Memento Morí メランコリアの朝〜ChiA(療養と病状の日記)

突然の”melancholia(メランコリア、うつ基本型)”と”disabilities (不自由)”と共に生きる。

2023/11/27

2023-11-29 18:17:00 | 病状日記
お久しぶりです。noteを更新しました。

goo blogは文字制限があるので、わたしの病気発生からの一連の手続き等に関しての「長い道のり」はnoteに記載させて頂きました☺️。

人生最も辛かった”窮地”の状態から、何とか休職→通院→やっと『自立支援医療制度』の適用を受けられることになり、元職場は「退職」することに至りました。その経緯は、noteに記させて頂いています。


【近況・療養日記・パニックとメランコリアの説明】〜お金って《前回の補足&近況とご挨拶》|『Memento Mori 〜メランコリアの朝』〜ChiA

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note(ノート)

 
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《本日の体調・状況詳細》  
日付  2023/12/03まで

昨日は引きこもり的にどこにも行きたくなく、孤独感が強かった。しかし、なんらかの理由(食事をしないといけないなど)をつけて、ファミリーレストランへ行って、勉強をした。

最近、シンドイという時があるが、それはこの「引きこもり的にどこにも行きたくなく、孤独感が強かった」という気持ちと、

医師との約束で「引きこもりにならない様にどこかに行き、孤独にならない様に」というmissionがあり

この『相反』に対してのジレンマ的なシンドさかもしれないとも感じた。『行きたくないけど,行かないと、自分自身がダメになる』みたいな感じだとは思う。

昨夜、そんな状態だったけど、夜空を見上げるとオリオン座がクリアに見えた。いつもは近所の公園周辺しか出なく、公園から見上げていたから、少し町側に出たファミリーレストランの駐車場からオリオン座が見えた事で、少し足を止めて写真を撮った。ブログにも貼ってみる。三つ星を綺麗に見れたけれど、星座が好きな友人にシェアをしてみたら、それはやはりオリオン座だった。

翌日の今日2023/12/03は、やはり気分的に気だるさがあった。しかし、時計をみて、まだ朝だった。何故か、先祖の墓に足が向いた。花やお菓子などを備えて線香をしていたらやっぱり太陽が眩しく光った。

『いつもそうだね』と墓石を撫でて礼を言ってた。いつもわたしは墓石を何かで擦ったりしない。手で綺麗にする。何故かわからない。冷たいとか,痛いんじゃないかと感じるから。

般若心経唱えたいけど病気で声があまり出ないから、携帯から高野山真言宗の僧侶の唱えるものを流して見て拝んだ。

先祖には以前,会ったことない先祖の顔を見たいと言ったら,帰宅後に普段開けない棚をふと開ける事になり、写真が入った箱を見つけさせてもらった。だからお礼し,名前を呼んで拝んだ。やはりまた太陽が眩しく照らした。

帰りに、ついでに、ランドリーに行った。コインランドリーは、家で乾くのを待つより、大きな乾燥機でほかほかになるのが気持ち良いからそうしにいく。お金はかかるけど,干したりが手が痛いからもある。でも乾燥は100円だから助かる。

今までもの凄く困窮した「魔の3ヶ月」を過ごして,体重は5から8キロは落ちて体力も無くなってはいる。でも、なんとか「引きこもり」にはなっていず、身体はしんどいけど、一日必ず外に出ているのは自分を偉いと誉めようと思っつる。普段は褒めないけど、褒めるとこは褒めないといつも『お前なんか』となるから、それも『相反』したジレンマではある。

わたしは山川に住むから,電動自転車という文明の利器が無ければ生きていけない。わたしは、症状や発作やトラウマからバイクや車に操縦したりしては乗れない。電動自転車でも転んで,パス通りでトラックに踏まれるとこを、周りの人達がとっさに取り囲んでくれて助けられた事があった。ありがとう。不思議な光景だっと思う。

これは「健常」だとわからないと思うのだけど、わたしが経験した症状は、自分で何かをしたりにとても『不自由』(障がい)があった。外に出なきゃいけない時に、身体に『錘(おもり)』をされた様にシンドイというのがあり、『理解』されない苦しみがあった。他者に理解して欲しい欲求はないのだが,説明して欲しそうに『なぜ?』とするわりに、しても理解をしないのは彼らには『経験』がないからとわかっている。

今まで出来たことすら出来なくなる。これを『不自由』(障がい)という。それにより、色々責められたり、叱責されたり、詰られたり、正直、それらすべてが広場(人混み)恐怖、対人恐怖にもなったし、虐めなどは正直には『虐待』に近かった。虐待をする方々は自覚がなく、されたほうになすりつけるのは特性であるから,逆に可哀想に思う。

わたしはとても料理が好きだし自炊がしたいけど、手が痛く,力が入らなく,出来なくなってしまってる。ランドリーも自宅で、干すのが手の後遺症で痛いし動きづらいから、だから、コインランドリーに行ったりする。

ただ、不思議だが,これで外に出ようという理由になり「引きこもり」にはなっていない。それは良かった。いつもわたしには良い事、悪い事、両方が起きるが,結果がベターになる事が多い。さらに、山川に住んでいたのは幸運で緑や自然や神仏に囲まれてる。だから、引きこもらない広場(人混み)恐怖の人として、もう、街や盛り場にあまり興味がないし,山の人になってきている。

たしか先祖はサンカ(山窩)。そうだったな。母方の曽祖父は密教僧。引きこもりというか、血筋的に山籠り(やまごもり)と、末裔としてはジョークをする。わたしは父方は宮中祭祀家系であるし,だから、血筋的に命(みこと)を敬う。誰に教えてもらってもないが、昴(すばる)に手を合わせてきた。不思議な体験があるが別のブログに記している。これについては、現代社会が『病気』みたいに扱うから,わたしはこのブログには現代人的に書く。

わたしは何人かこういった『病気』になってしまった状況、や『不自由』(障がい)になってしまった妻や恋人を見捨てる人達をリアルに見た事(他の方々の話)があり、さらに、子供すら面倒だからと見捨てた人達も見てきた。

だからで、現在、逆に、シングルで良かったかもしれない。何故なら、今から知り合い、今からそばにいる人たちが『本物』だから。

この『逆境』で、わたしには何のメリットもなく、面倒なリスクがあろうと、”それでも一緒に居てくれる人達がいる事”を逆に経験できてる。こんなわたしでもありがとう。身寄りはないけど、血筋ではない赤の他人や隣人の愛がわたしを生き伸ばせた。そして、メリットがないなら酷い扱いをしても良いとする『魂=心』を失った人達すらわかるようになった。

わたしは、お風呂も、なるだけ近所の銭湯や温泉(銭湯価格で温泉だけは入れる)に行き、一人きりにならないよう、引きこもらないよう、広場(人混み)恐怖や対人恐怖に負けてしまわない様に,晴れの日に自転車で走ったり,そうゆう努力をしてる。しかし、今どき,スーパー銭湯にて、タトゥはダメとするのは、逆に、彼らの儲けを減らす事だけだとは思う。日本だけの『刺青』の変な概念かと思う。かといって、タトゥを自慢して見せつける若者はあまり賢いとも思ってはいない。なぜなら,悪振ることで強く見せようとだけしてるのがわかるから。あまり肯定も否定もない。

通院は電車に乗らないといけないけど、ラッシュを避け、座れる時間帯に行ってる。わたしは『体力』が無くなっていて,疲れたら発作が起きるから、満員電車で長時間立っていられないし、階段も無理になっている。だから、そこはエレベーターや福祉的サービスを利用してる。駅で、その気遣いは優しいから好きだ。しかしながら、健常な人達がそうではない人達を押し除けてまで使うものが『福祉サービス』ではないかとは思う。

よくあるヘルプマークはあまり私の住む地域では意味がない。信じられない人もいるだろうが、優先座席は『ヘルプが必要な人の席』という意識はない方々が大半なのは、言いにくいが事実である。だいたい、優先座席から座る人たちがよくいる。その理由は、空いてるからだろうけど、優先座席じゃない席から座って欲しい。

しかし、そこは期待せず,ラッシュを避ける工夫をする。わたし自身が同じ様な大変な方々を見かけたら助ける心掛けをしている。いつか、鉄道会社の方には言いに行こうとはしている。それは、わたしみたいな誰かのためにもある。

日記を書くまで、長く書けなかったから、たくさんがある。まず、最近になり、①孤独感、孤立感、閉鎖感、と、②広場(人混み、対人含め)恐怖がまた少し感じる様にはなっている。それは一日バイトに行かないと生きていけないから,行くからだとも思う。

傷病手当はnoteに書いた様に,未だに出ず,自分が支払ってきた高い社会保険とはあまり当てにならないと思っている。もう3ヶ月になり、生きていけないから日雇いくらいには行き、症状が出る。でも、そうせざるをえない。悪循環とはこの魔の3カ月ではある。

日本は特に福祉大国じゃない。増えた高齢者だけ優遇するのは,数が多い人たちに向けて「優しくしたら良い」という政治的な高待遇であり、少子化社会で頑張って働く若者中間層が税金を高く納めているのに粗末になる。『壊れ物』になったら虐めを受けたりし、不景気になったら「切り捨て」される社会である。これにより『弱者』がさらに増えるが,さらに高い積立貯金(税金)を必要とされる。

労災は録音しろというけど「録音機や携帯持ち込み禁止」な場所でどうやってしるのか?仕事中いつその人の機嫌で起こるかわからないが、ずっと録音しろみたいなことなる。無理だ。さらに一般企業は『社内秘密は漏らさない』という誓約書を書かせる。

出来るわけがない証明(録音)の要求をするとい事じたい、被害者を守る気は本気にあるのか?虐めや虐待やハラスメントは、いきなり発生し、相手の「機嫌」なので「計画的に記録できない場で虐めは発生」する。継続的かつ計画的に証明をしないといけないとか、それじたい大変である。我慢してサレ続けながらで記録しろとか、何かあってから(殴られてから)警察が動くなどじたい、本来は矛盾してる。

わたしにあるのは、そういった「『虚構』と『矛盾』の社会に巻き込まれていた感」が拭えないところがある。しかし、社会や政治やこの嘘や矛盾はさておき、わたしは自分自身が受けられる公的支援に頼らざるを得ない。だから、色んな「手続き」を終えたら「技術訓練サポート」を受け、電車に乗らずにすむ在宅仕事をしたいと考えている。

まず、後者②の「恐怖」は恐怖というよりも「回避」に近いものである。広場(人混み)や対人が恐怖に至る手前で最近は止まってはいる。だから、マシにはなっているわけではある。しかし、広場(人混み)恐怖がでる時とは人混み(祭りなど大勢の人と大きな音もある)にいる場合に起きるのだが、そうゆう場にも自分からは行っていないから、恐怖と発作に至っていないだけではある。だから、「回避」と表現してる。しかし正式には『広場(人混み)恐怖』がわたしにはまだあるのである。

わたしは広場(人混み)恐怖から人を”回避”はしていて、日常生活に支障はあるけど、もう自分自身に正直になり,自分が「嫌悪感がある場所」は避けながら(広場、人混み)、対人恐怖になる「対象的な人達」を避けながらで、少しずつ慣れていかないといけない。今はその状態である。昔から『1人』が良かったが、『群れなければいじめや悪口の対象にする』といったおかしな精神性がある人達がいる場所(主に職場)はわたしには『無理』に感じる。

次に、最も重要なのは、実は、常時にある①孤独感、孤立感、閉鎖感、であるが、これは誰かと一緒にいても変わらない感覚ではある。一緒にいる人達にはショックだから言いたくない秘密にはある。また、わたしは元々に「依存体質」ではないし、例えば、飲酒や違法薬物への依存にはまったくならず、性的または恋愛依存などにはまったくならない。誰かのファッションやメイクを無心に真似して、そのカリスマになりきるみたいな行動もない。根っから『一匹オオカミ』なんだろう。

さらには、わたしには、逆に、『誤魔化し』が一切に効かないから,常時にある①には少し諦めはある。一瞬、世界と自分が分断,分離,解離した感覚があるという事だけど、実は、これが一番危ないのは,昔からわかってる。昔から第三者的な感覚がある。かと言って、自分自身の人間としての喜怒哀楽を失ってるわけではない。でも、基本的に、外から見る。

おそらく、わたしには、どんな『誤魔化し』をしても、何をしても、①が残るというのはわかっていて、依存の末路まで見えている。かなり深く、その結末までしっかり理解ができているし、誤魔化しの後の方がぐったり疲れて、燃え尽きてしまうというのも知ってる。だからこそ、”無駄な事”をしないというだけだ。人間は、何回も何回も無駄や失敗を繰り返してから悟りが生まれるが、もうわたしには必要がないんだという時期になったわけだ。

例えば、昨今には合法薬物を大量摂取したり、お酒に混ぜたりで、OD(オーバードーズ)して、辛さから逃げを作る若者層がいたり、大麻を合法的にと新しい何かを生み出したりしてる開発者もいる。なぜ執拗にそれをするのだろうか?お金と誤魔化し,消費競争に過ぎない。それに純粋に巻き込まれる子供達の末路の方が考えないといけない点だ。

性的な依存とか恋愛依存を繰り返しする人達もいるけど、そもそもで、異性でのごまかしは,もうわたしには効かないからシナイ。恋愛については特にだが、一緒にいる人達によって、わたしには「命」に関わる事から,わたしには寂しさを埋め合わせたり,快楽のためのコンビニエンスな相手探しが無理になる。それが自分を大切にする事であるから特にこれは悪くない性質かと思う。恋愛についてじたい、わたしは第三者に見ているから、あまり信用を簡単にしないのだと思う。

また、わたしはクロチアゼパムを服用しているし、アルコールは飲めば死に至る可能性がある。アルコールは、もともと消化できる機能にすぐれない為に一滴も飲めないのもある。この常用薬とアルコールを同時摂取したら死んでしまうのもわかっている事から『生命維持』のために酒は欲さない。体も欲さない。

また、処方された睡眠薬すら多量摂取は死に至らしめられるのもわかっているが、それでも、わたしは自死をシナイのは、わたしにはまだ「エロスとタナトス」のバランスは『正常』にある。そもそもで、薬は毒にもなるものだから、必要ないのが一番なのには変わりがない。しかし、飲まなければ、身体的に発作がある場合に、仕方なしには飲むだけだ。

わたしは、”セルフコントロール”は昔から出来ており、自分自身の人生とか、命を悟っているし、薬を「悪用」して逃げてはいない。きちんと適量を計算して,死なない程度にしてくれてるなら,病気になってしまったら服用は意味がある。だから、まったく病院に行かない,というまでのアウトローでもない。むしろ、ヤングケアラーで裕福ではないから行けなかった。だから、今は自分自身をケアできるようになり、やっと、良くなりつつある。

さらに、わたし的には”そこまで多くを他者に助けてはもらっていない”けど、些細なことでも「ありがとう」とは言うよいにはしている。稀にいる助けてくれた方には最大限に感謝してる。

わたしは、わたしより感謝をしたり、ありがとうを感じて言えて、実際に大切にしてくれる人達を尊敬しており、だからがあり、自分も普段から人に優しく、そのようにしてる。真に心が綺麗な隣人愛のある人達にはとても感謝するから,だから、そういう方々との触れ合いが、生きる方へとエナジーになり、前に向いているのと感じる。

ありがとうございます。

この美徳を自分自身が持つ事からは時折,勘違いをされ、虐めや意地悪を受けた事がある。いつも腰が低いと、何しても良いとか、頭が悪いという見下された扱いすらあった。しかし、本当に優しい態度の人ほどシャッターが下りるのは早く、不当な扱いには100%甘んじない事をわからないという人達もいる。

自分自身より弱いとか、そうゆう立場を利用して、力づくに抑圧する人達は、自分自身が丸ハダカになった際によくわかる。そういった人間ほど一番弱いと理解してる。まず、自分自身に余裕がなく、いつも人に八つ当たりをしているのは、『優しくない人』なのも知ってる。それは口の悪さや、人のせいにすり替えたりする甲骨さからわかる。だから、それについては、同じ様にはならないように気をつけたい。

先述した①孤独感、孤立感、閉鎖感というものは、誰かといたとしても感じる。これは昔からの感覚である。もう何十年もあるから,その空虚感、虚無感、というのは、少しは慣れた。例えば、興味がある事をしたり、何かを成功している時にすら、感じるものであるから、これはもう「治す」というものではないかとは思ったりする。

わたしの孤独のきっかけは何だったかハッキリ覚えていないが、やはり、最愛の人と、親友3人を亡くした喪失感があり、実父の死や、愛猫のペットロスも、全てが続いたのがあるとも思う。全部だと思う。

実際に身寄りがないし、身内にすら迷惑扱いをされた。だから、絶縁ではある。実際に孤独だから、孤独な感覚は仕方なく,例え、夫婦になってすら他人だから仕方がない事だ。さらに、自分自身が何かに没頭して充実したとしても、『孤独感』がある、というのは仕方がないし、『一匹オオカミ』(合わない人との付き合いがしんどい)も仕方がないとは思う。

生活をしているにあたり、A,調子が割と良い時、B,調子が悪めな時、が、何日かごとに繰り返して起こる感じがしている。病気,酷い発作が起きていた時期は常に、B,だが、A,の時期が出来てきたことには、”状態は良くなってきている”とは思う。少なからず,A,調子が割と良い時、が、あるから。

しかし、A、とB,があるという事は,感情や心が常にダウン的な意味でフラット(メランコリア)だった、多幸感もなにもない様な感覚に、多少の『波(アップダウン)』が出てきた事になり、その波が、少しだけ「シンドイ」時がある。基本的に、わたしは波が好きではない。

だから、アップダウンが激しい交際とか、起伏が激しい感情的な人や、すぐ怒るイライラした攻撃をする人とかが、大変苦手で、それに引きづられたら発作がでるから、「不安定」な信頼できない人物とは一緒にいられない。

だからと、社会生活をしていて、色んな人に出くわす仕事場には必ずそうゆう人達はいるし、わたしは何故か黙って静かにしていても目をつけられやすい。プライベートにもあったりする。だからで、わたしには対人恐怖がある。

わたしが不思議なのは,イジメをする人などは、何故ほかの人をそんなに憎み,意地悪を言ったり、虐めをしたりできるか?だ。そこまで他者を嫌い,憎め,ストレスを打つける人達がいるのは残念ながら理解もできない。だから、1人でいたいとなってくるが、わたしは「引きこもり」だけにはならない様にとの医師との約束がある。

わたしはしばらくは『定着しない仕事』(一日、一日、選べる仕事)が現在には向いていて,かつ、仕事をして社会と接触があるけど、在宅であったり、さらに「付き合う人達を自分が選ぶ環境」が向いてる。フリーランスか、在宅で黙々とする仕事が向いているように感じてはいる。(今と近い未来は)

わたしの場合には、何かをしなければならないからと、無理矢理に奮い立たせてきた部分があった。例えば、家族のためとか、職務のためとか、それにより、わたしの神経はマックスに「覚醒状態」になって、がむしゃらに働いたり、プロフェッショナルとしてそれをやり抜こうと「無理」をし続けてしまってきた。

だから、長年それをして病気になっている。自分自身の『限界値』がわからなくなり、身体を悪くしていった。酷使した結果,『不自由』(障がい)になった。それはあまり良くないかと思えてきたから、今からは無理をし過ぎない程度の仕事をしないといけない。

今は素直に、シンドイとか、嫌だ、とか、それを日記に書いてみたり、わたしは何が向いていないとか,無理をしてきたのかを『自覚』しないといけないとは思った。

さらに、回避行動をするのだけど、今は,だんだん良って生きていく為には、自分に良くない環境や人達を避けながらではないと、悪化する一方に思う。だから、自分自身に『合う』という環境や人達といるべきだと思う。

これは他者の価値観で決まるものではなく,むしろ、他者じゃなく、「自分自身の価値観や感覚を信じて、自分に合った、より良い場所に身をおかないといけない」と思う。わたしが必要なことは何か?むしろ、「わたし」自身を受け入れ、わたしに対して大切にしてくれる人達とだけいるのがわたしには良い事だから、我慢したり耐えたりする事を減らしていく必要(ストレスフリーを目ざつ必要)があるとは思っている。

A,調子が割と良い時には、一日バイトに行けて食べる分を稼げる。けれど、最低限に必要な分が終わると、死んだ様に翌日が酷く辛く、B,調子が悪めな時、になる。何故ならば,傷病手当は未だ、3か月も出ていないから、生活ができない。また、今は,何ら公的支援は無いからもあり。しいていう場、公的支援を申請して楽になったのは自立支援医療制度の窓口医療費がフリーになったくらいだ。しかし、これすら3ヶ月近くかかっていた。しかも会社を辞めて,国保切替が必要になった。

これまで、一生に何度もないだろう、最も最悪な体調の病気発症の時から、疲弊や困窮しながらも、よくこの『魔の3か月』を生き延びた,というのは、自分の頑張りを認めたい。救われたのは『隣人愛』だし、だからこそ、少しでも助けて管恥ぢた善意をもつ良い人に感謝しながら、それを返したい。

外に出たり、友人達に会う努力をしても、その「人々らとの時間」が終わったら、ぐったりと辛くなる。そこには①孤独感、孤立感、閉鎖感、を感じるのがある。すなわち、誰かといても①をふと感じるのも、疲れるのも相反してあるのだ。さらに、わたしには『誤魔化し』はまったく効かない。退行催眠術すら掛からないから困られた事がある。今医師から処方して貰うクロチアゼパム(抗不安薬,抗うつ作用もある)はボウッとする理由で効いてる時は「胸痛」はマシになる。

だから薬はお守り(頓服)にはなっている。たまには、効かない時もあるが、まだ助かっている。医師は「弱い方の薬だからなぁ」とは言っていた。クロチアゼパムは強い薬と思っていたけれど、わたしの場合『中度→重度』なんだとわかった。

医師はあまり強度な薬を出したくないのかで、市販の漢方で血の巡りを良くし、イライラ感を無くす作用もあるものはどうかと、強い抗うつ的な薬より、漢方の薬を一つ薬を増やしてくれた。そうゆうところが、主治医の処方の仕方が良いとは思っている。ツムラの抑肝散(よくかんさん)だが、抗うつ剤を強くされたりするより、『漢方』だから、何か信頼がある。

ツムラのサイト

自分自身で感じるのは、この①孤独感、孤立感、閉鎖感、が、『メランコリア(うつ基本型)』なのであるとは思う。メランコリアとは罪責観念の塊で、他人に言われなくても常に自責の塊なんだと思う。何も悪い事をしていないのに謝ったり、そうゆう生真面目な性格だし、他人をあえて傷つけたりもしないから、逆に、『虐めの対象』にされたり『サンドバッグ』の様にストレスの捌け口にされたりする。優しさをわかっているから、あえて嫌味や意地悪を言っても大丈夫と思われたり,悪者におしゃられたり、それに耐えるのが『メランコリア』と思う。

自分本位で他責を日常的にできる人ほど楽な事はなく、それで他者が踏み台になってるとかは、気にしないんだと思う。だから、わたしはそうゆう他者の気持ちを気にしないし、心配もしないし、大切に扱わなくても良いという価値観な人達とは、一緒にいられないとは思う。わたしには、わたしに適切な人達といるのが『ベスト』であり、そうやって離れる決断をしてる時に、いろいろまた言われたりで、振り回された事があるから、それは「トラウマ」になった。だから、二度ともう、そういう合わない価値観の人達とは深く付き合っていかないと決めている。

わたしが「希死念慮」が強かった時、朝は非常に辛かった。その時よりかは、まだかなりマシだと、今は思う。毎朝が始まるから、その始まりが辛いという感覚は薄らいではいる。ただ、だんだんとA,調子が割と良い時、B,調子が悪めな時の「差」が出てきて、その少しものアップダウンすらが辛い。そして、このA,調子が割と良い時、B,調子が悪めな時、の左が開きすぎると、それは『双極性』になるのだと思う。わたしには、父の様な長いスパンをかけての双極性や衝動性はない。

ただ、わたしは元からが感情のフラットな人間で、メランコリアだから、A,調子が割と良い時、B,調子が悪めな時、という『相反』したアップダウンが増えると、逆にシンドくなり、パニック障がいの方の発作が出てくる。すなわち、わたしは、環境の「変化」を嫌い、ナーバスになるのだと思う。B,調子が悪めな時というのは、未来的予期不安があるのだと思う。

今日は良いが、明日や先にはどうかという、不安障害がパニック障がいという事にもなる。それは、幸せだった日々に突然最愛の人や親友を病気や医療事故で亡くした、とか、殆どがPTSD的なものからの予期不安と思う。

上手くは言い表せないが、パニック障がいのほうはクロチアゼパム(抗不安,抗うつ)の助けでマシに治ってはいる様に見えているのだが、結局、『メランコリア(うつ基本型)』と『パニック障がい』は併発しているのが「わたし」のケースであり、突然くるフラッシュバック(記憶の蘇り、PTSDの様な心的外傷)もあるから、グルグルと、症状が循環するみたいに連鎖はしてくる。

良い事は、最近は、テタニー(強直性痙攣、けいれん、てんかんの様な発作)についてはなくなっている。そちらが大分とマシになり、1週間に1度…救急車を呼ばねばならない状態は無い。わたしには「お前なんか食べるな」という強迫観念もあったけど、食欲も段々出てる。これは罪責、罪業妄想的な脅迫観念だとはわかっている。だから、「生きていて良い,食べても良い」とか「愛されている」と言ってくれるクリスチャンの友人達には特にかんしゃした。

傷病手当は期待をせず,頼りはしないと決めて,早めに退職し、国保に切替をし、noteに書いたみたいに『自立支援医療制度』と国保切替の組み合わせからで、わたしは「障がい支援サービス」を受けられ、医療費と薬代の窓口負担0になった。だから、金銭的に困窮した焦りの時期も段々とマシになったのも発作が減った理由だとは感じてる。生活困窮とか、家がなくなるなどの焦燥感も多少だけ薄らいだのが発作が少なくなった理由もある。休職中には公的支援の勉強もできたので、これから一つ一つする。

うつとは、脳が『疲弊』して起こる。併発するメランコリア(うつ基本型)は罪業妄想的な強迫観念。いつも悪くないのに責任を背負って、虐めのサンドバッグになっていた。それは過労から、ケアレスミスをした「隙き」があるからだと上司にも守ってもらえなかった。また、わたしの重度のパニック障がいはテタニー(強直性痙攣、けいれん、てんかんの様な発作)を起こした。四肢は全く動けず、筋硬直を起こす。つまり、心停止もありうる状態だった。

これは、すなわち、わたしは重度の『栄養失調』の状況だった。『ビタミンD欠乏』という事なのは実はよくわかってる。わたしは、だから、医師からは「あなたはビタミンD欠乏だよ」とは日本では言ってもらえないけど,「太陽に当たり、ちゃんと食べて,引きこもりにならない約束をして」と言ってもらえたから、今の医師の元には通ってる。何も言わず,質問だけしたら、うつについてもきちんと「疲弊、過労」とは答えてくれた。

わたしは「パニック障がい」と「メランコリア(うつ基本型)」を同時に発症した。だから、で、突然に頭が真っ白になり何をしてるかわからない時があった。数字の羅列に幻みたいなものが見えるようになった。つまり、データ表みたいなものを見て入力したりチェックするが、まったくどこを見て何してるか一瞬わからなくなる事があって、身体が一時停止になった。すかさず、1から100まで大きな金切り声で叱責され,さらに過換気症候群が酷くなり、腕も掴まれて,パニックになっていた。

さらに、一過性的な健忘があり、一時期は、鍵や財布を何度も無くしたり、落とし物や忘れものがカナリの回数に多発していた。自分自身がその時何をしていた記憶じたいがなくなったりした。声は出なくなった。これにも調子が良い時はとても良いけど、調子が悪い時,話して,説明したくても声が出なくなり,それに対して,聞こえないから,仕事だけでなく、プライベートでも、さらに店先で店員や窓口担当にすらイライラされて当たられたり、何度も何度も聞き返されたりした。わざと聞き返されたりした。これが対人恐怖になった。

わたしはよくはなってきた、とはいえ、完璧な健康でもない。『不自由』(障がい)ではある。だから、そこについてもう少し詳しくをメモする。

冒頭に書いた様に、A,調子が割と良い時、B,調子が悪めな時、というのが出てきて、常にに、B,調子が悪めな時、だった最悪な状態がベターにはなって来たが、そのアップダウンがすこしでもあるのが逆に今シンドイと感じてきた。以前からもだが、基本的に人との「付き合い」じたいがシンドイという時がある。しかし、さらに、『不自由』(障がい)により、付き合いたくない人達がはっきり出てきた。それは書き綴っている。

たまに、まだ、パニック障がいからの胸痛と過換気症候群などが起こる時がある。パニック障がいは「場所、環境」も関係するが、予期しないタイミングで起こるものでもある。メンタル的にも、広場(人混み)恐怖や対人恐怖があるけど、『過労』からなどの疲れや疲弊から発作が起こる事もある。基本的に、パニック障がいは「自律神経失調症」または「甲状腺機能低下」などからの神経やホルモンの問題だから。だから予期せずにも、いつでも起こる。

自分自身で、発作が起こるタイミングについては、自分の場合はの分析では、①その場所や環境による、②その場にいる人達による、③身体、特に手や声に負っている『不自由』(障がい)からの辛さによる、④トラウマ的な記憶からのフラッシュバックによる、などがある。症状や発作がでるタイミングなどは自主的忘備録、医師に伝えたいメモとしても記録しておく。

わたしの療養日記はカミングアウトで、押さえ込んできた事実を書いてる。わたしのトラウマには、①最愛の人や親友3人の不意の死とペットロス、②身体的に『不自由』(障がい)を負って今までの様に手も動かず声も出ない、③予期しない発作やテタニー(強直性痙攣、けいれん、てんかんの様な発作)による死の恐怖体験、④他者からの酷い言葉や対応、がある。加えて、わたしに必要なのは、罪業妄想をやめ、虐めや意地悪や不当に「やめてください」と言う事と、そういった環境や人達とは関わらない事。

自分自身を信じて、自分のベストフレンドとして大切にし、自分を大事にしてくれてる友人達や恋人といて、愛するものを守り続けられるように、少しでも健康を取り戻す事。好きな事を続け、他人の価値観に縛られて窒息して,押し潰されない様に、出来るだけ『理解』『尊重』のある人達や環境にある事。








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