ワイフ殿のLineから送られてきた画像がNHK大河ドラマ「どうする家康」の
6月 三河を守れ!長篠・設楽原の戦いと記されているポスター画像でした (#^.^#)
いつものように早く起こされたワイフ殿は今日はお天気がいいということで
ハマっている大河ドラマの舞台に行きたいというので住む渥美から奥三河へドライブしてきました
行き先は、長篠城址です
長篠城は、三河設楽郡長篠(現・愛知県新城市長篠)にあった城です
この城は永正5年(1508年)に菅沼元成によって築かれ、豊川と宇連川の合流点に位置し
北方に人工の塀と土塁を置いた堅固な造りとなっていました
天正3年には21歳の奥平貞昌が城主となり、武田勝頼の包囲に耐えました
「長篠・設楽原び戦い」と聞くと、多くの方が真っ先に思い出されるのが
歴史教科書で学んだ、織田・徳川連合軍が3000丁の火縄銃をもって、武田の騎馬隊を
撃破したという戦いの結果についてではないでしょう
しかし、戦いを語る上で欠かすことのできないのが「鳥居強右衛門」じゃないでしょうか
新城市では語り継がれるヒーローですもの ヽ(^o^)丿
長篠城址史跡保存館には「鳥居強右衛門」コーナーもあり、彼の勇士を称えた
資料を多数展示されていました
長篠城は、豊川と宇連川が合流する断崖上にあり、本丸、帯郭、野牛郭、巴城郭、瓢郭、
弾正郭等があります
戦国時代末期の城であるため、現在、建物は残っておりませんが、一部残っている内堀と土塁が
城の東側を守り
後方は合流する2つの川が堀として巧みに利用されている様子から、ここが天然の要害であったことが
わかります
天正3年(1575年)5月、武田信玄のあとをついだ武田勝頼は西へ勢力を伸ばすために
重要な拠点となる長篠城を1万5千の軍を率いて包囲し攻撃しました
城主奥平貞昌以下500の兵は、よく攻撃に耐えましたが、大軍に抵抗するにも限界となった為
織田信長、徳川家康へ救援を請うため鳥居強右衛門を岡崎へ遣わせました
対岸に「鳥居強右衛門」の磔死の碑が見えます
地元では有名な語り継がれでのお話ではありますが彼がいなかったら歴史は大きく変わって
いたのだろうと考えると、ほんと歴史の転換点なのかもしれないですね
長篠城址史跡保存館では、奥平家から寄贈された主君、奥平信昌の血痕が付着した陣太鼓や
甲冑などをはじめ、この戦いの参戦武将に縁のある歴史資料を中心に収蔵展示されておりました
この春、新城ラリーで訪れて以来の探訪でしたが、奥平軍、武田軍、織田・徳川連合軍などの
「守る側」と「攻める側」の視点に立ち、戦いで功績を挙げたもの、儚く散っていった参戦武将たちに
思いを馳せることができたドライブとなりました
あとづけの記事となりますが、長篠城の援軍に駆け付けた酒井忠治の鳶ヶ巣山砦奇襲攻撃地や
設楽原決戦場のマップど見どころ満載です
長篠城址史跡保存館前には鳥居強右衛門の画が描かれたロッカーがありました
大河ドラマの舞台の効果もあって、駐車場満杯の歴史舞台でした
それにしても県外からのお客さま多いです ヽ(^o^)丿
※おまけ
先日、「鳥居強右衛門」役を演じられた俳優の岡崎体育さんと
亀姫役を演じている當真あみさんの二人のトークが新城市で開催されたのは
新聞記事で読みました
サイン色紙ありました (*^^)v