中田英寿がポンチョ姿で帰国しました。お洒落の定義に頭を悩ます今日この頃の患者です。
昨日に引き続き歯医者に関するお話を笑いも泪も提供せずにお送りいたします。
昨日、歯の治療中に、歯医者に関する思い出をもわもわっと思い出していましたので忘れないように記述。
◆思い出1・・・淡い初恋
あれはそう小学1年生の頃、僕は可愛くて頭がよくてスポーツ万能なあの子(完全に美化しまくり)に恋をしました。そのときの僕の胸の高まりはよく覚えてないし、顔も写真を見ないとよく思い出せないけど、多分あれが初恋だったんだと思います。初惚れです。きゃっ。
まぁそれはいいとして、僕は昨日のブログに書いたとおり、虫歯になりやすい星の下に生まれた不遇の眉毛であるため、当然小学1年生の頃から歯医者さんにレギュラーで出場していました。ちなみに現在18年連続出場です。
今となっては、歯医者さんに「あの、寝ないで下さい。口が閉まっちゃいますんで・・・」と優しく諭されるほどの落ち着きっぷりですが、デビュー当時はやはりそうもいかず、ギャーギャーと周囲の迷惑も顧みず泣き叫んでおりました。それはもう。
そんなある日、いつものように歯医者に行って病院中に響き渡る程泣き叫んだ後に、ボロボロの状態で治療部屋を出ると、目の前には憧れの初恋の女性の姿が。彼女はまるで僕の悲鳴が無かったかのように、まるで天使のようにニコリと微笑みかけてくれました。その眩しすぎる笑顔が僕には辛くて悲しくて悔しくて儚くてtonight。でも、その夜は何事も無かったようにオヤジの買ってきたジャンプのゴッドサイダーを興奮しながら読んでいたような記憶があります。そんな彼女ももう一児の母。末永くお幸せに、そして世界がいつまでも平和でありますように・・・
◆思い出2・・・おじいちゃん
いつかは忘れましたが(小学4年生ぐらい?)、僕の歯が急に暴れん坊将軍状態になったときに、行きつけの歯医者が閉まっていたため、祖母に連れられて市駅(伊予鉄の中心となる駅。銀天街、大街道、松山城等、松山市の全てがそこにある)の近くの歯医者に行ったときのこと。(何故市駅まで行ったのかは今でも謎。)
その歯医者は幽霊が誰にも遠慮することなく住めるような廃屋系のビルの3階にありました。闇医者容疑がかかってもおかしくありません。
人買いに売られるのではという恐怖にドキドキしながら階段を登る気弱な僕を待ち受けていたのは、年金をいただいていてもおかしくないようなしわっしわのおじいちゃん。誰か水分を補給してあげてください、みたいな感じ。
しかし、そのおじいちゃんは見かけによらず強引な方で治療中、
爺「痛いかい?」
患「・・・(必死でうなずく私)」
爺「どれどれ」
患「いひゃいー(痛いー)!!」
爺「痛かったら言ってな」
患「いひゃいー!!」
爺「うんうん、そうかそうか」
患「いひゃいー!!」
爺「お、こうか。なるほどなるほど。」
と、僕の意見を全く無視した行動をとっていました。あれは本当に怖かった・・・あの時私の体が激しく揺れていたのが、治療で揺れていたのか、恐怖で震えていたのか、癖である貧乏ゆすりだったのかは今は知る由もありません。それ以来その歯医者のお世話になっていませんが、今の私があるのは本当に多くの人にお世話になってきたからであり、その方々への感謝の気持ちこの場を借りて伝えさせていただきます。今までありがとうございました。そしてこれからもどうぞよろしくお願いいたします。
◆思い出3・・・ソフト部
私は小学生の頃ソフトボール部でキャプテンなるものをやっていました。そして、私が5年生のときに、事件が勃発。
練習はグラウンドを軽く一周した後、キャッチボールをしながら顧問の先生が来るのを待つというのが基本スタイルなのですが、あるとき一人の少年がキャッチボール中にボールを顔にぶつけてしまい、怪我をしてしまいました。
当然キャプテンである私はその責任を問われ、顧問に呼び出されて厳しく叱責されました。そして、その事件以来顧問の先生が来るまではキャッチボール禁止という条約が教師―保護者間で結ばれました。これが世に言う『第一次キャッチボール事変』であります。
これは後から聞いた話なのですが、実はその怪我をした少年というのが近くの歯医者の御曹司で、その親から顧問に対して厳しい意見が飛んだために、上記のような事態となったようです。でもさすがにキャッチボールなんかで怪我するなんて想定の範囲外ですよね。顧問の先生が可哀想です。そして練習時間が短くなった他の部員も可哀想。
その怪我した少年は程なくして部活を辞めてしまいました。どうやらあんまりソフトボールが好きじゃなかったみたいです。
そんな彼ですが、歯医者の御曹司なだけあって、しょっちゅう海外旅行に行ってました。私は中学生になってからは彼の歯医者でお世話になっていたのですが、院長が海外旅行で不在というのはザラ。私はその影響で卒業文集に「医者になってお金持ちになって海外に行きまくりたい」と書いて、担任に呼び出され、「そんな邪な気持ちなら医者なんてなるんじゃない」と厳しく叱責されました。
そうです。私は彼のせいで二回も教師に叱られたのです。これを言いがかりと呼びます。皆さん一つ勉強になりましたね。
さて、そんな彼もいまや・・・何をしているんでしょうか。あまり興味が無いのでよく分かりませんが、多分親の後を継いでいることでしょう。頑張れよ!
以上、歯医者ネタ終わり!
昨日に引き続き歯医者に関するお話を笑いも泪も提供せずにお送りいたします。
昨日、歯の治療中に、歯医者に関する思い出をもわもわっと思い出していましたので忘れないように記述。
◆思い出1・・・淡い初恋
あれはそう小学1年生の頃、僕は可愛くて頭がよくてスポーツ万能なあの子(完全に美化しまくり)に恋をしました。そのときの僕の胸の高まりはよく覚えてないし、顔も写真を見ないとよく思い出せないけど、多分あれが初恋だったんだと思います。初惚れです。きゃっ。
まぁそれはいいとして、僕は昨日のブログに書いたとおり、虫歯になりやすい星の下に生まれた不遇の眉毛であるため、当然小学1年生の頃から歯医者さんにレギュラーで出場していました。ちなみに現在18年連続出場です。
今となっては、歯医者さんに「あの、寝ないで下さい。口が閉まっちゃいますんで・・・」と優しく諭されるほどの落ち着きっぷりですが、デビュー当時はやはりそうもいかず、ギャーギャーと周囲の迷惑も顧みず泣き叫んでおりました。それはもう。
そんなある日、いつものように歯医者に行って病院中に響き渡る程泣き叫んだ後に、ボロボロの状態で治療部屋を出ると、目の前には憧れの初恋の女性の姿が。彼女はまるで僕の悲鳴が無かったかのように、まるで天使のようにニコリと微笑みかけてくれました。その眩しすぎる笑顔が僕には辛くて悲しくて悔しくて儚くてtonight。でも、その夜は何事も無かったようにオヤジの買ってきたジャンプのゴッドサイダーを興奮しながら読んでいたような記憶があります。そんな彼女ももう一児の母。末永くお幸せに、そして世界がいつまでも平和でありますように・・・
◆思い出2・・・おじいちゃん
いつかは忘れましたが(小学4年生ぐらい?)、僕の歯が急に暴れん坊将軍状態になったときに、行きつけの歯医者が閉まっていたため、祖母に連れられて市駅(伊予鉄の中心となる駅。銀天街、大街道、松山城等、松山市の全てがそこにある)の近くの歯医者に行ったときのこと。(何故市駅まで行ったのかは今でも謎。)
その歯医者は幽霊が誰にも遠慮することなく住めるような廃屋系のビルの3階にありました。闇医者容疑がかかってもおかしくありません。
人買いに売られるのではという恐怖にドキドキしながら階段を登る気弱な僕を待ち受けていたのは、年金をいただいていてもおかしくないようなしわっしわのおじいちゃん。誰か水分を補給してあげてください、みたいな感じ。
しかし、そのおじいちゃんは見かけによらず強引な方で治療中、
爺「痛いかい?」
患「・・・(必死でうなずく私)」
爺「どれどれ」
患「いひゃいー(痛いー)!!」
爺「痛かったら言ってな」
患「いひゃいー!!」
爺「うんうん、そうかそうか」
患「いひゃいー!!」
爺「お、こうか。なるほどなるほど。」
と、僕の意見を全く無視した行動をとっていました。あれは本当に怖かった・・・あの時私の体が激しく揺れていたのが、治療で揺れていたのか、恐怖で震えていたのか、癖である貧乏ゆすりだったのかは今は知る由もありません。それ以来その歯医者のお世話になっていませんが、今の私があるのは本当に多くの人にお世話になってきたからであり、その方々への感謝の気持ちこの場を借りて伝えさせていただきます。今までありがとうございました。そしてこれからもどうぞよろしくお願いいたします。
◆思い出3・・・ソフト部
私は小学生の頃ソフトボール部でキャプテンなるものをやっていました。そして、私が5年生のときに、事件が勃発。
練習はグラウンドを軽く一周した後、キャッチボールをしながら顧問の先生が来るのを待つというのが基本スタイルなのですが、あるとき一人の少年がキャッチボール中にボールを顔にぶつけてしまい、怪我をしてしまいました。
当然キャプテンである私はその責任を問われ、顧問に呼び出されて厳しく叱責されました。そして、その事件以来顧問の先生が来るまではキャッチボール禁止という条約が教師―保護者間で結ばれました。これが世に言う『第一次キャッチボール事変』であります。
これは後から聞いた話なのですが、実はその怪我をした少年というのが近くの歯医者の御曹司で、その親から顧問に対して厳しい意見が飛んだために、上記のような事態となったようです。でもさすがにキャッチボールなんかで怪我するなんて想定の範囲外ですよね。顧問の先生が可哀想です。そして練習時間が短くなった他の部員も可哀想。
その怪我した少年は程なくして部活を辞めてしまいました。どうやらあんまりソフトボールが好きじゃなかったみたいです。
そんな彼ですが、歯医者の御曹司なだけあって、しょっちゅう海外旅行に行ってました。私は中学生になってからは彼の歯医者でお世話になっていたのですが、院長が海外旅行で不在というのはザラ。私はその影響で卒業文集に「医者になってお金持ちになって海外に行きまくりたい」と書いて、担任に呼び出され、「そんな邪な気持ちなら医者なんてなるんじゃない」と厳しく叱責されました。
そうです。私は彼のせいで二回も教師に叱られたのです。これを言いがかりと呼びます。皆さん一つ勉強になりましたね。
さて、そんな彼もいまや・・・何をしているんでしょうか。あまり興味が無いのでよく分かりませんが、多分親の後を継いでいることでしょう。頑張れよ!
以上、歯医者ネタ終わり!
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叱責され続ける星の下に生まれてしまったのかも…
どうやら太い人のほうが器用らしいね。
10年ぐらい歯医者行ってないんでそろそろ行ってみようかしら・・・。
初めから終わりまで、とてもおもしろかったです。
語彙が豊富ですね~
面白いったらありゃしない・・・
叱責され続ける星の下に・・・?もしほんとにそうなら私のお先は真っ暗ですね。シャツ氏は叱責されないのですか?さすが・・・(´・_・`)
>buddha氏
10年以上も歯医者に行ってない・・・??ということは、治療費を考えると10万円くらい俺と差があるのか?今度おごってください。
>soogle氏
明徳か・・・うまいこというね><
>ピュタ氏
いつも誉めていただいてあーざーす。より精進していきまっす!