量子コンピューターという思想(その3)
万物は回転する ペンローズの宇宙大航海時代の羅針盤
(その3) - 6 ペンローズの微小管非チューリングマシン
さていよいよ、ペンローズが一気呵成にファインマンの万能量子シミュレータを生命領域へ拡張してしまう場面に至った。
断って置くが、ファインマンは量子世界の不思議な現象をシミュレーションすれば計算が出来る、いや、自然が計算してくれるという直感が働いた。
彼は量子の多重世界のもつ不思議は生命と同じ「自然の一部」であると考えていた。
その自然の働きを計算に利用しようと思いついた。だから最初から量子コンピューターを発想したわけではなかった。
自然の捉え方から言えば、ペンローズも脳の量子レベルの微小機構をシミュレーションすれば、量子脳という自然物が計算をしてくれると直感した。
この直感はD ドイチがうち立てた量子コンピューター理論の未來へと繋がる構想を含んでいる。
量子レベルの自然をシミュレーションすれば、量子が計算した結果だけを利用できるのだ。
これが生物である粘菌コンピューターなどの発想の原型であるというところがペンローズらしい先見性なのだ。
こうして、原子の世界を生命の世界へと、それもストレートに接続するという量子脳への冒険物語の始まりだ!
後ほど紹介するように、この物語は2020年の現在も活発な展開を持ち、最先端の研究がつぎつぎと発表されている極めてアクティブな世界なのだ。
つまり、未來を見据えていたペンローズの思想は間違っていなかったこと、行き詰まりの突破口が次々に見つかって来ていることを意味していると思う。
「精神(生命)と物質の関係を考えるとき最大の接点は量子デコヒーレンス収縮である」とその基本的な考え方を示しているペンローズだが。
この考え方は「素粒子各々に付随するデコヒーレンスには意識の基本構成単位としての属性が示されている」ということになる。
つまり「素粒子が意識を持つ」と言うことになる。まさか?……本当だろうか?これではまるで岩にも心があるというアニミズムそのものではないか?
多くの人が驚くと同時に、反発する発想なのだけど、量子論からは、このような常識では考えられないような思想がこれからも次々と生まれるのだ。
D ドイチもまた量子論からパラレル宇宙を導き出すことが必要だと考えている思想家だ。
(量子コンピューターという思想(その4)万物は情報である、で詳しく紹介します)
では、改めて9項目の量子論の謎を、別の角度から覗いてみよう。
---------------
(1),1つの粒子が2カ所に2つの別のものとして同時に存在する
→ コヒーレンスという虚数解釈(実験済み)
(2),1つの粒子は2つのどっちかの粒子として現象化する
→ デコヒーレンス現象化(一部解明実験済み)
(3),量子テレポーテーション現象
→ 超常的現象としてのエンタングルメント遠隔作用同期(実験済み)
(4),粒子と波動の2つの物理的性質を1つの量子が同時に持つ
→ 重畳性デュアリティーという解釈(実験済み)
(5),複素数の世界で表現され、答えは実数の世界で導かれる
→ 虚数世界から現象世界へ(実験済み)
(6),存在するものは全て複素数スピン回転している
→ ミクロもマクロも回転している(実験済み)
(7),位置と運動量の同時確定出来ない不可知(不確定)性
→ 正確な状態を測ることが出来ない
(8),微視的可逆性と巨視的不可逆性 → 時間の可逆性とカオス
→ 時間を逆行する粒子 (一部解決)
(9),量子力学は日常生活の物理を含む
→ これら8項目の謎をそのまま日常生活に持ち込めるのか?
---------------
これらの謎の中に脳量子論の仮定が潜んでいるのだ。
ペンローズが「素粒子が意識を持つ」、「微小管コンピューターは超越的チューリングマシン、つまり非チューリングマシン」と考えるときの仮定を整理しておこう。
---------------
①「人間の思考はチューリングマシンの動作には還元できない」という仮定
②「量子のデコヒーレンスはチューリングマシンで計算することが不可能な、
実在的物理プロセスである」という仮定
③「量子論と相対論を理論的に統合することで、意識の問題も同時に解決される」という仮定である
---------------
この仮定にはペンローズの潜在的な意識から来るもう一つの仮定が含まれていると思う。
仮定の中でチューリングマシンとペンローズが指し示すものは「古典的デジタル計算機」という設定が含まれていると思う。
チューリングマシンに代わる超越的なコンピューターが存在するのなら、仮定の③は満足されるのではないか?というペンローズ個人の希望的な仮定である。
これを砕いて言えば、ペンローズはチューリングマシンにはもう期待できない、非チューリングマシンでそれに超越的で生命的なものが在るのではなかろうか、、?
この仮定を設定するに至るまでにペンローズは数学基礎論、とくにゲーデルの不完全性定理を徹底的に点検している。
チューリングマシンが(計算不可能)計算停止するかどうかをチューリングマシン自身で決定することはできない(停止性問題)が解っている。これはゲーデルの不完全性定理の別の表現の形とみなすことができるということも解っている。
数学の未解決問題がここには控えている、計算するには演算モデルをアルゴリズムへと推敲したものが必要だ。
D ドイチの量子コンピューター探求は、この問題に決着をつけることで進むことが出来た。ペンローズもこの決着の付け方の中で「チューリングマシン原理」という思想に到達した。
そしてペンローズは「チューリングマシン原理」のゲーデルの不完全性定理からの限界という考え方に至って、生命とチューリングマシンとの間の乖離という迷いが生まれてしまった。
このペンローズの迷いの中から、ひらめいた希望、それが非チューリングマシンの具体化したものとして「ナノ微小管コンピューター」だった。
安定したコヒーレンス状態が量子非チューリングマシンには必要条件だ、細胞内部の常温常圧の状態でその條件を満足する必要がある。
この物理的条件は希望を失うほどのものだった。だから、量子コンピューターは脳量子論にとっては期待することが全く出来ない単なるチューリングマシンだとペンローズは思ったようだ。
にもかかわらず、ペンローズが思い描いていた量子超越型非チューリングマシンこそ、ドイチが証明した量子コンピューターそのものだったのである。
ペンローズの杞憂を変えてしまう、物性物理の新しい流れがここ10年ほどの間に浮かび上がってきたことなのだ。
特に、2018年に登場したノールウエーの物理学者 Pavlo Mikheenko の「脳内超伝導の可能性」はまさにペンローズが夢見たものだった。
「脳内超伝導の可能性」の重大な内容を知るには、現存する量子コンピューターがコヒーレンス状態を維持するために超低温高圧環境を必要としていることを知っておく必要がある。
この論文の凄さがこれなのだ、脳内の常温常圧環境で現存の量子コンピューターと同じコヒーレンスを維持出来ることを、Pavlo Mikheenkoの論文は主張しているのである。
すでに記した様にペンローズは「超伝導や超流動現象に見られるマクロ量子コヒーレンスが生命体ゾウリムシのナノ微小管の常温内部で成起している可能性が存在する」と主張していたのであった。
(ゾウリムシの微細構造であるナノ微小管とファイバーバンドル・トポロジー小宇宙
等は、(その3) - 4,生命のロバストネスと情報熱力学、を参照してください)
まさに、脳内超伝導はペンローズが細胞や小生物に求めていたものである。これは、量子論の謎⑨ミクロとマクロの連携が実現してしまうという衝撃的なものだ。
もう一度ペンローズが微小管コンピューターに求めた3つの仮定をKamu Number Theoryから見直してみよう。
---------------
①「人間の意識はチューリングマシンの動作には還元できない」という仮定(ペンローズ)
→ 人間の意識はチューリングマシンの量子論的な「複素並行動作」に還元できる(Kamu Number Theory)
②「量子のデコヒーレンスはチューリングマシンで計算することが不可能な、実在的物理プロセスである」という仮定(ペンローズ)
→ 量子的動作はデコヒーレンスを検知して並行処理プロセスから排除する事が出来る
→ これは、D ドイチの言い方を借りれば、計算の行き詰まりは量子世界では解決可能(Kamu Number Theory)
③「量子論と相対論を理論的に統合することで、意識の問題も同時に解決される」という仮定(ペンローズ)
→ 重力概念をTsugahi概念に拡張すれば意識を物理学的に表現することが可能である(Kamu Number Theory)
---------------
このように、量子非チューリングマシンとしての微小管量子コンピューターというペンローズの仮定は、量子チューリングマシンへ変更すると共に、ペンローズの他の仮定も変更する必要があるのだ。
ペンローズは「量子コンピューターのほうが古典コンピューターより早いが、”単に早いだけ”である」と述べている。
彼には量子コンピューターは”ただ早いだけ”のチューリングマシンに見えるのだった。
しかし、そうではなかったのである、この辺の更に詳しいことは(その4)D ドイチの項で見たいと思う。
そして強調するべきは、ペンローズの直感は間違っていなかったのだ、彼が間違ったのは量子超越的非チューリングマシンが実は”ただの”量子チューリングマシンだったことだけなのだ。
† † † † † † † †
次回は「3-7、ペンローズの非計算物理とKamu Number Theory」になります
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1・量子コンピューターという思想(その3)
─万物は回転する・ペンローズと宇宙大航海時代の羅針盤─
(その3)目次
3-1、万物は回転する・互換重合時空ツイスター
3-2、万物のエントロピー、故に始元が存在する
3-3、ペンローズの迷いとマイナスエントロピー
3-4、生命のロバストネスと情報熱力学
†
3-5、宇宙羅針盤・テータ関数・共形幾何・保型形式
3-6、ペンローズの微小管非チューリングマシン
3-7、ペンローズの非計算物理とKamu Number Theory
3-8、準直感と準粒子型量子コンピューター
Kamu Number Theory
https://kamu-number.com/
copyrght © Allright Rserved Masaki Yoshino
万物は回転する ペンローズの宇宙大航海時代の羅針盤
(その3) - 6 ペンローズの微小管非チューリングマシン
さていよいよ、ペンローズが一気呵成にファインマンの万能量子シミュレータを生命領域へ拡張してしまう場面に至った。
断って置くが、ファインマンは量子世界の不思議な現象をシミュレーションすれば計算が出来る、いや、自然が計算してくれるという直感が働いた。
彼は量子の多重世界のもつ不思議は生命と同じ「自然の一部」であると考えていた。
その自然の働きを計算に利用しようと思いついた。だから最初から量子コンピューターを発想したわけではなかった。
自然の捉え方から言えば、ペンローズも脳の量子レベルの微小機構をシミュレーションすれば、量子脳という自然物が計算をしてくれると直感した。
この直感はD ドイチがうち立てた量子コンピューター理論の未來へと繋がる構想を含んでいる。
量子レベルの自然をシミュレーションすれば、量子が計算した結果だけを利用できるのだ。
これが生物である粘菌コンピューターなどの発想の原型であるというところがペンローズらしい先見性なのだ。
こうして、原子の世界を生命の世界へと、それもストレートに接続するという量子脳への冒険物語の始まりだ!
後ほど紹介するように、この物語は2020年の現在も活発な展開を持ち、最先端の研究がつぎつぎと発表されている極めてアクティブな世界なのだ。
つまり、未來を見据えていたペンローズの思想は間違っていなかったこと、行き詰まりの突破口が次々に見つかって来ていることを意味していると思う。
「精神(生命)と物質の関係を考えるとき最大の接点は量子デコヒーレンス収縮である」とその基本的な考え方を示しているペンローズだが。
この考え方は「素粒子各々に付随するデコヒーレンスには意識の基本構成単位としての属性が示されている」ということになる。
つまり「素粒子が意識を持つ」と言うことになる。まさか?……本当だろうか?これではまるで岩にも心があるというアニミズムそのものではないか?
多くの人が驚くと同時に、反発する発想なのだけど、量子論からは、このような常識では考えられないような思想がこれからも次々と生まれるのだ。
D ドイチもまた量子論からパラレル宇宙を導き出すことが必要だと考えている思想家だ。
(量子コンピューターという思想(その4)万物は情報である、で詳しく紹介します)
では、改めて9項目の量子論の謎を、別の角度から覗いてみよう。
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(1),1つの粒子が2カ所に2つの別のものとして同時に存在する
→ コヒーレンスという虚数解釈(実験済み)
(2),1つの粒子は2つのどっちかの粒子として現象化する
→ デコヒーレンス現象化(一部解明実験済み)
(3),量子テレポーテーション現象
→ 超常的現象としてのエンタングルメント遠隔作用同期(実験済み)
(4),粒子と波動の2つの物理的性質を1つの量子が同時に持つ
→ 重畳性デュアリティーという解釈(実験済み)
(5),複素数の世界で表現され、答えは実数の世界で導かれる
→ 虚数世界から現象世界へ(実験済み)
(6),存在するものは全て複素数スピン回転している
→ ミクロもマクロも回転している(実験済み)
(7),位置と運動量の同時確定出来ない不可知(不確定)性
→ 正確な状態を測ることが出来ない
(8),微視的可逆性と巨視的不可逆性 → 時間の可逆性とカオス
→ 時間を逆行する粒子 (一部解決)
(9),量子力学は日常生活の物理を含む
→ これら8項目の謎をそのまま日常生活に持ち込めるのか?
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これらの謎の中に脳量子論の仮定が潜んでいるのだ。
ペンローズが「素粒子が意識を持つ」、「微小管コンピューターは超越的チューリングマシン、つまり非チューリングマシン」と考えるときの仮定を整理しておこう。
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①「人間の思考はチューリングマシンの動作には還元できない」という仮定
②「量子のデコヒーレンスはチューリングマシンで計算することが不可能な、
実在的物理プロセスである」という仮定
③「量子論と相対論を理論的に統合することで、意識の問題も同時に解決される」という仮定である
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この仮定にはペンローズの潜在的な意識から来るもう一つの仮定が含まれていると思う。
仮定の中でチューリングマシンとペンローズが指し示すものは「古典的デジタル計算機」という設定が含まれていると思う。
チューリングマシンに代わる超越的なコンピューターが存在するのなら、仮定の③は満足されるのではないか?というペンローズ個人の希望的な仮定である。
これを砕いて言えば、ペンローズはチューリングマシンにはもう期待できない、非チューリングマシンでそれに超越的で生命的なものが在るのではなかろうか、、?
この仮定を設定するに至るまでにペンローズは数学基礎論、とくにゲーデルの不完全性定理を徹底的に点検している。
チューリングマシンが(計算不可能)計算停止するかどうかをチューリングマシン自身で決定することはできない(停止性問題)が解っている。これはゲーデルの不完全性定理の別の表現の形とみなすことができるということも解っている。
数学の未解決問題がここには控えている、計算するには演算モデルをアルゴリズムへと推敲したものが必要だ。
D ドイチの量子コンピューター探求は、この問題に決着をつけることで進むことが出来た。ペンローズもこの決着の付け方の中で「チューリングマシン原理」という思想に到達した。
そしてペンローズは「チューリングマシン原理」のゲーデルの不完全性定理からの限界という考え方に至って、生命とチューリングマシンとの間の乖離という迷いが生まれてしまった。
このペンローズの迷いの中から、ひらめいた希望、それが非チューリングマシンの具体化したものとして「ナノ微小管コンピューター」だった。
安定したコヒーレンス状態が量子非チューリングマシンには必要条件だ、細胞内部の常温常圧の状態でその條件を満足する必要がある。
この物理的条件は希望を失うほどのものだった。だから、量子コンピューターは脳量子論にとっては期待することが全く出来ない単なるチューリングマシンだとペンローズは思ったようだ。
にもかかわらず、ペンローズが思い描いていた量子超越型非チューリングマシンこそ、ドイチが証明した量子コンピューターそのものだったのである。
ペンローズの杞憂を変えてしまう、物性物理の新しい流れがここ10年ほどの間に浮かび上がってきたことなのだ。
特に、2018年に登場したノールウエーの物理学者 Pavlo Mikheenko の「脳内超伝導の可能性」はまさにペンローズが夢見たものだった。
「脳内超伝導の可能性」の重大な内容を知るには、現存する量子コンピューターがコヒーレンス状態を維持するために超低温高圧環境を必要としていることを知っておく必要がある。
この論文の凄さがこれなのだ、脳内の常温常圧環境で現存の量子コンピューターと同じコヒーレンスを維持出来ることを、Pavlo Mikheenkoの論文は主張しているのである。
すでに記した様にペンローズは「超伝導や超流動現象に見られるマクロ量子コヒーレンスが生命体ゾウリムシのナノ微小管の常温内部で成起している可能性が存在する」と主張していたのであった。
(ゾウリムシの微細構造であるナノ微小管とファイバーバンドル・トポロジー小宇宙
等は、(その3) - 4,生命のロバストネスと情報熱力学、を参照してください)
まさに、脳内超伝導はペンローズが細胞や小生物に求めていたものである。これは、量子論の謎⑨ミクロとマクロの連携が実現してしまうという衝撃的なものだ。
もう一度ペンローズが微小管コンピューターに求めた3つの仮定をKamu Number Theoryから見直してみよう。
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①「人間の意識はチューリングマシンの動作には還元できない」という仮定(ペンローズ)
→ 人間の意識はチューリングマシンの量子論的な「複素並行動作」に還元できる(Kamu Number Theory)
②「量子のデコヒーレンスはチューリングマシンで計算することが不可能な、実在的物理プロセスである」という仮定(ペンローズ)
→ 量子的動作はデコヒーレンスを検知して並行処理プロセスから排除する事が出来る
→ これは、D ドイチの言い方を借りれば、計算の行き詰まりは量子世界では解決可能(Kamu Number Theory)
③「量子論と相対論を理論的に統合することで、意識の問題も同時に解決される」という仮定(ペンローズ)
→ 重力概念をTsugahi概念に拡張すれば意識を物理学的に表現することが可能である(Kamu Number Theory)
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このように、量子非チューリングマシンとしての微小管量子コンピューターというペンローズの仮定は、量子チューリングマシンへ変更すると共に、ペンローズの他の仮定も変更する必要があるのだ。
ペンローズは「量子コンピューターのほうが古典コンピューターより早いが、”単に早いだけ”である」と述べている。
彼には量子コンピューターは”ただ早いだけ”のチューリングマシンに見えるのだった。
しかし、そうではなかったのである、この辺の更に詳しいことは(その4)D ドイチの項で見たいと思う。
そして強調するべきは、ペンローズの直感は間違っていなかったのだ、彼が間違ったのは量子超越的非チューリングマシンが実は”ただの”量子チューリングマシンだったことだけなのだ。
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次回は「3-7、ペンローズの非計算物理とKamu Number Theory」になります
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1・量子コンピューターという思想(その3)
─万物は回転する・ペンローズと宇宙大航海時代の羅針盤─
(その3)目次
3-1、万物は回転する・互換重合時空ツイスター
3-2、万物のエントロピー、故に始元が存在する
3-3、ペンローズの迷いとマイナスエントロピー
3-4、生命のロバストネスと情報熱力学
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3-5、宇宙羅針盤・テータ関数・共形幾何・保型形式
3-6、ペンローズの微小管非チューリングマシン
3-7、ペンローズの非計算物理とKamu Number Theory
3-8、準直感と準粒子型量子コンピューター
Kamu Number Theory
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