なのだ。ここが大事なところで、ペンローズに通じる見識なのだ。
詳しくはペンローズのところで「意識」「思考の危険性」「インスピレーション」という三題噺として書きたいと思いますシュミレーターという表現の中に自然世界の一部として量子世界を眺めているファインマンの直感的な目線がある。
粘菌コンピューターを思い起こして頂きたい、粘菌に「任せれば」計算機で解くことの出来ない解を求めることが出来る。この発想をファインマンが持っていたから、シミュレーターという発想が位置つけられている。つまり粘菌シュミレーターということになるが、どっこい粘菌自身は量子コンピューターを内蔵しているというわけだ。
この言葉の中に生命が自ら持つであろう「常温自然量子コンピューター」の存在を予言していたことになる。
1918年生まれのファインマンは30代でこの発想に到達し、磨き上げてまとめたとき65才になっていた。量子コンピューターは若き物理学者のヒラメキから生まれ、30年の歳月の間に卵の殻を破って成長した。
この壮大さは師のホイラーの影響だと私は思う。実は3人の系譜にはつねにこの超大物の物理学者が顔を出すのだ。そして決定的なのはホイラー最晩年の自伝からのコトバなのだ。
「最初、私はすべては粒子であると思い,次にすべては場であると思い,今はすべては情報であると思っている」。ホイラーの晩年とは、96才の長寿だったから、90才に近い頃かも知れない。この言葉は2000年に公になった自伝に記載されているとのことだ。
粒子から場へ、場から情報へ、この流れこそファインマンの粒子、ペンローズの重力量子場の理論、ドイチの量子コンピューター理論という系譜を一言で締めくくってしまったものだ。
驚くべき直感力を持った長寿科学者がいたものだが、相似象では人生の永い時間をかけた熟成が直感を鍛えるのに必要である事を強調している。
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次回の、量子コンピューターという思想(その3)はペンローズです、万物は回転(スピン)する。
心の起源を始元であるビッグバンにもとめるという大胆な仮説を裏付けるのは量子コンピューターのオントロジーであるというのです、これを相似象及びKamu Number Theoryから相似象観光します。
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